本日は、弟の誘いで、毎度の「佐久間ダム」経由「道の駅信州新野千石平」行きのドライブに出かけてきました。
ということで、最初に立ち寄ったのは佐久間ダム。普段はダム堤体近くの駐車場へ停めますが、今日は奥の駐車場へ。
ダム湖に上流からの流木やゴミがたくさん溜まっています。大雨が多かったですからね。
ダム堤体を遠望。
入れ替わり立ち替わり車がやって来ますが、5分10分と経たずに戻っていってしまうので、ずっと居たのは私たちのみでした。
そして、蒸し暑かったです…。
佐久間ダムからは、ダム湖に沿って長野・愛知・静岡県道1号を豊根村富山・天龍村方面へと進みます。今日はやたらと路駐をしている車が多かったです。ボートを降ろしている人たちもあり、ダム湖で釣りでもするんですかね。
次の目的地は道の駅信州新野千石平なので、天龍村で県道1号から国道418号へと入るのですが、現在、県道と国道の交差点から新野方面が崖崩れによる通行止めとなっているため、指定の迂回路(狭い山道で4トン車以下通行可。)を通って国道418号へ入り込みます。
「これであとは新野まで登っていくだけだなぁ。」と走り慣れた道を走行していたら、突如通行止めの案内板が。
この通行止めは知りませんでした…。
現在地は星印の地点。
崩落現場の写真も掲示してありました。これは当分復旧しないですね…。
ここで停まっていても仕方ないので、左側へと登っていく山道に入り込んでみます。こちらも2.5km先で通行止めとありましたがとりあえず様子見です。
結論から言うとこの山道も迂回路は無く通行止めでした。地形図中の青色の線が登っていった道になります。通行止め地点は、国道の崩落箇所の頂上付近のようです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
どうしようもないので、国道418号を引き返し、何とか道の駅がある国道151号方面へと出るために、国道418号の迂回路の峠から分岐する別の山道へと入り込んでみます。
この道がなかなか狭く、かつ、ひび割れの酷い極悪路面(舗装されているだけましでしたが。)の急坂。ギアは1速か2速、油温・水温の警告音が「ピーッ!ピーッ!」と鳴り響くので、エアコンを切っての走行。
登り詰めるとまた別の山道に合流。やがて今まで登ってきた谷とは別の谷へと下っていったので、「これで国道151号方面への迂回路に出られるかな。」と進んでいったら、またも通行止め…。
通行止めの場所の直前に一軒家があったので、その家のために道を通行できるようにしてあったみたいです。
国道迂回路の峠からここの通行止め地点までのルートを紫色の線で示しています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
こうして地形図で見返してみると、国道151号方面ではなく、国道418号へと舞い戻っているルートでした。仮にこの地点が通行止めになっていなくても、元の場所に戻るだけだったわけです。
この時点ではそれを知る由もなく、一軒家へと至る道との交差点でUターンして、ちょっと休憩。
佐久間ダムからここまで私が運転していましたが、ここで弟と交代です。
今度は坂を下ってきたこの道を行けるだけ登っていくことにします。
国道418号迂回路の峠からの山道との合流地点も通り過ぎて、尾根を越えたところでやや広い林道に出ました。
地形図右側のオレンジ色の線上の矢印の地点です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
小さな行先案内板が立っていて、国道151号は左折とあったので、その通りに左折して林道を進んでいきます。
木立ちのすき間から遠望が利く細尾根の上を縫いながら進んでいくと、二股の分岐点が現れました。
地形図中、オレンジ色の線上の2つ目の矢印の地点です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
引き続き尾根を通る新し目のやや広い林道と、谷へと下っていくであろう狭い山道が分岐しています。
こちらとしては、このまま尾根を走り続けるのではなく、国道へと向かうために谷へと降りていきたいので、右側の狭い山道へと進入します。
この道もなかなか曲者な道でした。地形図を見ての通りで、実際には谷へと下るのではなく、おおよそ等高線に平行していく道でしたが、その道幅は軽四よりやや広い程度。ガードレールはほぼなし。谷側は木々があるとはいえ、崖みたいな急斜面。地形に忠実過ぎて細かいコーナーが無数にある。助手席に座っていて、「対向車が来たらどうすんだ?」という心持ちでした…。
幸い、対向車と遭遇することはなく、無事に国道151号へと合流することができました。
合流地点は、オレンジ色の線上の3つ目の矢印です。
ちなみに地形図の2つ目の矢印と3つ目の矢印の間の山道は、私がたまたま戦前の地形図で探索のために目星を付けていた道であったことがわかりました。
現在の地形図にも軽車道(幅1.5m以上3m未満の道路)である黒線で表示されているので、もしかしたら現役の道かもしれないと思ってはいました。ベースが戦前以前の道なので、拡幅したとはいえ自動車にとっては狭いし、線形も悪かったのでしょう。
戦前の地形図はこちら。赤枠で囲ってある破線道がその道です。

※5万分の1地形図「満島」明治41年測図・昭和8年要部修正測図。発行年記載なし。
想定外の通行止めのラッシュで、すんなりと行くことができたはずの佐久間ダムから道の駅信州新野千石平までの道程が酷いものになりました…。
まあ、この酷い状況を二人して楽しんでいたところも当然あるわけですけどね(笑)。
道の駅に着いたら、弟はさっそくいつもの「焼き山栗」を大量購入。
その後、昼御飯を食べて車に戻る頃、いままでの快晴が嘘のように黒い雲に覆われてきました。
涼しい風が吹いてきたので、夕立でも来るのかと思っていましたが、帰りの道中では小雨に遭った程度でした。