2019年6月30日日曜日、早朝からひとりでドライブしてきました。土曜日に車検から車が戻って来て、佐久間ダム辺りまで慣らしでドライブしようかと思い立ったからです。
新東名岡崎東ICから高速に乗って、浜松いなさJCTから三遠南信道へ入り、鳳来峡ICまで来ました。
朝御飯がまだだったので、鳳来峡IC近くのコンビニでおにぎりとパンを購入。どこで食べようかなと考えて、「宇連ダムが近いから行ってみるか。」と最初の予定を変更して、愛知県道424号へ入り込みます。
狭い山道を進んでいくと間もなく宇連ダムに到着です。少し前に貯水率0%で話題になりました。
ダムの写真を少々撮り、さらに奥へと進んでみます。
八石橋。なかなか年季を感じさせる風情です。
どんどん奥へと進んでいき、ダム湖が終わる辺りで橋台と思われるようなものが目に留まったので、車を停めて確認しに行ってみることにしました。
ちょうど、斜面に踏み跡が付いていたので降りていってみます。
「おおっ、橋台じゃなくて、でかい堰堤の跡だな。きっと、宇連ダムをつくる時に壊しきれなかったんだな。」と初めはそう思いました。
しかし、よくよく表面を見てみると石積みでもないし、コンクリートでもない。天然の岩のような雰囲気。
より近づいて見ても、自然の造形というには不自然すぎる光景なのですが、断面をみると間違いなく岩でしかない。
「こんな岩もあるんだ!」と自分としては珍しく、本当に驚いてしまいました。
興味がわいたので帰宅後に調べてみたところ、この屏風状の巨岩は、この辺り一帯に広がる凝灰岩を突き破って噴き出してきた溶岩が冷え固まってできた安山岩だそうです。この宇連ダムのダム湖内には、このような安山岩の岩脈が12本あるそうで、その内の1本とのことでした。
ちょっと興奮を残しつつ、次はその先に見えていた石積みの擁壁に目をやります。
これは県道424号の旧道でしょう(この道がダム湖に沈んだ当時は、まだ県道ではありませんが。)。立派な擁壁です。
道跡が下流へと向かって続いています。誘惑に駆られて跡を辿ってみることにします。
この岩、道を通すために削られたようです。
目の前に広がった平地に、道跡が真っ直ぐに続いています。
脇にコンクリートの基礎が残っていました。そんなに大きくはなく、ちょっとした塔などの基礎ではないかと思います。
平地を通り抜けると小さな橋の跡が現れました。
横から見ると、橋というよりは小さな暗渠みたいです。側面は石積みで補強されています。
もう少し先にも、少し小振りですが同じ造りの暗渠が残ってました。
この先で道跡は無くなってしまいます。
本来は、目の前にある大きな一枚岩を迂回するように築堤で道が築かれていたようですが、恐らく、湖水で洗い流されてしまったのだと思います。
岩の上部(高さ20mくらい。)を高巻きして迂回すれば、先に進めなくもないようでしたが、雨で濡れていましたし、岩の上にはたくさんの瓦礫が転がっていて、うっかり滑ったら瓦礫ごとダム湖へ沈むことになりそうだったので、これ以上進むのは止めました。
目の前に岩を削って造った切通しが見えていて、本当は行ってみたかったですけどね。まあ安全第一ということで。
降りてきた付近まで戻ってきました。明瞭な道跡が見て取れますね。
上流側も辿ってみることにします。
しかし、ほどなく道跡は無くなってしまいました。現道の下敷きになってしまったようです。
本当はドライブだけで、汗をかくつもりはなかったんですけどね(笑)。この後に、ようやくコンビニで買った朝食を食べました。
次は、最寄りの駅であるJR飯田線の三河川合駅へとやって来ました。
この駅は、1923年(大正12年)2月1日開業。1933年(昭和8年)12月20日まで終着駅でした。
一時期は終着駅であったことと、宇連ダム建設時には資材搬入の拠点となっていたことで、それらの名残りなのか広い駅構内となっています。
真新しい手動転轍機ですね。
無人駅なのをこれ幸いにいろいろ見物いたしました。
さて、駅前通りから旧国道へ出ようと一時停止したところ、真正面にある物に釘付けになりました。一旦、車をバックさせてから路肩に寄せて駐車。カメラを持ってある物に向かいます。
「徐行」の旧標識。私自身は愛知県内では北設楽郡設楽町内の県道10号で1つ見たことがあるだけです。
ここの旧国道は2、3回くらい通ったことがありますが、今まで全然気が付きませんでした。
この向きで立っていては、ちょっとわかりづらい気もしますが(笑)。
他にも何かないかなと川合の集落をウロウロしてみます。
こちらは、消防団の屯所跡。新城市指定文化財で大正10年代の建築と見られ、「コロニアルスタイル」と呼ばれる洋風建築物だそうです。ちょうど駅ができた頃に当たりますね。
こちらは「大橋」。親柱のデザインから見て、愛知県建設の戦前以前の橋です。
愛知県の街道を調べている方によると、石積みの橋脚は明治時代に架橋されたものをそのまま流用しているようです。
川合の集落での収穫は以上というところでした。
まだお昼まで間があったので、土砂降りの中、国道151号をさらに北上。長野県境との新野峠を越えて、道の駅「信州新野千石平」まで来ました。
お昼ご飯は唐揚げ定食。ここへ来るといつもこの定食ばかり食べてます(笑)。
食べ終えたところで弟に電話をして、「焼き山栗買っていくか?」と確認。欲しいとのことだったので2袋購入。降り続く土砂降りの中、ようやく家路へとつきました。