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小林あにのブログ一覧

2026年08月06日 イイね!

【魚津市】東山円筒分水槽を訪れました

2026年6月13日土曜日、姉の希望により、母も連れて3人で富山県魚津市にある東山円筒分水槽を訪れました。東山円筒分水槽は、「日本一美しい」と評される円筒分水槽ですね。

自宅を4時50分頃に出発。東海環状道・東海北陸道・北陸道と経由し、現地に10時30分頃到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

入口に設置されている説明板。




こちらが東山円筒分水槽です。円筒分水槽をこの目で見るのは初めてですね。


円筒分水槽は、用水を正確な比率で分配させるために設置された水利施設の一種です。水槽の外側には、分配する各用水の水量比率に応じた角度で仕切りが設置されています。

そして水槽の中央部から逆サイフォンの原理で水を噴き上げ、水槽の外壁を越流させます。


水槽は円形のため、基本的に越流する水の量は360度均等になります。これにより正確な比率で各用水へと分配できるわけです。




まあ、見物にやって来る観光客の中で、こういう知識に興味・感心のある方がどの程度いるのかはわかりませんが、大量の水が滾々と湧き上がり、その水が耳触りの良い音を立てて流れ落ちていく様を眺めるのは、誰しもが心落ち着く光景だと思います。




東山円筒分水槽から片貝川の上流を眺めると立山連峰が望めます。


せっかくなので、姉が母を記念撮影。


そして、どうやら片貝川の対岸にも円筒分水槽が存在しているようなので、そちら側も見に行ってみることにします。

やって来たのは、貝田新円筒分水槽。こちらは目立たない案内標識が立っているだけで、特に見物用には整備されていません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

はい、確かに危険な場所ですよね。


この円筒分水槽は上側から見下ろすように見ることができます。湧き上がり流れ出す水量は東山円筒分水槽よりも大量。東山円筒分水槽はのどかな感じがしますが、貝田新円筒分水槽は流水の勢いに圧倒されます。






貝田新円筒分水槽から分岐していく用水路。どの用水も水量・流速がすごくて、ちょっと恐怖を感じます。


それでは、次の目的地へと移動します。


次にやって来たのは、魚津埋没林博物館。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

魚津埋没林は、1930年(昭和5年)、魚津港建設中に発見された約2,000年前(3,000年前という記事もある。)に埋没したと考えられる林で、杉を中心とした原始林だったそうです。


水中保存にしてあるのは、埋没後の状況に少しでも近づけることで、適切に保存するためのようです。


こちらは乾燥展示されている樹根。


庭に立っていた「天然記念物 魚津埋没林」の石碑。


博物館の外観。


土中で保存されている埋没林もあるようです。


別の展示棟へも行ってみます。


内部はこんな感じです。




魚津市内であともう1か所見物するため、博物館から富山湾沿いの道を南へと進みます。

魚津水族館です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

建物の前の水槽でチョウザメが泳いでいました。


出入口が2階にあるので通路を進んでいくと、ゴマフアザラシを発見。しばらく様子を見ていましたが、じっとしていて全然動く様子が無い(笑)。何を考えているのだろう…。


魚津総合公園の観覧車。


こちらから館内へと入館します。


「時々スタッフが人力で波を起こします。」とあって、「へーっ。」と素直に思っていたら、隣の「お知らせ」に造波装置が壊れたとあり、「ああ、直せないのか…。」となりました…。


これ以外にも、魚類などの説明に合わせて「寿司ネタ」の説明が併記してあったり、「えっ…、こんな魚食ったの…。」というような試食レポートもあったりして、なかなか興味深く拝読いたしました(笑)。

水槽を泳ぐ魚もいろいろと撮ってみましたが、薄暗い室内で泳ぎ回る魚の撮るのは難しくて、ピンボケばかりでした…。




久しぶりの水族館見物、いろんな意味で楽しませていただきました。

さて、姉はこれで満足したようで、「あとはあんたが行きたい場所があれば好きにしていいよ。」と言われ、「いきなり言われてもなぁ。」と思いつつ、「ひとまず神社仏閣なら何かあるでしょ。」とグーグルマップで検索。

そして、ナビ様のお告げに従いながら富山平野東部をジグザク走行。

立山町の雄山神社前立社壇へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

立山山頂にある「峰本社」に対する里宮で、立山の前に立つ社ということで「前立社壇」と呼ばれるそうです。


表神門。


拝殿。


本殿。国の重要文化財に指定されています。


時間は15時を回っていますが、次の場所へと向かうべく常願寺川沿いをさらに上流へと向かいます。


富山地方鉄道 立山駅近くの観光用駐車場へやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここへやって来たのは、立山駅前にある立山カルデラ砂防博物館を見学するため。しかし、母も姉も興味が無いので、私一人で立山駅前の博物館まで徒歩にて移動。

その間、母は駐車場前の称名川沿いを散策、姉は車内でお休みしてました。


日本最大級の砂防施設群を誇る立山カルデラの砂防事業について、いろいろな資料を見学できて大変満足いたしました。


ついでに、立山砂防工事専用軌道を覗きに行ってみます。


博物館から常願寺川の川べりへと向かうと、展示車両を発見したので見物。




常願寺川の上流側の眺め。


博物館の裏手には専用軌道の本線が通っていました。




これで駐車場へと戻り、称名川沿いをさらに上流側へと進んでいきます。

称名平駐車場へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この駐車場は、「称名滝」見物の最寄り。はるか遠方にちらりと称名滝が見えています。




ただ、この駐車場に到着したのは16時45分頃。称名滝へ最も近づける遊歩道は16時ですでに閉鎖されてしまっています。

それでも少しは大きく見える場所があるかもしれないと思い、駐車場から道路を登っていったらちょっとした展望場所があったので、そこから滝を眺めました。






写真を撮ってから急いで駐車場へと戻っていったら、母が駐車場内を散策していたので、「もう少しだけ登れば滝が見える場所があるけど、行ってみる?」と声を掛けたら、「それなら行く。腰が痛い、腰が痛いと言い訳して動かんかったら、見れるものも見れんでもったいない。」ということで、母に付き添ってもう一度急坂を登ることに。

「引っ張って!」と言うので、乳母車を引っ張りながら急坂を登っていきましたが、無事に展望場所まで到着。遠望とは言え、直接称名滝を見ることができ、山が好きな母は喜んだ様子でした。

この後は、ナビ様に従いながら富山平野を縦断し、富山ICから北陸道へ乗ってようやく帰路につきました。

帰宅したのは23時過ぎ。今回の走行距離は約700kmでした。
Posted at 2026/08/06 22:46:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年08月04日 イイね!

【2026年】ラリージャパンを見物してきました

2026年5月31日日曜日の午後、弟と弟の友人の杉浦くん・私の3人で、愛知県新城市作手善夫にてラリージャパンに出場しているラリーカーを見物してきました。

さて、2024年から見物場所にしている新城市作手善夫の県道35号と県道333号の交差点へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

私は一人、さらに県道333号を奥へと進んでいきます。道路封鎖用のゲートにより近いほうが、ラリーカーが停車している確率が高いからです。


最初にやって来たのは、トヨタ・GRヤリスRally1のソルベルグ・エドモンドソン組。


最終SSで「パワーステージ」でもあるSS20「Lake Mikawako2」へ向けて、タイヤのローテーション。






ターマック用の大径ブレーキディスクが目立ちます。


次にやって来たのは、ヒョンデ・i20N Rally1のヌービル・ウィダク組。ヌービル選手、フロントガラスを念入りに拭いています。


そしてタイヤのローテーション作業。ダンパーの調整もしているような感じ。








トヨタ・GRヤリスRally1の勝田・ジョンストン組もやって来ました。


こちらもタイヤのローテーション。




ヌービル・ウィダク組は取材も受けています。




ヒョンデ・i20N Rally1のフルモー・コリア組がやって来ました。


ヒョンデのRally1カーは、なぜか毎年、見物している目の前をそのまま通過してしまうケースばかりだったので、これだけまじまじと車を見物できたのは初めてですね。




コドラのコリア選手、車内からホースを引っ張り出していますが、一体何の作業だったのかな…。


フルモー選手とコリア選手も取材を受けています。




勝田選手は、スマホを片手に何やら確認中。


日本初お目見えのランチア・イプシロンRally2 インテグラーレ。ヨーロッパだと2台体制ですが、今回はグリアジン・アレクサンドロフ組の1台のみです。






エバンス・マーティン組のトヨタ・GRヤリスRally1が目の前を通過していきます。


リンドホルム・モラレス組のシュコダ・ファビアRSRally2。


山本選手も含めて寄り集まって雑談中。


カション・ロサダ組のトヨタ・GRヤリスRally2。


オジェ・ランデ組のトヨタ・GRヤリスRally1。




新井・立久井組のトヨタ・GRヤリスRally2。


観客からの声援に、手を上げて応えるエバンス選手。


新井・立久井組もタイヤのローテーション。




さて、ぼちぼちと駐車場所へと戻りながら、ラリーカーを眺めます。




今年のラリージャパン見物は以上でした。

現行Rally1カーは、今年が最後となってしまったのは残念なところですが、来年はWRC27規定で投入されるトヨタの新型ラリーカーに期待したいですね。本当はいろんなメーカーが新規定車両で参戦してくれると面白味が増すんですけどねぇ…。
Posted at 2026/08/04 21:45:45 | コメント(1) | トラックバック(0) | ラリージャパン | 日記
2026年08月01日 イイね!

旧越前電気鉄道 下荒井隧道(初代)を探索してきました

2026年5月24日日曜日、福井県勝山市遅羽町下荒井に残る旧越前電気鉄道 下荒井隧道(初代)を探索してきました。旧越前電気鉄道は、現在のえちぜん鉄道 勝山永平寺線の前身になります。

この廃トンネルの存在を知ったのは、2024年7月13日に(二代目の)下荒井隧道を訪れた時。スマホでトンネルの事を調べていたら、初代トンネルなるものも存在していることを知りましたが、その時は他にも目的地があったためパス。今回ようやく訪れたわけです。

さて、初代下荒井隧道へ向かう入口付近へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

落石防止用のフェンスの隙間から斜面へと入っていきます。


少し登っていくと、玉石を積み上げた石垣が現れました。これが初代トンネルのある廃線跡のようです。




廃線跡へと出てきました。まずはこのまま直進方向へと進んでみることにします。


廃線跡は等高線上に平場が続くので、このような落石防止用設備を設置するには格好の場所です。


落石防止用フェンスなどのおかげで歩きやすい時もありますが、逆に行く手を塞がれてしまう場合もあります。


玉石積みの小さな擁壁がありました。廃線跡で間違いないようです。


ふたたび落石防止用フェンスの脇を通り抜けていきます。ここは谷側の狭いスペースしか通れないので、慎重に歩きます。


廃線跡へと入り込んだ場所から、ずっと山の中腹を進んでいます。


路盤が削れたのか、幅が狭くなってきました。


ついに明確な廃線跡が無くなってしまいました。




もうしばらく斜面の中を進んでいきましたが、廃線跡が復活する様子が全然見られなかったので、国道157号下荒井トンネルが現れたところで引き返しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

最初に廃線跡へと取り付いた場所まで戻ってきました。今度は逆方向へと進んでいきます。


廃線跡はすぐに深い草むらに埋もれてしまったので、一旦左側の斜面の上へと迂回します。


今度は行く手を倒木に塞がれてしまいました。仕方がないので廃線跡へと戻って、幹や枝の間をすり抜けていきます。




ようやく廃線跡らしくなってきました。


そして、正面の倒木の枝を通り抜けたところ、初代下荒井隧道が姿を現しました。大野側の坑門になります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

初代下荒井隧道がある区間が開通したのは、1914年(大正3年)4月10日。本来この区間は、山すそと九頭竜川の間の平坦地を通す計画だったようですが、九頭竜川の氾濫の影響を恐れて、山の中腹を通すことになったようです。


この区間は山の中腹を通していたために急勾配と急カーブが存在し、また冬期は雪崩被害の恐れもあるとして、結局は10年後の1924年(大正13年)に山のふもとを直線的に通過する二代目下荒井隧道を開通させ、初代トンネルはあっけなく廃止されてしまいました。


石積みのなかなか立派なトンネルなのですが、前述の事情により早々に引退を余儀なくされ、山の中腹でひっそりと余生を過ごす羽目になったわけです。


トンネルの上部にも石積みの擁壁が高々と積み上げられていて、現地の地形が険しいことを物語っています。


それではトンネル内部へと進んでいきます。トンネル内部も石巻きになっているようです。


と思いきや、トンネル中央部の天井はコンクリート覆工されていました。開通当初は素掘りの天井だったのが、後に改修してコンクリート覆工したのかもしれません。




入ってきた坑口を振り返ります。


そして、トンネル内部は大きくカーブを描いています。


短いトンネルですが、きちんと退避坑が設けられていました。


反対側の坑口へと来ました。


勝山側の坑門です。左側に翼壁が設けられているおかげで、大野側の坑門と違った変化が付いていて良い感じです。




もうしばらく廃線跡を進んでみることにします。






木々の隙間から九頭竜川の堰が見えています。廃線跡は、この先の国道157号下荒井トンネルにより路盤が削られてしまっていました。


国道の下荒井トンネルの部分は、さらに上部の斜面へと迂回。しばらく道なき斜面を突っ切り、ふたたび廃線跡へと合流しました。


二代目下荒井隧道の勝山側へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

トンネル前は私有地とのことで、望遠で坑門を撮影。


こちらは国道からの入口に立つ、二代目下荒井隧道への案内用石碑。


ぐるりと一周して車へと戻ってきました。翌月曜日も仕事は休みなので、2024年に訪れた時と同じように国道417号冠山トンネルを経由して、大回りで帰ることにします。


大野市街地の西方にある国道476号丁(ようろ)トンネル前から大野盆地を眺めます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは丁トンネル。延長は209mだそうです。


国道476号の国道標識。


国道417号冠山トンネルを通り抜けて、岐阜県側にある最初の駐車帯にて小休止。徳山ダムのダム湖の末端部になります。






場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

徳山ダムを通り過ぎ、国道303号へ合流したところで、普段なら大垣市方面へと向かうところですが、ここで逆方向の滋賀県長浜市木ノ本方面へと向かうことに。

岐阜・滋賀県境の八草トンネルを越えてから旧国道へと入り込んで少し寄り道。土倉鉱山跡です。








場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この後、木ノ本からは国道365号で岐阜県関ケ原町へ。名神高速には乗らず、さらに下道を三重県桑名市まで走行。湾岸桑名ICから伊勢湾岸道に乗り、湾岸長島PAで晩御飯を食べてから帰宅しました。
Posted at 2026/08/01 22:26:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2026年07月28日 イイね!

旧別子銅山 東平地区と旧端出場発電所を訪れました(3)

2026年5月16日土曜日、愛媛県新居浜市にある旧別子銅山の東平(とうなる)地区と、端出場(はでば)地区にある旧端出場発電所を訪れました。

さて、展望台から新居浜市街地を眺めた後は、東平地区の居住区域跡を探索してみることにします。


まずは駐車場背後の斜面をしばし散策。煉瓦構造物や埋もれた廃橋がありました。




「接待館」跡。別子銅山を訪れた賓客をもてなした場所ですが、現在はまっさらな敷地があるのみです。


ここから居住区域跡へと入っていきます。


「病院」跡。門柱のみが残っています。


「病院」跡の一角にあった張り出し付き石積み擁壁。


煉瓦と石積みの暗渠。


煉瓦構造物を見つけると、執拗にチェックしてしまいます(笑)。


上部の柵の位置が駐車場と同一面。ここまで下ってきた間にも、多くの段々地と石垣があります。


「保育園」跡。ここも門柱のみが残っています。


「娯楽場」跡へと向かいます。


「娯楽場」入口のコンクリート橋。人の出入りが多かった場所なので、しっかりとした橋を架けたのかもしれません。


「娯楽場」跡も建物の類は何も残っていませんが、敷地の奥に沢から水を引き入れた池の跡がありました。


あとは「かまど」の跡が残っていました。


「娯楽場」跡を出て、居住区域跡をさらに奥へと進んでいきます。




ここも立派な石積みの擁壁が残っています。


「これから先 登山道」とありますが、このまま進んでいきます。


石積み擁壁で造られた平場と石段が斜面の下方へと続いています。


また煉瓦構造物を見つけました。




煉瓦積みで造られた「かまど」の跡。


周囲にいくつも「かまど」が残っています。この辺りは社宅が建ち並んでいたのでしょう。しかし、なぜ「かまど」だけが残されているのでしょうかね。




「辷坂(すべりさか)詰所」跡。


植林されて全貌が見えにくくなっていますが、銅山が稼働していた頃は、多くの石垣で埋め尽くされた斜面はさぞ壮観だったでしょう。


小さな橋が現れました。少し先を覗いてみたら、どうやらこの先は本当の山道になるようなので、ここが東平地区の居住区域の下限のようです。


小さな橋の手前には分岐の案内板が立っています。


「第三通洞」方面へ向かう道に架かるトラス橋。「中ノ橋」とあります。




床板が工事現場の足場でよく見かける板ですね。


歩いてきた道を少し戻り、川沿いを進んでいく道へと入り込んでみます。


この辺りも「かまど」がたくさん残っているので、社宅跡のようですね。


これは共同風呂の跡なのかな。




社宅跡。こちらはきちんと整備し、一部を復元したものになります。




こちらは、東平地区の西側の尾根を越えて、その先の斜面に広がる「呉木社宅」跡。


木々が伐採されているので、斜面に広がる跡地を一望することができます。よくもまあこれだけの急傾斜地を造成したものです。




さて、東平地区の探索を終えて、麓側の拠点であった端出場地区へとやって来ました。道の駅「マイントピア別子」から、旧端出場発電所を眺めています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「四通橋」。


「第四通洞」。1910年(明治43年)に着工し、1915年(大正4年)に開通しました。延長は4,596m。


別子銅山内部の採掘場所が年々深部へと移行していくに伴い、鉱石の搬出場所は、東平地区の「第三通洞」から端出場の「第四通洞」へと主力が移り変わっていきました。そして1930年(昭和5年)には、採鉱本部も東平地区から端出場地区へと移転しています。

「第四通洞」のトンネル内部。


「打除鉄橋」。旧別子鉱山鉄道下部線(下部鉄道)の鉄橋です。1893年(明治26年)架橋。




旧端出場発電所。1912年(明治45年)竣工。別子銅山で不足気味となっていた電力供給の増強のために設置された水力発電所で、山上の貯水槽から発電所までの落差597.18mは当時日本一だったそうです。








発電所の内部です。










建屋の外へと出て、発電用水車を見物しに行きます。




放水路から内部へと向かいます。


発電所に設置されている状態の水車は初めて見ましたが、一般的な水車の形状と全く違う、鋭い形状をしていますね。「ペルトン水車」と呼ばれるもので、写真左側に少しだけ写っているノズルから超高圧の流水を水車へと吹き付け、高速回転させることで発電します。


こちらは山上の貯水槽から発電所へと水を落としていた水圧鉄管の跡。パイプが一部だけ残っています。




最後に「下部鉄道」の端出場隧道を眺めてから帰路につきました。


今回の走行距離は約980kmでした。


今回は「東洋のマチュピチュ」と呼ばれる旧別子銅山 東平地区をメインに訪れましたが、銅山の遺構のほんの一部に過ぎません。前述していますが、少なくとも「上部鉄道」と旧端出場発電所の取水路跡はあらためて探索してみたいですね。
Posted at 2026/07/28 23:20:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・鉱山関係 | 日記
2026年07月20日 イイね!

旧別子銅山 東平地区と旧端出場発電所を訪れました(2)

2026年5月16日土曜日、愛媛県新居浜市にある旧別子銅山の東平(とうなる)地区と、端出場(はでば)地区にある旧端出場発電所を訪れました。

さて、旧第三変電所をあとにして、旧第三変電所付近から始まる山道を登っていってみることにします。


坂の上に向かって石段が続いています。半分は土砂に埋もれていますが。


半端に石段が露出しているので、何とも歩きにくいです。


石段を登り終えた先に煉瓦構造物が立っていました。


煉瓦構造物には山側からパイプが連結されていますが、一体どのような用途に使われていたのかは不明です。


煉瓦構造物の前からさらに登っていきます。ただし、石段は無くなってしまいました。


使われなくなった山道は石だらけ。誰も落石を片付けてはくれませんからね。




この山道を登り始めたのは、「上部鉄道」と呼ばれる遺構を見に行ってみようかなと思ったからです。しかし、どうやらかなり登っていかないと遭遇出来ないみたいだったので、適当なところで引き返すことにします。


「上部鉄道」とは、1893年(明治26年)に開業した鉱石輸送用の鉄道です。設営されていた場所は、標高1,100mの角石原駅から標高830mの石ヶ山丈駅までの5.5km。

路線は断崖絶壁が続く地形を通り、最小半径15.24mを筆頭とする133か所の急カーブがあり、22か所の谷越えをしていたそうです。鉱石は石ヶ山丈駅からは索道により麓側の拠点であった端出場まで降ろされて、「下部鉄道」に積み替えられて新居浜まで運搬されました。

ちなみに、貨車の牽引はSLで行っていました。建設時は現地までの交通手段が牛車道か徒歩道しかなかった中、「どうやって山の上までSLを搬入したんだ?」などと疑問に思われていますが、不思議な事はなくて、車両を極限まで分解して牛車や人力で運び上げたみたいです。

この「上部鉄道」、より標高が低い場所に1902年(明治35年)開通した「第三通洞」により役目を取って替わられ、1911年(明治44年)には早々に廃止されました。

今も廃線跡には遺構が点在しているそうですが、場所柄、危険が伴う箇所も多々あるので、準備をした上であらためて訪れてみたい場所です。

山道の途中にあった煉瓦構造物まで戻ってきました。この構造物の裏側に続く平場をちょっと覗いてみることにします。


地面には長方形の煉瓦の列が点在しており、小屋のような簡素な建屋があったのかもしれません。


程なくして平場は終わってしましましたが、斜面には石垣が点在しており、何がしかの設備があったのかもしれません。


斜面を適当に下っていったところ、旧第三変電所の裏手辺りで階段を見つけました。降りていってみます。


山道へと出ました。この道は旧第三変電所があった広場から来ている道ですね。黄色線の方向へと向かいます。


この方向へと向かった理由は、東平地区から麓にある旧端出場発電所へと繋がっていた水力発電用の取水路跡を確認してみるためです。

早くも通路用の木橋が落橋しています…。この朽ち具合では、落橋していなくても渡れなかったでしょうけどね。


仕方がないので山側の斜面へと迂回します。そして、迂回中にまたも煉瓦構造物を発見。何でこんなに山の中に点在しているんですかね(笑)。


側面にパイプが突き出ていますが、やはり何の用途に利用されていたのか、さっぱりわかりません。


山道へと復帰し、広場方向を眺めます。この地形の抉れ方では、先ほどの木橋が渡れたとしても、この場所で引き返していたでしょう。


またしても木橋が落橋している場所に遭遇。何とか沢底へと降りていきます。


ここの沢底の岩壁には穴が開いていました。人が屈んでようやく通れる程度の大きさなので、おそらくは坑内排水用の坑道ではないでしょうか。


対岸へとよじ登ります。


依然狭い山道が続きます。そして、ここの谷側には杭が刺さっています。杭の上部には穴が開いているので、かつてはロープが渡してあったのだと思われます。この山道は取水路の巡視路だったのかもしれません。


谷側の路面が一部木製桟道になっていますが、朽ちていますね…。用心して山側へと身を寄せて通過します。


道が分岐していますが、水平に進む右側の道へと歩いて行きます。


高い岩壁に寄り添う石垣道。良い光景です。


この付近の路肩の石垣はきれいな状態で残っています。


手すり付きの橋が現れました。一見、安心して渡れそうな様子ですが、下側の橋桁を覗いてみると苔に覆われた材木です。太いので大丈夫そうな気はしますが、沢がそこそこ深いので、万一の事も頭をよぎります。


迂回できないか、しばらくこの場所で思案しましたが、今回はあくまでも様子見なので、残念ですがここで引き返すことにしました。


旧第三変電所前の広場まで戻ってきました。


駐車場まで戻りました。


展望台からの眺め。


深く険しい谷の先には、新居浜市街地が広がっています。この構図からもわかるとおり、新居浜はかつては別子銅山の城下町でした。そして、今も住友グループの企業城下町です。


※(3)へ続く。
Posted at 2026/07/20 22:06:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・鉱山関係 | 日記

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何シテル?   08/06 22:46
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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