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小林あにのブログ一覧

2025年07月03日 イイね!

【全日本ラリー】ラリー飛鳥を見物してきました

2025年5月18日日曜日、奈良県天理市を拠点に開催された全日本ラリー選手権「ラリー飛鳥」を見物してきました。奈良県で全日本ラリー選手権が開催されるのは、32年ぶりなんだそうです。

自宅を朝5時に出発。8時30分頃、サービスパークが設置されている天理市の「天理教 北大路乗降場」へとやって来ました。




今回もサービスパークの中をぶらぶら歩き回って、SSから戻ってくるラリー車を見て回りたいと思います。本当はラリーを見に来た以上、SSも観戦したいのですが、今回のギャラリーステージは名阪スポーツランドのジムカーナコースなので、「まあ、いいかな。」と(そもそも前売券購入しないといけないし…。)。

9号車 新井・立久井組のシュコダ・ファビアがサービスパークへ戻ってきました。土曜日のラリー初日をトップで終えています。


テントに停車すると直ちに整備が始まります。


1号車 勝田・保井組のトヨタ・GRヤリスRally2です。こちらは初日3位です。


3号車 鎌田・松本組のシュコダ・ファビアです。こちらは初日5位。


5号車 福永・齊田組のシュコダ・ファビア。こちらは初日6位。


4号車 奴田原・東組のトヨタ・GRヤリスRally2。こちらは初日4位でした。


6号車 石黒・穴井組のトヨタ・GRヤリス。


2号車 コバライネン・北川組のトヨタ・GRヤリスRally2が、サービスを終えてTCへと移動していきます。こちらは初日2位でした。


ふたたび福永・齊田組のシュコダ・ファビア。こちらもサービスを終えて、間もなく出発しそうです。


勝田・保井組のトヨタ・GRヤリスRally2がTCへと向かいます。


奴田原・東組のトヨタ・GRヤリスRally2も後を付いていきます。


福永・齊田組のシュコダ・ファビアがテントから出てきました。


鎌田・松本組のシュコダ・ファビアもサービスパーク出口のTCへ向かいます。


ラックのテントでサービスを受ける14号車 三枝・木村組のトヨタ・GRヤリスと11号車 大倉・豊田組のトヨタ・GRヤリスDAT。




サービスパーク出口のTCでチェックイン中の46号車 藤原・宮本組のスズキ・スイフト。JN-4クラスながら、初日を総合12位で終えているようです。もちろんJN-4クラストップ。


19号車 吉原・安東組のスバル・WRX。


21号車 大竹・橋本組のトヨタ・GRヤリス。モリゾウ・チャレンジカップのトップですね。


22号車 稲葉・竹下組のトヨタ・GRヤリス。


33号車 山本・立久井組のトヨタ・GR86。JN-3クラスのトップ。


ふたたびオサム・ファクトリーのテント。


8号車 金岡・マクリン組のシュコダ・ファビア。


16号車の塙・西村組のトヨタ・GRヤリス。


36号車 曽根・小川組のトヨタ・GR86。


45号車 筒井・本橋組のスズキ・スイフト。


モリゾウ・チャレンジカップ参戦者用のサービススペース。統一されたテントが設置され、プライベーターのサービススペースとは一線を画しています。こちらはクスコチームからカップ参戦しているトヨタ・GRヤリスが揃っていますね。


23号車 ジョーンズ・トムソン組のトヨタ・GRヤリス。全日本ラリー選手権で外国人コンビは珍しいですね。


30号車 田部井・梅本組のトヨタ・GRヤリス。


37号車 下口・小林組のトヨタ・GR86。


52号車 中溝・佐々木組のトヨタ・ヤリス。


47号車 鶴岡・山岸組のスズキ・スイフト。


49号車 河本・有川組のマツダ・デミオ。


サービスパークの背後にそびえる天理教の建物が何ともミスマッチな光景です。


61号車 天野・井上組のトヨタ・RAV4 PHEV。今年から名称変更されたJN-Xクラスのトップです。JN-Xは、2,500cc 以下のハイブリッド車や電気自動車のクラスとなっています。


39号車 渡部・横山組のトヨタ・86。


67号車 ビダル・桝井組のルノー・クリオ。


7号車 新井・小坂組のスバル・WRX。ラリー初日にエンジントラブルでリタイア。2日目はリスタートしなかったようで、テント内に置かれていました。


75号車 千北・中島組のポルシェ911。フロント部分はホントがらんどうなんですね。


76号車 河合・明治組のトヨタ・セリカ。


旧車のボンネットが開いていると、みなさん取りあえず覗き込んで、写真を撮っていきますね(私もですが(笑)。)。


0号車と00号車がサービスパークに駐車中。ということは、間もなくラリー車が2回目のサービスのために戻ってくるということですね。


9号車 新井・立久井組のシュコダ・ファビアが最終となるサービスのために戻ってきました。


新井・立久井組は引き続き現時点もトップ。総合・JN-1優勝に向けて、車両整備に余念がありません。




4号車 奴田原・東組のトヨタ・GRヤリスRally2。


3号車 鎌田・松本組のシュコダ・ファビア。




1号車 勝田・保井組のトヨタ・GRヤリスRally2。


5号車 福永・齊田組のシュコダ・ファビア。サービス完了後、あとから戻ってくる16号車のためにテントの外へ駐車しています。


21号車 大竹・橋本組のトヨタ・GRヤリス。GRカラーで走っているチームだけあって、サービスの光景はワークスのミニチームといった雰囲気です。


モリゾウ・チャレンジカップのサービステントの造りは、WRCのサテライトチームや大規模プライベーターチームを意識しているとかいないとか。


総合順位の上位3台のラリー車がサービスパークを出発して、最後のセクションへと向かいます。






この後は表彰式まで待っていても良かったのですが、明日は仕事だし、東名阪道の渋滞に巻き込まれると自宅に着くのが遅くなってしまうので、これにて帰路へとつきました。
Posted at 2025/07/03 00:16:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラリー飛鳥 | 日記
2025年06月29日 イイね!

旧長野電鉄屋代線 信濃川田駅跡と松代象山地下壕へ立ち寄りました

2025年5月9日金曜日、山形県鶴岡市にある出羽三山神社を訪れ、その帰り道には、新潟県村上市勝木に残る旧国道7号や羽越本線旧線のトンネルを見物しました。

その後は何度も仮眠を繰り返しながら、深夜の新潟県を上信越道新井PAまで移動。ここで5月10日土曜日の夜明けを迎えます。

ここから寄り道を再開。えちごトキめき鉄道の二本木駅と太田切橋梁、旧信越本線の戸草隧道と大廻隧道へ立ち寄りました。

さて、長野県内でもう少し寄り道していこうかということで、まずは長野市松代の「松代大本営跡」へ立ち寄ることを決定。もう1か所、旧長野電鉄屋代線の信濃川田駅跡も訪れることにしました。

まず訪れたのは、旧長野電鉄屋代線の信濃川田駅跡です。こちらを先に訪れたのは、長根県北部からやって来ると信濃川田駅跡の方が手前側になるからです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

地形図を写真表示に切り替えると、駅跡の前後にも線路が存在している状態のものが閲覧できます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駅舎の外観は、今見ても現役の駅と間違えそうな状態を維持しています。


駅舎の中へ入ってみます。当時の運賃表や時刻表が掲出されたままになっています。




備え付けの木造の長椅子に懐かしさを感じます。


2000系電車の写真ですね。


駅名板。


線路から駅舎を望みます。


須坂側にある構内踏切。遮断機が残されています。


廃止直後と思われる写真を見ると、駅舎の反対側にあるホームもコンクリート造りになっていますが、現在はコンクリート部分や舗装部分が壊されて土の山になっています。


ホーム下に穴があります。昔々はホーム上に転轍機のレバーがあって、穴から連動ワイヤーが伸びていたんでしょうね。


屋代方面を眺めています。


駅構内の屋代側に残っていた鉄桁。


一直線に線路跡が続いているのが見えます。


さて、信濃川田駅跡の見物はこれくらいにして、長野市松代へと移動します。移動途中に旧屋代線の廃トンネルが見えましたが、ここは我慢してそのまま直行(笑)。

真田氏の城下町であった松代の市街地を通り抜けて、「松代大本営跡」の遺構の一つである「松代象山地下壕」へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

地下壕の説明板と案内図。見学は無料でできます。地下壕へ入場の際は、貸出されるヘルメットの着用が義務となります。




ところで、実は現地を訪れたタイミングが悪く、同じく見学に訪れた大学生と思しき一団と鉢合わせ。

大学生たちには先に行ってもらって、後ろからのんびり見物しようかなと思っていたら、関係者の方から「どうぞ先に行ってください。」と勧められて、やむなく先に地下壕内へと進入。

集団に追い立てられるような形になり、あまり落ち着いて見物できませんでした…。

入口からしばらくは、頭がぶつかりそうな低くて狭いトンネルを進みます。


削岩機ロッドの説明板。地下壕内には抜けなくなってしまったロッドが数本残っているとありましたが、見つけられませんでした。


入口付近と違い、本坑部分はご覧のとおり大きなトンネルとなっています。地下壕というイメージから、この大きさにはちょっとビックリしました。


見学ルートの屈折地点。およその中間地点になります。


立入禁止区画は落石が放置されたままになっています。まあ、廃トンネルを探索する時はこんな場所ばかりですけどね。


見学ルートですが、補強が入っている箇所もあります。水溜りがあるので、漏水を原因とした落石があるのでしょう。


この坑道は割ときれいですね。


地下壕掘削時のトロッコ枕木の跡。




見学コースの終点です。ここから折り返して入口へと戻ります。




松代象山地下壕を見学後は、すぐ近くにある竹山随護稲荷神社へ。社殿からは松代の街が一望できます。






山寺常山邸。松代藩の寺社奉行、郡奉行を務めた山寺常山の屋敷跡。主屋は大正時代に失われ、現在は江戸末期から明治初期に建てられた長屋門形式の「表門」と、大正末期から昭和初期に建てられた書院「対竹盧」が現存しています。










これにて松代市街地での見物は終了。今回は実質「松代大本営跡」だけでしたが、先にもちょっと記したとおり、松代は元和8年(1622年)から幕末まで真田氏が藩主を務めた松代藩の城下町。松代城跡、真田宝物館、真田氏の菩提寺「長國寺」など、いろいろ見どころがあるので、また折を見て訪れてみたいと思います。

時刻も15時を回り、これでようやく帰宅することに。上信越道長野ICから高速に乗り、長野道へと進みますが、疲れが出てきたのか眠気に襲われ(笑)、筑北PAで1時間ほど仮眠。

16時45分頃に筑北PAを出発。中央道駒ヶ岳SAで給油し、18時20分頃神坂PAに到着。ここで晩御飯。ご飯を食べている間に土砂降りが降り出して、止む気配が無くてずぶ濡れで車へと戻る羽目に。


20時45分頃、やっと自宅へと到着。今回の走行距離は1,349Kmでした。


年相応に段々と疲れが抜けにくくなってきているためか、疲れを感じるとすぐ眠くなり、しかも眠気がなかなか抜けません。眠気に対する耐性がホントに落ちてきていますね。安全のために「眠気が来たら無理せずにすぐ仮眠。」で、これからも長距離ドライブへ出かけたいと思います。
Posted at 2025/06/29 23:26:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2025年06月26日 イイね!

二本木駅・太田切橋梁・戸草隧道・大廻隧道へ立ち寄る

2025年5月9日金曜日、山形県鶴岡市にある出羽三山神社を訪れ、その帰り道には、新潟県村上市勝木に残る旧国道7号や羽越本線旧線のトンネルを見物。この後は同じ村上市内にある道の駅「朝日みどりの里」に18時15分頃到着。晩御飯を食べてから仮眠しました。

21時50分頃、道の駅「朝日みどりの里」を出発。日本海東北道 朝日まほろばICから高速道路に乗り、一路愛知県を目指したわけですが、眠気が出てきてしまい、北陸道へ合流して最初のPAである黒埼PAへ。22時45分頃から翌5月10日2時45分頃まで、またも仮眠のためにストップ…。

目が覚めたところで、ふたたび真夜中の北陸道を走行。上越市からは上信越道へと入りますが、この頃からまたしても眠気が…。最寄りの新井PAまで何とか走行して、ここでまたしても仮眠。4時25分頃から7時05分頃まで停まっていました。

夜が明けた新井PA。このPAからは妙高山を望むことができます。5月初旬ですが、まだまだ多くの雪が残っています。


ようやく眠気も覚めてきて、「次のICで下りて、スイッチバック駅の二本木駅へ行ってみるか。」と寄り道することに。

えちごトキめき鉄道の二本木駅へとやって来ました。「ようこそスイッチバックの二本木駅へ」と書かれたのぼりが駅前に立っています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

私が駅に到着した直後、続々と駅前に車がやって来て、車から降りてきた学生たちが駅舎へと入っていきます。

混雑を避けるため、ひとまず駅前に展示されている車輪や転轍機、煉瓦造の危険品庫などを見物。






電車が出発したのを見届けてから駅舎へと入っていきます。


駅舎の説明板。


二本木駅の顔ハメ看板。「さとまる」は二本木駅がある上越市中郷区のイメージキャラクターだそうです。


ホームへ上がると乗客は誰もいませんでした。おかげで、駅構内をゆっくりと見物できそうです




駅名板。駅に隣接する企業にちなんで「日本曹達前」の表示もあります。


ホームの先端まで行って、レールが交錯するスイッチバックの構内を眺めます。


赤線が本線、青線が駅構内への線路と、列車の引き上げ線です。


ホームの待合室にあった鉄道模型。


ホームと日本曹達の敷地の間には何本か側線があります。かつては二本木駅から日本曹達へと専用線が延びていて、原材料の搬入と製品の搬出が行われていました。貨物の取扱いは2007年3月に廃止されたそうです。




最後に駅舎内の写真を撮って二本木駅の見物を終了します。


二本木駅から国道18号へと出て、高速道路には乗らずにそのまま国道を走行していきます。

次にやって来たのは、国道18号妙高大橋下の国道の旧旧道。現在の妙高大橋と橋桁が撤去された旧妙高大橋の橋脚が望めます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ふたたび妙高大橋と旧妙高大橋を見上げます。典型的な田切地形を国道18号とこの背後を通過する上信越道は、高い橋梁で一跨ぎにしていきます。


一方、国道の旧旧道は田切地形の谷底まで下りてから、この谷を流れる大田切川を渡っています。


妙高大橋の下の崖の斜面を国道の旧旧道が横切っています。ガードレールが見えている箇所がそうです。


橋を渡った先にある大田切清水。




大田切清水の脇には、朽ち果てた電光掲示板が草むらに立っています。


「スピードおとせ」とあります。橋梁へ急坂・急カーブで進入していくので、注意喚起のために建てられたのでしょう


ちなみに橋梁を渡って急坂を登っていくと、急カーブの地点にもう一つ同じ内容の電光掲示板が残っています。




ここまで国道の旧旧道の遺物を紹介していますが、そもそも妙高大橋の下へとやって来たのは、えちごトキめき鉄道の太田切橋梁を見物するため。急斜面の雑木林をかき分けて、大田切川のほとりまで下りていきます。

太田切橋梁へとやって来ました。


太田切橋梁は、明治29年(1896年)4月刊行の「鉄道線路各種建造物明細録 第2編」によると明治21年(1888年)8月の竣工。田切地形を流れる大田切川を横断するために建設されました。谷底から線路までの築堤の高さは36m、その築堤を貫く流路のアーチ高は7.8mと、なかなか巨大な建造物です。

そして、その巨大なアーチの天井部の煉瓦には乾いた泥がこびりついています。過去にこの流路を埋め尽くすほどの土石流が発生しているそうで、その名残りなのでしょう。

前回(10年前)訪れた時はアーチ内へと入ることができましたが、前日の雨に雪解け水が合わさったのか、川の流れがなかなかの水量となっていて、間近まで近づくことはできませんでした…。


ふたたび国道18号を走行。途中から国道を逸れて、次にやって来たのは旧信越本線戸草隧道です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

戸草隧道は、えちごトキめき鉄道の戸草トンネルに隣接して残っていて、現在は道路へと転用されています。


戸草隧道は、「鉄道線路各種建造物明細録 第2編」によると明治20年(1887年)11月の竣工で、延長は145.2m。昭和41年(1966年)8月の信越本線電化により廃止されました。


トンネル内部は、側壁が石積み、アーチ部分が煉瓦積みですね。


道路となっているおかげで、トンネル内には照明が点灯しています。




アーチ部分にはSL時代の煤煙がビッシリとこびりついています。


反対側へと出てきました。


このまま次の廃止トンネルを目指していきます。


廃線跡の下をくぐる用水路に石積みアーチを発見。


このアーチは、「鉄道線路各種建造物明細録 第2編」によると「戸草用水」橋梁だと思われます。竣工は明治20年(1887年)5月。


鉄道のガードをくぐっていくと、上を通る路地に石碑が立っているのを見つけ、路地へと入り込みます。


「三界萬霊等」碑とお地蔵さまかな。本来は「三界萬霊『塔』」だと思うのですが、当て字ですかね。


この先、線路に沿って砂利道があり、そこを進んでいった方が次の廃止トンネルへ向かうには近道でしたが、これが線路保守用道路だったりするとよろしくないので、並行して山すそを流れている用水路に迂回して歩いていくことにします。


廃止トンネルが近づいてきたところで、用水路は急に左へとカーブしてトンネル内へと消えていってしまいました。


この用水路、実は「戸草用水」橋梁の下を流れていた用水路。ネットで検索してみたところ「芋川用水」という名称だそうです。開削されたのは、天正8年(1580年)と慶長8年(1603年)説があるそうですが、どちらにしても400年以上の歴史を誇る古い用水です。

トンネルの坑門をアップすると小さな扁額が取り付けられていました。「芋川堰隧道」とあります。延長は1012mだそうです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、芋川堰隧道へと向かう用水路は、実に不自然に左折しています。そして、正面には何となく平場が続いているように見えます。


2つ目の廃止鉄道トンネルを見にいくという目的からは外れますが、気になってしまうと確認せずにはいられません(笑)。

薮となっている平場へ入り込んでいくと奥に何か見えます。


石積みのトンネルが現れました。思わず「にやっ。」としてしまいます(笑)。


この石積みトンネルはアーチ形状ではありません。明治時代以降の建設であれば、通常は石材でも煉瓦でもアーチ形状に積まれています。用水開削時に隧道も建設したとあるので、もしかすると開削当時に遡る古いトンネルなのかもしれません。


興味深い物件でしたが、見物するのはこれくらいにして、ようやく次の廃止トンネルへとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

大廻隧道です。「鉄道線路各種建造物明細録 第2編」によると明治20年(1887年)11月の竣工。


一般道路として利用されている戸草隧道と違って真っ暗。ある意味、往時の状態を残していると言えるかもしれません。


こちらのトンネルもSL時代の煤煙が天井にこびりついています。


退避坑。当然、煤煙で真っ黒。


反対側の坑門。


それでは車へと戻ることにします。








車へと戻ってきました。さて、次はどこへ立ち寄りますかね。ひとまず国道18号へと出て、長野盆地へと向かいます。
Posted at 2025/06/26 23:22:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2025年06月24日 イイね!

【山形県鶴岡市】出羽三山神社へ行ってきました

2025年5月9日金曜日、山形県鶴岡市にある出羽三山神社へ行ってきました。

今年のゴールデンウィークは、姉弟3人で国道292号「草津志賀高原ルート」にある「雪の回廊」を見に行ってきたわけですが、まだゴールデンウィークに出かけようという話が出ていなかった時、私は一人で遠出でもしようかと思っていました。

それで、まずは「東北方面へ行こうかな。」と考えたわけです。で、寺社でも見に行こうかなと山形県山形市の立石寺とか検討していたのですが、「久しぶりに国道7号で日本海沿いを走ってみたいな。」とも思いました。

「それなら鶴岡市まで国道7号を行って、羽黒山とか月山へ行ってみようかな。」となり、ネットで検索して羽黒山にある出羽三山神社へ行くことを決めました。

しかし、姉弟3人でゴールデンウィークに出かけることが決まり、この予定は一旦お流れになりました。

ですが、「やっぱり一人でも遠出したいな。」という気持ちが消えず、たまたま勤務の都合で5月9日・10日・11日が三連休になっていたこともあり、出かけることに決めたわけです。

さて、自宅を5月9日0時45分頃に出発。東海環状道・中央道・長野道・上信越道・北陸道・日本海東北道と乗り継ぎ、朝日まほろばICからは国道7号を走行していきます。

自宅から走ること10時間弱、ようやく山形県に入りました。新潟・山形県境を越えた場所にある道の駅「あつみ しゃりん」にて小休止。海岸線には岩礁が広がっています。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この後は、あつみ温泉ICから鶴岡西ICまでは日本海東北道を走行(この時点で予定よりも時間がかかっていて、海沿いの国道7号をそのまま進むのは断念。)。

鶴岡西ICから鶴岡市街地を経由し、羽黒山の麓にある出羽三山神社の鳥居前へとやって来ました。


実は、出羽三山神社がある羽黒山の山頂へは自動車道もあるのですが、標高414mとそれほど高い山ではないので、せっかくなら麓から参道を歩いて訪れたいなと思ったわけです。

場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちなみに、「出羽三山」は月山・羽黒山・湯殿山の総称で、月山が「過去」、羽黒山が「現在」、湯殿山が「未来」を象徴しているそうです。

また、「出羽三山神社」もこれら三山にある神社の総称で、「月山神社・出羽神社・湯殿山神社」が正式だそうです。

鳥居に続いて随神門をくぐっていきます。


参道は、随神門からいきなり上り坂が始まるわけではなく、一旦は坂を下っていきます。この出羽三山神社の参道の石段は、全部で2446段あるそうです。


坂を下っていくと、いくつかの社殿がまとまって建っています。風雪の影響のためか、古めかしく見えます。




川を挟んだ対岸にも社殿があります。背後の滝は「須賀の滝」と呼ばれ、1654年(承応3年)にこの場所まで引水して造られた人工の滝だそうです。


続いては「爺杉」。樹齢は推定1000年以上とあります。






この神社で見ておきたかった建築物である、国宝「羽黒山五重塔」が見えてきました。本来、五重塔は寺院建築物であり、江戸時代までの神仏習合の名残りと言えます。


この五重塔は約600年前の室町時代に再建されたもので、東北地方では最古の五重塔だそうです。


五重塔が立つこの地にはかつて寺院があり、周囲には多くの伽藍があったそうですが、明治時代の神仏分離令により取り壊されてしまったそうです。

そのような状況の中、この五重塔は取り壊しのために多くの費用と時間がかかると見込まれたため、幸いにも破壊を免れたらしいです。

そういった経緯のため、この五重塔はかつての寺院の遺構としてではなく、現在は出羽三山神社の末社の一つとして取り扱われています。

五重塔を後にして、さらに参道を進んでいきます。


さて、出羽三山神社の参道には「一の坂」、「二の坂」、「三の坂」と呼ばれる急坂があるのですが、これから「一の坂」を登っていきます。




一直線に登ってますね(笑)。


女夫杉。




「一の坂」を振り返って見下ろしています。


しばらくは緩やかな坂の石畳の道を進んでいましたが、正面にまた急坂が見えてきました…。


「二の坂」が始まりました。「一の坂」よりも長そうです…。




この急坂で、さすがに真っ直ぐ登っていくのが辛くなってきて、ジグザクに登っていきます。


「二の坂」を見下ろしています。帰り道も大変そうです…。


「二の坂」の途中にある茶屋。


「二の坂」が終わり、また緩やかになった参道を進んでいきます。


最後の「三の坂」が始まりました。






「ハチ注意!」の看板。幸い、遭遇することはありませんでした。


まだまだ急坂の石段が続きます。




お約束のクマ注意の看板も。こちらも出会うことはありませんでした(笑)。


坂が緩くなったので、「『三の坂』もようやく終わったか。」とホッとしながら歩いていきます。


ところが、急坂の石段がふたたび現れました。「『四の坂』なんてあったっけ?」と思いましたが、どうやら「三の坂」がまだ終わっていなかっただけのようです…。


「これを登り切れば…。」と最後の踏ん張り所です。




急坂区間が終わり、振り返っています。


どうやら「三の坂」区間は終わったようです。


ようやく山頂の境内の鳥居に着きました。随神門から約1時間の行程でした。


鳥居の横にある社殿。


凝った龍の装飾に覆われています。


三神合祭殿。文政元年(1818年)の再建。出羽三山神社の本殿に当たる社殿で、月山・湯殿山・羽黒山の三神が合祀されている「合祭殿造り」と呼ばれる独特の社殿だそうです。国の重要文化財に指定されています。


社殿には、左から「湯殿山神社」・「月山神社」・「出羽神社」の扁額が掲げられています。三神がこの社殿に合祀されている理由は、月山神社は月山の山頂、湯殿山神社は渓谷にあり、冬季に祭事を行うのが困難な立地であるためだそうです。


鐘楼。元和4年(1618年)に最上氏の寄進により再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。


健治の大鐘。健治元年(1275年)の銘があり、東北地方で最大、銘があるもので最古のものだそうです。こちらも国の重要文化財に指定されています。


手水舎。


出羽三山歴史博物館。ちゃんと見学してきました。


境内を一巡りしてから三神合祭殿でお参りします。


これにて車へと戻ることにします。


「二の坂」の茶屋からの眺め。庄内平野が遠望できます。


麓の鳥居へと戻ってきました。


門前のお店で何か軽く食べようかと思いましたが、入ったお店になぜか店員さんが見当たらず、そのまま車へと戻りました。

これで今回の目的は達したので帰宅します。が、寄り道できる場所へは寄り道していきます。

帰り道は鶴岡市街地から日本海を眺めながら国道7号を走行。17時過ぎ、新潟県村上市府屋にある旧国道7号へとやって来ました。


場所はこちら。現在、この付近の国道7号は海岸沿いを通過していますが、この旧道が開通するまでは山の中を峠越えしていたそうです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

戦前の旧版地形図はこちらになります。

※5万分の1地形図「温海」:大正2年(1913年)測図・昭和9年(1934年)修正測図。

岬隧道。


トンネルの扁額。


坑門には「一級国道7号線」の銘板がはめ込まれています。


トンネル内部。


「延長三〇米 幅員六米」とあります。


岬隧道の真下には、羽越本線旧線のトンネルがあります。


羽越本線旧線の橋梁。コンクリート造の放物線アーチ橋です。この付近は大正13年(1924年)に開通しており、煉瓦造からコンクリート造へと移行した時期に当たりますね。


岬隧道から北側を望みます。


間の内隧道。こちらのトンネルは通行止めとなっています。


トンネルの扁額。


このトンネルにも「一級国道7号線」の銘板がはめられています。


トンネル内部。


こちらは「延長一三九米 巾員五米」となっています。


旧国道のトンネルの左側には、羽越本線旧線のトンネルもあります。


こちらのトンネルはコンクリートブロック造。場所打ちコンクリートではアーチ部分の打設が技術的にまだ難しかった時代によくあったタイプのトンネルですね。


この後は国道7号で同じく村上市内の道の駅「朝日みどりの里」まで移動。隣接するコンビニで購入した晩御飯を食べてから、そのまま22時頃まで仮眠してました。
Posted at 2025/06/24 00:25:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2025年06月12日 イイね!

草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました

2025年5月4日日曜日、国道292号「草津志賀高原ルート」の「雪の回廊」を見に行ってきました。

姉から「せっかくのゴールデンウィークだから遠出しよう。希望がないなら『雪の回廊』という所へ行ってみたい。」との要望があり、姉弟3人で出かけてきた次第です。

今回は、自宅から東海環状道、中央道、長野道、上信越道と経由。信州中野ICからは国道292号を走行して現地へと向かいました。

草津白根山を望む駐車帯へとやって来ました。周囲にはまだまだ多くの残雪があります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駐車帯から右下方を眺めると、国道の両側に雪の壁がある場所が見えています。どうやら、あれが「雪の回廊」のようです。


せっかくなので間近まで行ってみることにします。ちなみに、言い出しっぺの姉は「ここ(駐車帯)から見えてるからいいわ。」とのことで来ませんでした…。

「雪の回廊」までやって来ました。「草津志賀高原ルート」の除雪が完了して開通したのが4月23日。訪れた時点で12日間が経過していますが、想像していたよりは高い雪の壁が残っていました。


車やバイクがけっこう通行していたので、周りに注意しながら撮影しました。




さて、この後はそのまま国道292号を草津温泉へと下っていくつもりでしたが、山田峠を越えた先の交差点で、「草津温泉方面は雪崩のために通行止め。」となっていました。

仕方がないので迂回ルートの案内に従って万座温泉へと下っていきます。

万座温泉まで下りてきたところに駐車場を見つけたので、ちょっと立ち寄ります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この場所に火山ガスを噴出する斜面があったので見物します。


この辺りからは硫化水素ガスが出ているようです。どおりで卵が腐ったような臭いがするわけです。


駐車場の奥にも噴出場所があるようなので行ってみます。


斜面の上部に噴煙が見えます。地形図によるとこの沢は「殺生沢」と記されていますが、この有り様だとそのように名付けられるのも当然ですね。


殺生沢の流れ。側壁も河床も石組みとなっています。石の色がまだらになっているのはガスや酸性の水が原因なんでしょうかね。


万座温泉から先は「浅間白根火山ルート」を通り、万座・鹿沢口駅前で国道146号へ。ひとまず渋川方面へと進みます。

国道脇に滝があるのを見つけて停車します。「瀬戸の滝」だそうです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

滝の前に残る旧国道の橋。


「大滝橋」とあります。


さて、滝の説明板に「崖の中腹に不動明王が祀られている」とあったので探してみたところ、確かにありました。コンクリートで固められた崖には、崖道らしき段差が国道脇から不動明王像まで続いていましたが、とても行く気にはなりません…。


スマホでの撮影では、これが限界でした。


次は八ッ場ダムへと立ち寄ってみました。


八ッ場ダムの周辺図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ダム湖の湖面は鮮やかな青色をしています。


八ッ場ダムの堤体を歩いてみます。


ダムの下流を眺めます。ダムの直下から下流側は「吾妻峡」と呼ばれています。






八ッ場ダムはこれくらいにして、「吾妻峡」へ行ってみることにします。


ダムの下流側へと移動。駐車場に車を停め、旧国道を歩いて吾妻峡・八ッ場ダムへと向かいます。


けっこう深い渓谷ですね。そして、川の流れがダム湖と同じ鮮やかな青色です。てっきり、もっと青色が薄まっていると思っていました。


吾妻側へと流れ込む滝がありました。


旧国道の崖上には、八ッ場ダム建設により付け替え廃止されたJR吾妻線の旧線が残っていますが、ここで鉄道ファンには有名な物件を確認。


かつて、日本で最も短い鉄道用トンネルだった樽沢トンネルです。延長は7.2m。実際にはロックシェッド的な役割の物件だったのでしょう。


反対側から見上げます。トンネルの周りが樹木に覆われていて、全体がしっかり見えないのが少々残念です。




前方にトンネルが見えてきました。


「松谷トンネル」だそうです。銘板には「1989年12月」と記されていますが、竣工年から考えるとトンネルの幅が狭い気がします。


全然通ったことがない場所で理由がわからず、気になってネット検索してみたら、どうやら狭隘箇所へ新たに一車線幅のトンネルを造り、上下車線を分離することで通行を容易にしたという改良のようでした。


トンネルの傍らには「吾妻峡」の看板が立てられています。


ここからは旧下り車線を進んでいきます。山側の壁面には微妙にオーバーハングした部分が残っていて、かつては壁面がもっと迫り出した「片洞門」だったのかもしれません。


この辺りも深い渓谷が続いています。


松谷トンネルの反対側へと来ました。


前方に大きな岩山が見えています。


旧長野原町へ入りました。


八ッ場ダムが見えてきました。


駐車場から歩くこと約40分、八ッ場ダムの真下に到着です。


やはりダムは下流側から見上げるほうが迫力があって良いですね。


「八ッ場もみじ橋」を渡って、対岸へと進みます。


ダム堤体を見上げます。




吾妻線の廃線を利用した自転車型トロッコの駅「吾妻峡八ッ場駅」。


駅からダム側を眺めると、吾妻線が途切れた場所が見えています。


さて、帰り道は旧国道ではなく、吾妻川を挟んで対岸にある遊歩道を歩いていきます。


吾妻川の急流をより間近で見ることができます。


旧国道を見上げます。旧国道が崖の中腹を掘削して造られた道であることがよくわかります。


遊歩道と言いながらほぼ山道のような行程でしたが、吾妻川の鮮やかな青色の渓流を楽しみながら車へと戻りました。


Posted at 2025/06/12 23:30:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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