2019年8月17日土曜日、新潟県糸魚川市の親不知海岸付近に残る旧北陸本線の廃線跡などを巡ってきました。
当日は自宅を5時20分頃出発。東海環状道、東海北陸道、北陸道を経由して現地を目指します。写真は東海北陸道飛騨白川PA。
北陸自動車道の朝日ICで下りて、親不知海岸に到着したのは11時頃。
たまたま車を停めた駐車帯から海岸を覗いたところ、「建築材料の暴露試験実施中」の看板が。平成4年7月開始ということは、27年間晒したままということになりますね。
さっそく、この駐車帯から廃線跡を追っていきます。右側の擁壁は旧線時代のものだそうです。
崖の中腹を通る国道8号のすぐ真下が廃線跡なので、目で追いながら進んでいくとロックシェッドがありました。
沢を挟んだ対岸にも骨組みだけのロックシェッドの残骸。
海岸へ降りるための作業道の跡があったので、廃線跡まで登ってみました。海岸からけっこうな高さがあります。
ここからロックシェッドに近づいてみようとしましたが、雑草の密度が濃くて諦めました。
これは橋脚の跡?ただ、橋脚にしては立っている間隔が狭すぎるので、ロックシェッドの基礎ということも。
石積みの橋脚。草むらの中に3本くらい残っていました。
さらに進むと橋梁が残っていました。位置を見ると何となく廃線跡と高低差に違いがある気もしますが、橋桁は恐らく転用したものでしょう。
旧線はこの先で若水隧道というトンネルになっていたようですが、見た限り痕跡はわかりませんでした。多分、国道8号の改修に合わせて埋め立てられたのでしょう。
国道のロックシェッドの上に乗り、橋梁から駐車帯までの海岸を眺めます。
廃線跡を歩道として活用しようとしたようですが、ここから車を停めた駐車帯まで歩道はなく、頓挫したようです。
これで一旦車へと戻ることにします。元来た海岸を戻るのと国道を歩いて戻るのと2通りありましたが、交通量が多く、歩道も十分な路肩もない国道を歩く気にはならず、海岸を歩いて戻りました。
次に来たのは、旧北陸本線親不知隧道。国道8号天険トンネルの糸魚川口にある駐車帯から降りていきます。
親不知隧道の糸魚川側坑門です。トンネル延長は667m。訪れたのは約3年ぶり。
前回来た時点で遊歩道として再整備されていましたが、現在も管理されているようです。
散策できる廃トンネルとして徐々に浸透してきているのか、家族連れなどが何組もトンネル内を歩いていました。未整備の頃を思うと変わったものです。
距離標ですかね。「3」とありますから、300mということですね。昔からここにあったものであるかはわかりませんが。
SLからの煤煙がすごかったのか一面灰色です。
煤が壁面にこんもりと付着しています。
見た目、吹き付けたウレタンみたいな感じですが、触ると硬いですし、手が真っ黒になります。
連絡用の電話機でも据え付けてあった場所でしょうか。
煉瓦同士を接着してたモルタルの成分が浸み出して鍾乳石のようになっています。
出口に近づいてきました。
富山側の坑門になります。
この先は、沢を渡る鉄橋が撤去されており通行不能。若水隧道という廃トンネルの糸魚川側坑口がこの先にあるはずですが、晩秋などまた時期を見て検討したいと思います。
もう一度、親不知隧道を歩いて引き返し、次の廃トンネルへ向かいます。
国道8号を糸魚川方面に進み、親不知海岸のロックシェッド区間が終わった所にある駐車帯。正面の薮の中に廃トンネルがあります。
旧北陸本線大崩隧道。
ここは、現在線の線路保守用の通路として活用されているようです。
親不知隧道と違い、このトンネルの側壁は石積みです。
天井の一部はコンクリートで補修されています。
経年劣化で天井の煉瓦が隔離していますが、放置されたまま。
落ちてきた煉瓦の塊は脇の待避壕に避けてありました。
なぜかこんな場所にクッションドラムが。カメラがドラムの反射材に反応してか、暗めにしか撮れません。
反対側に出てきました。正面の木々の中に旧風波隧道がありますが、手前に深い沢があるので、こちらからの進入は困難でしょう。
富山側の坑門です。
次は、親不知駅にやって来ました。駅名は「親不知」という名称が付けられていますが、駅のある集落名は歌(うた)といいます。
北陸新幹線が開通するまではJR北陸本線でしたが、現在は第三セクターのえちごトキめき鉄道線となっています。
少し駅周辺を散策してみました。
歌集落のある海岸沿いの狭い平地には、海側から北陸自動車と親不知IC、国道8号、えちごトキめき鉄道線、旧道といろいろな交通ルートが集中しています。
鉄道の子不知トンネルと高速道路の子不知トンネル。
ここからまた親不知区間を引き返し、今度は親不知の西側の入口に当たる市振集落にある市振駅へとやって来ました。
来た理由は、親不知駅前の案内板に市振駅に煉瓦造危険品庫があると表記してあったため。
地味ながらも装飾が施されていて、なかなか良い小品です。
最後に旧北陸本線風波隧道へと来ました。
まずはこの段差を力任せによじ登ります。
何とか廃線跡へとよじ登ることができました。富山側の坑門になります。坑口からは靄が噴き出しています。
トンネルは緩くカーブしており、反対側の光は見えません。奥から靄が流れてきて、フラッシュに反射します。
このトンネルも側壁は石積み。親不知、風波、大崩の3つのトンネルのうち、親不知隧道だけがなぜかトンネル内を全て煉瓦積みで造っています。
反対側に出てきました。トンネル内を鉄骨で補強しており、トンネルが変形してきていたのかもしれません。
糸魚川側坑門に連続して設置されているロックシェッド。鉄骨はレールを流用しているようです。
振り返って糸魚川側の坑門。
この時点で時刻は17時20分過ぎ。足早にトンネル内を戻ります。
で、旧風波隧道から降りる際に、鉄骨が刺さっているコンクリートの土台に指をかけて、右手の溝から徐々に滑り降りようとしたら、指がいきなり滑り、そのまま一気にずり落ちてしまいました。
その時の反動で左肘から手首にかけて幾筋も擦り傷を作ってしまいました。最後にやってしまったなという感じでしたが、この程度で済んでよかったですよ…。
トンネルの上にある駐車帯に戻ってから、トイレの洗面台で念入りに腕を洗っておきました。傷に浸みましたが、ばい菌が入るといけないですからね。
帰りは北陸自動車道親不知ICから高速道路に乗ることに。
日本海に沈む夕日がきれいだったので、ロックシェッド区間の途中にある眺望の良い駐車帯へ。家族連れやカップルの方々が良い場所にいたので、私は隅っこから撮らせていただきました(笑)。
帰りのルートは行きに通ったルートの逆走。
大分疲れが出たので、東海北陸道飛騨白川PAで仮眠。起きたら日付けが変わっていました。
ふたたび走り始めましたが、東海環状道まで来たところでまたも眠気が。結局、せと赤津PAで夜明けを迎えました(笑)。
明るくなったので、ついでということで、トヨタ自動車上郷工場の専用線跡に唯一残る高架橋の土台を撮ってから家に帰りました。
往復での走行距離は735km。遠方での探索は疲れが残るようになってきましたね…。