2019年10月22日火曜日、本日は即位礼正殿の儀に伴い祝日とされたためお休み。豊田市内に残る名鉄三河線の廃線跡を歩いてきました。
やって来たのは、旧枝下駅。平成16年(2004年)に廃止された区間になります。
以前に少しだけこの駅から廃線跡を歩いたことがありましたが、今回は行ける所まで跡を追ってみたいと思います。
駅からしばらくの間はレールの間に砂利が敷かれていて、散策できるようになっています。
名鉄の境界杭が残っています。
前に来た時には駅のホーム前で見かけたトロッコがこんな所に(笑)。
枝下用水第一樋門への入口を過ぎるとレール間の砂利は無くなり、普通の線路へと戻ります。
良い感じで堀割りをカーブしていきます。
24kmの距離標。知立駅から24km地点ということですね。
鬱蒼とした竹林の中を通り抜けます。
真ん中のレールは脱線防止用のものでしょうか。
曲線標。半径300mのカーブです。
カーブを立ちあがるとやや長い直線区間。
道床に残っているバラストは昔ながらの玉砂利。今は石同士の噛み合わせの良い「砕石」が使われています。
レールの継ぎ目。
前方が明るくなってきました。
明るくなってくると、はびこってくるのが雑草…。
この辺りから長い堀割り区間になります。
日陰で堀割りの底なのでじめじめしています…。
名前は知りませんが、いかにも水辺に生えていそうな草。
勾配標。上り5パーミル(1000m進むと5m登る坂。)ですね。文字がくっきり残っているのは日陰が幸いしているのかもしれません。
草むらをかき分けて進みます。
この辺りの動画です。
続いて下り20パーミルの勾配標。
線路の真ん中に木が生えています。そこそこ太いので、廃線直後から育っている木かもしれません。
ふたたび明るい場所へと出てきました。
踏切の跡です。「三河御船4号」踏切ですね。
踏切跡の先にあるセイタカアワダチソウの草原を突っ切り、廃線跡の続きを追います。
線路内に泥が流れ込んできて埋まりかけています。何度も大雨があるとその内埋もれてしまいそうです。
ここも線路内に若木が育ってきています。
正面に虎柵が見えてきました。
旧御船川橋梁です。
だいぶ色褪せしてきています。
知立駅側から5番目の橋桁ということでしょう。
木々が密生していて先が見通せません。目の前には東海環状自動車道の高架橋が跨いでいっています。
さすがに廃鉄橋を渡るわけにはいかないので、ここで引き返すことにします。
踏切跡の前に広がるセイタカアワダチソウの草原。ちゃんと踏み跡が付いていて、同業の方々が幾人も通り抜けていることがよくわかります(笑)。
帰りはまず5パーミルの下り。
続いて20パーミルの下り。貨物列車が走っていた時代もあったので、20パーミルはきつかったでしょう。
堀割り区間を抜けて、倒木を跨いで戻っていきます。
行きに見落としていた23km1/2の距離標。雑草を払っていたらペイントの一部が剥落!びっくりしてここまでにしておきました。
草に埋もれる線路。これも廃線跡の醍醐味です。
どんな山奥でも見かける「地籍調査」のリボン。なかには「どうやってあんな場所にくくり付けたんだ!」という所にぶら下がっていることもあります(笑)。
枝下用水第二樋門への入口の標識。この場所から0.4kmとあったので、行くことは止めました。しかし、廃線趣味者でもないとここまで入り込んでこない気が…。
枝下用水第二樋門入口から先の動画です。
レールがカーブしていく景色もいいですね(笑)。
線路にカント(傾斜)が付いていることがよくわかります。
砂利敷きの所まで戻ってきました。
トロッコにも再会です。
旧枝下駅が見えてきました。かつては、左側の工場に沿って引込線があり、木節粘土(耐火物や陶磁器の原料。)を出荷していたそうです。
旧枝下駅到着です。
初めは普段履きの靴のまま行くつもりでしたが、最近買い替えた長靴の試し履きをしようと思い、履き替えて向かったのは結果オーライでした(笑)。
あと、やぶ蚊が多くて何か所も刺されたことと、草むらを突っ切ってひっつき虫だらけになったのも参りましたが、これは廃線歩きの付き物ですからね(笑)。
架線柱は徹底的に切り倒されていましたが(ディーゼル化時点で切ったのかな?)、レールを含め思っていたよりもいろいろなものが残されていて、なかなか歩きがいがありました。
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名鉄三河線 | 日記
Posted at
2019/10/22 20:09:10