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小林あにのブログ一覧

2026年04月18日 イイね!

【奈良県十津川村】北又谷の木馬道跡を探索しました(1)

2026年2月22日日曜日、奈良県吉野郡十津川村にある北又谷に残る木馬道の跡を探索してきました。十津川村を訪れるのは、立合川右岸の木馬道跡を探索した2023年12月9日以来です。

この谷を探索することを決めたきっかけは、この谷を探索する短い動画を「X」で見かけたこと。片洞門(岩壁を抉って道を通している所。)が興味を惹きました。

さて、いつもだと早起きして現地へと向かうパターンなのですが、今回は早めに現地近くまで移動し、仮眠してから向かうことにしました。

自宅を21日土曜日21時55分頃に出発。三重県熊野市の道の駅「熊野 花の窟」に22日0時50分頃に到着し、6時半頃まで仮眠していました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

道の駅の前に広がる海岸から眺める日の出。


道の駅を7時15分頃に出発し、国道311号、国道169号と経由。旧国道169号の田戸トンネルへちょっと寄り道。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらが田戸トンネル。ご覧のとおりの幅の狭いトンネルで、延長は839m。トンネル中央付近にすれ違いのための交換スペースが設けられてはいますが、タイミングが悪いと延々とバックさせられそうです(笑)。


トンネルから先の旧国道区間は、崩落のため通行止め。この区間の国道は、新たに瀞峡トンネル(延長2,049m)が開通しているため、もう復旧はしないような感じです。






それでは、十津川方面へと進み、北又谷の最寄りとなる場所までふたたび移動します。


田戸トンネルから15分ほど走行。北又谷に架かる橋へとやって来ました。ここに車を駐車して、探索の準備をします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらの橋の名称は、「全国Q地図」によると北又谷橋。1983年(昭和58年)の架橋とのことですが、もっと古い感じがします。


8時12分、北又谷橋を出発し、橋のたもとから木馬道跡へと向かって斜面を登っていきます。


斜面を登っていくと一面に石垣が積み上げられています。おそらくは耕作地の跡だと思いますが、もう人が住まなくなった場所でこのような風景を見るたび、昔どれだけの時間と労力を掛けて築き上げたのだろうかと見入ってしまいます。






斜面を登り始めて約15分。ようやく木馬道跡へたどり着きました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

それでは上流へと向かって木馬道跡を歩いて行きます。


道跡にはゴムホースが通してあります。簡易水道などの取水用ですかね。




崖地を通過する場面が現れました。


路肩が崩落していて幅が狭くなっています。この道幅と崖の高さでは、このまま踏み込んでいくのは躊躇しますね…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここは一旦引き返して、下を流れる川まで降りて迂回することにします。


川まで下りてきました。巨岩がひしめいていますね。


「登っていけないような岩ばかりだったらどうしようか…。」と心配になりましたが、幸い、よじ登れるレベルだったので助かりました。しかし、これで余分に体力を消耗してしまいますね…。


木馬道跡へ復帰できそうな斜面があったので、ここをよじ登ってきます。木馬道跡には高い石垣が築かれています。


通過を断念した場所の反対側へと戻ってきました。反対側から眺めても、やっぱり通過は無理そうですね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ふたたび上流へと進んでいきます。


高い岩壁ですね。十津川村の徒歩道や木馬道跡ではこういう場面によく出会います。


路肩は整った石垣でしっかり保たれています。何十年前に造られた道なのかは全くわかりませんが(昭和戦前期までに造られたのは間違いない気がします。)、落石や崩落などの大きな打撃が無ければ、昔の状態をしっかり維持しているのが本当に素晴らしいです。


また崖地が現れました。この場所もかつては石垣を築いて道幅を確保してあったと思いますが、今は基礎部分だった細い岩盤だけが残されています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

先ほど迂回した場所よりは切り立った場所ではないので、「これなら進めるかな。」と判断し、慎重に通過していきます。


この場所も岩盤の切り取りと路肩の石垣で整えた形の道になっています。


ビッシリと緻密に積み上げられた石垣も良いですね。下側からも見上げてみたいですが、地形的に無理なので(笑)。


石積みの小さな橋台が残っています。沢の水を逃がすために小さな橋が架けられていたのでしょう。


また怪しげな場所が現れました。


岩場の凹部にロープが掛けてありますが不安ですね。ここは迂回することにします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここから河原まで降りていきます。


またも背丈よりも高い巨岩に囲まれながら、木馬道跡へと復帰できるルートを探して少しづつ進んでいきます。




この真上が引き返した凹部ですかね。この場所も岩盤の隙間を埋めるように石が積み上げられています。


迂回した場所の反対側。こちら側にも路肩が欠けた場所があるので、凹部をもし渡れたとしても引き返していたかもしれません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まだゴムホースが続いていますね。


ゴムホースはようやく川へと下りていきました。途中での様子を見る限り、今はもう利用されていないのかもしれません。


平べったい巨岩ですね。山の上から落ちてきたのかな。


川の流れが真下に見えるようになってきました。木々に目隠しされていないと高度感を感じてしまうので、心配になってきます。




また路盤が欠けて細くなってしまった場所が現れました。土砂が谷側へと斜めに積もっているし、またも迂回決定です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここから川へと下ってきます。


石垣全体が苔で覆われていますね。この場所は湿気が溜まりやすいのかな。


またも巨岩の隙間をよじ登りながら上流へと進んでいきます。


対岸から迂回した区間の木馬道跡を眺めます。痩せ細った道をこれだけの距離歩くのは無理なので、迂回して正解でしたね…。




木馬道跡へと復帰しました。


山側に土留めの石垣がありますね。この木馬道跡では初めてかな。


山の上から流れてきた砂利に道跡が埋もれてしまってます。


岩がゴロゴロしている小さな沢を横断。石積み橋台が残っています。


またも厄介な場所が登場。土砂で道跡が完全に埋もれてしまっています。しかも谷側が崖。横断中に土砂を崩したら、川へと真っ逆さまに落ちてしまいます…。


一歩一歩地面を踏み固めて足場を確保しつつ、慎重に高巻き。当然、帰りも通るので、念入りに固めておきます。


無事に反対側へと横断できました。ヤレヤレです。


※その(2)へ続く。
Posted at 2026/04/18 12:17:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2026年04月12日 イイね!

【桑名市】旧「諸戸 清六」邸を訪れました

2026年2月19日木曜日、三重県桑名市にある旧諸戸清六邸を母・姉と共に訪れました。

こちらは、駐車場がある揖斐・長良川の堤防から眺めた長良川河口堰。


長良川河口堰の場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

それでは、旧諸戸清六邸がある六華苑へ入苑します。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

入口にある説明板。


こちらが旧諸戸清六邸です。この建物は、「山林王」と呼ばれた二代目諸戸清六の邸宅として大正2年(1913年)に竣工しました。


庭園側からの眺め。ご覧のとおり、洋館と和館が一体となった建物です。洋館部分は、鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルが設計を手掛けたもので、地方に残る唯一の例だそうです。


洋館部分に付属する塔屋。円柱形の形状が目を惹きます。当初は3階建ての予定でしたが、揖斐川が見えるよう、4階建てに変更されたそうです。


塔屋の基礎部分。穴にはめ込まれている金網には、諸戸家の家紋「丸に違い鷹の羽」があしらわれています。


車寄せ・玄関。


それでは洋館内部へと入ります。こちらは食堂。


食堂に隣接する客間。




シャンデリア。派手さはありませんが、凝った造形です。


暖炉。淡い水色のタイルが良い雰囲気を醸し出しています。


玄関。ステンドグラスが用いられています。


塔屋の1階部分。


食堂の暖炉。こちらは赤色のタイル。煤の汚れが残っていて、使用感がありますね。


つづいて、和館を見学します。長い廊下です。


和館側には日本庭園があります。


欄間に菊の御紋が使われていますね。皇族関係者が訪れたこともあるのでしょうか。


庭園を眺めます。


便所。なかなか広いですね。きちんと「使用禁止」の札が置かれています(笑)。


和館には、蔵が直結しています。


広間。


洋館へと戻って、2階へと上がっていきます。




展示されていた昔の旅行かばん。


居間。


サンルーム。




またまた電灯類の写真。




塔屋の2階部分。


壁面の曲面に合わせて、木枠も曲面に合わせて仕上げてありますが、窓ガラスも当時としては珍しい曲面ガラスが使用されています。


そもそもこの日、桑名市を訪れたのは叔父に関わる所用があったため。たまたま約束の時間よりも早く着いてしまったため、時間つぶしに訪れましたが、なかなか良いものを見ることができました。
Posted at 2026/04/12 21:17:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年04月08日 イイね!

【岡崎市】旧宮崎街道 明見坂を歩いてきました

2026年2月8日日曜日、気分転換に廃道でも歩こうかなと、岡崎市淡渕町と明見町の間に残る廃道「旧宮崎街道 明見坂」を歩いてきました。ここを訪れるのは、2020年3月18日以来です。

明見坂への最寄りとなる愛知県道37号の幅広い路肩に車を駐車します。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

いつもなら駐車場所から県道と廃道の分岐点まで移動してから廃道へと入り込むところですが、歩道が無くて見通しも良くない県道を数百m歩くのも億劫だったので、直接、明見坂の峠の切り通しへ向かって山の斜面を直登していきます。


切り通しの前にある開通記念碑の裏側へと出てきました。


こちらは、明見坂の開通記念碑である「宮崎街道之碑」。この道の由来を記した貴重な史跡に倒木が直撃していなくて良かったです。




さっそく切り通しを通り抜けていくことにします。


ここの切り通しは相当深く掘り下げていますが、ほとんどの部分がご覧のとおり岩盤となっています。明見坂の荷車道が開通したのは明治25年(1892年)のことですが、おそらく人力で岩盤を切り下げていったのだと思います。






切り通しを抜けると昔の道の姿が残っています。切り通しの中央部分は土砂に埋もれていますが、本来はこれだけの道幅があったのでしょう。




明見町側の坂を下っていきます。




明見町側の廃道の末端部に来ました。現在、明見坂は下を通る道路によって切り取られてしまっています。


末端部から峠方向を振り返った眺め。


峠方向へと道を戻り、二又の分岐点まで来ました。左側が荷車道の明見坂。右側は荷車道改修以前の明見坂と思われます。右側へと進みます。


程なくして、下を通る道路へと合流します。


合流したらすぐに左斜めへ分岐していく坂道へと入ります。


坂道の途中に檻が置かれています。ずっと以前から置かれていて、中にある餌もきれいなので、管理はされているようです。


峠まで来ました。車が通行できる道はここまで。左側には簡易水道の施設があります。


峠を越えると、一気に昔ながらの徒歩道へと様子が変わります。




峠道が折り返していきます。この道には、簡易水道の施設からの送水パイプが通されています。


2か所目の折り返し。


峠道を見上げると、路肩が石積みで補強されています。


3か所目の折り返し。山肌を削り込んであります。


荷車道の明見坂へと合流しました。このまま直進します。


県道まで出てきました。


県道との分岐点に残る道標。「すぐ ほんぐう~」と彫られていて、砥鹿神社の奥宮がある本宮山を指しているものと思われます。


続いては、明治時代の荷車道である明見坂を歩いて行きます。


徒歩道の明見坂との分岐点。ここを右へと進みます。


峠の切り通しにも岩盤が露出していましたが、峠までの道中も岩壁を削り込んだ道が続いています。




木漏れ日が差し込む廃道。良い雰囲気です。




荷車道の明見坂で最も狭い区間を通過していきます。狭いと言っても、歩いて通過する分には十分な幅がありますけどね。


この辺りは路肩に高く石を積み上げて路盤を造り上げてあります。




狭い区間を抜けると山の斜面は多少なだらかになってきます。


ふたたび開通記念碑の前に戻ってきました。だいたい1時間くらいで1周してきました。


荷車道の明見坂は明治25年(1892年)に開通したわけですが、早くも明治41年(1908年)には坂道を解消した現在の県道ルートが新道として開通。多額の費用と労力をかけて開通させた荷車道の明見坂は、開通後わずか16年で役目を終えてしまったようです。
Posted at 2026/04/08 21:39:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧宮崎街道明見坂 | 日記
2026年04月05日 イイね!

【新城市】宇連ダムへ出かけてきました

2026年2月6日金曜日、新城市の豊川水系宇連川にある宇連ダムへと出かけてきました。


この週は土曜日出勤だったので、その代わりにこの日がお休み。ニュースで宇連ダムの貯水率が5%まで下がったと知り、「平日ならダム湖へ様子見に来る人も少ないだろう。」ということで出かけてきた次第です。


ダム湖の上流末端部までやって来ました。この辺りはすっかり干上がってしまっていますね。ここから下流方向へ進める所まで行ってみます。


過去に訪れた際に確認済みの暗渠。土砂に埋もれることなく健在です。




以前からですが、この先で路面が崩落していて、旧道をそのまま進むことができません。


一旦逆戻りしてから河原へと下りて、先へと進むことにします。写真中央部に旧道の切り通しが見えています。


屏風型をした安山岩の岩脈。宇連ダムのダム湖内にはこの形状をした安山岩の岩脈が12か所存在しているそうです。


河原から旧道へと登り直して、先ほど河原から見上げていた切り通しを見に行きます。


ふたたび下流方向へと旧道を進んでいきます。ここから先は初めて歩くことになります。


はるか遠方に橋台と橋脚が見えてきました。


石積みとコンクリートで造られた暗渠。形状は上流側で見たものと同タイプですが、より大型ですね。




先ほど見えていた旧橋跡まで来ました。橋の名称は不明です。


場所はこちら(旧版地形図です。)。

※ひなたGISより引用。

河原に立つ橋脚。当時の橋の構造物である材木が1本残ったままになっています。


対岸にある石積みの橋台を眺めます。橋台の奥には、さらに下流側へ向けて旧道が続いています。


この橋跡の右側には、旧旧橋跡のものと思われる石積み橋台も残存しています。


さて、旧橋跡の対岸側へも行ってみたいなと思い、一旦、上流側の切り通しまで逆戻り(崖である旧道と河原の間を行き来できる場所がそこしかない。)。そこから河原へと下りて、再び旧橋跡へ向かって進みます。

屏風型の安山岩岩脈。河原から見上げると巨大ですね。この周辺に広がる凝灰岩に溶岩が貫入して出来上がった岩脈だそうで、本当に特徴的な形状をしています。




先ほど眺めていた旧旧橋の低い石積み橋台の対岸にある巨岩。岩には穴が穿たれていて、おそらく橋を支える材木が差し込まれていた穴だと思われます。


この橋台跡から対岸へとよじ登っていきます。


下流側の旧橋跡へとやって来ました。


橋台の上から、先ほどまで居た上流側をを眺めます。ちなみに、川が赤色に見えるのは、日光が当たるようになってヌルヌルな苔が川底一面に生えたからです。


ふたたび河原へと下りて、真下から旧橋跡の石積み橋台を眺めます。河原から見上げると、巨大さがより際立ちます。そして、おそらく方丈橋(橋の型式の一種)の構造材の一部が、腐ることなく橋台にもたれ掛かっています。


続いて橋脚を見上げます。背景の空は真っ青です。


上流側の橋台を見上げています。上流側は、岩盤にコンクリートで橋台を造り付けてあります。


それでは上流側へと戻っていくことにします。


途中で河原から旧道へと上がって、暗渠などを確認しながら、さらに上流へと歩いていきます。






旧道の巨大な石積み擁壁。


ダム湖の上流側末端部にある「穴滝」まで来ました。ダム湖が満水なら見ることができない滝です。


「穴滝」の名前のとおり岩に穿たれた穴の中に落ちる滝なので、いつ来ても外側からは見づらい滝です。


「穴滝」のすぐ下流側にある屏風型の安山岩岩脈。


最初に駐車した場所から移動してきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

砂漠と化したダム湖を歩いて、ふたたび旧橋跡の下流側まで来ました。なかなか立派な石積み擁壁が残っています。擁壁の上には旧道が通っています。


河原の中を下流側へと進んでいってみましたが、かつて「蝉滝」と呼ばれていた段差に遭遇して進めません。


旧道まで登って、迂回を試みます。


「蝉滝」を横断する岩脈に切り通しが穿たれています。「これで通過できるな。」と進んでみたら、この先で旧道は崩落していました…。


これ以上進むことは無理だったので、これにて探索を終了。帰宅することにしました。
Posted at 2026/04/05 22:17:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2026年04月02日 イイね!

佐久間ダム~大嵐駅~道の駅「信州新野千石平」とドライブ

2026年2月1日日曜日、弟の誘いで、佐久間ダム~大嵐駅~道の駅「信州新野千石平」とドライブしてきました。毎度の定番ドライブコースですね。

自宅を出て、矢作川に架かる美矢井橋を渡った場所。時刻は8時過ぎ。遠方の田んぼの上に霧が溜まっているのが見えます。


11時過ぎ、佐久間ダムに到着しました。ここは、ダム堰堤からさらに奥にある駐車場になります。


駐車場には私たち以外、誰もいません。


駐車場から上流側へ歩いていくと、酷道・廃道趣味の方々には有名な、静岡県道288号の佐久間ダム側の出入口があります。


ご覧のとおり、堂々と「全面通行止」の標識が掲出されていて、ゲートでガッチリ封鎖されています。


こちらは、かつて存在したダム湖の遊覧船の乗船受付の跡です。


乗船場への階段が残っています。


佐久間ダムを出発して、ダム湖沿いにクネクネと狭い道が続く県道1号を走行。JR飯田線の大嵐駅へとやって来ました。


こちらは、県道1号と大嵐駅を結ぶ鷹巣橋。昭和31年(1956年)の架橋で、旧富山村である豊根村富山地区への玄関口でもあります。


大嵐駅前からダム湖へと下っていく徒歩道を進んでいきます。






この辺りは佐久間ダムのダム湖の北端になりますが、ここ最近はあまり雨が降っていないので、乾いた泥の河原が広がっています。


パッと見は穏やかな天竜川の流れですが、この辺りの古い写真を見ると、かつてはとても深い渓谷でした。その深い渓谷が佐久間ダムにより堰き止められた土砂により埋まってしまったのが現在の景色なわけです。


降りてきた階段を横から眺めると、すっかりボロボロになっています。


ダム湖畔から上がって、大嵐駅を見て回ります。


大嵐駅の時刻表。飯田線の中で最も閑散とした区間にある駅なので、電車の本数も少ないですね。


大嵐駅の天竜峡駅側にある大嵐トンネル。


駅前の駐車場。私たちの車のほかに商用車が1台停まっていましたが、人はいませんでした。


中部天竜駅側にある大原トンネル。大嵐トンネルとの間の距離が短いため、トンネル内で線路が分岐する構造になっています。




本戦と側線の分岐点にある乗り越しタイプの分岐器。


大嵐駅の全景。


大嵐駅からは県道1号・国道418号と経由し、道の駅「信州新野千石平」へとやって来ました。ここでようやく昼食。


道の駅からは国道151号を南下。長野・愛知県境の新野峠付近は雪が残っていました。


豊根村まで国道151号を走行し、そこからは設楽町津具、設楽町田口と経由し、国道420号へ。

設楽町と豊田市の境にある国道420号の新段戸トンネル。


このトンネルの先からは、もう雪がある箇所はありませんでした。

プロフィール

「【奈良県十津川村】北又谷の木馬道跡を探索しました(1) http://cvw.jp/b/1796277/49041895/
何シテル?   04/18 12:17
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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