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小林あにのブログ一覧

2026年06月28日 イイね!

【岡崎市】中部電力 岩津発電所と廃水路・廃水車

2026年4月19日日曜日、岡崎市日影町にある中部電力 岩津発電所と近隣に残る廃水路・廃水車を訪れてきました。

この日は暇つぶしに近場をぶらりとドライブ。岡崎市の北部から郡界川沿いに県道を進み、岩津発電所の前へとやって来たので久しぶりに立ち寄ってみることに。訪れたのは2018年8月5日以来です。


岩津発電所は、中部電力管内の発電所としては一番古いもので、発電所の出入口には説明板が立てられています。


こちらは岩津発電所の建屋。背後の斜面には、発電機へと水を落とすための水圧鉄管が設置されています。


発電所の排水口。


古い発電所らしく、排水口は石造のアーチになっています。


発電所から郡界川の下流側へ向かって徒歩道が続いています。


徒歩道を少し歩くと、川の中に小規模な堰堤があります。


堰堤の先には取水口がありますが、封鎖されてしまっています。




堰堤の様子を見てみると、元は石積み部分だけだったものをコンクリートでさらに延長した造りのようです。




ふたたび徒歩道を歩いて行きます。


コンクリート製の構造物がありました。


構造物には水が勢いよく流れ下る写真が掲示されています。


これは、山の上にある岩津発電所の貯水池からの余水路のようです。大雨などで貯水池が満杯になった時に、溢れそうな水をこの沢へ流し込むのでしょう。


堰堤からの廃水路が合流してきました。


ここからは廃水路に沿って歩いて行きます。




廃水路の谷側に小さな水門が残っていました。この廃水路の余水吐けのようです。


もう少し歩くと廃水路の終点となり、薮の中に大きな水車が見えてきました。


今までに見てきた堰堤と廃水路は、この水車へと水を導くための施設でした。


ネットで見つけた論文によると、この水利施設は明治40年(1906年)に当地に建設された反毛工場が、岩津発電所からの排水を利用するために設置したものだそうです。だから堰堤が発電所排水口のすぐ下流にあったわけです。

ちなみに「反毛」とは、不要になった衣料・糸・布地などをほぐして綿状に戻すことだそうで、そのための機械を水車の力を利用して駆動していたのでしょう。


こちらは水車へと水を落とす金属製の樋。




工場の近くにあった石仏。そこそこ古そうな感じで、工場が盛業だった時代を見ていたんですかね。


これにて散策を切り上げて、車へと戻りました。
Posted at 2026/06/28 22:30:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年06月11日 イイね!

明石橋・国道195号 四ツ足峠トンネル・旧出合橋ほか

2026年4月11日土曜日、弟と高知県の高知城と龍河洞を訪れました。

さて、毎度のことですが(笑)、目的地を回った後、「どういうルートで帰宅しようか?」となります。普通はやって来た時の道を帰るというパターンでしょうけど、我が家はほとんどの場合、違うルートで帰ります。

今回は弟が「室戸岬回りで帰ろう。」と言ってきましたが、私が「遠回りだし、前回来た時に通っているから嫌だなぁ。」と却下。妥協点で、国道195号で高知県から徳島県へ山越えして、淡路島を通って帰るルートに決定しました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ただし、淡々と帰り道ルートを走行するわけではなく、目に付いた場所には立ち寄っていきます(主に私の意向によって(笑)。)。

まずは香美市物部町山崎地区を走行中、目に留まった物件があったので、国道のミニ旧道で停車します。ちなみに時刻は18時です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

見つけた物件は吊り橋。さっそく渡ってみることにします。ちなみに、橋の名称は銘板が外されていたためにわかりませんでしたが、ネットで調べてみたところ、明石橋というようです。


吊り橋ではありますが、全金属製でしっかりとした造りになっています。バイクぐらいまでなら問題なく通行できそうです。


橋の主塔にあった銘板によると、この吊り橋の竣工は1955年(昭和30年)5月。永瀬ダム建設に合わせて架橋されたものでしょう。


橋を吊り下げるワイヤー。自動車などの通行は見込んでいないためか、細いワイヤーが使用されています。


吊り橋から下流側を眺めます。


対岸側にある吊り橋の主塔。


振り返って国道側を眺めます。


対岸側は山の斜面が橋に迫っていて、窮屈なスペースに主塔が建てられています。


橋のたもとから右折して下流側へと向かう徒歩道を進んでいくと、山の上に廃集落があるようです。私は左折して進んでみることにします。


徒歩道がダム湖に沿って奥へと続いています。


徒歩道をさらに追っていきたい気分ではありますが、すでに夕暮れ時。ここはグッとこらえて車へと戻ることにします。


車に乗り込み、国道からさも旧国道のように分岐していく道へと進入し、奥へと進んでいくとふたたび吊り橋に遭遇。この吊り橋の名称は山崎橋。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この吊り橋も、明石橋と同じく1955年(昭和30年)5月の竣工。ご覧のとおり自動車通行可能な橋だったので、このまま渡って進みます。


国道の対岸側の細い舗装路を上流方向へと進んでいくと、高い位置に架橋された橋が現れました。仙頭大橋です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

先ほど渡った山崎橋の後継の橋として架橋されたのか、全く関係が無い橋なのか、その辺りは不明ですが、国道の対岸にある集落にとって大切な橋なのは間違いありません。

さてさて、この後も物部川の渓谷に沿ってウネウネと曲がりくねった国道195号を延々と走行。19時過ぎ、ようやく高知・徳島県境にある国道195号 四ツ足峠トンネルに到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

四ツ足峠トンネルの開通は、1964年(昭和39年)11月。延長は1,857mで、開通当時は全国4位の延長だったそうです。


開通式当日、地元の木頭村(現:徳島県那賀郡那賀町)では、村内の小学校ごとに全戸を招待して、餅投げ・祝賀会が行われたそうです。それだけ大きな喜びだったのでしょう。


トンネルの高知県側は物部川水系でしたが、ここからは徳島県側の那賀川水系に沿って山を下っていきます。


四ツ足峠トンネルから約30分ほど走行した地点。国道195号と193号が分岐する地点の那賀川には「出合ゆず大橋」が架かっていますが、その下流側にもう1本橋が架かっているのが見えました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

車を駐車して橋を見に行ってみると、どうやら旧国道の橋のようです。


橋の名称は出合橋。せっかくなので、橋を渡ってみることにします。ちなみに弟は車でお留守番。


国道当時の案内標識が残されたままになっているようです。


県庁所在地で、見物した高知城がある高知市までは、この橋から107kmですか。


橋を渡った先には国道標識がそのまま残されています。国道指定が外れると真っ先に撤去されるケースがほとんどなので、これは珍しいですね。


出合橋の先にある出合トンネルも少し覗いてみます。素掘りトンネルにコンクリートを塗って補強してあります。


国道の分岐を案内する標識も残されたままです。


一通り見終えたので、車へと戻ります。


こちらは旧出合橋から徳島方面へ5分ほど走行した場所にあった長安口ダム。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

夜のダム見物をした後は、ふたたび国道195号を快走。暗闇の中、那賀川に沿ったワインディングロードを気持ちよく走行していましたが、ついに眠気が襲ってきました(笑)。

21時35分、那賀町中山にある道の駅「わじき」に停車。ここで日付けが変わり、そのまま翌12日午前2時まで仮眠してました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

目が覚めたらふたたび国道195号を走行。途中、徳島県道24号でショートカットして、阿南市で国道55号へ合流。小松島市、徳島市と通過し、鳴門ICでようやく高速道路へ。

淡路島走行中に今度は弟が力尽きて、淡路SAで4時半頃から6時頃まで再び仮眠。


淡路SAからの明石海峡の眺め。




その後も新名神 茨木千堤寺PAで2時間ストップしたりしながらも、14時30分に無事帰宅しました。

今回の走行距離は1,040km余り。最近の傾向として、長距離ドライブの帰り道は疲れでグダグダになり、仮眠を連発するパターンが多いですが、今回もご多分に漏れず同じ様相となりました(笑)。
Posted at 2026/06/11 22:10:50 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年06月07日 イイね!

【高知県】高知城と龍河洞を訪れました

2026年4月11日土曜日、弟と二人で高知県の高知城と龍河洞を訪れました。高知県を訪れるのは2020年1月以来。ちなみにこの時も高知城は訪れています。

この日は自宅を0時50分に出発。弟を拾ってから、一路、高速道路を西進します。

7時25分頃、瀬戸大橋の与島PAに到着。前回のドライブ時に瀬戸大橋を通過したのは早朝夜明け前でしたので、明るい時に通行するのは本当に久しぶりです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

瀬戸大橋の下段にあるJR瀬戸大橋線を電車が通過していきます。


与島PAからさらに移動すること約3時間(途中眠くなって、高知道 立川PAで1時間仮眠してました(笑)。)、ようやく高知城に到着しました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらはお城の出入口に建つ「追手門」。1664年(寛文4年)に再建されました。


追手門をくぐると、正面の丘の上に天守がそびえています。この場所から山頂まで、石段を登っていきます。




本丸の出入口となる詰門へとやって来ました。


内部の通路の脇には、家臣が藩主に呼ばれて登城した際に詰める部屋があります。


高知城天守です。この天守は、1603年(慶長8年)頃に完成した初代の天守が、1727年(享保12年)に大火で焼失したことに伴い、1749年(寛延2年)前後に再建されたものです。


初代の天守を模して再建されたため、名古屋城天守のような新しいタイプの「層塔型天守」ではなく、古いタイプの「望楼型天守」となっています。


建物内を見学する際は、まず本丸御殿へと入ります。この建物も天守と同時期に再建され、江戸時代の御殿建築の遺構として貴重なものです。






続いて天守へと入っていきます。


天守内部の様子。






最上階からの眺め。




高知城の見物は1時間ほどで終了。昼御飯を食べるのと姉から頼まれたお土産を買うために、近所の商店街へと徒歩で向かいます。


昼御飯は高知らしく、カツオのたたき定食をいただきました。


さて、高知市街地から移動すること約55分。次の目的地である香美市の龍河洞へとやって来ました。龍河洞は、日本三大鍾乳洞の一つに数えられています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

龍河洞の入口に立つ鳥居。


鳥居からも見えていたとおり、鍾乳洞の入口へは長い階段が続いています。


長い階段を登っていくのは疲れるので、並行するエスカレーターで移動します(笑)。


受付で入洞料を支払い、洞内へと入り込んでいきます。




龍河洞の観光用コースの距離は約1km。洞内の高低差は約80mあります。洞内空間の巨大さで言えば、山口県の秋芳洞が一番だと思いますが、洞内の高低差については、ここ龍河洞が勝っていると思います。

以下、洞内の様子です。
















































洞内を歩くこと25分、出口へと出てきました。


私たちのほかにも見物客がまあまあいて、全区間を自分のペースで見物することができなかったのは少々残念でした。屈んだり、身をよじったりしないと通れないような場所もあり、勝手気ままなペースで歩いていると邪魔になるので、そこは仕方がないですね。

これで、今回のドライブの目的地への訪問はすべて終了。駐車場まで戻ってきて、なんか疲れが出てきてしまい、1時間くらいくたばってました(笑)。
Posted at 2026/06/07 22:03:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年06月04日 イイね!

【豊田市】足助発電所の水路橋を訪れました

2026年3月27日金曜日、豊田市東川端町にある足助発電所の水路橋を訪れました。

この水路橋の存在を知ったきっかけは、暇つぶしに「愛知県内で何か面白そうな道や土木構造物がないかな。」と検索していて、足助に水路橋があるのを見つけたこと。

検索し直してみると、グーグルマップにも掲載されているのがわかり、「なんで今まで気が付かなかったんだ…。」という気分になり、さっそく訪れることにしたわけです。

さて、水路橋の近くにある愛知県道362号 川端橋のたもとへとやって来ました。


ここからは徒歩で現地へと向かいます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

少し進むと、道が二又に分かれています。ここは左側へと進んでいきます。路肩に立つ幅員1.5mの規制標識が香ばしいです(笑)。


5.5トンの重量制限の標識が現れました。水路橋までもう少しのようです。


足助発電所へ水を送る取水路です。水路橋の上部になります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

道路から斜面を下りて、水路橋を眺めることにします。


こちらが水路橋。足助発電所が運転を開始したのが1919年(大正8年)10月なので、現時点で築107年くらいでしょうか。


上部を流れる水路の幅から考えると、もう少し幅の細い水路橋かと思っていましたが、なかなかに重厚感溢れる石積みの連続アーチ橋です。








反対側からの水路橋の眺め。緩く曲線を描いているのがまた良いですね。


水路橋の下流側へと登ってきました。


下流側の水路トンネル。扁額には「第七號隧道」とあります。


さて、ネット検索で表示されていた「足助発電所の水路橋」は以上となります。しかし、これで終わりでは、私としては趣味的に面白味がありません。

あらためて地形図でこの周辺を見てみると、さらに下流側にも水路橋がありそうな地形が読み取れます。ということで、さらに下流側へと進んでみることにします。

ふたたび取水路が現れました。トンネルを覗きに行ってみます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは「第八號隧道」。


さらに下流側へと斜面を進んでいくと、予想どおりに水路橋が現れました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらの水路橋も石積みの連続アーチ橋ですね。






アーチ橋の山側の斜面を眺めてみると、石垣で固められています。水路橋を崩落から保護するためでしょう。


ここの水路橋は斜面を通過しているので、より巨大さが強調されていますね。




15時を回って周囲も薄暗くなってきたので、取水路を追うのはこれくらいにすることとします。




車へと戻ってきました。いやぁ、やはり一般に存在が知られていない物件を見つけると気分が良いですね(笑)(もちろん電力会社の人は別ですよ。)。
Posted at 2026/06/04 22:06:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・発電関係施設 | 日記
2026年05月25日 イイね!

【西尾市】八ッ面山に残る雲母坑跡を見てきました

2026年3月20日金曜日、西尾市の八ッ面山に残る雲母坑跡を見てきました。

この日は仕事がお休み。昼過ぎまでは家でゴロゴロしていましたが、買い物へ出かけるために家を出たついでに、近くを軽くドライブ。八ッ面山へとやって来ました。八ッ面山は西尾市の市街地北東部にある標高67mの丘陵です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まずは、この山の中腹にある久麻久神社へとやって来ました。創建は大宝年間(701年~704年)と伝えられる古社です。




この神社の本殿は大永7年(1527年)に建立され、国の重要文化財に指定されています。


続いて、山頂にある展望台へと向かうために歩いていたところ、路肩に「雲母坑址」の案内板があるのが目に入りました。


八ッ面山には子供の頃から何度も訪れていて、雲母を採掘していたという事も知っていましたが、その採掘跡を実際に見に行ったことはありませんでした。いい機会なので、現地を訪れてみることにします。

保存されている雲母坑跡に立っていた説明板。


説明板によると、この山の雲母は、古くは和銅6年(713年)に「調」(税金の一種。布製品や特産物を納める。)として朝廷に献上された記録があり、江戸時代には盛んに採掘され、明治時代には輸出もされていたそうです。

明治33年(1900年)の落盤事故により採掘は中止されましたが、現代と違って雲母坑はそのまま放置され、昭和6年(1931年)に小学生の転落事故が発生したことにより、地元青年団の手によってようやく埋め立てられました。その数、なんと642か所!手当たり次第に掘りまくっていたのでしょうね。

こちらは見学用に保存されている雲母坑跡。人が落ちないようにグレーチングがはめ込まれています。


雲母坑は、地表から垂直に穴を掘り、鉱脈に突き当たったらそこから鉱脈に沿って掘り進めていたようです。ご覧のとおり、人一人がやっと入れるような穴のサイズで、たぬき堀り(坑道を支える支保工を用いない掘り方。常に落盤の危険がある。)をしていたようです。

見学用の雲母坑跡の周囲には、他にもフェンスで囲われた坑口が残っています。穴は埋め立てたとありましたが、これらも見学用に残されたものでしょうか。




窪地があります。これは雲母坑を埋め立てた跡でしょう。


山頂に向けて散策路を進んでいくと、道跡が分かれているのを見つけました。この先にも雲母坑跡があるかもしれないので、道跡へと入ってみることにします。


雲母坑跡の上に朽ちた虎柵だけが乗っています。散策路から離れた場所なので、気付く人はほとんどいないでしょうが…。


山頂に出てきたので、そのまま展望台に登ります。


展望台からの眺め。




展望台で景色を眺めた後、もうしばらく斜面を歩き回って、雲母坑の跡を探してみます。

またフェンスに囲われた雲母坑跡を見つけました。フェンスで囲ってある穴と囲っていない穴があるのはなぜなのでしょうか。埋め立てが甘い穴をフェンスで囲っているのでしょうか。


覗き込んでみると、縦穴部分だけが残っているようです。


穴の上に枯れ切った木が乗っている場所が多く、もしかしたら、フェンスで囲む以前は、木を並べて埋めた穴を隠していたのかもしれません。怖いですけど…。


この辺りの斜面も至る所に窪地を見ることができます。雲母坑を埋めた跡だと思うと、適当に歩くわけにもいきません。一応、気を遣います。


道路から近い場所に残っていた雲母坑跡。一応、穴は埋められているのが確認できますが、危険ではあります。深さは腰か胸の高さくらいでしょうか。フェンスを含めて、注意喚起を促すようなものは周囲にありません。


斜面を歩き回ってみて、想像以上に広い範囲で手当たり次第に雲母を採掘していたことに驚きました。埋めた穴が642か所というのも、あながち誇張ではないのかもしれません。

穴が現存しているのは、私のようにいろんな遺構を見ることが好きな人間にとっては興味を惹きますが、安全面を考えると徹底的に再埋立することも必要なのかもしれませんね。
Posted at 2026/05/25 22:32:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

プロフィール

「【岡崎市】中部電力 岩津発電所と廃水路・廃水車 http://cvw.jp/b/1796277/49166754/
何シテル?   06/28 22:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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2026/06/25 15:23:46

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