2026年7月8日水曜日、山形市山寺にある立石寺を訪れました。
立石寺は、860年(貞観2年)に第3世天台座主 慈覚大師円仁により開かれた寺院だそうです。一般的には「山寺(やまでら)」という通称の方が知られていると思います。1689年(元禄2年)に松尾芭蕉が訪れて、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句を詠んでいることで有名ですね。
当日は午前1時50分頃に自宅を出発。東海環状道、中央道、上信越道、北陸道、日本海東北道と経由して、国道113号で山形県へ。途中、駒ヶ岳SA、米山SA、黒埼PAと3回休憩しました。
国道113号を走行中、西置賜郡小国町にあるJR米坂線小国駅へちょっと寄り道。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
JR米坂線は、2022年8月の豪雨で被災し、現在も今泉駅~坂町駅間が運休となっています。
続いて、国道113号新宇津トンネルを越えた先にある手ノ子駅にも立ち寄り。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
小国駅の駅構内はまだきれいでしたが、手ノ子駅の構内は草ぼうぼうとなってしまい廃線同然となっています。
14時40分頃、今回の長距離ドライブの目的地である立石寺へようやく到着しました。自宅からは休憩も含めて13時間弱かかりました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
こちらは根本中堂。国の重要文化財に指定されています。
こちらは日枝神社。立石寺一山の総鎮守とするため、近江国(滋賀県)の日吉大社より分祀し勧請されたのが起源だそうです。
山門へとやって来ました。ここで拝観料を納め、石段を登って奥之院を目指します。
口を開けて見上げるような大きな岩壁。こういう奇観が、修行の場に相応しいと見られた理由の一つかもしれませんね。
この幅の狭い石段は「四寸道」。昔からこの道幅だそうで、立石寺の開山 慈覚大師の足跡をなぞることができる場所ということみたいです。
石段を登っていくこと自体は苦になりませんが、とにかく汗が止まりません…。
こちらは弥陀洞。長年の風雨で岩壁が削られて、阿弥陀如来の輪郭が現れたとされるものです。
こちらは仁王門。
埋め尽くすように千社札が貼られています。
さらに石段を上り、仁王門を見下ろします。
こちらは性相院。
こちらは開山堂。赤色の小さなお堂は納経堂です。
振り返って山上の境内を眺めます。
開山堂の横を通り抜けて、さらに石段を登っていきます。
こちらは五大堂。懸造りにより、岩の斜面からせり出して建てられています。
このお堂には五大明王が祀られています。
良い眺めですね。眼下に門前町が見えています。
開山堂から奥之院へと向けて進んでいきます。
こちらは「行啓 山寺記念殿」。1908年(明治41年)9月18日に東宮 嘉仁親王(後の大正天皇。)が参拝した際の休憩所だそうです。
ようやく奥之院に到着しました。
こちらは金灯篭。ご覧のとおり、金属製の巨大な灯籠です。
こちらは奥之院。
こちらは三重小塔。覗いてみると、精巧に造られた三重塔が納められています。国の重要文化財に指定されています。
山上の境内にポストがありました。郵便物の取集めに来る郵便局員さん大変そう…。
反対側の山の中の岩場にも懸造りの建物が点在しています。あちらは僧侶の修行用の場所のため、参拝者は立入禁止となっています。
山上の境内の見物を終えて麓へと戻ってきました。こちらは立石寺本坊の脇にある「神楽岩」。
JR仙山線 山寺駅。
山寺ホテル。
これにて山寺地区を出発します。
さて、ここから元来た道を帰るか、もう少し山形県内をブラブラするかどうするか…。
取りあえず、月山を越えて鶴岡市へと出て、国道7号で新潟県方面へと向かうことに決めました。山形道 山形北ICから高速道路に乗って、寒河江SAで早めの晩御飯。
まだ夕暮れまでには時間があったので、西川ICで山形道を下りて国道112号を走行。途中から県道へと入って山を登り、西村山郡西川町岩根沢にある岩根沢三山神社へとやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
巨大な「唐門」(山門)に掲げられた「湯殿山」の扁額。
これは天狗の面なのでしょうか。同じく唐門に掲げられていました。
本殿です。
白木なので地味に見えますが、精緻な彫刻で飾られています。
本殿の全景。よく見かける神社の本殿とは規模が全然違い、正面の全長が66.9m、高さは25.7mあるそうです。国の重要文化財に指定されています。
普通であれば別々に存在する境内の建物群を、一つの巨大な建屋に収めてあるイメージだそうです。
岩根沢三山神社は、明治初期の神仏分離令により神社となるまでは「日月寺」と呼ばれる天台宗の寺院でした。現在ある神社の本殿は、もともと「日月寺」の「本堂」だったわけです。
続いてやって来たのは、「本道寺口ノ宮 湯殿山神社」。
この神社も明治初期の神仏分離令までは本道寺という真言宗の寺院で、江戸時代は徳川氏の勅願寺の一つとして、また、出羽三山参拝の拠点として隆盛を誇っていたそうです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
石段の頂上から国道112号を見下ろしています。
本殿。この神社の本殿もそこそこ大きな建屋となっていますが、元来あった建物群は、幕末から明治初期の戊辰戦争時、徳川氏の勅願寺であったことを理由に新政府軍の手により焼き払われてしまったそうです。
こちらも「湯殿山」の扁額が掲げられています。
佛足石。こういう遺物が残されているのも、元が寺院に由来する神社なのだと実感させます。
神社の傍らに残る旧本道寺代参塔群。
だいぶ日も傾いてきたので寄り道はこれくらいにします。普通であれば、この先は国道112号のバイパス路である月山道路を通行して鶴岡市へと向かうところです。
しかし、せっかくめったに来ない場所へと来ているのにバイパスを通行しても面白味がありません(笑)。ここは、戦前改修の車道に由来する国道112号六十里越街道を通行することにします。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
こちらは現地の戦前の地形図。

※ひなたGISより引用。
この国道版の六十里越街道の原型は、庄内出身で山形県議会議員・議長を歴任した大館藤兵衛氏の尽力により、1899年(明治32年)に県道として着工されたそうですが、徒歩道である旧来の六十里越街道よりも距離が長くなったため、利用者は少なかったそうです(旧街道の車道改修でよくある話。)。
時代が進み、自動車利用が浸透してきたことを受けて、1932年(昭和7年)から1934年(昭和9年)にかけて自動車道として再改修。そして1953年(昭和28年)に国道112号に指定され、これが現在へと引き継がれています。
当たり前ですが、夕闇迫るこの時間帯、月山越えというとても山深い峠越えの道。対向車も後続車も全くありませんでした(笑)。
この後は予定どおりに鶴岡市街地へと出て、そこからは国道7号を走行。新潟県境に程近い道の駅「あつみ しゃりん」で車中泊することとしました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。