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小林あにのブログ一覧

2026年07月12日 イイね!

【福島県】さざえ堂・旧滝沢本陣・鶴ヶ城・圓藏寺を訪れました

2026年5月4日から5日にかけて、姉弟3人で福島県を目的地として長距離ドライブしてきました。

5月5日は白河市のホテルを出発。最初は大内宿へ立ち寄ろうとしましたが、あと一歩の所まで接近しながらも渋滞が激しくて動かなくなり断念。Uターンして会津若松市へと向かいました。

会津若松市内へとやって来ました。まずは飯盛山へと登ります。右側にエスカレーターが設置されていますが、そのまま階段で登っていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

階段の途中にあった古いコンクリート橋。この雰囲気は間違いなく戦前物ですね。


けっこう登ってきました。良い眺めです。


階段を登り終えると広場に出ます。ここには会津戦争の際に自決した白虎隊隊士のお墓などがあります。


広場からさざえ堂へと続く散策路の道中から、会津若松市街地の眺め。


さざえ堂に到着しました。この場所を前回訪れたのは何年前だったか…。記憶が定かではありません。


さざえ堂は、正式には「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)といい、かつてこの地に存在した寺院「正宗寺」の仏堂として、1796年(寛政8年)に建立されました。内部は二重らせん構造になっていて、堂内を登る通路と下る通路が別々になっており交差することがありません。

この特異な内部構造から、国の重要文化財に指定されています。

それでは堂内へと進んでいきます。


あまり大きな建物ではないので、傾斜した通路をグルグルと回りながら登っていきます。何となく目が回りそう…。


堂内のてっぺんまで来ました。天井には「千社札」がビッシリと貼り込まれています。いかにも古くから参拝されているお堂らしい雰囲気です。


今度は下りの通路へ。けっこう傾斜がきついので、横木に躓いて転ばないように注意しないといけません。


お堂の外へと出てきました。違うアングルからも写真を撮っておきます。


これで一旦駐車場へと戻りますが、飯盛山へ登ってきた時とは違うルートで山を下ることにします。

こちらは、さざえ堂の下を流れる用水。戸ノ口堰または戸ノ口堰用水と呼ばれています。江戸時代に開削された用水で、1623年(元和9年)に開削を開始し、4期に渡る工事を経て、1693年(元禄6年)に現在の流路が完成したようです。


戸ノ口堰洞穴。この用水トンネルは「弁天洞門」と呼ばれ、1832年(天保3年)に戸ノ口堰の改修工事の一環として、延べ55,000人の人夫により掘削されました。延長は150mあるそうです。




飯盛山を下っていくと、古い家屋の前へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「旧滝沢本陣」とあります。


「旧滝沢本陣」は、1678年(延宝6年)に建てられた住宅で、旧白河街道が目の前を通っているため、会津藩主の参勤交代や領内巡視、社寺参詣などの際に休憩所として利用されていたそうです。


この家屋自体は「旧滝沢本陣 横山家住宅」として、国の重要文化財に指定されています。ちなみに横山家は、「滝沢組近郷十一ヶ村郷頭」という立場だったそうです。


家屋の内部です。


立派な庭園です。藩主が休憩で利用するわけですから、この庭園も含めて横山家は家屋の維持管理や接待の準備・対応など、役目が大変だったでしょうね。






柱に残る戊辰戦争時の弾痕。戊辰戦争時は、ここに会津藩の本営が置かれていたそうです。それにもかかわらず、よくも焼失などの被害にまで至らなかったと思います。


続いて、鶴ヶ城へとやって来ました。さすがに駐車場へ入るまでに少々待たされました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

鶴ヶ城天守。1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造により外観復興されたものです。


本来の天守は、1868年(慶応4年)の会津戦争による新政府軍の砲撃を受けて大きく損傷。1874年(明治7年)までに廃城令などにより解体されてしまいました。


天守最上階からの眺めです。こちらは磐梯山を遠望。


こちらは飯豊山を遠望。


鶴ヶ城の城内。




最後にまた天守を。




これにて今回のドライブ旅行での見物は終了。磐越道で新潟県へと出て帰る予定でしたが、私の意向でもう1か所向かうことにします。

会津盆地の南西端、柳津町へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

街を散策して見つけた湧水。


ポストの上に「赤べこ」が乗っかっています。知りませんでしたが、ここ柳津町は赤べこ伝説発祥の地だそうです。


ポストの隣に建つ「柳津村道路元標」。


目的地である「圓藏寺」の出入口へと来ました。長い階段です。


先に階段を登っていた人たちが山門で追い返されていました。入口ではなかったのかな。


巨岩の上に本堂が見えています。


もう一つの出入口にたどり着きました。ここから境内へと向かうことにします。


北山門。


本堂の前へと出てきました。その時、本堂からお寺の方が「もう参拝時間は終了しました。」と声を掛けます。確認してみたら閉門時間が15時45分。もう5分ほど過ぎています。これは迂闊でした。


お寺を見物できなかった代わりに、もうしばらく街の中を散策。お店の前に大きな赤べこがいました。


観月橋。


観月橋から眺めた圓藏寺。


「亀石」。この亀石の奥には龍宮があり、「そこから宝照の玉を取ってくれば、悪い病気はたちまち姿を消すだろう。」という伝承があるそうです。


最後に、観月橋のたもとにあった赤べこ。


さて車に戻り、柳津町から会津坂下町まで国道252号を引き返して、そこからは国道49号で新潟県へ(結局、磐越道は乗りませんでした。)。新潟平野への入口まで来たら国道49号から逸れて、村松、加茂とショートカットし、三条燕ICから北陸自動車道に乗り、ようやく帰路につきました。

この後、上信越道 妙高SAまでは運転していましたが、ついに力尽きて運転交替してもらいました。

自宅に到着したのは5月6日午前2時50分頃。ゴールデンウィーク連休最終日になりました。今回のドライブでの走行距離は1,300kmでした。


エブリィワゴンに乗り換えてから俄然遠出のドライブが増え、累積走行距離がうなぎ上りになっていますね…。1年目で何kmまで伸びますかね。
Posted at 2026/07/12 19:39:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年07月11日 イイね!

鹿島神宮・白河関跡・黒川橋梁・白河小峰城などを訪れました

2026年5月4日・5日、姉弟3人で福島県を目的地として長距離ドライブしてきました。白河市の「白河ラーメン岩松」さん、会津若松市のさざえ堂や鶴ヶ城を訪れることは決めておき、あとはその場で寄り道するパターンです。

当初、福島県へは中央道・長野道を通り、上信越道豊田飯山ICから国道117号を経由し、国道252号六十里越トンネルを越えて会津地方へと入るルートを想定していました。

しかし、道路状況をチェックしてみたら、国道252号が六十里越トンネルを福島県側へ抜けた先にある橋の流出により通行止めになっていることが判明。東名高速経由で向かうことにしました。

東名高速経由にルート変更したところ、姉から「どうせ真っ直ぐ白河市へ向かっても渋滞するだろうし、鹿島神宮へ行きたい。」との提案。大回りではありますが、最初に向かう目的地に決定しました。

自宅を3日22時15分頃に出発。東名高速・首都高・東関東道と走破して、4日6時10分頃、鹿島神宮へ到着しました。この神社を訪れるのは初めてです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

参道を通り、境内へと向かいます。


楼門。1634年(寛永11年)に水戸藩初代藩主徳川頼房により奉納されたものだそうで、国の重要文化財に指定されています。


拝殿にてお参り。拝殿とその奥側にある本殿は、1619年(元和5年)に二代将軍徳川秀忠から寄進されたものだそうで、国の重要文化財に指定されています。


仮殿。この社殿は、現在ある本殿を造営していた期間、旧本殿に祀られていた神様の「仮の本殿」とするために1618年(元和4年)に造営されたものです。こちらも徳川秀忠による寄進で、国の重要文化財に指定されています。


続いて、奥宮へと向かいます。


参道の右側には、流鏑馬用のものと思われる道が築かれています。


奥宮本殿。元々は現在の本殿の位置に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼にと1605年(慶長10年)に奉納した建物。その後、現在の本殿が造営された際に現在地へと移動したものだそうです。


奥宮から丘を下ってやって来たのは御手洗池。鹿島神宮を紹介する写真でよく見る池ですね。




池の真ん中に立つ鳥居と、その池を跨ぐように伸びる異形の樹木が神秘さを醸し出しています。


御手洗池の水源は湧水で、1日に約40万リットル湧き出しているそうです。


ふたたび奥宮本殿の前へと戻り、次のポイントへと移動します。




やって来たのは「要石」。「地震を起こす大鯰の頭を押さえている石」との伝説で知られていますね。


地面に見えている大きさは、拍子抜けするくらいに小さいです。


「要石」の説明板。「水戸の御老公」、興味が湧くと何でもやってます。大鯰が暴れ出したらどうする(笑)。


それでは車へと戻ることにします。


本殿。


さて、鹿島神宮から福島県白河市へと移動です。途中、「海に鳥居がある神社があるみたい。」との姉からの要望により、大洗磯前神社へちょっと寄り道。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

その後はナビの指示に従って、茨城県から福島県へ向かう山道を淡々と走行。

11時10分頃、「白河ラーメン岩松」さんに到着。混雑していて順番待ちだったので、このお店へ先にやって来ていたプロトタイプのみなさんと駐車場でしばし談笑。

しばらく待ってようやく順番が来て入店。今回も美味しくいただきました。


これにて、この日のメイン行事は終わりましたが、時刻はまだ13時。ホテルへ向かうには早すぎる時間なので、白河市周辺で旧所名跡などを巡ることに。

まず訪れたのは白河関跡。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

白河関跡の様子。








続いて、境の明神(福島県側)。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

県境の様子。


こちらは、県境を挟んでお隣の栃木県側にある境の明神。




ここで鉄道好きの心が動き出し、近隣にある東北本線黒川橋梁へとやって来ました。写真で見たことはありますが、本当に高い場所を通過していますね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

黒川橋梁の全景。ちなみに、この黒川橋梁は東北本線開通時からあったわけではなく、線路改良のため、現在の上り線橋梁が1920年(大正9年)に新たに架橋されたものです。






では、開通当時の旧線はどこを通過していたのかというと、この地図の赤線のとおりとなります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

現在、旧線跡は道路として利用されています。ただ、道幅はほぼ鉄道当時のままなので、対向車とのすれ違いは困難です。


かつて線路跡だったとわかる、付近で唯一の遺構。煉瓦積み橋台です。




この日最後にやって来たのは、白河小峰城址。東北本線白河駅のすぐ裏手にあります。


現存する城郭遺構へと整備したのは、1627年(寛永4年)に初代白河藩主となった丹羽長重。およそ4年の歳月をかけて大改修を行い、1632年(寛永9年)に完成したそうです。


場所はこちら。


三重櫓。江戸時代には「三重御櫓」と呼ばれて、天守の代わりとされていたそうです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

台座形状の石垣と石垣の間にも石を詰めてあります。私が今までに見てきた石垣の中では珍しいやり方です。


それでは三重櫓目指して城内を進んでいきます。






本丸へと登ってきました。


あらためて三重櫓。この櫓は、発掘調査や「白河城御櫓絵図」に基づき、1991年(平成3年)に木造により再建されたものです。




三重櫓と前御門。前御門は、1994年(平成6年)に再建されました。


三重櫓の内部。


お城を見物した後は、東北新幹線新白河駅前のビジネスホテルへチェックイン。一泊しました。

翌5日も快晴。この日は会津若松へと向かう予定でしたが、姉からの要望でまずは大内宿へと向かうことにします。


ところが、大内宿の直前まで来たところで渋滞があまりに酷くて進まなくなり、訪問を断念。

トイレに行きたいという事で、国道121号から大内宿へ向かう道の分岐点近くにある会津鉄道湯野上温泉駅へ立ち寄り。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

小休止の間、駅や列車の写真をちょっと撮影。






それでは会津若松市へと向かいます。
Posted at 2026/07/11 23:31:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年06月28日 イイね!

【岡崎市】中部電力 岩津発電所と廃水路・廃水車

2026年4月19日日曜日、岡崎市日影町にある中部電力 岩津発電所と近隣に残る廃水路・廃水車を訪れてきました。

この日は暇つぶしに近場をぶらりとドライブ。岡崎市の北部から郡界川沿いに県道を進み、岩津発電所の前へとやって来たので久しぶりに立ち寄ってみることに。訪れたのは2018年8月5日以来です。


岩津発電所は、中部電力管内の発電所としては一番古いもので、発電所の出入口には説明板が立てられています。


こちらは岩津発電所の建屋。背後の斜面には、発電機へと水を落とすための水圧鉄管が設置されています。


こちらは発電所の排水口。発電機を通過した水が排出されています。


古い発電所らしく、排水口は石造のアーチになっています。


発電所からは、郡界川の下流側へ向かって徒歩道が続いています。


徒歩道を少し歩くと、川の中に小規模な堰堤があります。


この堰堤の左岸側には取水口がありますが、すでに封鎖されてしまっています。




堰堤の様子を見てみると、元は石積み部分だけだったものをコンクリートでさらに延長した造りのようです。




ふたたび徒歩道を歩いて行きます。


コンクリート製の構造物がありました。


構造物には水が勢いよく流れ下る写真が掲示されています。


これは、山の上にある岩津発電所の貯水池からの余水路のようです。大雨などで貯水池が満杯になった時に、溢れそうな水をこの沢へ流し込むのでしょう。


先ほどの堰堤からの廃水路が合流してきました。


ここからは廃水路に沿って歩いて行きます。




廃水路の谷側に小さな水門が残っていました。この廃水路の余水吐けのようです。


さらにもう少しだけ歩くと廃水路の終点となり、薮の中に大きな水車が見えてきました。


今までに見てきた堰堤と廃水路は、この水車へと水を導くための施設でした。


ネットで見つけた論文によると、この水利施設は明治40年(1906年)に当地に建設された反毛工場が、岩津発電所からの排水を水車へと再利用するために設置したものだそうです。

水力発電所からは発電後の水が常時一定量は排出されているので、再利用すれば自前で水車用の水源を確保する苦労を減らすことができます。だから堰堤が発電所排水口のすぐ下流に設置されていたわけです。

ちなみに「反毛」とは、不要になった衣料・糸・布地などをほぐして綿状に戻すことだそうで、そのための機械を水車の力を利用して駆動していたのでしょう。


こちらは水車へと水を落とす金属製の樋。




工場の近くにあった石仏。そこそこ古そうな感じで、工場が盛業だった時代を見ていたんですかね。


これにて散策を切り上げて、車へと戻りました。
Posted at 2026/06/28 22:30:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年06月11日 イイね!

明石橋・国道195号 四ツ足峠トンネル・旧出合橋ほか

2026年4月11日土曜日、弟と高知県の高知城と龍河洞を訪れました。

さて、毎度のことですが(笑)、目的地を回った後、「どういうルートで帰宅しようか?」となります。普通はやって来た時の道を帰るというパターンでしょうけど、我が家はほとんどの場合、違うルートで帰ります。

今回は弟が「室戸岬回りで帰ろう。」と言ってきましたが、私が「遠回りだし、前回来た時に通っているから嫌だなぁ。」と却下。妥協点で、国道195号で高知県から徳島県へ山越えして、淡路島を通って帰るルートに決定しました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ただし、淡々と帰り道ルートを走行するわけではなく、目に付いた場所には立ち寄っていきます(主に私の意向によって(笑)。)。

まずは香美市物部町山崎地区を走行中、目に留まった物件があったので、国道のミニ旧道で停車します。ちなみに時刻は18時です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

見つけた物件は吊り橋。さっそく渡ってみることにします。ちなみに、橋の名称は銘板が外されていたためにわかりませんでしたが、ネットで調べてみたところ、明石橋というようです。


吊り橋ではありますが、全金属製でしっかりとした造りになっています。バイクぐらいまでなら問題なく通行できそうです。


橋の主塔にあった銘板によると、この吊り橋の竣工は1955年(昭和30年)5月。この吊り橋が架かる永瀬ダムの建設に合わせて架橋されたものでしょう。


橋を吊り下げるワイヤー。自動車などの通行は見込んでいないためか、細いワイヤーが使用されています。


吊り橋から下流側を眺めます。


対岸側にある吊り橋の主塔。


振り返って国道側を眺めます。


対岸側は山の斜面が橋に迫っていて、窮屈なスペースに主塔が建てられています。


橋のたもとから右折して下流側へと向かう徒歩道を進んでいくと、山の上に廃集落があるようです。私は左折して進んでみることにします。


徒歩道がダム湖に沿って奥へと続いています。


徒歩道をさらに追っていきたい気分ではありますが、すでに夕暮れ時。ここはグッとこらえて車へと戻ることにします。


車に乗り込み、国道からさも旧国道のように分岐していく道へと進入し、奥へと進んでいくとふたたび吊り橋に遭遇。この吊り橋の名称は山崎橋。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この吊り橋も、明石橋と同じく1955年(昭和30年)5月の竣工。ご覧のとおり自動車通行可能な橋だったので、このまま渡って進みます。


国道の対岸側の細い舗装路を上流方向へと進んでいくと、高い位置に架橋された橋が現れました。仙頭大橋です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

先ほど渡った山崎橋の後継の橋として架橋されたのか、全く関係が無い橋なのか、その辺りは不明ですが、国道の対岸にある集落にとって大切な橋なのは間違いありません。

さてさて、この後も物部川の渓谷に沿ってウネウネと曲がりくねった国道195号を延々と走行。19時過ぎ、ようやく高知・徳島県境にある国道195号 四ツ足峠トンネルに到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

四ツ足峠トンネルの開通は、1964年(昭和39年)11月。延長は1,857mで、開通当時は全国4位の延長だったそうです。


開通式当日、地元の木頭村(現:徳島県那賀郡那賀町)では、村内の小学校ごとに全戸を招待して、餅投げ・祝賀会が行われたそうです。それだけ大きな喜びだったのでしょう。


トンネルの高知県側は物部川水系でしたが、ここからは徳島県側の那賀川水系に沿って山を下っていきます。


四ツ足峠トンネルから約30分ほど走行した地点。国道195号と193号が分岐する地点の那賀川には「出合ゆず大橋」が架かっていますが、その下流側にもう1本橋が架かっているのが見えました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

車を駐車して橋を見に行ってみると、どうやら旧国道の橋のようです。


橋の名称は出合橋。せっかくなので、橋を渡ってみることにします。ちなみに弟は車でお留守番。


国道当時の案内標識が残されたままになっているようです。


県庁所在地で、見物した高知城がある高知市までは、この橋から107kmですか。


橋を渡った先には国道標識がそのまま残されています。国道指定が外れると真っ先に撤去されるケースがほとんどなので、これは珍しいですね。


出合橋の先にある出合トンネルも少し覗いてみます。素掘りトンネルにコンクリートを塗って補強してあります。


国道の分岐を案内する標識も残されたままです。


一通り見終えたので、車へと戻ります。


こちらは旧出合橋から徳島方面へ5分ほど走行した場所にあった長安口ダム。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

夜のダム見物をした後は、ふたたび国道195号を快走。暗闇の中、那賀川に沿ったワインディングロードを気持ちよく走行していましたが、ついに眠気が襲ってきました(笑)。

21時35分、那賀町中山にある道の駅「わじき」に停車。ここで日付けが変わり、そのまま翌12日午前2時まで仮眠してました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

目が覚めたらふたたび国道195号を走行。途中、徳島県道24号でショートカットして、阿南市で国道55号へ合流。小松島市、徳島市と通過し、鳴門ICでようやく高速道路へ。

淡路島走行中に今度は弟が力尽きて、淡路SAで4時半頃から6時頃まで再び仮眠。


淡路SAからの明石海峡の眺め。




その後も新名神 茨木千堤寺PAで2時間ストップしたりしながらも、14時30分に無事帰宅しました。

今回の走行距離は1,040km余り。最近の傾向として、長距離ドライブの帰り道は疲れでグダグダになり、仮眠を連発するパターンが多いですが、今回もご多分に漏れず同じ様相となりました(笑)。
Posted at 2026/06/11 22:10:50 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年06月07日 イイね!

【高知県】高知城と龍河洞を訪れました

2026年4月11日土曜日、弟と二人で高知県の高知城と龍河洞を訪れました。高知県を訪れるのは2020年1月以来。ちなみにこの時も高知城は訪れています。

この日は自宅を0時50分に出発。弟を拾ってから、一路、高速道路を西進します。

7時25分頃、瀬戸大橋の与島PAに到着。前回のドライブ時に瀬戸大橋を通過したのは早朝夜明け前でしたので、明るい時に通行するのは本当に久しぶりです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

瀬戸大橋の下段にあるJR瀬戸大橋線を電車が通過していきます。


与島PAからさらに移動すること約3時間(途中眠くなって、高知道 立川PAで1時間仮眠してました(笑)。)、ようやく高知城に到着しました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらはお城の出入口に建つ「追手門」。1664年(寛文4年)に再建されました。


追手門をくぐると、正面の丘の上に天守がそびえています。この場所から山頂まで、石段を登っていきます。




本丸の出入口となる詰門へとやって来ました。


内部の通路の脇には、家臣が藩主に呼ばれて登城した際に詰める部屋があります。


高知城天守です。この天守は、1603年(慶長8年)頃に完成した初代の天守が、1727年(享保12年)に大火で焼失したことに伴い、1749年(寛延2年)前後に再建されたものです。


初代の天守を模して再建されたため、名古屋城天守のような新しいタイプの「層塔型天守」ではなく、古いタイプの「望楼型天守」となっています。


建物内を見学する際は、まず本丸御殿へと入ります。この建物も天守と同時期に再建され、江戸時代の御殿建築の遺構として貴重なものです。






続いて天守へと入っていきます。


天守内部の様子。






最上階からの眺め。




高知城の見物は1時間ほどで終了。昼御飯を食べるのと姉から頼まれたお土産を買うために、近所の商店街へと徒歩で向かいます。


昼御飯は高知らしく、カツオのたたき定食をいただきました。


さて、高知市街地から移動すること約55分。次の目的地である香美市の龍河洞へとやって来ました。龍河洞は、日本三大鍾乳洞の一つに数えられています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

龍河洞の入口に立つ鳥居。


鳥居からも見えていたとおり、鍾乳洞の入口へは長い階段が続いています。


長い階段を登っていくのは疲れるので、並行するエスカレーターで移動します(笑)。


受付で入洞料を支払い、洞内へと入り込んでいきます。




龍河洞の観光用コースの距離は約1km。洞内の高低差は約80mあります。洞内空間の巨大さで言えば、山口県の秋芳洞が一番だと思いますが、洞内の高低差については、ここ龍河洞が勝っていると思います。

以下、洞内の様子です。
















































洞内を歩くこと25分、出口へと出てきました。


私たちのほかにも見物客がまあまあいて、全区間を自分のペースで見物することができなかったのは少々残念でした。屈んだり、身をよじったりしないと通れないような場所もあり、勝手気ままなペースで歩いていると邪魔になるので、そこは仕方がないですね。

これで、今回のドライブの目的地への訪問はすべて終了。駐車場まで戻ってきて、なんか疲れが出てきてしまい、1時間くらいくたばってました(笑)。
Posted at 2026/06/07 22:03:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

プロフィール

「【福島県】さざえ堂・旧滝沢本陣・鶴ヶ城・圓藏寺を訪れました http://cvw.jp/b/1796277/49190696/
何シテル?   07/12 19:39
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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