今朝は4時前にふと目が覚めました。しばらく寝直すかどうか考えていましたが、「行ってみるかぁ。」と思い立ち、滋賀県米原市へと車を走らせました。
向かった先は、旧東海道本線 仏生山(むしやま)隧道。現行東海道本線と山と浄化センターと国道8号バイパスの工事現場に四方を囲まれた、容易に接近しにくい物件です。
今までにも訪れようかと何度も周辺を通過したことがありましたが、接近のしようがなくて半ば訪問リストからはずしていました。
まあ、線路の横断をせず(付近に踏切やガードがあれば全然苦労しないのに…。)、浄化センター内や道路工事現場も通らずに現場へ向かうとなると、「山沿いに接近するしかないな。」という結論は出ていましたが、ようやく実行してみる気になったということです。
米原市営の野球場近くに車を停め、野球場の敷地を通り抜けて、そのまま線路沿いの山中へと足を踏み入れます。
毎度、行く時の天気を考えろというところですが、今朝雨が上がったばかりで木々は雨露でじっとりと濡れてます。人の手が入っていない雑木林の中を獣道を頼りに枝葉を掻き分けながら歩き進めていくわけですから、すぐに全身ずぶ濡れに。泥汚れやクモの巣もまとうことになります。
途中、竹林へと出て、ちょっと一息(それでも枯竹が折り重なってうっとおしいですが(笑)。)。
竹林を過ぎると旧線の土留め壁が現れてきて、ちょっと気分が持ち直します(依然、雑木林の密度は濃いですが…。)。
歩き始めて30分を越えたでしょうか。ようやく望遠でトンネルを捉えることができました。
この辺りから笹薮に蔦が絡まるようになり、さらにうっとおしくなってきます。カメラを濡らさないよう、バンザイしながら薮をかき分けて、ようやくトンネル前に到着しました。
あらためて旧東海道本線仏生山隧道。米原側坑口です。
明治22年(1889年)の開通当初はトンネルは無く、明治23年(1890年)12月に落石事故防止のためロックシェッドとして上り線側の位置に単線トンネルを建設。さらに明治31年(1898年)の複線化工事の際に改築されて、現存する単線並列トンネルになったそうです。昭和31年(1956年)の東海道本線電化に伴い、新線がさらに琵琶湖寄りに開通したことで廃止となりました。
こちらは下り線側。
こちらは上り線側になります。やや左へカーブしているのが見て取れます。
アーチ部分に亀裂が入ってますね。
じっとしているとすぐヤブ蚊が寄ってくるので、上り線側の中へと入っていきます。
彦根側は水が溜まってます。
彦根側の坑口前は高く土砂で埋め立てられています。
斜面を登ると国道8号バイパスの工事現場、その先が浄化センターになります。
彦根側の坑口です。下半分は土砂を被っていたみたいで土が付いています。
今度は下り線側に入っていきます。
こちらも坑内は水が溜まっています。土砂が泥に変わっていてやや足を取られることも。
トンネル内お約束の退避坑。下り線に1か所だけあります。
平地のトンネルですが、東海道本線という列車本数の多い重要幹線に存在していただけあって、SLの煤煙も急勾配線のトンネル並みにこびりついています。
下り線側も壁面に亀裂が入っています。
「山目地」ですかね。坑口付近は目地の処理が丁寧です。
上下線を1周してきたので、今度は米原側坑口の斜面に登って撮ってみます。
坑口前、薮が鬱蒼としてますね(笑)。
坑口前から。帰りもこの薮を突っ切って、雑木林が密生する山中を歩いていきました。
帰ろうとしたら、尾根の上の高い木々でニホンザルが3匹、枝を揺らしながら騒いでいたのでしばらく待機する羽目に。手を打ち鳴らしたり、正面の薮へ石を投げこんで音をたてたりしてみましたが、動じる様子が無かったので、できる限り低い場所に身を隠しながら移動して車へと戻りました。
さて、これで懸案の物件が一つ解消しました。ルートもわかったので、今度は薮が薄くなる冬から春先にでも訪れたいですね。寒ければ動物や蚊に悩まされる確率も低いですし(笑)。
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東海道本線 鉄道・廃線跡 | 日記
Posted at
2017/09/23 20:27:42