日曜日にトヨタ自動車上郷工場の専用線跡の件で、ドライバーやすい氏より「それよりも岡崎市内のユニチカの工場内にレールが残っているよ。」なんて話を聞き、何気に愛知県内の専用線について検索していたら、知多郡武豊町にあった日本油脂武豊工場とJR武豊線武豊駅を結ぶ専用線跡がレールや架線柱がよく残っているという記事を発見。
「武豊町なら近いし、これは楽しめそうだな。」と、「日本油脂専用線」でさらに検索したところ、今年の6月にUPされた記事に「路盤を掘り起こして何か埋設工事している。」というものがあり、「これはいかん!」ということで夏休みの今日、急きょお出かけして参りました。
武豊町民会館ゆめたろうプラザの真横を廃線跡が通っているということで、まずはここを目標に現地へと向かいます。
場所はすぐにわかりましたが、用もないのに長時間駐車場へ停めるわけにもいかないとしばらく周辺をウロウロ。日油(日本油脂の現在名。)のディスプレイ材料工場脇の道路の路肩が広かったので、そこへ停めて廃線跡へと歩いていきました。
踏切跡と思われる場所へとやって来ました。東側を遠望するとゆめたろうプラザが見えます。架線柱が並び、いい景色なのですが…。
工事により路盤は掘り返され、レールも枕木も撤去されていました…。
踏切跡から西側を望むと現状がよくわかります。ほんの数年前に探索された方の写真だとこの辺りはレールと枕木が残っていたんですよね…。
この周辺で工事がこれだけ進捗しているとなると、レールの残存は望み薄…。とはいえ、せっかく来たわけですから、廃線跡を追ってみることにします。
踏切跡から西側はすぐに日油のディスプレイ材料工場の敷地内に入ってしまうので接近不能。東側へと跡を追うことにします。廃線跡に沿って道路があるわけではないので、できる限り並走するように道路を縫っていきます。
注意看板がありました。設置社名は旧社名のものです。
「旧軌道敷に埋設配管があるので自動車等の横断通行お断り。」とありますが、軽トラでも横断は難しそうです。
看板のある場所から東側を眺めます。一直線に廃線跡が続いています。
ゆめたろうプラザ脇の道路との交差地点にある虎柵。この工事が新しい送水管の設置工事であることがわかりました。今までの「埋設配管」が老朽化したための工事なのでしょう。
ゆめたろうプラザ横の廃線跡はすでに工事が終わったようで、新たに砂利も敷き詰められています。
ここからは再び迂回して、県道52号との交差地点に来ました。県道からゆめたろうプラザ側を眺めます。ここも工事が進んでいます。
ここから先は工事作業中だったので、写真も控えました。
住宅地の路地を歩きながら、大きなポイントの一つである名鉄河和線との交差地点に来ました。ここも作業中ですが、昼休憩なのか誰もいませんでした。
この交差地点は歴史的にはまず専用線ができて、その後に名鉄河和線ができたそうです。
名鉄河和線の築堤の土留めに楔代わりに使われている古レール。
名鉄河和線の築堤をくぐり抜けてしばらく歩くと、ふたたび廃線跡に出ます。こちらは河和線との交差地点方向を眺めています。
こちらは日油の衣浦工場側を眺めています。
辿ることのできる末端へと来ました。この先は日油の衣浦工場内を通過して、JR武豊線武豊駅の構内へとつながっていました。
ということで、レールは全ての区間で撤去されてしまっていました…。しかし、市街地から近い場所で敷地や架線柱がこれだけ残っているだけでも本当は大したことなんですけどね。
廃線跡の追いかけとしてはこれで終了。ここからは寄り道です。
旧武豊港駅跡に残る転車台。
今度は武豊駅へと歩いていきます。
旧武豊港駅への貨物線の橋台。
武豊駅に着きました。開業は1886年(明治19年)で、愛知県で最も古い駅の一つです。
ここに来るまでずっと晴天でしたが、にわかに黒い雲が湧いてきました。駅でおばあさんに「また土砂降りが降りそうだね。」と声をかけられるほどの急変ぶり。駅から車を停めた場所までは2~3km。足早に車へ戻ることにします。
風が向かい風になり、明らかに黒雲が来る方向へと戻る状況。遠くで雷鳴も響いています。
ゆめたろうプラザ付近から雨が降り始め、雷鳴も近づいてきています。田んぼの真ん中なので雨宿りもできず肝が冷えます…。
最初に訪れた踏切跡を過ぎる頃には空全体が薄暗くなり、雨粒も大きいものに。
土砂降りが始まりだした時に何とか車へと戻ることができました。
この後、5分くらい土砂降りが続き、やがて止んでいきました。帰り道、隣の半田市に入ると雨が降った気配すら全然なくて、とんだゲリラ豪雨でした。
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ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
Posted at
2019/08/21 21:14:21