2020年3月14日土曜日。最初に鳥取市の「旧美歎水源地水道施設」を訪れた後、国道29号で次なる目的地である鳥取・兵庫県境にある戸倉峠を目指します。
現在の峠のトンネルである新戸倉トンネルの脇から旧国道へと進入。行き止まりとなる戸倉隧道へとやって来ました。
今回の目的地ではないですが、こちら旧国道29号戸倉隧道。開通は1955年(昭和30年)8月で延長は742m。このトンネルが開通するまで戸倉峠は自動車の往来ができなかったようです。
他の方が撮影したこのトンネルの写真を見ると、坑口はコンクリート壁と金網により封鎖されていました。侵入する者が跡を絶たなかったためなのか、現在はシャッターによる封鎖へと造り替えられてしまったようです。
こちらは扁額。
このトンネルは昭和30年代開通のため、現在の車両の規格に対してトンネル断面が小さく、特に大型車両の通行に支障をきたしていました。そのため、新トンネルの建設、トンネル前後の道路線形の改良及びトンネル付近の冬期通行の改善を目的とした道路改良が実施され、1995年(平成7年)に現在の国道トンネルである新戸倉トンネル(延長:1730m)が開通しました。
さて、前置きはこれくらいにして、本来の目的地へと向かうことにします。まずは戸倉隧道左側にある沢を登っていきます。
尖った石がたくさん転がる歩きにくい沢を登っていくと砂防ダムにたどり着きます。
砂防ダムの脇を抜けると次に現れるのはボロボロの暗渠。
内部もボロボロです。
暗渠の上もコンクリートが露出しています。
山側を見上げると切通しのように抉れた場所が見えます。これ、実は沢を横切る未成道路の築堤でした。本来は暗渠を流れるべき沢の水流により削れてしまったそうです。そのために暗渠構築物も露出してしまった訳です。
斜面中に転がる小石に手こずりながらも、かつての道路跡まで登ります。暗渠から見上げて右側の平場へと上がりました。
ここからは、道路跡を右側方向へと進んでいきます。
50mくらい進むと目的地が呆けなく姿を現しました。
トンネル手前が泥地となっているので、はまらないようにやや迂回して坑口へと近づきます。
正式な名称はわかりませんが、戦時中の1942年(昭和17年)から1944年(昭和19年)10月まで、姫路と鳥取を結ぶ軍事用道路が必要との陸軍の要請により、内務省直轄で戸倉峠に建設されていたトンネルの跡です。
トンネルに入る前に、道跡のような平場がトンネル前を横切ってさらに続いているので、先に辿っておきます。
50mほどで途切れてしまいました。多分、トンネルから出るズリを捨てる場所だったのでしょう。
トンネルまで戻ってきました。陸軍の要請により緊急的に建設されたという事情のためか、坑門は築かれていません
トンネル内へと入ります。なかなか大きなサイズです。先ほど、戸倉隧道が開通するまで自動車の往来ができなかったと書きましたが、このトンネルは当然陸軍の軍用車両が通行できる規格で造られているでしょう。ひとまず、坑口からの眺めでは特に変わった雰囲気はありません。
しかし、奥へと少し進むとすぐ異様な光景が認識できます。トンネルの下半分に岩が突出しているのです。
アーチ部分はすでにコンクリートで覆工されています。
要するに、トンネルの下半分を掘り下げている最中に工事が中断されてしまったわけです。
岩盤を支えていた木の支保工がそのまま残されています。
支保工が絡み合って先へと進めないので、岩の削り残しの上へと上がり、奥へと進んでいきます。
もはや腐った廃材と化した支保工がトンネル中に折り重なっています。今までに見たことがない光景です。
コンクリート覆工の作業で使われた型枠の板が積まれています。
私が歩いている側にもたくさんの材木が積まれていますが、今までの訪問者さん達のおかげで踏みならされており、足元に注意しておけば支障はありません。
今度はアーチ部分に段差が見えてきました。
型枠が外されないままになっています。かけらがくっついているのはみたことがありますが、こんな状態のものは初めて見ます。
ここの真下も支保工で埋め尽くされています。今までになく心の動揺を誘う廃トンネルです…。
そして、唐突にトンネルですらなくなりました…。
振り返って見た光景。坑口からはそんなには入り込んでいません。
覆工が途切れた先は、ただの洞窟にしか見えません。
このトンネル、導坑(トンネルを掘削する際に最初に掘る小さな断面のトンネル。ここからさらに周囲へと掘り拡げていく。)は貫通したそうですが(現在は閉塞したらしい。)、計画通りの断面まで出来上がったのがここまで(それでも3分の2は上半分だけ。)ということ。
この先も奥へと入り込んでいった人がそれなりにいるわけですが、私はここで引き返すことにしました。これ、「ちょっと廃トンネルを覗きに来ました。」という格好で入り込む雰囲気じゃないですから…。
ここの天井に輪切りの大根(いえ、木ですね(笑)。)が突き刺さっていました。照明でも吊っていたんでしょうか。
こうして見ると、どういう状態で覆工されているのかわかります。建設途中のトンネルがどういうものかを見るには最適な場所ではありますね(快適ではまったくありませんが…。)。
一匹で寂しく冬眠中のコウモリさん。
坑口に向かって戻っていきます。
コンクリート覆工した側壁の末端部。
ようやく外へと戻ってきました。短いながらも重苦しい雰囲気の廃トンネルでした。
暗渠のある沢まで戻り、その先へと進んでみることにします。
いきなり路面が崩落してますが山側へ迂回すれば大丈夫。
ふたたび道路跡へと出て、
戸倉峠に残る明治時代に開削された車道跡に出てきました。ガレ場の先と左側の木を巻くように下っていくのが明治車道になります。
続いては、この明治車道を追えるだけ追っていきます。