2026年7月25日土曜日、兵庫県洲本市由良町に残る旧陸軍「由良要塞」の遺構群の一つである赤松山堡塁跡へ至る軍道と堡塁跡を探索しました。
前回(1)では、山の中の斜面に残る煉瓦アーチの暗渠まで到達しました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
標石。今までのような石造物ではなく、コンクリート造です。
路上に太い根が張り出しています。この軍道が使われなくなってからの長い年月を感じさせます。
この辺りは道の状態が良いですね。
と思いきや、前方の斜面が荒れた様子です。
土砂崩れで軍道の路面は無くなっていました。横断するには特に支障はなかったので、そのまま進んでいきます。
この石、側面を削って加工したように見えますが、どうなんでしょうか。
石造りの暗渠です。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
暗渠を渡ってから、ふと沢の下流側へと目をやると、円形の構造物が見えます。「見た以上、素通りできないなぁ…。」ということで、近寄ってみることにします。
外側は煉瓦で組まれています。場所からして井戸のような気がしますね。
これは間違いなく井戸ですね。沢の伏流水を汲み上げて利用したのでしょう。内部の上半分はコンクリート塗り。下半分は石積みです。
まだまだ登っていきます。
今までと大きさ・形状が違う標石を発見。上半分が欠けていますが、下部には「所轄地」と彫られています。
道が二股に分かれていますが、まだまだ登っていく必要があるので左側へと進んでいきます。
また標石がありました。今度の標石はすべて文字が残っていて「陸軍省所轄地」とあります。先ほど見かけた標石も同文でしょう。
久しぶりにヘアピンカーブが現れました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
しばらく進むと折り返すようにまたヘアピンカーブ。
木々の間からは空しか見えないので、もう間もなく目的地に到着するはずです。
駐車場所から歩くこと約1時間45分。ようやく赤松山堡塁跡に到着しました。
赤松山堡塁は、1893年(明治26年)に起工され、1894年(明治27年)に竣工しました。設置目的は、南側に隣接する伊張山堡塁と連携し、堡塁の西側・北西側から陸上を侵攻してくる敵勢力を排除することでした。
しかし、早くも日露戦争(1904年〜1905年)後、同戦争により得られた知見、要塞設置時よりも戦術・技術が進歩したこと、日本の勢力圏が国外に向けて拡大したために本土の海岸防備に対する考え方が変化したこと等を受けて、要塞の整理について検討されるようになりました。
そして、赤松山堡塁は「担当する目的はもはや深く顧慮する必要が無い。」として整理対象となり、1914年(大正3年)には配備されていた大砲が全て撤去され、1932年(昭和7年)3月に「全部除籍」となってしまいました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
さっそく堡塁内部を見物していきます。出入口に近い平場には建物の基礎らしきものは残っていますが、一面に大量の煉瓦や石が瓦礫となって散らばっています。
これは、生石山砲台跡と同じく、戦後に旧日本軍の武装解除の一環として連合国軍により破壊されたためです。
こちらは便所の跡。
交通壕を進んでいきます。交通壕は、敵襲を受けずに堡塁内を移動できるように土塁で囲まれた通路です。
前方に窪みが見えてきました。
両壁面は石積みの擁壁となっています。
穴が設けられています。アーチ部分は煉瓦ではなくコンクリート造り。
中を覗いてみます。こちらは堡塁外周の交通壕と堡塁中央部をつなぐトンネルだそうです。残念ながら奥は土砂で埋まっていました。
低い位置にトンネルがあるのは、外部からの攻撃に晒されずに行き来できるようにするためなんでしょうね。
ふたたび交通壕を進んでいきます。
土塁に石組みの排水溝が設けられています。
なかなか立派な石積み擁壁です。
堡塁跡の中央部へとやって来ました。こちらも破壊されていて、大きな瓦礫がゴロゴロしています。
こちらは井戸の跡。完全に埋まっていますね。
こちらは井戸の横にある濾過槽。文字通り、井戸からくみ上げた水を濾過して浄水し、飲料水を確保していました。
倒木が覆いかぶさってしまって、なおさら状態がわからなくなっています。
付け焼き刃の知識でよくわかりませんが、これは棲息掩蔽部なんですかね。
内部はボロボロです。
この辺りは潰れてしまって、何が何だかわかりません。
煉瓦塀があります。
このスロープへと進んでいってみます。
この辺りも相当破壊されていて、元の状態が想像できません。
こちらも煉瓦塀が巡らせてあります。塀に設けられている穴は、弾薬等の一時的な置き場所だそうです。
これにて赤松山堡塁跡の探索を終了します。
時刻は15時を過ぎたところですが、密生するウバメガシのおかげで周囲はすでに薄暗くなりつつあります。少しでも早く由良の街へと戻るため、往路とは違うルートで山から下りることにします。
赤松山堡塁跡から少し下って、細道が分岐している所まで戻ってきました。ここから細道へと入り込んで堡塁跡の東側にある沢筋へと下り、直線的に駐車場所へと戻る腹積もりです。
この道を歩き始めた頃は細い道筋でしたが、途中から幅広くなってきました。
この道は赤松山堡塁跡と由良の街を直線的に結ぶルートなので、もしかしたらこのルートも軍関係の道なのかと思いましたが、標石などの証拠は得られませんでした。
ただ、この不必要に広い道幅は、この山の中を通る徒歩道としては不自然な感じがするので、やはり赤松山堡塁跡と由良を結ぶルートの一つとして軍が関わって整備されたものだという気がします。
尾根筋を通るのはこの場所で終わり、道筋は沢底へと向かって下っていきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ヘアピンカーブ。
沢が近づいてくるに従い、だんだんと道筋があいまいになってきました。
砂防ダムを通過。
とにかく歩ける道筋を進んでいきます。
道路まで出られるのか少々心配になってきていましたが、無事に合流できました。
駐車場所へと戻ってきました。
今回の探索ルートの全体図です。移動距離は約6km、時間は3時間10分でした。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
帰り道は、淡路ICまで淡路島の東海岸の景色を眺めながら国道28号を走行。明石海峡大橋を渡り、山陽道 淡河PAで晩御飯を食べてからしばし仮眠。翌日の午前1時30分頃に帰宅しました。