2026年5月4日・5日、姉弟3人で福島県を目的地として長距離ドライブしてきました。白河市の「白河ラーメン岩松」さん、会津若松市のさざえ堂や鶴ヶ城を訪れることは決めておき、あとはその場で寄り道するパターンです。
当初、福島県へは中央道・長野道を通り、上信越道豊田飯山ICから国道117号を経由し、国道252号六十里越トンネルを越えて会津地方へと入るルートを想定していました。
しかし、道路状況をチェックしてみたら、国道252号が六十里越トンネルを福島県側へ抜けた先にある橋の流出により通行止めになっていることが判明。東名高速経由で向かうことにしました。
東名高速経由にルート変更したところ、姉から「どうせ真っ直ぐ白河市へ向かっても渋滞するだろうし、鹿島神宮へ行きたい。」との提案。大回りではありますが、最初に向かう目的地に決定しました。
自宅を3日22時15分頃に出発。東名高速・首都高・東関東道と走破して、4日6時10分頃、鹿島神宮へ到着しました。この神社を訪れるのは初めてです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
参道を通り、境内へと向かいます。
楼門。1634年(寛永11年)に水戸藩初代藩主徳川頼房により奉納されたものだそうで、国の重要文化財に指定されています。
拝殿にてお参り。拝殿とその奥側にある本殿は、1619年(元和5年)に二代将軍徳川秀忠から寄進されたものだそうで、国の重要文化財に指定されています。
仮殿。この社殿は、現在ある本殿を造営していた期間、旧本殿に祀られていた神様の「仮の本殿」とするために1618年(元和4年)に造営されたものです。こちらも徳川秀忠による寄進で、国の重要文化財に指定されています。
続いて、奥宮へと向かいます。
参道の右側には、流鏑馬用のものと思われる道が築かれています。
奥宮本殿。元々は現在の本殿の位置に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼にと1605年(慶長10年)に奉納した建物。その後、現在の本殿が造営された際に現在地へと移動したものだそうです。
奥宮から丘を下ってやって来たのは御手洗池。鹿島神宮を紹介する写真でよく見る池ですね。
池の真ん中に立つ鳥居と、その池を跨ぐように伸びる異形の樹木が神秘さを醸し出しています。
御手洗池の水源は湧水で、1日に約40万リットル湧き出しているそうです。
ふたたび奥宮本殿の前へと戻り、次のポイントへと移動します。
やって来たのは「要石」。「地震を起こす大鯰の頭を押さえている石」との伝説で知られていますね。
地面に見えている大きさは、拍子抜けするくらいに小さいです。
「要石」の説明板。「水戸の御老公」、興味が湧くと何でもやってます。大鯰が暴れ出したらどうする(笑)。
それでは車へと戻ることにします。
本殿。
さて、鹿島神宮から福島県白河市へと移動です。途中、「海に鳥居がある神社があるみたい。」との姉からの要望により、大洗磯前神社へちょっと寄り道。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
その後はナビの指示に従って、茨城県から福島県へ向かう山道を淡々と走行。
11時10分頃、「白河ラーメン岩松」さんに到着。混雑していて順番待ちだったので、このお店へ先にやって来ていたプロトタイプのみなさんと駐車場でしばし談笑。
しばらく待ってようやく順番が来て入店。今回も美味しくいただきました。
これにて、この日のメイン行事は終わりましたが、時刻はまだ13時。ホテルへ向かうには早すぎる時間なので、白河市周辺で旧所名跡などを巡ることに。
まず訪れたのは白河関跡。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
白河関跡の様子。
続いて、境の明神(福島県側)。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
県境の様子。
こちらは、県境を挟んでお隣の栃木県側にある境の明神。
ここで鉄道好きの心が動き出し、近隣にある東北本線黒川橋梁へとやって来ました。写真で見たことはありますが、本当に高い場所を通過していますね。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
黒川橋梁の全景。ちなみに、この黒川橋梁は東北本線開通時からあったわけではなく、線路改良のため、現在の上り線橋梁が1920年(大正9年)に新たに架橋されたものです。
では、開通当時の旧線はどこを通過していたのかというと、この地図の赤線のとおりとなります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
現在、旧線跡は道路として利用されています。ただ、道幅はほぼ鉄道当時のままなので、対向車とのすれ違いは困難です。
かつて線路跡だったとわかる、付近で唯一の遺構。煉瓦積み橋台です。
この日最後にやって来たのは、白河小峰城址。東北本線白河駅のすぐ裏手にあります。
現存する城郭遺構へと整備したのは、1627年(寛永4年)に初代白河藩主となった丹羽長重。およそ4年の歳月をかけて大改修を行い、1632年(寛永9年)に完成したそうです。
場所はこちら。
三重櫓。江戸時代には「三重御櫓」と呼ばれて、天守の代わりとされていたそうです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
台座形状の石垣と石垣の間にも石を詰めてあります。私が今までに見てきた石垣の中では珍しいやり方です。
それでは三重櫓目指して城内を進んでいきます。
本丸へと登ってきました。
あらためて三重櫓。この櫓は、発掘調査や「白河城御櫓絵図」に基づき、1991年(平成3年)に木造により再建されたものです。
三重櫓と前御門。前御門は、1994年(平成6年)に再建されました。
三重櫓の内部。
お城を見物した後は、東北新幹線新白河駅前のビジネスホテルへチェックイン。一泊しました。
翌5日も快晴。この日は会津若松へと向かう予定でしたが、姉からの要望でまずは大内宿へと向かうことにします。
ところが、大内宿の直前まで来たところで渋滞があまりに酷くて進まなくなり、訪問を断念。
トイレに行きたいという事で、国道121号から大内宿へ向かう道の分岐点近くにある会津鉄道湯野上温泉駅へ立ち寄り。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
小休止の間、駅や列車の写真をちょっと撮影。
それでは会津若松市へと向かいます。