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小林あにのブログ一覧

2026年09月07日 イイね!

鳥越山・旧大正浦隧道・新発田城跡を巡る

2026年7月9日木曜日、新潟県村上市の鳥越山、旧大正浦隧道、新発田市の新発田城跡を巡りました。

前日の7月8日は、山形県鶴岡市の道の駅「あつみ しゃりん」まで移動。車内で眠り、夜を明かすことにしました。しかし、エンジンを切ってエアコンが効かなくなった車内はじわじわと暑くなり、午前2時過ぎに目が覚めることに…。

寝直す気分になれず、午前2時45分頃、取りあえず道の駅を出発。


いつもなら国道7号で新潟県村上市まで南下するところですが、「笹川流れの方は全然通ったことがないから、そっちへ行ってみるか。」と村上市勝木から国道345号へと進入。

ここからしばらくは、羽越本線の駅へと立ち寄りながら進むことにします。まずは勝木駅。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。





越後寒川駅。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。





何となく空が白み始めました。


今川駅。三角屋根の待合室が特徴的です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。





桑川駅と道の駅「笹川流れ」。景勝地である「笹川流れ」は道の駅から北側になりますが、まだこの暗さのためそのまま通過しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。







正面の山の稜線が日本海へと落ち込んでいる辺りが「笹川流れ」になります。名前の由来は、笹川集落の沖合の岩の間を潮が激しく流れる様子からだそうです。


道の駅を出発してすぐ、トンネルが穿つ岩山が気になり停車。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは羽越本線のトンネル。


トンネルの名称は「鳥越山」とあります。


こちらは国道345号のトンネル。




国道のトンネルは「鳥越トンネル」という名称です。竣工年月が1989年10月とありますが、周囲に旧トンネルが見当たらないので、従来あったトンネルを拡幅改修したものでしょう。


そして、トンネルの海側には海食洞があります。これだけ海水が入り込んでいるので、「昔々はトンネル代わりに利用されていた。」なんてことは無さそうですね。




海食洞の前から鳥越山を見上げます。圧倒される光景です。


鳥越山を南側から眺めます。


落石防止用のネットが岩壁に設置されています。これだけの高さがある断崖で一体どうやって施工したのか、素人はただただ感心するばかりです。


さらにもう少しだけ進んだところで、今度は山側に廃トンネルを発見。近くの駐車帯に車を停めて、接近を試みます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「もしかして、これが江戸時代に開通したと言われる旧大正浦隧道なのか?」と気が付き、スマホでチェック。どうやらそのようです。


あらためて旧大正浦隧道です。竣工は1858年(安政5年)とされています。当初は人道トンネルだったわけですが、その後に自動車の通行ができるように拡幅改修されたわけです。




ロックシェッドの柱の表面が剥落して、鉄筋が剝き出しになっています。潮風や波に洗われたためなのでしょうか。


旧道から現国道の馬下大橋を眺めます。


それではふたたび深い雑草をかき分け、トンネルの反対側へと行ってみます。




反対側は、坑口直前まで木々や雑草が覆いかぶさり塞がれてしまっていますね。これはちょっと接近がためらわれます。


羽越本線のロックシェッド。


ロックシェッド上部の崖はコンクリートで塗り固められています。崖の最上部まで型枠の跡が付いているのがすごいです。こんなのは見たことがありません。


旧大正浦隧道の見物はこれくらいにして、移動を再開します。


続いてやって来たのは、新発田市にある新発田城跡。新発田城は、新発田藩主 溝口氏の居城でした。溝口氏は、1598年(慶長3年)の入封後、転封されることなく明治初期の版籍奉還まで12代に渡り新発田藩を治めました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

三階櫓。本来の櫓は1874年(明治7年)に破却されてしまいましたが、2004年(平成16年)に木造により復元再建されたものです。


水堀の眺め。




こちらは二の丸隅櫓。本来あった場所からは移築されているそうです。国の重要文化財に指定されています。






新発田城跡の説明板。


本丸表門。国の重要文化財に指定されています。通常ですとこの門から城内へと入場することができるのですが、訪れたのが朝早くだったため入ることはできませんでした。




辰巳櫓。この櫓も明治初期に破却されてしまいましたが、三階櫓と同じく2004年(平成16年)に木造により復元再建されました。




「新発田城三階櫓には自衛隊・財務省との協定により立入りができません。」との新発田市による案内板。新発田城跡は、廃城後に旧陸軍の部隊が駐屯。戦後も引き続き陸上自衛隊の新発田駐屯地として使用されているためです。


新発田城跡の見物を終えて、次の目的地へと移動します。
Posted at 2026/09/07 23:43:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年09月06日 イイね!

【山形市】立石寺(山寺)を訪れました

2026年7月8日水曜日、山形市山寺にある立石寺を訪れました。

立石寺は、860年(貞観2年)に第3世天台座主 慈覚大師円仁により開かれた寺院だそうです。一般的には「山寺(やまでら)」という通称の方が知られていると思います。1689年(元禄2年)に松尾芭蕉が訪れて、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句を詠んでいることで有名ですね。

当日は午前1時50分頃に自宅を出発。東海環状道、中央道、上信越道、北陸道、日本海東北道と経由して、国道113号で山形県へ。途中、駒ヶ岳SA、米山SA、黒埼PAと3回休憩しました。

国道113号を走行中、西置賜郡小国町にあるJR米坂線小国駅へちょっと寄り道。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

JR米坂線は、2022年8月の豪雨で被災し、現在も今泉駅~坂町駅間が運休となっています。




続いて、国道113号新宇津トンネルを越えた先にある手ノ子駅にも立ち寄り。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

小国駅の駅構内はまだきれいでしたが、手ノ子駅の構内は草ぼうぼうとなってしまい廃線同然となっています。


14時40分頃、今回の長距離ドライブの目的地である立石寺へようやく到着しました。自宅からは休憩も含めて13時間弱かかりました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは根本中堂。国の重要文化財に指定されています。




こちらは日枝神社。立石寺一山の総鎮守とするため、近江国(滋賀県)の日吉大社より分祀し勧請されたのが起源だそうです。


山門へとやって来ました。ここで拝観料を納め、石段を登って奥之院を目指します。




口を開けて見上げるような大きな岩壁。こういう奇観が、修行の場に相応しいと見られた理由の一つかもしれませんね。




この幅の狭い石段は「四寸道」。昔からこの道幅だそうで、立石寺の開山 慈覚大師の足跡をなぞることができる場所ということみたいです。


石段を登っていくこと自体は苦になりませんが、とにかく汗が止まりません…。




こちらは弥陀洞。長年の風雨で岩壁が削られて、阿弥陀如来の輪郭が現れたとされるものです。


こちらは仁王門。


埋め尽くすように千社札が貼られています。


さらに石段を上り、仁王門を見下ろします。


こちらは性相院。


こちらは開山堂。赤色の小さなお堂は納経堂です。


振り返って山上の境内を眺めます。


開山堂の横を通り抜けて、さらに石段を登っていきます。


こちらは五大堂。懸造りにより、岩の斜面からせり出して建てられています。




このお堂には五大明王が祀られています。


良い眺めですね。眼下に門前町が見えています。


開山堂から奥之院へと向けて進んでいきます。


こちらは「行啓 山寺記念殿」。1908年(明治41年)9月18日に東宮 嘉仁親王(後の大正天皇。)が参拝した際の休憩所だそうです。


ようやく奥之院に到着しました。


こちらは金灯篭。ご覧のとおり、金属製の巨大な灯籠です。


こちらは奥之院。


こちらは三重小塔。覗いてみると、精巧に造られた三重塔が納められています。国の重要文化財に指定されています。




山上の境内にポストがありました。郵便物の取集めに来る郵便局員さん大変そう…。


反対側の山の中の岩場にも懸造りの建物が点在しています。あちらは僧侶の修行用の場所のため、参拝者は立入禁止となっています。




山上の境内の見物を終えて麓へと戻ってきました。こちらは立石寺本坊の脇にある「神楽岩」。


JR仙山線 山寺駅。


山寺ホテル。


これにて山寺地区を出発します。


さて、ここから元来た道を帰るか、もう少し山形県内をブラブラするかどうするか…。

取りあえず、月山を越えて鶴岡市へと出て、国道7号で新潟県方面へと向かうことに決めました。山形道 山形北ICから高速道路に乗って、寒河江SAで早めの晩御飯。

まだ夕暮れまでには時間があったので、西川ICで山形道を下りて国道112号を走行。途中から県道へと入って山を登り、西村山郡西川町岩根沢にある岩根沢三山神社へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

巨大な「唐門」(山門)に掲げられた「湯殿山」の扁額。


これは天狗の面なのでしょうか。同じく唐門に掲げられていました。


本殿です。


白木なので地味に見えますが、精緻な彫刻で飾られています。




本殿の全景。よく見かける神社の本殿とは規模が全然違い、正面の全長が66.9m、高さは25.7mあるそうです。国の重要文化財に指定されています。


普通であれば別々に存在する境内の建物群を、一つの巨大な建屋に収めてあるイメージだそうです。


岩根沢三山神社は、明治初期の神仏分離令により神社となるまでは「日月寺」と呼ばれる天台宗の寺院でした。現在ある神社の本殿は、もともと「日月寺」の「本堂」だったわけです。


続いてやって来たのは、「本道寺口ノ宮 湯殿山神社」。


この神社も明治初期の神仏分離令までは本道寺という真言宗の寺院で、江戸時代は徳川氏の勅願寺の一つとして、また、出羽三山参拝の拠点として隆盛を誇っていたそうです。

場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

石段の頂上から国道112号を見下ろしています。


本殿。この神社の本殿もそこそこ大きな建屋となっていますが、元来あった建物群は、幕末から明治初期の戊辰戦争時、徳川氏の勅願寺であったことを理由に新政府軍の手により焼き払われてしまったそうです。


こちらも「湯殿山」の扁額が掲げられています。


佛足石。こういう遺物が残されているのも、元が寺院に由来する神社なのだと実感させます。




神社の傍らに残る旧本道寺代参塔群。




だいぶ日も傾いてきたので寄り道はこれくらいにします。普通であれば、この先は国道112号のバイパス路である月山道路を通行して鶴岡市へと向かうところです。

しかし、せっかくめったに来ない場所へと来ているのにバイパスを通行しても面白味がありません(笑)。ここは、戦前改修の車道に由来する国道112号六十里越街道を通行することにします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは現地の戦前の地形図。

※ひなたGISより引用。

この国道版の六十里越街道の原型は、庄内出身で山形県議会議員・議長を歴任した大館藤兵衛氏の尽力により、1899年(明治32年)に県道として着工されたそうですが、徒歩道である旧来の六十里越街道よりも距離が長くなったため、利用者は少なかったそうです(旧街道の車道改修でよくある話。)。

時代が進み、自動車利用が浸透してきたことを受けて、1932年(昭和7年)から1934年(昭和9年)にかけて自動車道として再改修。そして1953年(昭和28年)に国道112号に指定され、これが現在へと引き継がれています。

当たり前ですが、夕闇迫るこの時間帯、月山越えというとても山深い峠越えの道。対向車も後続車も全くありませんでした(笑)。






この後は予定どおりに鶴岡市街地へと出て、そこからは国道7号を走行。新潟県境に程近い道の駅「あつみ しゃりん」で車中泊することとしました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
Posted at 2026/09/06 00:07:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年08月26日 イイね!

【中津川市】苗木城跡を訪れました

2026年7月4日土曜日、弟からの誘いで岐阜県中津川市にある苗木城跡を訪れました。

苗木城跡は、江戸時代を通じて苗木藩主だった遠山氏の居城でした。苗木藩の石高は1万石余。これは城持大名の中では一番少ない石高であり、それ故に藩の財政は常に逼迫し、城郭の維持にも苦労していたそうです。

こちらは苗木城跡からはやや離れた場所にあるB1駐車場。もっと城跡に近い場所にも駐車場はありましたが、コインパーキングだったので無料であるこの駐車場に停めました。多少遠くても歩けばいいんです(笑)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

実は苗木城跡に到着する直前、不意にお腹の調子が悪くなり、お腹をさすりつつハンドルにしがみつき、トイレを探し回るというひどい目に遭いました…。幸い、城跡から近所にあったホームセンターが開店していたので事なきを得ましたが。

駐車場から眺めた苗木城跡。


駐車場にある案内図でルートを確認し、苗木城跡へと向かうことにします。


B1駐車場からの道は、散策路というよりは山道ですね。整備されているので問題はありませんが。




そして、この散策路を移動中、またしてもお腹の調子が悪くなり、山の中で直立不動状態に(泣)。ひたすらお腹をさすりつつ神経を集中。何とか落ち着いてくれたので良かったです…。

ふたたび歩き始めた散策路の脇に井戸を発見。


今は枯れているようですね。


城跡へのメインルートである散策路へと合流しました。どうやら、私たちが歩いてきた散策路はマムシが出るようです…。


斜面に石垣を発見。城跡らしくなってきました。


風吹門跡。大手門とも呼ばれ、城下から三の丸への出入口だったそうです。


この門跡の横にはトイレがあるため、念のために立ち寄り。トイレを済ませてから、ふたたび弟と合流。


「苗木城跡」と彫られた石碑。


石碑の横は大門跡。三の丸と二の丸を仕切っていた門で、2階建てだったそうです。


散策路から二の丸と木曽川が流れる谷を見下ろしています。


苗木城跡は、城跡というより大きな岩山を登っているような感覚ですね。


三の丸を見下ろしています。


こちらは大矢倉跡。後ほど見に行く予定です。


城跡から東方の眺め。ひたすら山並みしか見えません。


本丸口門跡。


ここの門跡の脇にあるのが千石井戸。


小さな井戸ですね。水が溜まっていますが、今も水が湧いているのか雨水が溜まったものなのか、ちょっとわかりません。


井戸の背後にある石垣。メリハリある角張った形が気に入りました。


ようやく木曽川の流れが見えました。


手前の橋は城山大橋、奥の橋は美恵橋。


立派な巨岩ですね。


本丸まで登ってきました。さらに正面奥に見えている階段を登ります。


天守跡に到着です。


ここの天守台は石垣ではなく、自然の巨岩がその役割を担っています。




天守跡の展望台から木曽川を見下ろしています。




一番手前側は、建設中のリニア新幹線の仮設橋。真ん中の橋は、旧北恵那鉄道 木曽川橋梁。奥側の端は玉蔵橋です。


それでは、登ってきた時とは違うルートで本丸から下っていきます。


この展望台の支柱は、天守用として巨岩に穿たれた柱穴を利用しています。かつての天守もこのように何本もの支柱が支えていたのでしょう。


城跡のどの場所からでも眺望が良いので、ついつい足を止めてしまいます。


本丸へ登る前に見えていた巨岩の下へと下りてきました。


この岩は「馬洗岩」と呼ばれています。かつて城を攻められて水源を切られた時に、馬をこの岩の上に乗せ、米で馬を洗うことで城内に水が豊富にあるように見せかけて敵を欺いたという伝承から来ているそうです。


それぞれの石の形状は不揃いなのに、面としてきちんと整った形で石積みされています。


この良好な視界も、この場所に築城した理由でしょうね。


続いて、二の丸へと向かいます。


敷地の先端へ向かって高石垣が続いています。


石垣の木曽川側は、いくつもの巨岩が剥き出しになっています。


二の丸から見上げた天守跡の眺め。


さらに戻り、三の丸の駈門跡。


大矢倉跡。3階建ての櫓が建っていたそうです。




大矢倉跡から本丸の眺め。


大矢倉跡の北側にある北門跡。


北門跡の脇に残る小さな貯水池。雨水を貯めて馬の飲み水に利用していたそうです。


苗木城跡の見物はこれにて終了。駐車場へと戻る途中、「風穴」とあったので、どんな所なのか立ち寄ってみます。


この辺りも巨岩が露出していますね。


「風穴」がありました。巨岩の隙間のようです。


はっきりとは見えませんが、穴はそんなに深くはないようです。


巨岩や穴などはよく信仰の対象となっていますが、やはり神秘性がある場所と見られているのでしょうね。


山道をさらに下っていくと鳥居があり、道路へと合流。そのまま道路を歩いて駐車場へと戻りました。




さて、次にやって来たのは、苗木城跡の東側に残る旧北恵那鉄道 上地橋梁。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この橋梁の下を通っている、かつて飛騨国と行き来していた旧街道を使って、上地橋梁の上へと向かいます。


上地橋梁の上へとやって来ました。


枝葉が覆いかぶさって視界は悪いですが、とても高い場所にいることは十分実感できます。


こんな高い場所をレールに車輪を噛み合わせただけで、何の転落防止施設も無い状態で運行する「鉄道」というものは、ある意味すごい乗り物ですよね(笑)。


現状確認ができたので、車へと戻ります。


帰り道は、中津川→恵那→岩村→稲武と進んで帰ることに。

途中の恵那市岩村で昼御飯。「ここでいい。」という弟の指示により、たまたま入った小さな飲食店。おいしくいただきました。
Posted at 2026/08/26 23:41:48 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年08月24日 イイね!

【香川県丸亀市】丸亀城跡を訪れました

2026年6月27日土曜日、香川県丸亀市にある丸亀城跡を訪れました。

さて、前回は津山まなびの鉄道館→旧吉ヶ原駅→旧下津井駅と巡ってきました。で、旧下津井駅を見物した後、瀬戸大橋を眺めていたわけですが、「どうせ明日も休みだし、ここまで来たなら瀬戸大橋渡って丸亀城でも見に行くか。近いし(笑)。」という事で、児島ICから瀬戸中央道に乗って一路対岸の四国へと移動。


丸亀城跡へとやって来ました。時刻はすでに15時40分(笑)。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

どんよりとした水堀。水の流れがないから仕方ないですね。


大手二の門。国の重要文化財に指定されています。


大手一の門。国の重要文化財に指定されています。


実は、丸亀城跡を訪れるのは二度目なのですが、山頂の天守のことしか記憶に残っていなくて、こんな立派な大手門があったことをすっかり忘れていました(笑)。

それでは山頂にある天守へ向かって散策路を登っていきます。


これはなかなか高い石垣ですね。高さ20m以上あるそうです。


三の丸へとやって来ました。


三の丸から讃岐富士を眺めます。


丸亀城と讃岐富士の位置関係はこんな感じです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちょっと寄り道して、三の丸から伸びている櫓跡へと向かいます。




遠くに造船所が見えます。今治造船丸亀工場ですね。


瀬戸大橋も見ることができます。


ふたたび天守へと向かうことにします。




二の丸を通り抜けていきます。


ようやく見えてきました。


丸亀城天守です。天守が完成したのは1660年(万治3年)。国の重要文化財に指定されています。


天守の中を見物。天守の中は薄暗いので、写真はあまり撮りませんでした。


天守最上階からの丸亀市街地の眺め。


天守内部の見物を終えて、ふたたび外から天守を眺めます。あまり人目に付かない天守の側面はさっぱりとした外観です。


さて、天守まで登ってきた時とは違うルートで下っていくことにします。


こちらはかつて隅櫓が建っていた石垣。天守とは渡櫓でつながっていたそうです。


天守の北側は先ほどのさっぱりとした側面と違って、破風や黒色の下見板張りなどの装飾が施されています。城下町からの眺めを意識した造りなわけです。


どこを歩いていても高い石垣が続いています。


城内の観光案内所にあったご当地キャラの立て看板。


「京極くん」は、1658年(万治元年)から幕末まで丸亀藩主だった京極氏にちなんだキャラ。「うちっ娘」は丸亀市の伝統工芸品である「丸亀うちわ」にちなんだキャラで、「京極くん」と幼なじみのお姫様。「とり奉行骨付きじゅうじゅう」は、丸亀市のご当地グルメ「骨付鳥」のPRキャラだそうです。

玄関先御門。旧藩主居館の表門だったそうです。




番所・長屋。玄関先御門を出入りする者たちを監視していました。


玄関先御門からの天守の眺め。


丸亀城跡の見物を終えた後は、高松道→神戸淡路鳴門道のルートで帰路へ。

19時30分頃、山陽道 淡河PAに到着。ここでようやく晩御飯。


晩御飯を食べた後はそのまま0時頃まで淡河PAで仮眠してました。


帰宅したのは翌28日日曜日の2時45分頃。今回のドライブの走行距離は約880kmでした。
Posted at 2026/08/24 23:17:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2026年08月20日 イイね!

津山まなびの鉄道館・旧吉ヶ原駅・旧下津井駅を巡りました

2026年6月27日土曜日、弟と二人で岡山県津山市の「津山まなびの鉄道館」、岡山県久米郡美咲町の「旧吉ヶ原駅」、岡山県倉敷市の「旧下津井駅」を巡ってきました。

まずやって来たのは、JR津山駅の西隣にある「津山まなびの鉄道館」。弟は初めてですが、私は2019年8月24日に訪れています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

敷地内へ入っていくと最初に目に入ってくるのがC57形の動輪。


1936年(昭和11年)竣工の扇形機関車庫。




転車台。


D51形。2号機です。




DF50形。車体のオレンジ色の塗り方がまだら模様になってしまっているのが少々残念。


扇形機関車庫を反対側から眺めます。


鉄道館に隣接する車両の留置線群。かつては扇形機関車庫までを含めて、津山機関区と呼ばれていました。


こちらの車両は、キハ120形。


キハ40形。


隣接する津山駅を遠望。


それでは次の場所へと移動します。


続いてやって来たのは、旧同和鉱業片上鉄道線の旧吉ヶ原駅。こちらも2019年8月24日に訪れています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駅舎の内部。本駅は、旧同和鉱業片上鉄道線が1991年(平成3年)7月1日に廃止されたことに伴い、廃駅となりました。






駅構内。






1936年(昭和11年)製造のキハ702。


ぐるりと駅構内を一回りして見物終了。


さて、このまま帰るかどうするかという話になりましたが、弟の要望で倉敷市下津井に残る旧下津井電鉄の旧下津井駅へ向かうことにします。ちなみに移動距離は約80km(笑)。

休憩を挟んで2時間半ほどかけて旧下津井駅へとやって来ました。この駅は旧下津井電鉄の始終点駅で、1991年(平成3年)1月1日の路線廃止に伴い廃駅となりました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

車輌が展示されていましたが、補修中のものが多い様子。ホームと車両の間にはフェンスが設置されていたので、ホームから眺めていました。






こちらは茶屋町駅方面の眺め。


かつての駅前広場。建物類はすでに撤去されています。


旧下津井駅の見物を終え、瀬戸大橋を眺めるために同じ下津井地区にある田土浦公園に立ち寄りました。真下から橋梁を見上げると、あらためて巨大な建造物であることを実感できます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

下津井瀬戸大橋。


櫃石島橋・岩黒島橋を遠望。
Posted at 2026/08/20 22:42:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記

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「鳥越山・旧大正浦隧道・新発田城跡を巡る http://cvw.jp/b/1796277/49291017/
何シテル?   09/07 23:43
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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