毎週日曜日の朝に山陽小野田市の竜王山からアマチュア無線の電波を出されている方がおられます。
山上から決まった時間に決まった周波数で電波を出して、30人ぐらいの無線愛好家の人がここからの電波に短時間で交信するという『ロールコール』という方法で、司会進行の方はテレビのアンテナの様な指向性のあるアンテナをあちこちに方向を変えて、遠距離まで電波を飛ばされます。
ただ時には風が強い日があって、指向性のあるアンテナを使われずに、長い無指向性の車載アンテナで電波を出される事があります。
この日は一度指向性のあるアンテナを一度は出したものいの、後に置いてありますね。
この日は西から東に強い風が吹いていたので、車載アンテナが傾いていますね。
実はこの方は無線の世界ではかなり有名な方ですが、サウンドピュアディオのユーザーでもあって、リアにステッカーが貼ってあります。
たまに自分はアウディQ5に乗って、竜王山の駐車場の反対側の端に止めて、どこまでの電波が聞こえるか、受信しています。
そしてたまには自分も車載アンテナだけでなくて、指向性のあるアンテナを使って、福岡市東区香椎まで電波を飛ばして、香椎の無線仲間の人と話をしたいと計画していました。
ゴールデンウイークになる前に、火曜日に一度美祢市の桜山に登って、ラゲッジから指向性のあるアンテナを取り出して組み立てました。
昔のテレビアンテナのVHF用に似ていて、こういうアンテナを八木アンテナと呼んでいますが、本当は考案したのは八木さんと宇田さんの二人で、正確には八木・宇田式アンテナと呼ぶのですが、後に八木さんの方が『八木アンテナ』という会社を作られたので、八木・宇田アンテナの宇田が消えて、通称八木アンテナと呼ばれる様になりました。
ある程度エレメントが整ったら、タイヤで踏みつけるベースにポールを取り付けて、車体から少しでも離す用にアームを取り付けます。
そしてアームに八木・宇田式アンテナを付けたら、意外と車体に近くて、下のエレメメントがドアに当たっています。
下にビニールのキャップが付いているので、傷は付きませんけど、上の写真のNボックスの上に乗っているのはUHF帯の波長が70センチの2分の1波長なのでエレメントが短く、こちらはVH F帯の2メートル波長の2分の1なので、倍ちょっとあります。
そして伸縮ポールを徐々に伸ばして、福岡市東区に向けて電波を出してみました。
東区にはBMW7シリーズに乗っておられる経営者の無線の友達がいて、ビジネスで成功したのは高校生の時に始めたアマチュア無線がきっかけになっていて、それで『7の会』という電波少年・電波青年を応援する会を作っています。
その『7の会』の人と交信したかったのですが、仕事の都合でその時は無線出られなかったので、3局交信して直ぐに桜山を降りました。
そして自分の4連休の初日の今日は、朝下関市までアウディで行って、そこで高校生の無線家を車に乗せて、火の山に行って移動運用のアドバイスをして、その途中で福岡市東区と交信出来たらと思っていました。
しかし火の山はコロナウイルスの影響で観光登山が禁止になっていて、途中でUターンさせられました。
これは困ったと場所を変えて、以前実験を行った美祢市の桜山に行ったら、そこは雨で視界が悪く、だれもいない状態でした。
雨がひどくてアンテナを組み立てられないので、一番長い車載アンテナを取り付けて、高校生の局が自宅から持って来た無線機を繋いで交信を始めました。
自分はあくまでサポートで、横で聞いているだけで、自分の無線機は上級ライセンス用なので、電波法違反にならない用に自分の無線機を持って来てもらいました。
ただ天気はどんどん悪くなって、あまり交信数も稼げなかったので、場所を変える事にしました。
場所は最初の写真の山陽小野田市の竜王山に行き、走行中は外していた長いアンテナを取り付けて交信を始めました。
ただそれでも雨でコンディションが悪いのか、あまり交信数が増えないので、タイヤで踏みつけるアンテナベースを取り付けて・・
伸縮ポールを少し余裕を持たせて、風が吹いてもあまり揺れない様にして使用しました。
すると一気に飛距離が伸びて、四国の松山市から呼ばれて、交信出来るかギリギリの入りだったので、余裕を持って1メートル短くして使っていたのを、マックスまで伸ばしました。
たった1メートル伸ばしただけで四国がきちんと聞こえる様になって、スピーカーも無線機に内蔵されている物とは別な物を取り付けて了解度も上がり、無事交信は成功しました。
ただここまで自分はほぼ喋っておらず、交信するのは全て高校生の無線家で、自分は完全な裏方に回っていました。
何と12時から5時までで29局の交信に成功して、途中で桜山から竜王山に移動した時間もるので、最初から竜王山で更にポールを最長にのばしていたら成果は違っていたでしょう。
自分が高校生の時も同じ様に社会人の無線家の人が移動のサポートをして頂いて、今度は自分が若者をサポートする番だと思っています。
交信がひと段落終わってから、福岡市東区の7の会の人に電話して、「これからこの周波数で送信するから聞いて下さい。」と言ったのですが、以前はギリギリ交信不能が、今日は雨のせいか全くかすりもしませんでした。
山口県と福岡市東区の間には立花山があって、そこが邪魔になって無指向性のアンテナでは香椎駅よりも山手には電波が届きません。
さすがにこの天候では指向性アンテナを組み立てる訳にはいかず、諦めてアンテナポールを撤収して、高校生の無線家を下関市まで送って行きました。
自分が高校生の時には宇部市の無線家の方が自分が住んでいた美祢市まで迎えに来られて、それで移動運用が終わったらまた美祢市まで送って帰ってもらって、その移動運用で培ったノウハウが今のサウンドピュアディオの技術の根源で、インピーダンスの整合生とか、ボルト・スタンディング・ウエイト・レシオの改善とか、他店では理解出来ないノウハウも、先輩方の無償の奉仕のおかげと、たまたま7シリーズに乗っている無線家の経営者の人と知り合って、今度は次の成功者を作るのが自分たちの役目と思って『7の会』を作りました。