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小林あにのブログ一覧

2025年07月27日 イイね!

旧中央本線「大日影トンネル遊歩道」を散策しました

2025年5月31日土曜日、山梨県甲州市勝沼町にある旧中央本線のトンネル「大日影トンネル遊歩道」へ行ってきました。

このトンネル遊歩道の存在は以前から知っていましたが、「老朽化によりいったん閉鎖します。」ということとなり、すっかり忘れてしまっていました。

そして、とあるみん友さんの更新ブログを読んだ時、このトンネル遊歩道を訪れたことが書かれていたことで公開が再開されたことを知り、さっそく出かけてきたわけです。

訪問当日の山梨県の天気予報は雨でしたが、「まあトンネルの中を歩くだけだから別にいいか。」とやって来ましたが、まあまあ強い雨だったので、駐車場から現地まで移動するのに少々参りました。

中央本線勝沼ぶどう郷駅の東側にある駐車場に車を停め、トンネルへと向かいます。その途中、中央本線のガードをくぐります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

コンクリート造のボックスカルバートの奥に、煉瓦アーチのガードが隠れています。






ガード内は煉瓦アーチが2つに分けて造られています。


反対側へと出てきました。こちら側は縦長の印象的なアーチとなります。




「菱山道路隧道」との説明板が設置されています。説明板によると、まず1903年(明治36年)の中央本線開通に伴って坂の上部側の煉瓦アーチが設置され、続いて1913年(大正2年)の勝沼駅開業に合わせて坂の下部側の煉瓦アーチが設置されました。


旧勝沼駅のホームへとやって来ました。先ほどの菱山道路隧道の真上になります。勝沼駅は開業当時はスイッチバック駅でした。1968年(昭和43年)の複線化に伴ってホームは本線上へと移動し、スイッチバックは廃止されました。




ホーム上に設置されている駅名板。


勝沼ぶどう郷駅の駅舎前を通り過ぎた先に展示されているEF64形電気機関車。中央本線で活躍した電気機関車ですね。中央本線の内、いわゆる「中央東線」ではEH200形電気機関車に主役の座を譲ってしまいました。


勝沼ぶどう郷駅の東京方にある「大久保沢河川隧道」。煉瓦造・石造の暗渠を悉皆調査している方によると「大久保沢橋梁」です。




ようやく今回の本命である旧中央本線「大日影トンネル遊歩道」へとやって来ました。左側のトンネルは現行の新大日影第二トンネルです。


説明板によると、大日影トンネルは1903年(明治36年)の開通。1997年(平成7年)に新トンネルが開通したことにより廃止されました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちょうどEH200形電気機関車がタンク車をけん引して通過していきます。この貨物列車は、山梨県内もしくは長野県内にある石油施設へガソリン等を輸送し終えての帰りの列車ですね。


続いて、E353系電車が通過していきます。


それではトンネル内へと入っていきます。トンネル坑門にはこのような注意板が残されていました。反対側まで約28分かかるようです。




反対側の坑口までの距離が示されています。旧大日影トンネルの延長は1367.8mあります。入口までやって来て、トンネルの長さを見て入らずに帰っていく人もいました。


レール・枕木・バラストがそのまま残されていますね。


大型の退避壕。コンクリートブロックで造られているので、後年に追加されたものでしょう。


まだまだ先は長いです。


こちらは開通当初から存在していると思われる大型退避壕。ベンチが置かれて休憩場所になっています。


途中で側壁部分が石積みに変わりました。断層部分を通過するためだそうです。




アーチ部分がコンクリートで塗り固められています。頂点部分のメッシュは老朽化対策で追加されたものでしょう。現役の煉瓦トンネルでは、まあまあ見かけます。


「110km」のキロポスト。


急勾配区間のため、壁面にはSLからの煤煙がこびり付いています。ちなみに、この区間は1931年(昭和6年)には電化されて電気機関車へと移行しています。


25‰(パーミル)か25.5‰の勾配標。パーミルは1000m進む間に上り・下りする高さを表しています。


トンネル内は風雨に晒されないので、電化から94年経っても煤はしっかりと煉瓦に残っていますね。


レールの間に湧水を排出するための排水溝が設けられています。




大型退避壕。退避壕は単調なトンネル内では良いアクセントになります。トンネル本体とは違う造形も面白味があります。


反対側の坑口まであと300m。


109.5kmのキロポスト。


こんな形状での煤の付き方は初めて見ます。こういうのを眺めるのもいろいろなパターンがあって面白いです。


普通に歩き通せば「28分」のところ、1時間弱かかってようやく反対側の坑門へと到着しました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

トンネルの先にある「深沢川河川隧道」。旧中央本線建設時に建設されたのとことですが、旧線の真下にあるわけではなく、どうしてあの位置に河川隧道が設けられているのかは不明です。




大日影トンネル遊歩道の真向かいにある「勝沼トンネルワインカーヴ」。旧深沢トンネルを再利用したワインカーヴ。




出入口付近だけ見学可能なので、入ってみました。ワイン保管用の冷蔵庫?がズラリと並んでいます。


冷蔵庫の置かれ方を見ることで、このトンネルも急勾配区間であったことがよくわかります。


ワインカーヴの出入口を振り返って。トンネル内径を狭くしてあります。外気を遮断しやすくするためですかね。


ワインカーヴから大日影トンネル遊歩道を眺めます。この時は強い雨が降り、頭上では雷鳴が轟いていました。無事に車へと戻れるのか少々心配中…。


大日影トンネル遊歩道をくぐり抜けて、勝沼ぶどう郷駅側へと戻ってきました。依然、雨は収まりません。


これにて大日影トンネル遊歩道の散策は終了。遊歩道としてきれいに整備されていましたが、過剰に手を加えられることは無く、私のような趣味の人間も煉瓦トンネルの雰囲気を楽しむことができました。


廃煉瓦トンネル探索もボチボチと再開したいところではありますが、近場の有名どころ(マニアにとってのね。)は大体巡ってしまったので、頑張って遠方へ行くか、再訪でお茶を濁すか。どうしましょうかね。
Posted at 2025/07/27 00:26:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 中央本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2025年07月13日 イイね!

【2025年】豊田しもやまラリーを見物してきました

2025年5月25日日曜日、愛知県豊田市下山地区を拠点に開催された中部・近畿ラリー選手権「豊田しもやまラリー」を見物してきました。

昨年はこのラリーに参戦しましたが、今年の参戦はパス。予定ではドライバーやすい氏が「ラリーを体験してみたい。」という方をコドライバーにして参戦し、代わりに私はお休みだったのですが、どうやらラリー車の修理・整備が間に合わなかったようで、エントリーリストに名前がありませんでした。

ただ、同じツールボックスチームからもう1台参戦予定だった若手のやまだ・ハンダ組はエントリーリストに載っていたので、応援を兼ねて見物にやって来たわけです。

昨年も天気が悪かったですが、今年も曇天のスタート。雨上がりのコース上に泥や落ち葉や水があふれているだろうSS1・4「根池龍王」でのアクシデントが予想されそうですね…。


天気は悪いながらも、人出はまずまず。観客用駐車場も3分の2くらいは埋まっていました。






ツールボックスチームのやまだ・ハンダ組のヴィッツがやって来ました。


SS1へと向かうやまだ・ハンダ組をお見送り。


一方、上位スタート陣はSS2「ドラゴンレイク」のスタート前で待機の列を作っています。


ラリーパーク内をしばし散策。




最終号車の75号車がセレモニアルスタートを終えてUターンしていきます。


さて、SS2「ドラゴンレイク」が始まりました。コース脇の間近な場所でSSを走行するラリー車を観戦できるのがこのラリーパークの良いところですが、近すぎて思い切りピンボケになってます(笑)。


一方、スタート地点は見下ろす形になっています。


SS1の走行を終えたやまだ・ハンダ組のヴィッツが戻ってきましたが、右リアタイヤ付近をぶつけた様子。


ハンダさんによると、SS1はアクシデントでキャンセルとなり(早速か…。)、SSコースをそのままリエゾンとして移動となったそう。

せっかくなので「ハイスピードレッキ」でペースノートを読みながら走行していたそうですが、途中でロストしてしまったため、「一旦ペース落とそう。」と呼びかけたにもかかわらず、やまだ君はそのままのペースで走行し続けた挙句、スリップしてぶつけたそうです。

ハンダさん、プリプリしながら愚痴ってくれました(笑)。

前方の車が少しづつ動き出したので、やまだ・ハンダ組もヘルメットを装着してSSスタートの準備をします。


ところが、SS2も上位グループでアクシデントがあったようで、またもやキャンセル。やまだ・ハンダ組のヴィッツはそのまま普通のスピードで普通に走り去っていきました…。


SSとSSの合間に、ゲストで来ていた勝田範彦選手がコースの一部を使用してデモラン。




この後、SS3となる2回目の「ドラゴンレイク」は無事にスタート。やまだ・ハンダ組のヴィッツも、今回のラリーで初めて本番スピードでSSをスタートしていきました。

さて、今年もアクシデントが頻発した「豊田しもやまラリー」。4SS中、2本のSSがキャンセルされ、参戦車両の3分の2くらいが救済タイムを与えられている状況。

そのため、暫定フィニッシュの時点では「順位がはっきりしないから、このままゲートはスルーで。」とのMCさんの案内もあり、おそらく上位入賞したと思われるラリー車もゲートで一旦停車せずに通過していきました。




最初の車両がフィニッシュしてから約1時間後、無事にやまだ・ハンダ組のヴィッツも姿を現しました。


「RALLYSTREAM」で走行位置のチェックをしていたら、最終SS4フィニッシュ後にたびたび停車していたので、「何かトラブルが起きてるのか?」と心配しましたが、何事もなかったようでヤレヤレでした。


やまだ・ハンダ組の無事を見届けたところで、間もなく出発となる最終のシャトルバスの出発場所へとダッシュ。置いてけぼりを食らうことなく帰ることができました。
Posted at 2025/07/13 21:23:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 中部・近畿ラリー選手権 | 日記
2025年07月03日 イイね!

【全日本ラリー】ラリー飛鳥を見物してきました

2025年5月18日日曜日、奈良県天理市を拠点に開催された全日本ラリー選手権「ラリー飛鳥」を見物してきました。奈良県で全日本ラリー選手権が開催されるのは、32年ぶりなんだそうです。

自宅を朝5時に出発。8時30分頃、サービスパークが設置されている天理市の「天理教 北大路乗降場」へとやって来ました。




今回もサービスパークの中をぶらぶら歩き回って、SSから戻ってくるラリー車を見て回りたいと思います。本当はラリーを見に来た以上、SSも観戦したいのですが、今回のギャラリーステージは名阪スポーツランドのジムカーナコースなので、「まあ、いいかな。」と(そもそも前売券購入しないといけないし…。)。

9号車 新井・立久井組のシュコダ・ファビアがサービスパークへ戻ってきました。土曜日のラリー初日をトップで終えています。


テントに停車すると直ちに整備が始まります。


1号車 勝田・保井組のトヨタ・GRヤリスRally2です。こちらは初日3位です。


3号車 鎌田・松本組のシュコダ・ファビアです。こちらは初日5位。


5号車 福永・齊田組のシュコダ・ファビア。こちらは初日6位。


4号車 奴田原・東組のトヨタ・GRヤリスRally2。こちらは初日4位でした。


6号車 石黒・穴井組のトヨタ・GRヤリス。


2号車 コバライネン・北川組のトヨタ・GRヤリスRally2が、サービスを終えてTCへと移動していきます。こちらは初日2位でした。


ふたたび福永・齊田組のシュコダ・ファビア。こちらもサービスを終えて、間もなく出発しそうです。


勝田・保井組のトヨタ・GRヤリスRally2がTCへと向かいます。


奴田原・東組のトヨタ・GRヤリスRally2も後を付いていきます。


福永・齊田組のシュコダ・ファビアがテントから出てきました。


鎌田・松本組のシュコダ・ファビアもサービスパーク出口のTCへ向かいます。


ラックのテントでサービスを受ける14号車 三枝・木村組のトヨタ・GRヤリスと11号車 大倉・豊田組のトヨタ・GRヤリスDAT。




サービスパーク出口のTCでチェックイン中の46号車 藤原・宮本組のスズキ・スイフト。JN-4クラスながら、初日を総合12位で終えているようです。もちろんJN-4クラストップ。


19号車 吉原・安東組のスバル・WRX。


21号車 大竹・橋本組のトヨタ・GRヤリス。モリゾウ・チャレンジカップのトップですね。


22号車 稲葉・竹下組のトヨタ・GRヤリス。


33号車 山本・立久井組のトヨタ・GR86。JN-3クラスのトップ。


ふたたびオサム・ファクトリーのテント。


8号車 金岡・マクリン組のシュコダ・ファビア。


16号車の塙・西村組のトヨタ・GRヤリス。


36号車 曽根・小川組のトヨタ・GR86。


45号車 筒井・本橋組のスズキ・スイフト。


モリゾウ・チャレンジカップ参戦者用のサービススペース。統一されたテントが設置され、プライベーターのサービススペースとは一線を画しています。こちらはクスコチームからカップ参戦しているトヨタ・GRヤリスが揃っていますね。


23号車 ジョーンズ・トムソン組のトヨタ・GRヤリス。全日本ラリー選手権で外国人コンビは珍しいですね。


30号車 田部井・梅本組のトヨタ・GRヤリス。


37号車 下口・小林組のトヨタ・GR86。


52号車 中溝・佐々木組のトヨタ・ヤリス。


47号車 鶴岡・山岸組のスズキ・スイフト。


49号車 河本・有川組のマツダ・デミオ。


サービスパークの背後にそびえる天理教の建物が何ともミスマッチな光景です。


61号車 天野・井上組のトヨタ・RAV4 PHEV。今年から名称変更されたJN-Xクラスのトップです。JN-Xは、2,500cc 以下のハイブリッド車や電気自動車のクラスとなっています。


39号車 渡部・横山組のトヨタ・86。


67号車 ビダル・桝井組のルノー・クリオ。


7号車 新井・小坂組のスバル・WRX。ラリー初日にエンジントラブルでリタイア。2日目はリスタートしなかったようで、テント内に置かれていました。


75号車 千北・中島組のポルシェ911。フロント部分はホントがらんどうなんですね。


76号車 河合・明治組のトヨタ・セリカ。


旧車のボンネットが開いていると、みなさん取りあえず覗き込んで、写真を撮っていきますね(私もですが(笑)。)。


0号車と00号車がサービスパークに駐車中。ということは、間もなくラリー車が2回目のサービスのために戻ってくるということですね。


9号車 新井・立久井組のシュコダ・ファビアが最終となるサービスのために戻ってきました。


新井・立久井組は引き続き現時点もトップ。総合・JN-1優勝に向けて、車両整備に余念がありません。




4号車 奴田原・東組のトヨタ・GRヤリスRally2。


3号車 鎌田・松本組のシュコダ・ファビア。




1号車 勝田・保井組のトヨタ・GRヤリスRally2。


5号車 福永・齊田組のシュコダ・ファビア。サービス完了後、あとから戻ってくる16号車のためにテントの外へ駐車しています。


21号車 大竹・橋本組のトヨタ・GRヤリス。GRカラーで走っているチームだけあって、サービスの光景はワークスのミニチームといった雰囲気です。


モリゾウ・チャレンジカップのサービステントの造りは、WRCのサテライトチームや大規模プライベーターチームを意識しているとかいないとか。


総合順位の上位3台のラリー車がサービスパークを出発して、最後のセクションへと向かいます。






この後は表彰式まで待っていても良かったのですが、明日は仕事だし、東名阪道の渋滞に巻き込まれると自宅に着くのが遅くなってしまうので、これにて帰路へとつきました。
Posted at 2025/07/03 00:16:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラリー飛鳥 | 日記
2025年06月29日 イイね!

旧長野電鉄屋代線 信濃川田駅跡と松代象山地下壕へ立ち寄りました

2025年5月9日金曜日、山形県鶴岡市にある出羽三山神社を訪れ、その帰り道には、新潟県村上市勝木に残る旧国道7号や羽越本線旧線のトンネルを見物しました。

その後は何度も仮眠を繰り返しながら、深夜の新潟県を上信越道新井PAまで移動。ここで5月10日土曜日の夜明けを迎えます。

ここから寄り道を再開。えちごトキめき鉄道の二本木駅と太田切橋梁、旧信越本線の戸草隧道と大廻隧道へ立ち寄りました。

さて、長野県内でもう少し寄り道していこうかということで、まずは長野市松代の「松代大本営跡」へ立ち寄ることを決定。もう1か所、旧長野電鉄屋代線の信濃川田駅跡も訪れることにしました。

まず訪れたのは、旧長野電鉄屋代線の信濃川田駅跡です。こちらを先に訪れたのは、長根県北部からやって来ると信濃川田駅跡の方が手前側になるからです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

地形図を写真表示に切り替えると、駅跡の前後にも線路が存在している状態のものが閲覧できます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駅舎の外観は、今見ても現役の駅と間違えそうな状態を維持しています。


駅舎の中へ入ってみます。当時の運賃表や時刻表が掲出されたままになっています。




備え付けの木造の長椅子に懐かしさを感じます。


2000系電車の写真ですね。


駅名板。


線路から駅舎を望みます。


須坂側にある構内踏切。遮断機が残されています。


廃止直後と思われる写真を見ると、駅舎の反対側にあるホームもコンクリート造りになっていますが、現在はコンクリート部分や舗装部分が壊されて土の山になっています。


ホーム下に穴があります。昔々はホーム上に転轍機のレバーがあって、穴から連動ワイヤーが伸びていたんでしょうね。


屋代方面を眺めています。


駅構内の屋代側に残っていた鉄桁。


一直線に線路跡が続いているのが見えます。


さて、信濃川田駅跡の見物はこれくらいにして、長野市松代へと移動します。移動途中に旧屋代線の廃トンネルが見えましたが、ここは我慢してそのまま直行(笑)。

真田氏の城下町であった松代の市街地を通り抜けて、「松代大本営跡」の遺構の一つである「松代象山地下壕」へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

地下壕の説明板と案内図。見学は無料でできます。地下壕へ入場の際は、貸出されるヘルメットの着用が義務となります。




ところで、実は現地を訪れたタイミングが悪く、同じく見学に訪れた大学生と思しき一団と鉢合わせ。

大学生たちには先に行ってもらって、後ろからのんびり見物しようかなと思っていたら、関係者の方から「どうぞ先に行ってください。」と勧められて、やむなく先に地下壕内へと進入。

集団に追い立てられるような形になり、あまり落ち着いて見物できませんでした…。

入口からしばらくは、頭がぶつかりそうな低くて狭いトンネルを進みます。


削岩機ロッドの説明板。地下壕内には抜けなくなってしまったロッドが数本残っているとありましたが、見つけられませんでした。


入口付近と違い、本坑部分はご覧のとおり大きなトンネルとなっています。地下壕というイメージから、この大きさにはちょっとビックリしました。


見学ルートの屈折地点。およその中間地点になります。


立入禁止区画は落石が放置されたままになっています。まあ、廃トンネルを探索する時はこんな場所ばかりですけどね。


見学ルートですが、補強が入っている箇所もあります。水溜りがあるので、漏水を原因とした落石があるのでしょう。


この坑道は割ときれいですね。


地下壕掘削時のトロッコ枕木の跡。




見学コースの終点です。ここから折り返して入口へと戻ります。




松代象山地下壕を見学後は、すぐ近くにある竹山随護稲荷神社へ。社殿からは松代の街が一望できます。






山寺常山邸。松代藩の寺社奉行、郡奉行を務めた山寺常山の屋敷跡。主屋は大正時代に失われ、現在は江戸末期から明治初期に建てられた長屋門形式の「表門」と、大正末期から昭和初期に建てられた書院「対竹盧」が現存しています。










これにて松代市街地での見物は終了。今回は実質「松代大本営跡」だけでしたが、先にもちょっと記したとおり、松代は元和8年(1622年)から幕末まで真田氏が藩主を務めた松代藩の城下町。松代城跡、真田宝物館、真田氏の菩提寺「長國寺」など、いろいろ見どころがあるので、また折を見て訪れてみたいと思います。

時刻も15時を回り、これでようやく帰宅することに。上信越道長野ICから高速に乗り、長野道へと進みますが、疲れが出てきたのか眠気に襲われ(笑)、筑北PAで1時間ほど仮眠。

16時45分頃に筑北PAを出発。中央道駒ヶ岳SAで給油し、18時20分頃神坂PAに到着。ここで晩御飯。ご飯を食べている間に土砂降りが降り出して、止む気配が無くてずぶ濡れで車へと戻る羽目に。


20時45分頃、やっと自宅へと到着。今回の走行距離は1,349Kmでした。


年相応に段々と疲れが抜けにくくなってきているためか、疲れを感じるとすぐ眠くなり、しかも眠気がなかなか抜けません。眠気に対する耐性がホントに落ちてきていますね。安全のために「眠気が来たら無理せずにすぐ仮眠。」で、これからも長距離ドライブへ出かけたいと思います。
Posted at 2025/06/29 23:26:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2025年06月26日 イイね!

二本木駅・太田切橋梁・戸草隧道・大廻隧道へ立ち寄る

2025年5月9日金曜日、山形県鶴岡市にある出羽三山神社を訪れ、その帰り道には、新潟県村上市勝木に残る旧国道7号や羽越本線旧線のトンネルを見物。この後は同じ村上市内にある道の駅「朝日みどりの里」に18時15分頃到着。晩御飯を食べてから仮眠しました。

21時50分頃、道の駅「朝日みどりの里」を出発。日本海東北道 朝日まほろばICから高速道路に乗り、一路愛知県を目指したわけですが、眠気が出てきてしまい、北陸道へ合流して最初のPAである黒埼PAへ。22時45分頃から翌5月10日2時45分頃まで、またも仮眠のためにストップ…。

目が覚めたところで、ふたたび真夜中の北陸道を走行。上越市からは上信越道へと入りますが、この頃からまたしても眠気が…。最寄りの新井PAまで何とか走行して、ここでまたしても仮眠。4時25分頃から7時05分頃まで停まっていました。

夜が明けた新井PA。このPAからは妙高山を望むことができます。5月初旬ですが、まだまだ多くの雪が残っています。


ようやく眠気も覚めてきて、「次のICで下りて、スイッチバック駅の二本木駅へ行ってみるか。」と寄り道することに。

えちごトキめき鉄道の二本木駅へとやって来ました。「ようこそスイッチバックの二本木駅へ」と書かれたのぼりが駅前に立っています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

私が駅に到着した直後、続々と駅前に車がやって来て、車から降りてきた学生たちが駅舎へと入っていきます。

混雑を避けるため、ひとまず駅前に展示されている車輪や転轍機、煉瓦造の危険品庫などを見物。






電車が出発したのを見届けてから駅舎へと入っていきます。


駅舎の説明板。


二本木駅の顔ハメ看板。「さとまる」は二本木駅がある上越市中郷区のイメージキャラクターだそうです。


ホームへ上がると乗客は誰もいませんでした。おかげで、駅構内をゆっくりと見物できそうです




駅名板。駅に隣接する企業にちなんで「日本曹達前」の表示もあります。


ホームの先端まで行って、レールが交錯するスイッチバックの構内を眺めます。


赤線が本線、青線が駅構内への線路と、列車の引き上げ線です。


ホームの待合室にあった鉄道模型。


ホームと日本曹達の敷地の間には何本か側線があります。かつては二本木駅から日本曹達へと専用線が延びていて、原材料の搬入と製品の搬出が行われていました。貨物の取扱いは2007年3月に廃止されたそうです。




最後に駅舎内の写真を撮って二本木駅の見物を終了します。


二本木駅から国道18号へと出て、高速道路には乗らずにそのまま国道を走行していきます。

次にやって来たのは、国道18号妙高大橋下の国道の旧旧道。現在の妙高大橋と橋桁が撤去された旧妙高大橋の橋脚が望めます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ふたたび妙高大橋と旧妙高大橋を見上げます。典型的な田切地形を国道18号とこの背後を通過する上信越道は、高い橋梁で一跨ぎにしていきます。


一方、国道の旧旧道は田切地形の谷底まで下りてから、この谷を流れる大田切川を渡っています。


妙高大橋の下の崖の斜面を国道の旧旧道が横切っています。ガードレールが見えている箇所がそうです。


橋を渡った先にある大田切清水。




大田切清水の脇には、朽ち果てた電光掲示板が草むらに立っています。


「スピードおとせ」とあります。橋梁へ急坂・急カーブで進入していくので、注意喚起のために建てられたのでしょう


ちなみに橋梁を渡って急坂を登っていくと、急カーブの地点にもう一つ同じ内容の電光掲示板が残っています。




ここまで国道の旧旧道の遺物を紹介していますが、そもそも妙高大橋の下へとやって来たのは、えちごトキめき鉄道の太田切橋梁を見物するため。急斜面の雑木林をかき分けて、大田切川のほとりまで下りていきます。

太田切橋梁へとやって来ました。


太田切橋梁は、明治29年(1896年)4月刊行の「鉄道線路各種建造物明細録 第2編」によると明治21年(1888年)8月の竣工。田切地形を流れる大田切川を横断するために建設されました。谷底から線路までの築堤の高さは36m、その築堤を貫く流路のアーチ高は7.8mと、なかなか巨大な建造物です。

そして、その巨大なアーチの天井部の煉瓦には乾いた泥がこびりついています。過去にこの流路を埋め尽くすほどの土石流が発生しているそうで、その名残りなのでしょう。

前回(10年前)訪れた時はアーチ内へと入ることができましたが、前日の雨に雪解け水が合わさったのか、川の流れがなかなかの水量となっていて、間近まで近づくことはできませんでした…。


ふたたび国道18号を走行。途中から国道を逸れて、次にやって来たのは旧信越本線戸草隧道です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

戸草隧道は、えちごトキめき鉄道の戸草トンネルに隣接して残っていて、現在は道路へと転用されています。


戸草隧道は、「鉄道線路各種建造物明細録 第2編」によると明治20年(1887年)11月の竣工で、延長は145.2m。昭和41年(1966年)8月の信越本線電化により廃止されました。


トンネル内部は、側壁が石積み、アーチ部分が煉瓦積みですね。


道路となっているおかげで、トンネル内には照明が点灯しています。




アーチ部分にはSL時代の煤煙がビッシリとこびりついています。


反対側へと出てきました。


このまま次の廃止トンネルを目指していきます。


廃線跡の下をくぐる用水路に石積みアーチを発見。


このアーチは、「鉄道線路各種建造物明細録 第2編」によると「戸草用水」橋梁だと思われます。竣工は明治20年(1887年)5月。


鉄道のガードをくぐっていくと、上を通る路地に石碑が立っているのを見つけ、路地へと入り込みます。


「三界萬霊等」碑とお地蔵さまかな。本来は「三界萬霊『塔』」だと思うのですが、当て字ですかね。


この先、線路に沿って砂利道があり、そこを進んでいった方が次の廃止トンネルへ向かうには近道でしたが、これが線路保守用道路だったりするとよろしくないので、並行して山すそを流れている用水路に迂回して歩いていくことにします。


廃止トンネルが近づいてきたところで、用水路は急に左へとカーブしてトンネル内へと消えていってしまいました。


この用水路、実は「戸草用水」橋梁の下を流れていた用水路。ネットで検索してみたところ「芋川用水」という名称だそうです。開削されたのは、天正8年(1580年)と慶長8年(1603年)説があるそうですが、どちらにしても400年以上の歴史を誇る古い用水です。

トンネルの坑門をアップすると小さな扁額が取り付けられていました。「芋川堰隧道」とあります。延長は1012mだそうです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、芋川堰隧道へと向かう用水路は、実に不自然に左折しています。そして、正面には何となく平場が続いているように見えます。


2つ目の廃止鉄道トンネルを見にいくという目的からは外れますが、気になってしまうと確認せずにはいられません(笑)。

薮となっている平場へ入り込んでいくと奥に何か見えます。


石積みのトンネルが現れました。思わず「にやっ。」としてしまいます(笑)。


この石積みトンネルはアーチ形状ではありません。明治時代以降の建設であれば、通常は石材でも煉瓦でもアーチ形状に積まれています。用水開削時に隧道も建設したとあるので、もしかすると開削当時に遡る古いトンネルなのかもしれません。


興味深い物件でしたが、見物するのはこれくらいにして、ようやく次の廃止トンネルへとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

大廻隧道です。「鉄道線路各種建造物明細録 第2編」によると明治20年(1887年)11月の竣工。


一般道路として利用されている戸草隧道と違って真っ暗。ある意味、往時の状態を残していると言えるかもしれません。


こちらのトンネルもSL時代の煤煙が天井にこびりついています。


退避坑。当然、煤煙で真っ黒。


反対側の坑門。


それでは車へと戻ることにします。








車へと戻ってきました。さて、次はどこへ立ち寄りますかね。ひとまず国道18号へと出て、長野盆地へと向かいます。
Posted at 2025/06/26 23:22:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記

プロフィール

「旧中央本線「大日影トンネル遊歩道」を散策しました http://cvw.jp/b/1796277/48565476/
何シテル?   07/27 00:26
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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甚目寺と名鉄築港線東名古屋港駅 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/04/19 15:27:31

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