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小林あにのブログ一覧

2026年08月01日 イイね!

旧京福電鉄越前本線 初代下荒井隧道を探索してきました

2026年5月24日日曜日、福井県勝山市遅羽町下荒井に残る旧京福電鉄越前本線 初代下荒井隧道を探索してきました。

この廃トンネルの存在を知ったのは、2024年7月13日に(二代目の)下荒井隧道を訪れた時。スマホでトンネルの事を調べていたら、初代トンネルなるものも存在していることを知りましたが、その時は他にも目的地があったためパス。今回ようやく訪れたわけです。

さて、初代下荒井隧道へ向かう入口付近へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

落石防止用のフェンスの隙間から斜面へと入っていきます。


少し登っていくと、玉石を積み上げた石垣が現れました。これが初代トンネルのある廃線跡のようです。




廃線跡へと出てきました。まずはこのまま直進方向へと進んでみることにします。


廃線跡は等高線上に平場が続くので、このような落石防止用設備を設置するには格好の場所です。


落石防止用フェンスなどのおかげで歩きやすい時もありますが、逆に行く手を塞がれてしまう場合もあります。


玉石積みの小さな擁壁がありました。廃線跡で間違いないようです。


ふたたび落石防止用フェンスの脇を通り抜けていきます。ここは谷側の狭いスペースしか通れないので、慎重に歩きます。


廃線跡へと入り込んだ場所から、ずっと山の中腹を進んでいます。


路盤が削れたのか、幅が狭くなってきました。


ついに明確な廃線跡が無くなってしまいました。




もうしばらく斜面の中を進んでいきましたが、廃線跡が復活する様子が全然見られなかったので、国道157号下荒井トンネルが現れたところで引き返しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

最初に廃線跡へと取り付いた場所まで戻ってきました。今度は逆方向へと進んでいきます。


廃線跡はすぐに深い草むらに埋もれてしまったので、一旦左側の斜面の上へと迂回します。


今度は行く手を倒木に塞がれてしまいました。仕方がないので廃線跡へと戻って、幹や枝の間をすり抜けていきます。




ようやく廃線跡らしくなってきました。


そして、正面の倒木の枝を通り抜けたところ、初代下荒井隧道が姿を現しました。大野側の坑門になります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

初代下荒井隧道がある区間が開通したのは、1914年(大正3年)4月10日。本来この区間は、山すそと九頭竜川の間の平坦地を通す計画だったようですが、九頭竜川の氾濫の影響を恐れて、山の中腹を通すことになったようです。


この区間は山の中腹を通していたために急勾配と急カーブが存在し、また冬期は雪崩被害の恐れもあるとして、結局は10年後の1924年(大正13年)に山のふもとを直線的に通過する二代目下荒井隧道を開通させ、初代トンネルはあっけなく廃止されてしまいました。


石積みのなかなか立派なトンネルなのですが、前述の事情により早々に引退を余儀なくされ、山の中腹でひっそりと余生を過ごす羽目になったわけです。


トンネルの上部にも石積みの擁壁が高々と積み上げられていて、現地の地形が険しいことを物語っています。


それではトンネル内部へと進んでいきます。トンネル内部も石巻きになっているようです。


と思いきや、トンネル中央部の天井はコンクリート覆工されていました。開通当初は素掘りの天井だったのが、後に改修してコンクリート覆工したのかもしれません。




入ってきた坑口を振り返ります。


そして、トンネル内部は大きくカーブを描いています。


短いトンネルですが、きちんと退避坑が設けられていました。


反対側の坑口へと来ました。


勝山側の坑門です。左側に翼壁が設けられているおかげで、大野側の坑門と違った変化が付いていて良い感じです。




もうしばらく廃線跡を進んでみることにします。






木々の隙間から九頭竜川の堰が見えています。廃線跡は、この先の国道157号下荒井トンネルにより路盤が削られてしまっていました。


国道の下荒井トンネルは上部の斜面へと迂回。しばらく道なき斜面を突っ切り、ふたたび廃線跡へと合流しました。


二代目下荒井隧道の勝山側へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

トンネル前は私有地とのことで、望遠で坑門を撮影。


こちらは国道からの入口に立つ、二代目下荒井隧道への案内用石碑。


ぐるりと一周して車へと戻ってきました。翌月曜日も仕事は休みなので、2024年に訪れた時と同じように国道417号冠山トンネルを経由して、大回りで帰ることにします。


大野市街地の西方にある国道476号丁(ようろ)トンネル前から大野盆地を眺めます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは丁トンネル。延長は209mだそうです。


国道476号の国道標識。


国道417号冠山トンネルを通り抜けて、岐阜県側にある最初の駐車帯にて小休止。徳山ダムのダム湖の末端部になります。






場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

徳山ダムを通り過ぎ、国道303号へ合流したところで、普段なら大垣市方面へと向かうところですが、ここで逆方向の滋賀県長浜市木ノ本方面へと向かうことに。

岐阜・滋賀県境の八草トンネルを越えてから旧国道へと入り込んで少し寄り道。土倉鉱山跡です。








場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この後、木ノ本からは国道365号で岐阜県関ケ原町へ。名神高速には乗らず、さらに下道を三重県桑名市まで走行。湾岸桑名ICから伊勢湾岸道に乗り、湾岸長島PAで晩御飯を食べてから帰宅しました。
Posted at 2026/08/01 22:26:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2026年07月28日 イイね!

旧別子銅山 東平地区と旧端出場発電所を訪れました(3)

2026年5月16日土曜日、愛媛県新居浜市にある旧別子銅山の東平(とうなる)地区と、端出場(はでば)地区にある旧端出場発電所を訪れました。

さて、展望台から新居浜市街地を眺めた後は、東平地区の居住区域跡を探索してみることにします。


まずは駐車場背後の斜面をしばし散策。煉瓦構造物や埋もれた廃橋がありました。




「接待館」跡。別子銅山を訪れた賓客をもてなした場所ですが、現在はまっさらな敷地があるのみです。


ここから居住区域跡へと入っていきます。


「病院」跡。門柱のみが残っています。


「病院」跡の一角にあった張り出し付き石積み擁壁。


煉瓦と石積みの暗渠。


煉瓦構造物を見つけると、執拗にチェックしてしまいます(笑)。


上部の柵の位置が駐車場と同一面。ここまで下ってきた間にも、多くの段々地と石垣があります。


「保育園」跡。ここも門柱のみが残っています。


「娯楽場」跡へと向かいます。


「娯楽場」入口のコンクリート橋。人の出入りが多かった場所なので、しっかりとした橋を架けたのかもしれません。


「娯楽場」跡も建物の類は何も残っていませんが、敷地の奥に沢から水を引き入れた池の跡がありました。


あとは「かまど」の跡が残っていました。


「娯楽場」跡を出て、居住区域跡をさらに奥へと進んでいきます。




ここも立派な石積みの擁壁が残っています。


「これから先 登山道」とありますが、このまま進んでいきます。


石積み擁壁で造られた平場と石段が斜面の下方へと続いています。


また煉瓦構造物を見つけました。




煉瓦積みで造られた「かまど」の跡。


周囲にいくつも「かまど」が残っています。この辺りは社宅が建ち並んでいたのでしょう。しかし、なぜ「かまど」だけが残されているのでしょうかね。




「辷坂(すべりさか)詰所」跡。


植林されて全貌が見えにくくなっていますが、銅山が稼働していた頃は、多くの石垣で埋め尽くされた斜面はさぞ壮観だったでしょう。


小さな橋が現れました。少し先を覗いてみたら、どうやらこの先は本当の山道になるようなので、ここが東平地区の居住区域の下限のようです。


小さな橋の手前には分岐の案内板が立っています。


「第三通洞」方面へ向かう道に架かるトラス橋。「中ノ橋」とあります。




床板が工事現場の足場でよく見かける板ですね。


歩いてきた道を少し戻り、川沿いを進んでいく道へと入り込んでみます。


この辺りも「かまど」がたくさん残っているので、社宅跡のようですね。


これは共同風呂の跡なのかな。




社宅跡。こちらはきちんと整備し、一部を復元したものになります。




こちらは、東平地区の西側の尾根を越えて、その先の斜面に広がる「呉木社宅」跡。


木々が伐採されているので、斜面に広がる跡地を一望することができます。よくもまあこれだけの急傾斜地を造成したものです。




さて、東平地区の探索を終えて、麓側の拠点であった端出場地区へとやって来ました。道の駅「マイントピア別子」から、旧端出場発電所を眺めています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「四通橋」。


「第四通洞」。1910年(明治43年)に着工し、1915年(大正4年)に開通しました。延長は4,596m。


別子銅山内部の採掘場所が年々深部へと移行していくに伴い、鉱石の搬出場所は、東平地区の「第三通洞」から端出場の「第四通洞」へと主力が移り変わっていきました。そして1930年(昭和5年)には、採鉱本部も東平地区から端出場地区へと移転しています。

「第四通洞」のトンネル内部。


「打除鉄橋」。旧別子鉱山鉄道下部線(下部鉄道)の鉄橋です。1893年(明治26年)架橋。




旧端出場発電所。1912年(明治45年)竣工。別子銅山で不足気味となっていた電力供給の増強のために設置された水力発電所で、山上の貯水槽から発電所までの落差597.18mは当時日本一だったそうです。








発電所の内部です。










建屋の外へと出て、発電用水車を見物しに行きます。




放水路から内部へと向かいます。


発電所に設置されている状態の水車は初めて見ましたが、一般的な水車の形状と全く違う、鋭い形状をしていますね。「ペルトン水車」と呼ばれるもので、写真左側に少しだけ写っているノズルから超高圧の流水を水車へと吹き付け、高速回転させることで発電します。


こちらは山上の貯水槽から発電所へと水を落としていた水圧鉄管の跡。パイプが一部だけ残っています。




最後に「下部鉄道」の端出場隧道を眺めてから帰路につきました。


今回の走行距離は約980kmでした。


今回は「東洋のマチュピチュ」と呼ばれる旧別子銅山 東平地区をメインに訪れましたが、銅山の遺構のほんの一部に過ぎません。前述していますが、少なくとも「上部鉄道」と旧端出場発電所の取水路跡はあらためて探索してみたいですね。
Posted at 2026/07/28 23:20:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉱山関係 | 日記
2026年07月20日 イイね!

旧別子銅山 東平地区と旧端出場発電所を訪れました(2)

2026年5月16日土曜日、愛媛県新居浜市にある旧別子銅山の東平(とうなる)地区と、端出場(はでば)地区にある旧端出場発電所を訪れました。

さて、旧第三変電所をあとにして、旧第三変電所付近から始まる山道を登っていってみることにします。


坂の上に向かって石段が続いています。半分は土砂に埋もれていますが。


半端に石段が露出しているので、何とも歩きにくいです。


石段を登り終えた先に煉瓦構造物が立っていました。


煉瓦構造物には山側からパイプが連結されていますが、一体どのような用途に使われていたのかは不明です。


煉瓦構造物の前からさらに登っていきます。ただし、石段は無くなってしまいました。


使われなくなった山道は石だらけ。誰も落石を片付けてはくれませんからね。




この山道を登り始めたのは、「上部鉄道」と呼ばれる遺構を見に行ってみようかなと思ったからです。しかし、どうやらかなり登っていかないと遭遇出来ないみたいだったので、適当なところで引き返すことにします。


「上部鉄道」とは、1893年(明治26年)に開業した鉱石輸送用の鉄道です。設営されていた場所は、標高1,100mの角石原駅から標高830mの石ヶ山丈駅までの5.5km。

路線は断崖絶壁が続く地形を通り、最小半径15.24mを筆頭とする133か所の急カーブがあり、22か所の谷越えをしていたそうです。鉱石は石ヶ山丈駅からは索道により麓側の拠点であった端出場まで降ろされて、「下部鉄道」に積み替えられて新居浜まで運搬されました。

ちなみに、貨車の牽引はSLで行っていました。建設時は現地までの交通手段が牛車道か徒歩道しかなかった中、「どうやって山の上までSLを搬入したんだ?」などと疑問に思われていますが、不思議な事はなくて、車両を極限まで分解して牛車や人力で運び上げたみたいです。

この「上部鉄道」、より標高が低い場所に1902年(明治35年)開通した「第三通洞」により役目を取って替わられ、1911年(明治44年)には早々に廃止されました。

今も廃線跡には遺構が点在しているそうですが、場所柄、危険が伴う箇所も多々あるので、準備をした上であらためて訪れてみたい場所です。

山道の途中にあった煉瓦構造物まで戻ってきました。この構造物の裏側に続く平場をちょっと覗いてみることにします。


地面には長方形の煉瓦の列が点在しており、小屋のような簡素な建屋があったのかもしれません。


程なくして平場は終わってしましましたが、斜面には石垣が点在しており、何がしかの設備があったのかもしれません。


斜面を適当に下っていったところ、旧第三変電所の裏手辺りで階段を見つけました。降りていってみます。


山道へと出ました。この道は旧第三変電所があった広場から来ている道ですね。黄色線の方向へと向かいます。


この方向へと向かった理由は、東平地区から麓にある旧端出場発電所へと繋がっていた水力発電用の取水路跡を確認してみるためです。

早くも通路用の木橋が落橋しています…。この朽ち具合では、落橋していなくても渡れなかったでしょうけどね。


仕方がないので山側の斜面へと迂回します。そして、迂回中にまたも煉瓦構造物を発見。何でこんなに山の中に点在しているんですかね(笑)。


側面にパイプが突き出ていますが、やはり何の用途に利用されていたのか、さっぱりわかりません。


山道へと復帰し、広場方向を眺めます。この地形の抉れ方では、先ほどの木橋が渡れたとしても、この場所で引き返していたでしょう。


またしても木橋が落橋している場所に遭遇。何とか沢底へと降りていきます。


ここの沢底の岩壁には穴が開いていました。人が屈んでようやく通れる程度の大きさなので、おそらくは坑内排水用の坑道ではないでしょうか。


対岸へとよじ登ります。


依然狭い山道が続きます。そして、ここの谷側には杭が刺さっています。杭の上部には穴が開いているので、かつてはロープが渡してあったのだと思われます。この山道は取水路の巡視路だったのかもしれません。


谷側の路面が一部木製桟道になっていますが、朽ちていますね…。用心して山側へと身を寄せて通過します。


道が分岐していますが、水平に進む右側の道へと歩いて行きます。


高い岩壁に寄り添う石垣道。良い光景です。


この付近の路肩の石垣はきれいな状態で残っています。


手すり付きの橋が現れました。一見、安心して渡れそうな様子ですが、下側の橋桁を覗いてみると苔に覆われた材木です。太いので大丈夫そうな気はしますが、沢がそこそこ深いので、万一の事も頭をよぎります。


迂回できないか、しばらくこの場所で思案しましたが、今回はあくまでも様子見なので、残念ですがここで引き返すことにしました。


旧第三変電所前の広場まで戻ってきました。


駐車場まで戻りました。


展望台からの眺め。


深く険しい谷の先には、新居浜市街地が広がっています。この構図からもわかるとおり、新居浜はかつては別子銅山の城下町でした。そして、今も住友グループの企業城下町です。


※(3)へ続く。
Posted at 2026/07/20 22:06:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・鉱山関係 | 日記
2026年07月17日 イイね!

旧別子銅山 東平地区と旧端出場発電所を訪れました(1)

2026年5月16日土曜日、愛媛県新居浜市にある旧別子銅山の東平(とうなる)地区と、端出場(はでば)地区にある旧端出場発電所を訪れました。

別子銅山は、1694年(元禄4年)に開坑した銅山で、1973年(昭和48年)の閉坑までに約65万トンの銅を産出し、日本三大銅山の一つと言われました(あとの2つは、足尾銅山と日立鉱山。)。また、銅山を経営していた住友にとっては、巨大財閥となる足掛かりとなりました。

この場所もずっと以前から一度は訪れてみたいなと思っていましたが、なんだかんだとずっと訪れないままでした。「とりあえず一度は行っておくかなぁ。」と不意に思い立ち、特に具体的な予定を立てないまま現地へと向かいました。

自宅を出発したのは5月15日金曜日夜。この日の仕事は遅番で帰宅したのは20時20分頃。晩御飯食べて洗濯機回して風呂に入って、出かける準備をそそくさと済ませ、23時40分頃に家を出ました。

ところが、それほど時間が経っていない伊勢湾岸道を走行中に、仕事の疲れが出てきたのか、ものすごく眠たくなってきてしまい、結局、湾岸長島PAで1時間半仮眠する羽目に(笑)。

その後は、おおむね順調に新名神・山陽道・瀬戸中央道(瀬戸大橋)・高松道・松山道と走行。新居浜ICで高速道路を下りて、旧別子銅山 東平地区へ。

16日10時05分頃、東平地区にある観光客用駐車場に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

旧別子銅山 東平地区は、現在「マイントピア別子 東平ゾーン」として観光客向けに公開されています。


日射しが厳しいですが、さっそく遺構を見物して回ります。


こちらは、かつてのインクラインの跡。現在は見学用通路の階段となっています。


インクラインとは、斜面にレールを設置し、そのレール上を移動する台車によって荷物等を昇降させる施設です。作動原理はケーブルカーと同様のようですね。


急坂であるインクライン跡の階段を一番下まで降りてきました。


こちらは、索道基地跡。索道(ロープウェイ)は、麓側の拠点との間で、採掘した鉱石や資材・生活物資の運搬に活躍しました。




貯鉱庫・選鉱場跡の壁面。巨大です。




先ほど見上げていた壁面の上段へと上ってきました。


煉瓦造りの塔と壁面の間には窪みが設けられています。今は土砂に埋もれていますが、かつてはこの窪みへ鉱石を流し込んでいたのでしょう。


この煉瓦の塔は何らかの設備の土台だったのでしょうが、説明板が見当たらなかったので、用途は不明です。


塔の内部には、石や土砂が詰められていたみたいです。


さらに上段側の壁面を見上げます。説明板には貯鉱庫跡とあります。


貯鉱庫へ向けて鉱石を落としていた落とし口の跡のようです。


上段へと上り、落とし口を見下ろします。まさに滑り台ですね。


貯鉱庫・選鉱場跡の全景です。




貯鉱庫・選鉱場跡の見物を終えて、次の場所へと向かいます。

やって来たのは「小マンプ」。「マンプ」はトンネルの意味ですね。


トンネルの内部には、鉱山で使用されていた車両や各種機材が展示されています。




反対側へと出てきました。


「小マンプ」からしばらく歩くと「喜三谷」と呼ばれる谷に出ます。


この川はこの小さな滝の先で暗渠となっていて、暗渠の上は広場となっています。現在は登山者向けの駐車場として利用されています。


この広場の傍らにあるのが「大マンプ」。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

このトンネルは門扉で封鎖されているので、隙間から内部の写真だけ撮っておきます。


本当はトンネルを通れると次の目的地への近道なのですが、ここからは山肌に沿って続く道を進んでいきます。








次の広場へと出てきました。


けっこうな広さがある広場ですね。昔の地図によると、この広場にはかつて採鉱本部や社宅、鉱山鉄道のヤードがあったようです。


広場の傍らには、先ほど覗き込んだ「大マンプ」の反対側の坑口があります。本当にこのトンネルを通ることができれば、一直線でこの場所へと出て来られたんですけどね(笑)。




広場の反対側へと来ました。


ここには、大まかな東平地区の案内図があります。


八角形をした謎の煉瓦構造物。


川の傍らにあるので井戸とは考えにくいですし、貯水槽というのも違う気がしますね。一体何なのか…。


東平地区の一番奥にある「第三通洞」に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「第三通洞」は、1894年(明治27年)から1902年(明治35年)にかけて開削されたトンネルで、延長は1,795mあります。


このトンネルの開通により、標高750mの高地にある東平地区は別子銅山の拠点の一つとなり、1916年(大正5年)から1930年(昭和5年)にかけては採鉱本部が置かれていました。


「第三通洞」の要石には、住友財閥の商標である「住友井桁」が彫られています。


トンネル内部を覗いてみます。




壁面に「第3通洞閉塞工事」のプレートがありました。内部は物理的に封鎖してしまったという事なのでしょう。


「第三通洞」の前から分岐していく山道へも少し入り込んでみます。


粗いですが石畳が敷かれています。この山道も、かつては鉱山用の道だったのでしょう。


石積みの堰堤があります。砂防ダムなのでしょうか。




この堰堤の対岸の斜面にも謎の煉瓦構造物がありました。


どんどん奥へと進んでいきたくなるような山道ですが、今回は引き返します。


「第三通洞」の前まで戻ってきました。ふと目の前を流れる川に目をやると水路トンネルがありました。先ほどの喜三谷と同じく、ここも川を暗渠化し、その上部に土砂を盛って谷を埋め立てることで平地を造り出していたわけです。


広場まで戻ってきました。


次に来たのは、旧第三変電所。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

外壁が煉瓦造りなので、大正時代以前の建築でしょうか。ちなみに、この建屋は開放されていて、内部を自由に見物することができます。


建屋内部の様子。当然ですが、機器類は撤去されていました。










かまどや畳が残っています。変電所なので、宿直で一夜を過ごす社員も居たのでしょう。




反対側の出入口です。建屋へと入り込んだ出入口よりもこちら側の方が造りが立派なので、入ってきた側が勝手口で、こちら側が玄関なのでしょう。


建屋の側面。


旧第三変電所の見物はここまでにして、もうしばらく周辺を歩き回ってみることにします。

※(2)へ続く。
Posted at 2026/07/17 22:28:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・鉱山関係 | 日記
2026年07月15日 イイね!

「ラリー飛鳥2026」を見物してきました

2026年5月9日・10日の両日、奈良県天理市を拠点に開催された全日本ラリー選手権「ラリー飛鳥2026」を見物してきました。

5月9日土曜日、自宅を7時15分頃に出発し、10時頃、天理駅前駐車場に到着。サービスパークにラリー車が戻ってくる時間を見計らって、サービスパーク兼イベント会場である天理教北大路乗降場へと徒歩で向かいます。

10時50分、サービスパークへとやって来ました。


サービスパーク内へと足を踏み入れると、昨年は自由に歩いて回れていたものが、今年は見物用の通路が設定されて、限定された範囲だけ見物できる状況。安全確保のためには仕方がないことですが、ラリー車やサービス作業を間近で見物できなくなるのは少々残念です。


トヨタ・GRヤリスRally2の新井・坂井組はまだ戻ってきていませんね。


こちらは、本戦がデビュー戦となるスバル・Boxer Rally spec.Z。BRZをベースにターボ・AWD化したラリー専用車両。ここ数年、全日本ラリーでは冴えない成績が続いていたスバル。いよいよ本気を出したきたかと前評判はピカイチです。


こちらは、福永・齊田組のシュコダ・ファビア。


鎌田・松本組のシュコダ・ファビア。


石黒・穴井組のトヨタ・GRヤリス。


またスバルのサービスへと戻ってきました。いつもだと勝田範彦選手のLUCKのサービス辺りが賑わっていますが、今回はスバルのサービスに一番観客が集中していますね。




奴田原選手のサービステント。


石黒・穴井組が出発していきます。


MORIZO Challenge Cupエントリー車両のサービス風景。




イベント会場の風景。


会場付近の道路を移動中の高山・竹藪組のプジョー106。


この後は、最終サービスのためにふたたびラリー車が戻ってくる16時頃まで、会場の中をブラブラしながら暇つぶし。

16時04分、新井・坂井組のトヨタ・GRヤリスRally2がサービスパークへと戻ってきました。


新井・安藤組のスバル・BRZ。


スバルのサービステントの前には、また一気に観客が集まってきます。


新井・坂井組のトヨタ・GRヤリスRally2のサービス風景。




奴田原・東組のトヨタ・GRヤリスRally2。


風で手前にあった幕が倒れ、みなさん一斉にカメラのシャッターを押します(笑)。


初日のサービスパークはこんな様子でした。この日は17時45分頃に天理市を出発し、帰路につきました。




翌5月10日日曜日。6時40分頃自宅を出発して、ふたたび天理市内のサービスパークへ。この日は弟と二人で見物。昨日と同じくサービスパークの見物なので、写真はあまり撮っていません。


サービスパークへ出向くと、新井・坂井組のトヨタ・GRヤリスRally2がサービステントに駐車したままになっていました。


新井・坂井組は、ラリー初日で2位に32.4秒という大差を付けて首位に立ちましたが、その日の夜の公式通知で、SS1スタート前のTC1(コントロールゾーン)でコドライバーが車両作業を行ったとして3分のペナルティーを受けてしまいました。これを受けて、2日目は出走せずにリタイアする事を選択したためです。

基本、ドラ・コドラであれば移動区間・競技区間とも車両作業をしても良いのですが、競技区間中の指定された範囲内(TC前の予告標識からSSスタート後の解除標識までなど。)では作業不可となるため、そこに抵触してしまったみたいです。

今年、ようやく最新のラリー2車両であるトヨタ・GRヤリスRally2を入手。初戦のラリー三河湾を優勝で飾り、ラリー飛鳥も連勝を狙える展開でしたが、思わぬ躓きとなってしまいました。

サービスパーク前へとラリー車が戻ってきました。TCインの時刻までしばらく待機しています。


鎌田・松本組のシュコダ・ファビア。


新井・安藤組のスバル・BRZ。


サービスを終えて出発していく鎌田・松本組のシュコダ・ファビア。


新井大輝選手のサービスでは、メンバーのみなさん時間を持て余してか、入れ替わり立ち替わりGRヤリスRally2をいじり回していました。
Posted at 2026/07/15 05:28:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラリー飛鳥 | 日記

プロフィール

「旧京福電鉄越前本線 初代下荒井隧道を探索してきました http://cvw.jp/b/1796277/49223127/
何シテル?   08/01 22:26
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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