本日は三重県津市と伊賀市の境にある初代の長野隧道へと行ってきました。
まずは、津市側へとやって来ました。
「長野峠ウォーキングコース」なる看板が立っています。
看板の周辺には色々なものが置かれています。
初代の長野隧道の津市側の坑門に掲げられていた扁額「補造化」。
伊賀市側の坑門に掲げられていた扁額「其功以裕」。
昭和14年(1939年)に2代目の長野隧道が竣工した時の「隧道改修記念碑」。
昭和14年竣工の2代目長野隧道です。
現在供用中の国道163号新長野トンネルの開通により廃止されました。
それでは、2代目長野隧道の真上に残る初代の長野隧道へと向かいます。
初代長野隧道。明治18年(1885年)の竣工です。
大きな石で組み上げられた重厚な坑門が特徴です。
トンネル内へと入ってみます。
坑門周辺はその重量ゆえか、全周にわたり大きな亀裂が走っています。
内部もすべて石積みで巻き立てられています。
入口付近は丁寧に造られていた側壁も、ちょっと中へと進むと造りが粗雑になっています。
岩盤が剥き出しの所もあります。
隙間は煉瓦で埋め合わせ。
天井一面に白華現象が見られます。
道路トンネルですが、なぜか退避坑もあります。
この当時だとお手本にするのは鉄道用トンネルだと思うので、同じように造り付けたのでしょうか?
何か継ぎ接ぎな造りです。
と思うと妙に整っていたりします。
これだけの量の石材を短冊状に成形するのはものすごく手間がかかったと思います。
強度上の問題があったのかもしれませんが、手間だけ考えるなら煉瓦を用意するほうが手っ取り早かったはずです。
2か所目の退避坑。
この辺りから湿気がひどくなり、カメラのレンズがすぐに曇ってしまいます。
天井の白華現象は治まってきました。
なぜか出っ張ったままの岩。
トンネルの閉塞場所に着きました。
周囲の石材が押し出されてきているのがわかります。
天井には越冬中のコウモリさん達。
天井と土砂の隙間に体をねじ込んで、先を見渡してみます。
写真だとわかりませんが、土砂の山の向こうにもまだ無傷の空間があります。行ってみようか迷いましたが自重して引き返しました。
岩盤の中に白い線。そこだけ違う岩石なんですかね。
ライトを落とすとこんな感じです。
外へと戻ってきました。
今度は伊賀市側へと回ります。
こちらは明治18年の峠道開削を記念した「道路開鑿記念碑」。新しい峠道を約4年半かけて開削したことがわかります。
2代目長野隧道の伊賀市側。すっかり廃道っぽくなりました。
隙間から手を入れて、トンネル内を撮ってみました。
両側ともしっかり封鎖されたためか、きれいな状態が保たれています。
次に向かったのは初代長野隧道の伊賀市側坑門。
砂防ダムにより溜まった土砂で、上部だけを残して埋もれています。
内部までしっかり流れ込んでいます。
トンネル横の排水路。
ここからは、明治18年に開通した車道の跡を辿って下っていきます。
かつての国道163号に合流しました。
旧国道を横切り、今度は川沿いに下っていきます。
高い築堤が現れました。
服部川を渡る橋の跡です。
ここを渡ると再び旧国道に合流。この先は旧国道と同じルートを通っていた感じなので、ここで引き返しました。
久しぶりに訪れた初代長野隧道。トンネル内に入ったのは今回が初めてでしたが、古い建設時期ゆえのいびつさがなかなか興味深かったです。
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ドライブ・道路・廃道 | 日記
Posted at
2018/02/19 00:51:12