2026年7月9日木曜日、新潟県新潟市秋葉区にある「旧新津油田 金津鉱場跡」を訪れました。「旧新津油田 金津鉱場跡」は、1874年(明治7年)から1996年(平成8年)まで操業していた油田です。
この日は、山形県の道の駅「あつみ しゃりん」を出発し、鳥越山、旧大正浦隧道、新発田城跡と見物。
あともう1か所くらい立ち寄ろうかなと考え、「そういえば新津に油田の遺構があったっけ。新発田市からなら、そんなに時間かからずに行けるだろう。」ということで次の訪問場所に決定。
新発田城跡を7時50分頃出発し、通勤車両で混みあう道路を移動。ナビの指定したルートが新津駅前を通るルートだったので、つい「新津鉄道資料館にも寄り道しようかなぁ。」とも思いましたが、「資料館はまた今度。」とグッと我慢(笑)。
9時頃、「旧新津油田 金津鉱場跡」の最寄りとなる「里山ビジターセンター」の駐車場へとやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
遺構の見物にはちょっとした山歩きもあるので、里山ビジターセンターで飲み物を購入してから出発。
というか、駐車場の傍らにさっそく石油採油用の櫓が立っています。こちらは「C86号井」。1941年(昭和16年)に掘削され、1996年(平成8年)まで採油していたそうです。
付属の設備。用途は不明ですが、「火気厳禁」の表示が今も有効なようで、ちょっと怖いですね。
こんな路地裏みたいな場所にも採油用櫓が。これは特に整備されておらず放置されていますね。パンフレットによると「K210号井」のようです。
というか、「中東の油田」ほどの規模ではなくても、一般的な「油田」のイメージで来るといい意味で裏切られますね(笑)。
道路脇のこんな場所にも採油用櫓があります。こちらは「C39号井」。1909年(明治42年)掘削で、こちらも1996年(平成8年)まで稼動していました。
こちらは「集油タンク」。1984年(昭和59年)竣工の施設だそうで、大型タンクと中型タンクの2基あります。
こちらは「送油所」。1917年(大正6年)竣工。
「送油所」の奥に円形の煉瓦構造物があります。
こちらは「計量タンク」。1907年(明治40年)頃の設置と思われる。タンクを煉瓦で覆ってあるそうで、これはパイプラインで輸送するために加熱して流動性を高めた石油を冷やさないためだそうです。
こちらは「集油所」。1907年(明治40年)頃の設置と思われる。採油井戸からくみ上げられた石油を一旦集めるための場所だそうです。
こちらは「加熱炉」。1968年(昭和43年)頃の設置と思われる。水切りタンクで水分と分離させた原油を約70度に加熱する施設だそうです。加熱することで、さらに水分の除去を進めます。
こちらは「木工所」。この油田の施設がまだ木製中心だっと頃に使用されていた施設。1968年(昭和43年)から1996年(平成8年)までは石油会社の事務所として使用されていました。
平地にある遺構の見物はこれくらいにして、続いては山の中にある遺構を見物しにいきます。
遊歩道脇にあった用途不明の穴。
この穴、閉鎖されていないどころか注意書きすらなく、誰でも入れるような状態。支保工と思われる細い鉄骨が残っているので、この油田で利用されていた穴だと思われます。
これはけっこう急な坂道ですね。
坂の途中に立っている注意看板。石油を採るために、江戸時代からこの山の中では手当たり次第に穴を掘りまくっていたようなので、このような看板が設置されているのは当然ですね。
これはとても珍しい光景です。岩の表面が濡れてベタベタしていますが、岩の隙間から石油が染み出ているのだそうです。石油が染み出している地層は、500万年前に海底に積もってできたもので「金津層」と名付けられています。
まだまだ急坂を登っていきます。
急坂を登り切った所にある「休憩所」。作業員の休憩所で「暖室」とも呼ばれていたそうです。
こちらは「ポンピングパワー」が設置されている建屋。この動力装置により、この油田にある55か所の石油井戸から原油のくみ上げを行っていました。
「ポンピングパワー」についての説明板。
建屋に入ってすぐ目に付くのがこの巨大な滑車(と言っていいのかな?)。上部にはとても幅広いベルトが巻かれており、下部の車輪には多くの金属製継ぎ手が連結されています。
ベルトの行く先を追っていくと、小さなモーターに連結されていました。この小さなモーターの力を「ポンピングパワー」で増幅・連動させて、数多くの石油井戸の動力へと変換しているわけです。すごい仕組みですね。
建屋の隅にはたくさんの金属部品が放置されていました。「ポンピングパワー」などで使用され交換された部品なのでしょう。
建屋の内部を眺めます。
さらに先へと進んでいきます。
薮に覆われた簡素な造りの櫓。「C16号井」でしょうか。
山の中にポツンと残されていたタンク。原油を一時的に溜めたタンクでしょうか。
「C14号井」。「落下危険」として立入禁止になっていました。地面に穴が開いたのか、櫓からの落下物があったのか。
「C7号井」。1904年(明治37年)掘削。1996年(平成8年)まで稼動。稼動末期に建て直された櫓なのか、まだ外観がきれいでいかにも現代的な造りの鉄塔です。
私にとって、原油をくみ上げる装置といえば、「水飲み鳥」のようなこのタイプのものがイメージされます。
遊歩道を少し下っていきます。
こちらは「5号継転機」。この装置で「ポンピングパワー」から伝えられた動力を各石油井戸へと分配しています。
「C38号井」。
草むらの中にこのような機械がポツンと佇んでいるのは、稼働当時を知らない人間から見ると違和感しかありませんね。
さて、山の中の遺構の見物を終えて、続いて集落の中に残る遺構を見に来ました。
こちらは「C3号井」と「ポンピング装置」。縦に立つ巨大な円盤が印象的です。山の上の「ポンピングパワー」の滑車は水平に置かれていましたからね。
隣接して設置されている「ろ過池」。原油から分離された水が最終的にこの「ろ過池」へと送られてきて、その水からさらに原油を分離して回収していたようです。
この真っ黒な液体、いかにも原油っぽいですね。本当は残りかすが長年の雨水と混ざってそう見えるだけなんでしょうけどね。
最後に隣接する「石油の世界観」で、この史跡や石油業界の仕組みと歴史をお勉強。ここに置いてあった「旧新津油田金津鉱場総合調査報告書」という分厚い本、いろんな範囲を網羅してありながらも読みやすくて、多少高くても買ってもいいなぁと思ったのですが、残念ながら非売品でした…。
「一度は日本の油田を見てみたいな。」とずっと思っていたので、新潟県内にいるうちにこの場所の事を思い出せて良かったです(笑)。こういう産業遺産は、時間が許せば同じ場所を何周でもしてしまいたいのですが、まだ愛知県まで500km近く走行しないといけないので、これにて帰ります。
と言いつつ、新津から北陸道へと向かうまでに、さらにもう1か所寄り道。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
旧新潟交通 月潟駅です。「かぼちゃ電車保存会」により管理保存されてます。
モハ10形電車。
モワ51形電動貨車。
キ100形ラッセル車。
月潟駅駅舎。
時刻は12時。あらためて最寄りのインターチェンジへと向かいます。
巻潟東ICから北陸道に乗り、栄PAで昼御飯。その後は、米山SA、妙高SAと休憩を取りながら走行していましたが、岡谷JCT付近の車線規制工事でひどい渋滞が発生していたため、様子見も兼ねて梓川SAで長めの休憩を取りつつ晩御飯。
時間は19時30分を回っていましたが、渋滞が全然解消されていなかったため、松本ICで高速道路を下りて、松本盆地西部を通るアルプスグリーン道路で塩尻市南部の国道19号へと迂回。そのまま中津川市までトラックに追いかけられながら「木曽高速」と呼ばれる夜の国道19号を走行し、ようやく中津川ICから高速道路へ乗り直し。
7月10日金曜日午前1時50分にようやく帰宅しました。今回の長距離ドライブの走行距離は1,410kmあまり。運転免許を取ったばかりの頃並みに、着々とエブリィワゴンの累計走行距離を伸ばしております(笑)。
