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小林あにのブログ一覧

2026年04月26日 イイね!

【2026年】ラリー三河湾へ参戦してきました

2026年2月28日(土)~3月1日(日)に開催された全日本ラリー選手権「ラリー三河湾2026」にドライバーやすい氏と共に参戦してきました。

さて、私たちコンビは、2016年のTGRラリーチャレンジ福島戦でラリーデビューを飾り、その後は毎年TGRラリーチャレンジへの参戦を断続的に続けていました。

そんな中でドライバーやすい氏から、「記念的な意味合いでいいから、一度は全日本戦に出てみたいよね。新しくラリー三河湾が開催されるし出てみない?」とのお誘いが。2024年初開催のタイミングを狙って申し込みをしましたが、この時は不受理となってしまいました。申し込み多数なことに加えて、経験不足と判断されたのかもしれません。

その後、ドライバーやすい氏から「TGRラリーでのSS走行距離は短くておもしろくない。2024年からは地方選手権に出よう。」との話が。確かに丸1日走行しても、総SS距離は10kmにも満たないのが当たり前になっていましたからね。それに、企業系やディーラー系チームの参戦が増えて、申し込み倍率が高すぎる問題もありましたから。

そういうわけで、2024年からは中部近畿ラリー選手権の併催シリーズへの参戦に移行。SS距離は毎戦20km~30kmは設定されていて、満足感がありました。その分、コドラとしてはペースノート作成やリーディングなどで、悩ましい要素も増えましたけどね。最終戦ではクラス優勝できました。

2025年、私は中部近畿ラリー選手権に1戦出ただけですが、ドライバーやすい氏はサービス担当してくれているショップさんの要望で、違うコドラと組んでTGRラリーへ参戦。さらにドライバー仲間からの依頼でWOMEN'S RALLY in恵那にも違うコドラと組んで参戦し、DE-2クラスで優勝しました。

こうして、地方戦での参戦経験や実績を積んだわけですが、ドライバーやすい氏から「2026年のラリー三河湾、申し込みどうする?」とふたたび話があり、「休みは確保してあるよ。」と申し込みに賛同。

今回は、使用しているトヨタ・スプリンタートレノAE92が該当するということで、ヒストリッククラスで申し込み、無事に受理されました。

2月26日(木)、この日はラリーに必要な物品などの積み込み。と言いつつ、私は手が欲しい時だけちょっとお手伝。ドライバーやすい氏は積み込み時のパッキングにこだわりがあるし、私はどの機材を持参するのかわかりませんから。

積み込みの合間に、私は本番でのタイヤ交換に備えて、車載タイヤの積み下ろし手順とジャッキの準備方法について確認。タイヤを留めるバンドのラチェットをひたすら緩めたり締めたりしていました(笑)。


積み込みが終わったら、二人揃ってサービスパークが置かれる蒲郡市のラグナマリーナへと移動し、参加確認の手続きをしてきました。現地は会場設営の真っ最中ということもあり、受付場所のサテライトHQもてんやわんやの状態でした。

この後はサービスを担当する「ツールボックス」さんへ向かい、サービス要員の現地との行き来の方法と車検やサービス内容等について軽い打ち合わせ。この日はこれにて解散となりました。

2月27日(金)。いよいよラリー三河湾がスタートします。この日は自宅を早朝4時に出発して、サービスパークとなるラグナマリーナへは5時に到着。

5時30分過ぎ、レッキ(下見走行)受付。ロードブックとレッキ用ロードブックを受け取り、レッキ車にレッキ用ゼッケンを貼付して出発します。全日本ラリーではレッキに競技参加車両を使用できないので、レッキ車としてランエボを「ツールボックス」さんに借りました。




レッキは全SSコースを2周して、必要なコース状況をペースノートに記録していきます。今回のSS総距離は73.12kmなので、レッキでは2倍の146.24km走行することになります。ちなみにレッキ用ロードブックによるとレッキでの総移動距離は192.60kmになります。

それではレッキ中にあった出来事などを。

SS4・8「幸田深溝運動公園」のレッキ。
私は、普段SSコース内のレッキではロードブックを見ることは無いのですが(まず見る必要がない。)、このSSはコース内に多数のジャンクションが存在しています。

そのため、膝の上にロードブックを広げてページをめくりながら、コマ図と距離を確認してドライバーやすい氏に走行方向を指示しつつ、彼が読み上げるコース状況をペースノートに書き込んでいくという、なかなかに手間な作業を強いられました。


SS11・15「愛知こどもの国」のレッキ。
スタートしてからしばらくの区間はルート内を往復するコース設定のため、レッキ車両のコースインを制限。スタート付近が大渋滞する。

SS5・9「がまごおり竹島」のレッキ。
このSSは慣熟歩行形式でのレッキ。このコースで我々のラリーの師匠とも言えるK選手とすれ違い。「お揃いの柄の服を着てますね(笑)。」と言われ、「たまたま柄が似てるだけで服は違うでしょ!」と返す。

14時前に全SSのレッキ完了。この後は車検、セーフティ講習会、開会式、セレモニアルスタートと行事が続きます。ちなみにセーフティ講習会以降の行事はサービスパークとは別会場になります。

ちなみに、セレモニアルスタートのためにセーフティ講習会・開会式会場にはラリー車で向かう必要があったのですが、車検の指定時間がセーフティ講習会の時間に被るという無茶なスケジュール設定。

もとから車検はサービス担当の方に任せる予定でしたが、乗っていく車が無いため、レッキで使用したランエボで会場へ向かって、車検終了後に乗ってきてもらって車を交換することにしました。

17時30分からセレモニアルスタート開始。私たちは81号車なのでゲートを通過したのは18時50分頃。ドライバーやすい氏、ご機嫌でインタビューに答えていました(笑)。


2月28日(土)、ラリー三河湾1日目。この日は自宅を5時40分頃に出発して、サービスパークとなるラグナマリーナへに6時55分頃に到着。


この日は9SSで走行距離は38.84km、総移動距離は109.67kmです。


サービスの設営やスタートの準備も終わり、スタート時刻を待ちます。


先行してスタートする上位車両を見送ります。




10時07分、サービスパークにあるセレモニアルゲートをくぐり、ラリーをスタートしていきます。私にとってはラリー参戦46戦目、初めて全日本と同じ舞台でのラリースタートとなります。


1日目の出来事などについて記します。ラリー中はあまり余裕が無かったので、写真はありません。

SS1「キズナ1」。距離:0.60km。タイム:48秒5(Ave44.5km/h)。
スタートの進行がさっそく遅延する。10時22分スタート予定が10時29分スタートとなる。そして、前走車とのスタート間隔が2分間だったものが、1分間に詰められてスタートしました。

SS1から移動して、SS2の入口にあるTC(タイムコントロール)2に到着。

このTC2からSS2のスタート地点までの間には、TGRラリーや地方戦では全く見かけたことがない、TWZ(タイヤウォーミングゾーン)が設定されています。


ラリー三河湾では、「キズナ」、「がまごおり竹島」と「愛知こどもの国」以外のSS前に設定されています。

TWZは、SSスタート前にタイヤやブレーキのウォーミングアップをするために使用してよい区間で、WRCなどでSS前に車を豪快に蛇行させたり急ブレーキを繰り返したりする映像を見たことがある方もいると思います。

ドライバーやすい氏も、主にブレーキへの熱入れのために急加速・急ブレーキを繰り返していました。

SS2「神ノ郷坂本」。距離:6.88km。タイム:7分50秒7(Ave52.6km/h)。
途中で前走車に追いついてしまう。幸い、間もなくラジオポイントがあり、そこでパスさせてもらう。
SS終了後、ドライバーやすい氏から「コース中に『読むのが遅い!』と言った後は良かったけど、読むタイミングが遅い。特に高速コースだとタイム的にも安全面でも致命傷になるから気を付けてほしい。」と指摘される。
CROへSS中に前走車に追いついてしまったことを報告しておく。

ちなみにCRO(コンペティター・リレーションズ・オフィサー)とは、選手と主催者の仲介役で、「競技中にトラブルや確認したいことがあったら、速やかにCROへ連絡するように。」と言われている存在です。

SS3「岡崎とぼね1」。距離:6.57km。タイム:6分11秒2(Ave63.7km/h)。
他車がコースオフしていた左コーナーで泥に乗りスライド。斜面に軽く乗り上げるがバックしてコース復帰する。

SS4「幸田深溝運動公園1」。距離:4.80km。タイム:3分56秒1(Ave73.1km/h)。
コース内にあるグランドの外周路へと入る右鋭角コーナーで、路上に掻き出されていた砂利に乗ってアウト側の側溝へ脱輪。勢いでそのまま脱出して走行を続行。
SSゴール後にドライバーやすい氏が腰痛を訴える。SSコース前半の高速区間で車がジャンプした際に痛めたかもしれないとのこと。以降のSSでも時々腰痛を訴える。

サービスパークへのリエゾン(移動区間)中。
コース上に指定給油所が設定されていたが、この時点で私たちは給油不要。ただ、ラリーによっては給油が必須となっているケースもあるため(今回そのような指示は無かった。)、念のために「このまま通過してしまっても良いのか。」とCROへ電話で確認。「コマ図どおりにガソリンスタンドを通過してから、次のコマ図へ進めばよい。」と指示される。


セクション1が終わってサービスパークに帰着。技術本部へ車両整備報告書を提出後、ブレーキパッドの交換とブレーキフルードの補充・エア抜きを実施。SS2でコースオフした際に当ててしまった右側のフロント周りには異常はありませんでした。

ラリー1日目セクション1のタイムカード。




サービスパークからSS5へのリエゾン中。
渋滞でTCインの時刻に間に合いそうになかったため、CROへ到着遅延するかもしれないと連絡をしておく。

SS5「がまごおり竹島1」。距離:0.87km。タイム:55秒1(Ave56.8km/h)。
SS2で追いついてしまったことを受けてか、前走車とのSSスタート間隔が2分間に戻る。コース中にある8の字ターンの2つ目でサイドブレーキが解除されず、軽くスピンしてしまう。

SS5からSS6へのリエゾン中。
市街地での渋滞でTCインの時刻に間に合いそうになかったため、CROへ到着遅延するかもしれないと連絡をしておく。

結果的に間に合わず、到着しだいすぐにTCインしたが、5分遅着となる。TC6は多くの車両が遅着する状況だったため、公式通知により全車遅着ペナルティは免除となる。

SS6「神ノ郷坂本2」。距離:6.88km。タイム:8分13秒1(Ave50.2km/h)。
スタートポストでタイムカードに記入されたスタート時刻が前走車の1分後だったため、2分間隔になったことを申告し、スタート時刻を修正してもらう。

SS7「岡崎とぼね2」。距離:6.57km。タイム:6分11秒5(Ave63.6km/h)。
1回目にコースオフしそうになった左コーナーに落ちていた車が2台に増えていた。

SS8「幸田深溝運動公園2」。距離:4.80km。タイム:4分00秒1(Ave71.9km/h)。
グランド外周路から対向二車線の一般道へ合流する地点に深いギャップがあるが、1回目走行時よりも速い速度で進入したら、車が大きく跳ねて慌てる。
ちなみに、1回目の走行時にこのギャップの先で青いスイフトが豪快に頭から突き刺さっていたが、2回目走行時も突き刺さったままだった(ものすごく車が跳ねたんだろうな…。)。

SS8からSS9へのリエゾン中。
またしても渋滞でTCインの時刻に間に合いそうになかったため、CROへ到着遅延するかもしれないと連絡をしておく。

SS9「がまごおり竹島2」。距離:0.87km。タイム:56秒3(Ave55.6km/h)。
8の字ターンからさらに右・左と曲がって道路区間へ向かう際、目に入った空き地を道路と錯覚して直進しそうになる。

SS8からサービスパークのTC9Aへのリエゾン中。
またしても市街地で渋滞。TCインの時刻に間に合いそうになかったため、CROへ到着遅延するかもしれないと連絡をしておく。結果的に5分遅着する。

TC9Aも多くの車両が遅着する状況だったため、公式通知により全車遅着ペナルティは免除となる。

最終サービスに帰着。
SS4で側溝に落とした左側の足回りや下回りをチェック。特に異常なし。


最終サービス終了後、オーバーナイト・リグループのためパルクフェルメ(車両保管所)へ車を移動し、ラリー1日目が終了。

ラリー1日目セクション2のタイムカード。




3月1日(日)、ラリー三河湾2日目。この日は自宅を5時30分頃に出発して、サービスパークとなるラグナマリーナへに6時30分頃に到着。


この日は7SSで走行距離は34.28km、総移動距離は136.89kmです。


この日の朝は私たちのテントの横がちょうどサービスパーク・インのTC。パルクフェルメ・アウトした上位陣が次々とTCインしていきます。


私たちは8時08分にパルクフェルメ・アウトして、8時18分にサービス・イン。15分間のサービスの後、8時33分にサービスパークを出発していきます。


SS10「三ヶ根山スカイライン1」。距離:4.38km。タイム:3分24秒5(Ave77.1km/h)。
ペースノートを途中でロストし、ゴールまで復帰できず。ドライバーやすい氏「話にならない…。もしロストしたら、すぐに『ロストした!』と言ってくれ。」。

SS11「愛知こどもの国2」。距離:2.38km。タイム:2分04秒0(Ave69.0km/h)。
SSの進行が約20分遅延。その影響でSSへのTC付近で大量のラリー車が滞留していたため、徒歩でTCへ向かい、定刻どおりにチェックインだけ済ませておく。

SS12「三河湾スカイライン1」。距離:10.08km。タイム:6分24秒2(Ave94.4km/h)。
今回のラリーで最も高速なステージ。ペースノートに注意箇所を1か所追記しただけで、特にトラブルなく完走。

SS13「キズナ2」。距離:0.60km。タイム:47秒5(Ave45.4km/h)。
特にトラブルなく完走。

セクション1が終了し、サービスパークへ帰着。ブレーキ等不調な点は無かったので、タイヤの空気圧など基本的なチェックのみ実施。
私は三ヶ根山スカイラインのレッキ動画とペースノートの突き合わせ。ロストした原因が判明し、ノートの内容を修正。

ラリー2日目セクション1のタイムカード。




SS14「三ヶ根山スカイライン2」。距離:4.38km。タイム:3分26秒2(Ave76.4km/h)。
ペースノートの修正が効いて、2回目の走行ではロストなし。

SS15「愛知こどもの国2」。距離:2.38km。タイム:2分00秒8(Ave70.9km/h)。
特にトラブルなく完走。

SS16「三河湾スカイライン2」。距離:10.08km。タイム:6分22秒2(Ave94.9km/h)。
最終SSも特にトラブルなく完走する。

ラリー2日目セクション2のタイムカード。


ラリー結果は、総合タイム1時間03分32秒0(Ave69.0km/h)。クラス2位に4分22秒9差を付けてクラス優勝しました。

サービスパークへと戻ってきて、セレモニアルゲート前でフィニッシュ通過の順番待ち。他のクラス優勝者がインタビューを受けているのを見て、「インタビューされたりしないよな。俺たち最後のクラスだし。」などと話し合いつつ、特に何の指示も無かったのでそのままゲートイン。

そうしたら、前方にいるカメラマン達から「車を降りて。」と促されて降りると、今度は「ドアを開けて車に乗って、『1番』と人差し指立てて。」と指示され、サイドシルに乗って記念撮影。「これで終わりかな。」と思ったら、シャンパンファイト用の発泡日本酒「空」を渡されました。

それと同時にインタビュアーさんが近づいてきたところ、シャンパンファイトを始めてよいのかと勘違いしたドライバーやすい氏が瓶を振り始めたため、インタビュアーさんがたじろぐ場面も。

クラス優勝者のインタビューを二人とも受けた後、あらためてシャンパンファイト。「車とレーシングスーツに掛けるのは止めておこう。」と話をして、無難に周囲へまき散らしました(笑)。

セレモニアルゲート通過後に「空」2本をサービス隊へと渡し、パルクフェルメへと移動して駐車。これでラリー三河湾の全行程が終了しました。




こちらがクラス優勝のトロフィー。発泡日本酒タイプの「空」も非売品なので、これもトロフィーと言えるかもです(笑)。


ちなみに、トロフィーなどはセレモニアルフィニッシュで渡されたわけではなく、パルクフェルメに車を置いてから受け取りに行ってきました。

特別規則書に「ラリーHQで授与する。」とあったので、サービスパークから300m離れた建物内にあるHQまで歩いていって、「ヒストリッククラス優勝者です。トロフィー受け取りに来ました。」と尋ねたら、「申し訳ないですが、トロフィーはサービスパーク内にある『サテライトHQ』で渡しているそうです…。」とのこと。仕方がないので、今度はサテライトHQまで400m歩いて、2人分受け取ってきました。

まあ、いつものラリーのごとく、ドライバーやすい氏にはいろいろと迷惑を掛けましたが、全日本戦(正しくは併催の選手権外クラスですが。)初出場ながらクラス優勝という望外の結果が得られて本当に良かったです。

しかし、レッキを含めて3日間のラリーは初めてでしたし、SS総距離も今までに経験した30km台から一気に倍の73km。本当にくたびれました…。

次のラリー参戦は未定ですが、これでまた経験が積めたので、今後の参戦時は多少でもコドラのレベルが上がればなと思っています。

※おまけ
SS4・8「幸田深溝運動公園」のペースノート








SS11・15「愛知こどもの国」のペースノート。




Posted at 2026/04/26 20:33:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラリー三河湾 | 日記
2026年04月25日 イイね!

【奈良県十津川村】北又谷の木馬道跡を探索しました(2)

2026年2月22日日曜日、奈良県吉野郡十津川村にある北又谷に残る木馬道の跡を探索してきました。十津川村を訪れるのは、立合川右岸の木馬道跡を探索した2023年12月9日以来です。

この谷を探索することを決めたきっかけは、この谷を探索する短い動画を「X」で見かけたこと。片洞門(岩壁を抉って道を通している所。)が興味を惹きました。

さて、厄介な土砂の山を越えて、さらに木馬道跡を進んでいきます。また前方に土砂の山が見えていますが、こちらはさほど気を遣うこともなく越えていきます。


木組みの橋が残る場所が現れました。見た感じ、木馬道として利用されていた頃の遺構と思われます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

けっこう朽ちてきていますが、竿(木馬道に設置されていた、縦方向の材木のこと。)には打ち付けられた釘がたくさん残っています。


盤木(横木)はすべて無くなっています。盤木は釘で竿に打ち付けられていたのか、釘をストッパーとして竿の上にただ置かれていただけなのか、よくわかりません。


橋の対岸の岩を登るのはちょっと難儀しそうな感じたったので、木橋の下をくぐり、そのまま石垣の下端に沿って進んでいきます。




岩の切り取り工が続きます。この辺りも山側の斜面が苔むしています。




またまた木橋の跡が見えてきました。


この橋跡もだいぶ朽ちてきています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この橋も釘はしっかり残っていますが、やはり盤木は全く残っていません。ここは材木を手すり代わりにして、対岸へと渡っていきます。


路肩が欠損している場所が現れました。残っている幅は50cmくらいでしょうか。しばらくこの場に留まって迂回すべきか考えていましたが、あまり下を意識しないようにして慎重に進んでいきます。


肝を冷やしつつ難所を越えると、ようやく目的地である片洞門が見えてきました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

頭上の岩は荒々しく削り取られていますが、路盤はフラットに整形されていて、おもしろい対比ですね。


覆いかぶさる岩盤から受ける圧迫感がすごいです。このような危険箇所を何か所も強引に開削してでも、北又谷の奥にある森林資源を搬出したかったわけですね。




岩盤のオーバーハングが緩くなってきました。


片洞門区間を通り抜けて程ない場所で、木馬道跡は途絶えてしまいました。


木馬道跡の先端に立って対岸を眺めると石垣があります。どうやら、木馬道はこの場所から対岸へと渡っていたようです。


さらに奥の方を眺めてみると、石垣道が上流へと続いていました。


正直、さらに奥へと進んでみたかったのですが、この場所は木馬道跡と河原の高低差がそこそこあり、降りることは何とかできたとしても、登り返すにはロープでも使わないと難しそうだったため、この先へと進むことは断念しました。

木馬道跡が途切れた場所から少し戻ってみると、石積み橋台が残っていました。


橋台の上から対岸を眺めると、正面に対岸の石積み橋台が見えました。


今回の探索はこれにて終了とし、引き返すことにします。




ところが、この写真の先にある、往路では通過できた幅約50cmの箇所を越えられなくなってしまいました。今度は崖の高度感に恐れをなしてしまったのです…。


どうしても通過できる気分にならなかったので、仕方なく迂回できる場所を探し、何とか河原へと降りることができました。それならばと、片洞門を下側から見上げてみることにしました。


いやぁ、下から見上げてもすごい造形ですね。岩盤の突端部分を木馬道が通せる分だけくり抜き、路盤の下は高い石垣。岩盤を削り込んでいったのが先か、石垣を積み上げたのが先か。どっちなんでしょうかね。




幅が約50cmになった箇所を見上げています。下から見上げると、路肩部分は草の根などが絡んだだけで宙に浮いていますね。行きはちゃんと山側に寄って通過しておいて良かった…。


片洞門までの区間では最後だった橋跡を見上げています。


炭焼き窯の跡。今までに見てきた炭焼き窯の跡の形状は円形のものばかりでしたが、これは三角形ですね。


せっかく木馬道跡へと復帰しましたが、この橋はやはり渡るのは難しそうですね。道を少し引き返して、河原へと迂回します。


沢をよじ登っていくのはなかなか大変でしたが、下る方はルートがより見つけづらく、また岩から降りる時も足元の確認が難しくてもっと大変でしたね。


木馬道跡の対岸へと迂回します。


また三角形の炭焼き窯跡がありました。


崖に付けられていた細道。おそらく、先ほど見た炭焼き窯へ行き来するための道だと思われます。


この道を降りれば木馬道跡へと戻れそうです。しかし、この細い道でこれだけ高い場所を通るのは嫌過ぎます。もう一度上流へと引き返して、川を下れる場所を探し直します。

この後も川と木馬道跡との間を行ったり来たりしながら、少しづつ下流へと進んでいきました。


最初に木馬道跡に取り付いた場所まで戻ってきました。ここで車へと戻らず、さらに下流方向へと続く木馬道跡を追うことにします。


岩がゴロゴロ転がる沢を越えていきます。奥へと続いていく石垣が良いですね。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

路盤が削れてますね。まあ、この程度なら平気です。


先ほど通過した沢を振り返ります。沢の流れに破壊されたのか、石垣の下に崩れた石がいくつも転がっています。


平穏な景色になりました。


道が二股に分かれています。木馬道跡は右側ですね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

路上が一面、石に埋もれていますね。


斜面を見上げるとはるか上まで岩に覆われています。雪崩のように崩れてきたら恐ろしいですね…。


また沢に遭遇しました。木馬道跡は石に押し流されたのか見当たりません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

どうやら木馬道跡の下流側の終点に着いたようです。もう少し先まで踏み込んでみましたが、道跡のような平地は全然ありませんでした。


道路まで降りて、車へと戻ることにします。


無事に車まで戻ることができました。


今回の探索の移動距離は約6.6km、探索時間は約6時間40分でした。探索ルートの全体図はこちら。


探索が終わった後は、国道311号沿いにある道の駅「熊野・板屋九郎兵衛の里」まで移動。

疲れたので軽く仮眠するつもりでしたが、久しぶりの全身運動だったためか両足がつり始めて、とても運転できる状態ではなくなってしまいました。

仮眠どころか症状が治まるまで車の中でのた打ち回ることになり、結局、落ち着くまで3時間ほどの停車を余儀なくされました(笑)。
Posted at 2026/04/25 22:45:10 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2026年04月18日 イイね!

【奈良県十津川村】北又谷の木馬道跡を探索しました(1)

2026年2月22日日曜日、奈良県吉野郡十津川村にある北又谷に残る木馬道の跡を探索してきました。十津川村を訪れるのは、立合川右岸の木馬道跡を探索した2023年12月9日以来です。

この谷を探索することを決めたきっかけは、この谷を探索する短い動画を「X」で見かけたこと。片洞門(岩壁を抉って道を通している所。)が興味を惹きました。

さて、いつもだと早起きして現地へと向かうパターンなのですが、今回は早めに現地近くまで移動し、仮眠してから向かうことにしました。

自宅を21日土曜日21時55分頃に出発。三重県熊野市の道の駅「熊野 花の窟」に22日0時50分頃に到着し、6時半頃まで仮眠していました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

道の駅の前に広がる海岸から眺める日の出。


道の駅を7時15分頃に出発し、国道311号、国道169号と経由。旧国道169号の田戸トンネルへちょっと寄り道。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらが田戸トンネル。ご覧のとおりの幅の狭いトンネルで、延長は839m。トンネル中央付近にすれ違いのための交換スペースが設けられてはいますが、タイミングが悪いと延々とバックさせられそうです(笑)。


トンネルから先の旧国道区間は、崩落のため通行止め。この区間の国道は、新たに瀞峡トンネル(延長2,049m)が開通しているため、もう復旧はしないような感じです。






それでは、十津川方面へと進み、北又谷の最寄りとなる場所までふたたび移動します。


田戸トンネルから15分ほど走行。北又谷に架かる橋へとやって来ました。ここに車を駐車して、探索の準備をします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらの橋の名称は、「全国Q地図」によると北又谷橋。1983年(昭和58年)の架橋とのことですが、もっと古い感じがします。


8時12分、北又谷橋を出発し、橋のたもとから木馬道跡へと向かって斜面を登っていきます。


斜面を登っていくと一面に石垣が積み上げられています。おそらくは耕作地の跡だと思いますが、もう人が住まなくなった場所でこのような風景を見るたび、昔どれだけの時間と労力を掛けて築き上げたのだろうかと見入ってしまいます。






斜面を登り始めて約15分。ようやく木馬道跡へたどり着きました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

それでは上流へと向かって木馬道跡を歩いて行きます。


道跡にはゴムホースが通してあります。簡易水道などの取水用ですかね。




崖地を通過する場面が現れました。


路肩が崩落していて幅が狭くなっています。この道幅と崖の高さでは、このまま踏み込んでいくのは躊躇しますね…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここは一旦引き返して、下を流れる川まで降りて迂回することにします。


川まで下りてきました。巨岩がひしめいていますね。


「登っていけないような岩ばかりだったらどうしようか…。」と心配になりましたが、幸い、よじ登れるレベルだったので助かりました。しかし、これで余分に体力を消耗してしまいますね…。


木馬道跡へ復帰できそうな斜面があったので、ここをよじ登ってきます。木馬道跡には高い石垣が築かれています。


通過を断念した場所の反対側へと戻ってきました。反対側から眺めても、やっぱり通過は無理そうですね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ふたたび上流へと進んでいきます。


高い岩壁ですね。十津川村の徒歩道や木馬道跡ではこういう場面によく出会います。


路肩は整った石垣でしっかり保たれています。何十年前に造られた道なのかは全くわかりませんが(昭和戦前期までに造られたのは間違いない気がします。)、落石や崩落などの大きな打撃が無ければ、昔の状態をしっかり維持しているのが本当に素晴らしいです。


また崖地が現れました。この場所もかつては石垣を築いて道幅を確保してあったと思いますが、今は基礎部分だった細い岩盤だけが残されています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

先ほど迂回した場所よりは切り立った場所ではないので、「これなら進めるかな。」と判断し、慎重に通過していきます。


この場所も岩盤の切り取りと路肩の石垣で整えた形の道になっています。


ビッシリと緻密に積み上げられた石垣も良いですね。下側からも見上げてみたいですが、地形的に無理なので(笑)。


石積みの小さな橋台が残っています。沢の水を逃がすために小さな橋が架けられていたのでしょう。


また怪しげな場所が現れました。


岩場の凹部にロープが掛けてありますが不安ですね。ここは迂回することにします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここから河原まで降りていきます。


またも背丈よりも高い巨岩に囲まれながら、木馬道跡へと復帰できるルートを探して少しづつ進んでいきます。




この真上が引き返した凹部ですかね。この場所も岩盤の隙間を埋めるように石が積み上げられています。


迂回した場所の反対側。こちら側にも路肩が欠けた場所があるので、凹部をもし渡れたとしても引き返していたかもしれません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まだゴムホースが続いていますね。


ゴムホースはようやく川へと下りていきました。途中での様子を見る限り、今はもう利用されていないのかもしれません。


平べったい巨岩ですね。山の上から落ちてきたのかな。


川の流れが真下に見えるようになってきました。木々に目隠しされていないと高度感を感じてしまうので、心配になってきます。




また路盤が欠けて細くなってしまった場所が現れました。土砂が谷側へと斜めに積もっているし、またも迂回決定です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここから川へと下ってきます。


石垣全体が苔で覆われていますね。この場所は湿気が溜まりやすいのかな。


またも巨岩の隙間をよじ登りながら上流へと進んでいきます。


対岸から迂回した区間の木馬道跡を眺めます。痩せ細った道をこれだけの距離歩くのは無理なので、迂回して正解でしたね…。




木馬道跡へと復帰しました。


山側に土留めの石垣がありますね。この木馬道跡では初めてかな。


山の上から流れてきた砂利に道跡が埋もれてしまってます。


岩がゴロゴロしている小さな沢を横断。石積み橋台が残っています。


またも厄介な場所が登場。土砂で道跡が完全に埋もれてしまっています。しかも谷側が崖。横断中に土砂を崩したら、川へと真っ逆さまに落ちてしまいます…。


一歩一歩地面を踏み固めて足場を確保しつつ、慎重に高巻き。当然、帰りも通るので、念入りに固めておきます。


無事に反対側へと横断できました。ヤレヤレです。


※その(2)へ続く。
Posted at 2026/04/18 12:17:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2026年04月12日 イイね!

【桑名市】旧「諸戸 清六」邸を訪れました

2026年2月19日木曜日、三重県桑名市にある旧諸戸清六邸を母・姉と共に訪れました。

こちらは、駐車場がある揖斐・長良川の堤防から眺めた長良川河口堰。


長良川河口堰の場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

それでは、旧諸戸清六邸がある六華苑へ入苑します。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

入口にある説明板。


こちらが旧諸戸清六邸です。この建物は、「山林王」と呼ばれた二代目諸戸清六の邸宅として大正2年(1913年)に竣工しました。


庭園側からの眺め。ご覧のとおり、洋館と和館が一体となった建物です。洋館部分は、鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルが設計を手掛けたもので、地方に残る唯一の例だそうです。


洋館部分に付属する塔屋。円柱形の形状が目を惹きます。当初は3階建ての予定でしたが、揖斐川が見えるよう、4階建てに変更されたそうです。


塔屋の基礎部分。穴にはめ込まれている金網には、諸戸家の家紋「丸に違い鷹の羽」があしらわれています。


車寄せ・玄関。


それでは洋館内部へと入ります。こちらは食堂。


食堂に隣接する客間。




シャンデリア。派手さはありませんが、凝った造形です。


暖炉。淡い水色のタイルが良い雰囲気を醸し出しています。


玄関。ステンドグラスが用いられています。


塔屋の1階部分。


食堂の暖炉。こちらは赤色のタイル。煤の汚れが残っていて、使用感がありますね。


つづいて、和館を見学します。長い廊下です。


和館側には日本庭園があります。


欄間に菊の御紋が使われていますね。皇族関係者が訪れたこともあるのでしょうか。


庭園を眺めます。


便所。なかなか広いですね。きちんと「使用禁止」の札が置かれています(笑)。


和館には、蔵が直結しています。


広間。


洋館へと戻って、2階へと上がっていきます。




展示されていた昔の旅行かばん。


居間。


サンルーム。




またまた電灯類の写真。




塔屋の2階部分。


壁面の曲面に合わせて、木枠も曲面に合わせて仕上げてありますが、窓ガラスも当時としては珍しい曲面ガラスが使用されています。


そもそもこの日、桑名市を訪れたのは叔父に関わる所用があったため。たまたま約束の時間よりも早く着いてしまったため、時間つぶしに訪れましたが、なかなか良いものを見ることができました。
Posted at 2026/04/12 21:17:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年04月08日 イイね!

【岡崎市】旧宮崎街道 明見坂を歩いてきました

2026年2月8日日曜日、気分転換に廃道でも歩こうかなと、岡崎市淡渕町と明見町の間に残る廃道「旧宮崎街道 明見坂」を歩いてきました。ここを訪れるのは、2020年3月18日以来です。

明見坂への最寄りとなる愛知県道37号の幅広い路肩に車を駐車します。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

いつもなら駐車場所から県道と廃道の分岐点まで移動してから廃道へと入り込むところですが、歩道が無くて見通しも良くない県道を数百m歩くのも億劫だったので、直接、明見坂の峠の切り通しへ向かって山の斜面を直登していきます。


切り通しの前にある開通記念碑の裏側へと出てきました。


こちらは、明見坂の開通記念碑である「宮崎街道之碑」。この道の由来を記した貴重な史跡に倒木が直撃していなくて良かったです。




さっそく切り通しを通り抜けていくことにします。


ここの切り通しは相当深く掘り下げていますが、ほとんどの部分がご覧のとおり岩盤となっています。明見坂の荷車道が開通したのは明治25年(1892年)のことですが、おそらく人力で岩盤を切り下げていったのだと思います。






切り通しを抜けると昔の道の姿が残っています。切り通しの中央部分は土砂に埋もれていますが、本来はこれだけの道幅があったのでしょう。




明見町側の坂を下っていきます。




明見町側の廃道の末端部に来ました。現在、明見坂は下を通る道路によって切り取られてしまっています。


末端部から峠方向を振り返った眺め。


峠方向へと道を戻り、二又の分岐点まで来ました。左側が荷車道の明見坂。右側は荷車道改修以前の明見坂と思われます。右側へと進みます。


程なくして、下を通る道路へと合流します。


合流したらすぐに左斜めへ分岐していく坂道へと入ります。


坂道の途中に檻が置かれています。ずっと以前から置かれていて、中にある餌もきれいなので、管理はされているようです。


峠まで来ました。車が通行できる道はここまで。左側には簡易水道の施設があります。


峠を越えると、一気に昔ながらの徒歩道へと様子が変わります。




峠道が折り返していきます。この道には、簡易水道の施設からの送水パイプが通されています。


2か所目の折り返し。


峠道を見上げると、路肩が石積みで補強されています。


3か所目の折り返し。山肌を削り込んであります。


荷車道の明見坂へと合流しました。このまま直進します。


県道まで出てきました。


県道との分岐点に残る道標。「すぐ ほんぐう~」と彫られていて、砥鹿神社の奥宮がある本宮山を指しているものと思われます。


続いては、明治時代の荷車道である明見坂を歩いて行きます。


徒歩道の明見坂との分岐点。ここを右へと進みます。


峠の切り通しにも岩盤が露出していましたが、峠までの道中も岩壁を削り込んだ道が続いています。




木漏れ日が差し込む廃道。良い雰囲気です。




荷車道の明見坂で最も狭い区間を通過していきます。狭いと言っても、歩いて通過する分には十分な幅がありますけどね。


この辺りは路肩に高く石を積み上げて路盤を造り上げてあります。




狭い区間を抜けると山の斜面は多少なだらかになってきます。


ふたたび開通記念碑の前に戻ってきました。だいたい1時間くらいで1周してきました。


荷車道の明見坂は明治25年(1892年)に開通したわけですが、早くも明治41年(1908年)には坂道を解消した現在の県道ルートが新道として開通。多額の費用と労力をかけて開通させた荷車道の明見坂は、開通後わずか16年で役目を終えてしまったようです。
Posted at 2026/04/08 21:39:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧宮崎街道明見坂 | 日記

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何シテル?   04/26 20:33
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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