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小林あにのブログ一覧

2026年10月26日 イイね!

【豊田市】松平東照宮・高月院・松平城址を巡りました

2026年8月17日月曜日、豊田市松平町にある松平東照宮、高月院、松平城址を巡ってきました。

場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この松平町の地域は、徳川家康の家系である松平氏の始祖の地です。松平氏は3代目の信光の時代にこの山間地から西三河の平野への出入口である岩津城(岡崎市)へと進出(築城は1421年(応永28年)と伝わる。)。以降、西三河から三河全域へと盛衰を繰り返しつつも徐々に勢力を拡げていきました。

現在、松平氏館跡(現:松平東照宮)、松平城跡、大給城跡、高月院が「松平氏遺跡」として、国の史跡に指定されています。


まずは松平東照宮へとやって来ました。水堀があるのは、かつて城館だった頃の名残りです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

3代目の信光が岩津城へと居城を移してからは、松平本宗家から分家した松平郷松平家(松平太郎左衛門家)が城館の主となり、江戸時代には交代寄合の地位を得て440石を領し明治維新まで存続。その後も大正年間までは在住していたそうです。

こちらの東照宮は、1619年(元和5年)に久能山東照宮から分祀されたものです。


境内には、資料館である「松平郷館」があります。


それでは、次の場所へと徒歩で移動します。


こちらは高月院。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

高月院は、1376年(永和2年・天授2年)に初代の親氏が本尊を寄進し、堂や塔を建立して松平家の菩提寺としたものです。ただし、親氏の存在は当時の資料では確認できないそうで、現時点では伝承上の人物とみなされています。

現存する山門や本堂は、1641年(寛永18年)に徳川家光の命により再建されたものと伝わっています。






こちらは、境内にある松平氏墓所。


墓所の説明板。


ふたたび松平東照宮まで戻ってきました。こちらは産湯の井戸。徳川家康が生誕した際に、当時の松平郷松平家の当主がこの井戸の水を早馬で岡崎城へと送り、産湯に用いたとの記録があるそうです。


なぜか境内にあった二宮金次郎の像と狸の像。


最後にやって来たのは松平城址。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

松平城址の説明板。


城跡の中を歩いていきます。まあ、ちょっとした山登りです(笑)。




主郭に到着です。


ここにも説明板が設置されています。


戦前に建てられた松平城址の石碑。


さらに城跡の中を歩き回ります。






ヤマモモの木。


櫓台跡。


櫓台跡にあった石造。烏帽子を被っているように見えるので、神像なのかもしれません。


井戸跡があるようなので、行ってみます。


眼下に国道301号が見えます。ここ松平郷から豊田市下山地区までの間は急坂で、頂上の峠は根引峠と呼ばれています。


井戸跡が見つからないまま、どんどん奥へと進んでいきます。


古道があったので、城跡へと戻るように道筋を選んで進みます。




知らぬ間に城跡を取り囲む空堀へと入り込んだようです。




空堀から上がって、適当に歩いていると偶然石碑が立っているのを発見。


とんだ大回りになりましたが、ようやく井戸跡に出会えました。


井戸跡の先を進んでいったら、先ほど通った山道へと合流。こんな引っ込んだ場所に案内板が立っていては、わかるはずもないですよね…。


ここまで山の中を歩き回るつもりはなかったのに、すっかり汗だくになってしまいました。時間はもう16時半近く。翌日は仕事なので急いで駐車場まで戻り、家路につきました。
Posted at 2026/10/26 22:40:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年10月25日 イイね!

【安城市】明治航空基地跡を散策しました

2026年8月16日日曜日の午後、愛知県安城市の南部にかつて存在した旧日本海軍の明治航空基地跡を訪れて、散歩がてらにいくつかの遺構を見て回りました。

安城市役所のホームページによると、明治航空基地は旧碧海郡明治村(現在の安城市東端町・根崎町・和泉町)に造られた飛行場で、周辺住民や近隣の中等学校生などによる勤労動員によって突貫工事で建設されたそうです。

まだ建設途中の1944年(昭和19年)5月20日から部隊が配備されて基地使用を開始。当初は実戦配備された新鋭機の錬成訓練に使用されていましたが、アメリカ軍による空襲が激しくなってくると迎撃戦にも参加。1944年(昭和19年)12月13日から1945年(昭和20年)2月15日までに計14回出撃したそうです。

こちらが明治航空基地の範囲となります。跡地は現在、田園地帯と工場地帯になっています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今回は基地跡の西端から遺構を見物して回ります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さっそく遺構を発見。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

安城市役所のホームページによると「油蒸留場」の跡だそうです。


畑の真ん中にあるので接近するのは控えましたが、作業小屋代わりに使われているんでしょうね。


こちらは煉瓦構造物の遺構。当時のものらしいですが用途は不明。一般的な煉瓦ではなく、鉱滓煉瓦みたいな感じです。奥に先ほどの「油蒸留場」が見えています。


さらに歩いて行くと次の遺構が見えてきました。まあ、一見しただけでは、どこに遺構があるのかはわかりにくいかもしれません。


実はこの倉庫の下半分の煉瓦構造物が当時の遺構。「弾薬庫」の跡だそうです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

先ほどの倉庫から道路を挟んだ反対側にも煉瓦構造物の遺構が残っています。こちらも「弾薬庫」だそうです。


現地には特に説明板みたいなものはありませんけどね。


少し離れた場所からの眺め。よく今まで残っていたなぁと思います。


この後も周辺を適当に散策してみましたが、これといった遺構は見当たりませんでした。

かつて滑走路があった場所の様子。今はただただ一面に田畑が広がっていて、かつて軍の航空基地があったなんて想像もつきません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

結局1時間くらい散策して、この後はスーパーで買い物して帰宅しました。
2026年10月22日 イイね!

「源兵衛川」と「陣馬の滝」を訪れました

2026年8月15日土曜日、家族4人で静岡県三島市を流れる「源兵衛川」と富士宮市にある「陣馬の滝」を訪れました。

最初に訪れたのは、三島市の源兵衛川。場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

三島駅近くのコインパーキングに車を駐車し、駅の南側にある公園「楽寿園」を通り抜けて源兵衛川へと向かいます。






源兵衛川へとやって来ました。源兵衛川は、柿田川と同様に富士山からの湧水を源流とする河川です。


説明板を読むと、高度成長期にはご多分に漏れず、ゴミや生活排水によって川は汚染されてしまったようですが、その後に河川の再生運動が盛り上がって清流を取り戻したようです。


川の中を散策できるように足場が設置されていたので、歩いて行ってみます。




川岸の至る所から湧水が流れ込んでいます。


終点まであと少しというところで足場が流れに水没していたため、結局この先で引き返す羽目になりました…。


上流側の様子。源兵衛川は楽寿園の中から流れ出しているみたいですが、その辺りは直接確認できませんでした。




続いては、富士宮市の山間部まで移動して、陣馬の滝へとやって来ました。場所はこちら。


駐車場から滝までは徒歩で移動。そんなに距離はなく、きつい坂もありません。


途中にあった滝の説明板。


陣馬の滝に到着です。水遊びしている子供たちが多いですね。


川の起点の標識。


陣馬の滝は、白糸の滝と同じく岩盤の隙間から幾筋もの湧水が滝となって流れ出しています。




陣馬の滝を見物した後は、本栖湖まで移動して、湖畔にある飲食店で昼ごはん。本栖湖からは国道300号で富士川沿いまで出て、国道52号・東名高速と経由して帰宅しました。
Posted at 2026/10/22 20:55:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年10月15日 イイね!

【浜松市天竜区】鮎釣隧道・龍山大橋・秋葉ダムを訪れました

2026年8月9日日曜日、弟の要望で、浜松市天竜区龍山町にある鮎釣隧道・龍山大橋を訪れました。「テレビ番組『道との遭遇』でこの場所が紹介されていたので行ってみたい。」とのことです。

現地へとやって来ました。この写真だけではわかりませんが、今いるこの道路、ループ形状となっています。


場所はこちら。地形図を見るとわかりやすいですが、天竜川を渡る龍山大橋に向けて道路がループを描いています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まずは、このループ状道路の途中にあるトンネルへと向かいます。


ごく一般的なコンクリート造トンネルです。


名称は「鮎釣隧道」。付近の地名から取られた名称ですね。


トンネル内部を覗いてみると、反対側の坑口の手前から左側へと急カーブになっています。




反対側の坑門と扁額です。




トンネル上部へと向かう徒歩道があったので、登っていってみます。




こちらは、ループ状道路が取り囲んでいる丘の上にある大嶺八幡神社。




神社から徒歩道をさらに登っていきます。




国道152号 秋葉トンネルの旧道へと出てきました。


周辺に何かないかと見て回りましたが、特に目ぼしいものは見つからず、徒歩道を戻っていきます。


今度は神社には立ち寄らず、真っ直ぐ下り坂を進んでいきます。


龍山大橋のたもとへと出てきました。


弟は橋の下をくぐってさらに降りていきます。


私は龍山大橋の写真を撮っておきます。


親柱には「昭和三十年三月竣功」とあります。


頭をぶつけないように注意しながら、私も橋の下をくぐっていきます。




龍山大橋の下部構造。コンクリート造の土台の上に鉄骨で橋脚が組まれていますが、なんか華奢な感じです。


架橋地点がループ状道路の交差地点となっています。


それでは駐車場所へと戻っていきます。




これにてループ状道路の見物は終了。ひとまず龍山大橋を渡って、対岸の道路を上流側へと進んでいきます。

次に訪れたのは秋葉ダム。もともと訪れる予定はしていなくて、単なる寄り道です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

秋葉ダムを見て回ります。








ダム堰堤の反対側にあるトンネルまでやって来ました。


このトンネルが実に興味を惹く構造をしていました。トンネル内部に分岐が設けられています。




二股構造にせずに二車線のまま直結して、交差点部分だけラッパ形状にした方が、多少は見やすくて安全な気もしますけどね。




分岐部分が複雑な形状になるため、壁面に残る型枠の跡が細かいパズルのようになっていますね(笑)。
Posted at 2026/10/15 20:59:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年10月10日 イイね!

【由良要塞】赤松山堡塁跡へ至る軍道と堡塁跡を探索しました(2)

2026年7月25日土曜日、兵庫県洲本市由良町に残る旧陸軍「由良要塞」の遺構群の一つである赤松山堡塁跡へ至る軍道と堡塁跡を探索しました。

前回(1)では、山の中の斜面に残る煉瓦アーチの暗渠まで到達しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

標石。今までのような石造物ではなく、コンクリート造です。


路上に太い根が張り出しています。この軍道が使われなくなってからの長い年月を感じさせます。


この辺りは道の状態が良いですね。


と思いきや、前方の斜面が荒れた様子です。


土砂崩れで軍道の路面は無くなっていました。横断するには特に支障はなかったので、そのまま進んでいきます。


この石、側面を削って加工したように見えますが、どうなんでしょうか。


石造りの暗渠です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

暗渠を渡ってから、ふと沢の下流側へと目をやると、円形の構造物が見えます。「見た以上、素通りできないなぁ…。」ということで、近寄ってみることにします。




外側は煉瓦で組まれています。場所からして井戸のような気がしますね。


これは間違いなく井戸ですね。沢の伏流水を汲み上げて利用したのでしょう。内部の上半分はコンクリート塗り。下半分は石積みです。


まだまだ登っていきます。


今までと大きさ・形状が違う標石を発見。上半分が欠けていますが、下部には「所轄地」と彫られています。


道が二股に分かれていますが、まだまだ登っていく必要があるので左側へと進んでいきます。


また標石がありました。今度の標石はすべて文字が残っていて「陸軍省所轄地」とあります。先ほど見かけた標石も同文でしょう。


久しぶりにヘアピンカーブが現れました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

しばらく進むと折り返すようにまたヘアピンカーブ。




木々の間からは空しか見えないので、もう間もなく目的地に到着するはずです。


駐車場所から歩くこと約1時間45分。ようやく赤松山堡塁跡に到着しました。


赤松山堡塁は、1893年(明治26年)に起工され、1894年(明治27年)に竣工しました。設置目的は、南側に隣接する伊張山堡塁と連携し、堡塁の西側・北西側から陸上を侵攻してくる敵勢力を排除することでした。

しかし、早くも日露戦争(1904年〜1905年)後、同戦争により得られた知見、要塞設置時よりも戦術・技術が進歩したこと、日本の勢力圏が国外に向けて拡大したために本土の海岸防備に対する考え方が変化したこと等を受けて、要塞の整理について検討されるようになりました。

そして、赤松山堡塁は「担当する目的はもはや深く顧慮する必要が無い。」として整理対象となり、1914年(大正3年)には配備されていた大砲が全て撤去され、1932年(昭和7年)3月に「全部除籍」となってしまいました。

場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さっそく堡塁内部を見物していきます。出入口に近い平場には建物の基礎らしきものは残っていますが、一面に大量の煉瓦や石が瓦礫となって散らばっています。


これは、生石山砲台跡と同じく、戦後に旧日本軍の武装解除の一環として連合国軍により破壊されたためです。


こちらは便所の跡。




交通壕を進んでいきます。交通壕は、敵襲を受けずに堡塁内を移動できるように土塁で囲まれた通路です。


前方に窪みが見えてきました。


両壁面は石積みの擁壁となっています。


穴が設けられています。アーチ部分は煉瓦ではなくコンクリート造り。


中を覗いてみます。こちらは堡塁外周の交通壕と堡塁中央部をつなぐトンネルだそうです。残念ながら奥は土砂で埋まっていました。


低い位置にトンネルがあるのは、外部からの攻撃に晒されずに行き来できるようにするためなんでしょうね。


ふたたび交通壕を進んでいきます。


土塁に石組みの排水溝が設けられています。


なかなか立派な石積み擁壁です。






堡塁跡の中央部へとやって来ました。こちらも破壊されていて、大きな瓦礫がゴロゴロしています。




こちらは井戸の跡。完全に埋まっていますね。


こちらは井戸の横にある濾過槽。文字通り、井戸からくみ上げた水を濾過して浄水し、飲料水を確保していました。


倒木が覆いかぶさってしまって、なおさら状態がわからなくなっています。


付け焼き刃の知識でよくわかりませんが、これは棲息掩蔽部なんですかね。


内部はボロボロです。


この辺りは潰れてしまって、何が何だかわかりません。




煉瓦塀があります。




このスロープへと進んでいってみます。




この辺りも相当破壊されていて、元の状態が想像できません。




こちらも煉瓦塀が巡らせてあります。塀に設けられている穴は、弾薬等の一時的な置き場所だそうです。




これにて赤松山堡塁跡の探索を終了します。


時刻は15時を過ぎたところですが、密生するウバメガシのおかげで周囲はすでに薄暗くなりつつあります。少しでも早く由良の街へと戻るため、往路とは違うルートで山から下りることにします。

赤松山堡塁跡から少し下って、細道が分岐している所まで戻ってきました。ここから細道へと入り込んで堡塁跡の東側にある沢筋へと下り、直線的に駐車場所へと戻る腹積もりです。




この道を歩き始めた頃は細い道筋でしたが、途中から幅広くなってきました。


この道は赤松山堡塁跡と由良の街を直線的に結ぶルートなので、もしかしたらこのルートも軍関係の道なのかと思いましたが、標石などの証拠は得られませんでした。


ただ、この不必要に広い道幅は、この山の中を通る徒歩道としては不自然な感じがするので、やはり赤松山堡塁跡と由良を結ぶルートの一つとして軍が関わって整備されたものだという気がします。

尾根筋を通るのはこの場所で終わり、道筋は沢底へと向かって下っていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ヘアピンカーブ。


沢が近づいてくるに従い、だんだんと道筋があいまいになってきました。






砂防ダムを通過。


とにかく歩ける道筋を進んでいきます。


道路まで出られるのか少々心配になってきていましたが、無事に合流できました。


駐車場所へと戻ってきました。


今回の探索ルートの全体図です。移動距離は約6km、時間は3時間10分でした。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

帰り道は、淡路ICまで淡路島の東海岸の景色を眺めながら国道28号を走行。明石海峡大橋を渡り、山陽道 淡河PAで晩御飯を食べてからしばし仮眠。翌日の午前1時30分頃に帰宅しました。

プロフィール

「【豊田市】松平東照宮・高月院・松平城址を巡りました http://cvw.jp/b/1796277/49384720/」
何シテル?   10/26 22:40
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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