2026年5月16日土曜日、愛媛県新居浜市にある旧別子銅山の東平(とうなる)地区と旧端出場(はでば)発電所を訪れました。
別子銅山は、1694年(元禄4年)に開坑した銅山で、1973年(昭和48年)の閉坑までに約65万トンの銅を産出し、日本三大銅山の一つと言われました(あとの2つは、足尾銅山と日立鉱山。)。また、銅山を経営していた住友にとっては、巨大財閥となる足掛かりとなりました。
この場所もずっと以前から一度は訪れてみたいなと思っていましたが、なんだかんだとずっと訪れないままでした。「とりあえず一度は行っておくかなぁ。」と不意に思い立ち、特に具体的な予定を立てないまま現地へと向かいました。
自宅を出発したのは5月15日金曜日夜。この日の仕事は遅番で帰宅したのは20時20分頃。晩御飯食べて洗濯機回して風呂に入って、出かける準備をそそくさと済ませ、23時40分頃に家を出ました。
ところが、それほど時間が経っていない伊勢湾岸道を走行中に、仕事の疲れが出てきたのか、ものすごく眠たくなってきてしまい、結局、湾岸長島PAで1時間半仮眠する羽目に(笑)。
その後は、おおむね順調に新名神・山陽道・瀬戸中央道(瀬戸大橋)・高松道・松山道と走行。新居浜ICで高速道路を下りて、旧別子銅山 東平地区へ。
16日10時05分頃、東平地区にある観光客用駐車場に到着しました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
旧別子銅山 東平地区は、現在「マイントピア別子 東平ゾーン」として観光客向けに公開されています。
日射しが厳しいですが、さっそく遺構を見物して回ります。
こちらは、かつてのインクラインの跡。現在は見学用通路の階段となっています。
インクラインとは、斜面にレールを設置し、そのレール上を移動する台車によって荷物等を昇降させる施設です。作動原理はケーブルカーと同様のようですね。
急坂であるインクライン跡の階段を一番下まで降りてきました。
こちらは、索道基地跡。索道(ロープウェイ)は、麓側の拠点との間で、採掘した鉱石や資材・生活物資の運搬に活躍しました。
貯鉱庫・選鉱場跡の壁面。巨大です。
先ほど見上げていた壁面の上段へと上ってきました。
煉瓦造りの塔と壁面の間には窪みが設けられています。今は土砂に埋もれていますが、かつてはこの窪みへ鉱石を流し込んでいたのでしょう。
この煉瓦の塔は何らかの設備の土台だったのでしょうが、説明板が見当たらなかったので、用途は不明です。
塔の内部には、石や土砂が詰められていたみたいです。
さらに上段側の壁面を見上げます。説明板には貯鉱庫跡とあります。
貯鉱庫へ向けて鉱石を落としていた落とし口の跡のようです。
上段へと上り、落とし口を見下ろします。まさに滑り台ですね。
貯鉱庫・選鉱場跡の全景です。
貯鉱庫・選鉱場跡の見物を終えて、次の場所へと向かいます。
やって来たのは「小マンプ」。「マンプ」はトンネルの意味ですね。
トンネルの内部には、鉱山で使用されていた車両や各種機材が展示されています。
反対側へと出てきました。
「小マンプ」からしばらく歩くと「喜三谷」と呼ばれる谷に出ます。
この川はこの小さな滝の先で暗渠となっていて、暗渠の上は広場となっています。現在は登山者向けの駐車場として利用されています。
この広場の傍らにあるのが「大マンプ」。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
このトンネルは門扉で封鎖されているので、隙間から内部の写真だけ撮っておきます。
本当はトンネルを通れると次の目的地への近道なのですが、ここからは山肌に沿って続く道を進んでいきます。
次の広場へと出てきました。
けっこうな広さがある広場ですね。昔の地図によると、この広場にはかつて採鉱本部や社宅、鉱山鉄道のヤードがあったようです。
広場の傍らには、先ほど覗き込んだ「大マンプ」の反対側の坑口があります。本当にこのトンネルを通ることができれば、一直線でこの場所へと出て来られたんですけどね(笑)。
広場の反対側へと来ました。
ここには、大まかな東平地区の案内図があります。
八角形をした謎の煉瓦構造物。
川の傍らにあるので井戸とは考えにくいですし、貯水槽というのも違う気がしますね。一体何なのか…。
東平地区の一番奥にある「第三通洞」に到着しました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
「第三通洞」は、1894年(明治27年)から1902年(明治35年)にかけて開削されたトンネルで、延長は1,795mあります。
このトンネルの開通により、標高750mの高地にある東平地区は別子銅山の拠点の一つとなり、1916年(大正5年)から1930年(昭和5年)にかけては採鉱本部が置かれていました。
「第三通洞」の要石には、住友財閥の商標である「住友井桁」が彫られています。
トンネル内部を覗いてみます。
壁面に「第3通洞閉塞工事」のプレートがありました。内部は物理的に封鎖してしまったという事なのでしょう。
「第三通洞」の前から分岐していく山道へも少し入り込んでみます。
粗いですが石畳が敷かれています。この山道も、かつては鉱山用の道だったのでしょう。
石積みの堰堤があります。砂防ダムなのでしょうか。
この堰堤の対岸の斜面にも謎の煉瓦構造物がありました。
どんどん奥へと進んでいきたくなるような山道ですが、今回は引き返します。
「第三通洞」の前まで戻ってきました。ふと目の前を流れる川に目をやると水路トンネルがありました。先ほどの喜三谷と同じく、ここも川を暗渠化し、その上部に土砂を盛って谷を埋め立てることで平地を造り出していたわけです。
広場まで戻ってきました。
次に来たのは、旧第三変電所。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
外壁が煉瓦造りなので、大正時代以前の建築でしょうか。ちなみに、この建屋は開放されていて、内部を自由に見物することができます。
建屋内部の様子。当然ですが、機器類は撤去されていました。
かまどや畳が残っています。変電所なので、宿直で一夜を過ごす社員も居たのでしょう。
反対側の出入口です。建屋へと入り込んだ出入口よりもこちら側の方が造りが立派なので、入ってきた側が勝手口で、こちら側が玄関なのでしょう。
建屋の側面。
旧第三変電所の見物はここまでにして、もうしばらく周辺を歩き回ってみることにします。
※(2)へ続く。