2020年10月11日日曜日、ドライブがてら、北設楽郡東栄町にある元国道151号の廃トンネル「本郷隧道」を見に行き、その足で「本郷隧道」の旧道に当たる旧別所街道与良木峠の峠道を歩いてきました。
今回はドライブメインのつもりなので、直接、東栄町へ向かうことはせず、設楽町→旧津具村→東栄町と回り道して向かうことにしました。
最初に寄り道したのは、新城市副川にある旧豊橋鉄道田口線のトンネル「双瀬隧道」。すでに何度も訪れたことがある場所です。
海老川沿いの岩壁に穿たれた延長60.28mのトンネルで、坑口の形状が特徴的なことで廃線好きには知られています。
内部は、両坑口からコンクリート巻き立てがされていますが、中央部は素掘りのままです。実際には、コンクリート吹き付けがされていますが、これは道路転用後でしょう。
旧海老駅側の坑口は特徴的ですが、旧三河大石駅側の坑門は普通にシンプルな意匠です。
最後にまた旧海老駅側の坑口をもう1枚。
次に訪れたのは、設楽町小松の愛知県道10号に立つ旧道路標識の「徐行」。昭和35年(1960年)12月に制定されたデザインのもののようです。
本来は、焦げ茶色に錆びている部分が白色(「徐」も白色。)で、現在、白色になっている部分が青色でした。「徐」の上部には青字で「徐行」、下部にもこちらも青字で「SLOW」と書かれていました。
このままだと、設楽ダムに水没するか、その前に電柱が撤去される際に処分されてしまいそうです。
さて、県道10号で旧津具村まで進み、そこから県道427号、県道80号を経由。国道151号へと出て、一路、東栄町の中心市街地である本郷地区へと向かいます。
目的地である本郷隧道の入口へとやって来ました。右側の道路が国道151号と現在供用されている新本郷トンネル。左側の道路が本郷隧道がある国道151号の旧道です。
ついでに新本郷トンネルの扁額を撮影。
通常、扁額というものは、坑口の真上に設置されているものですが、新本郷トンネルの奈根側の扁額は、珍しいことに地面に設置されています。まあ、それだけなんですけどね(笑)。ちなみに、「奈根」は東栄町大字三輪の地名で、与良木峠の南側の集落です。
交差点から100mほど歩くと本郷隧道があります。
開通は大正10年(1921年)12月。このトンネルが開通したことにより、それまで東栄町奈根から始まる長い峠道で越えていた与良木峠を、わずか延長310mのトンネルで通過できるようになりました。
さらに本郷隧道の開通は、与良木峠の隘路解消だけでなく、東三河と信州との間の物流ルートの変更も促しました。
トンネルが開通する以前は、別所街道が通る東栄町振草と伊那街道が通る新城市海老を結ぶ赤色の線、海老街道(ふりくさ道)のルートが重用されていました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
花丸峠・仏坂峠という荷車が通ることができない険しい峠が2つもある街道でしたが、東栄町振草以北の別所街道沿いの村々や信州方面から、当時、山間地と平野部の中継地として栄えていた新城市海老と鉄道の終着駅であった豊川鉄道大海駅へ向かうための短絡路であったからです。
ところが、本郷隧道が開通したことで別所街道の難所であった与良木峠の隘路が解消。東栄町振草以南も、青色の線で示した別所街道を利用した方が、多少遠回りでも大量の物資を輸送できるルートだとして注目されるようになり、難所を2つも抱える海老街道を通行する荷馬は激減、一気に寂れていきました。
そして大正12年(1923年)、鉄道がさらに奥地である三河川合駅まで延伸されたことで別所街道経由の大回り感も解消され、これにより海老街道は完全に短絡路の地位を失い、中継地として栄えていた新城市海老の街の凋落は決定的なものとなりました。
そんな歴史を隠している本郷隧道ですが、現在はゴミの収集場所として利用されているようです。
トンネル内部は、石積みの側壁にアーチ部分は煉瓦積みというもの。愛知県内の道路用煉瓦トンネルは、ここ本郷隧道とあとは豊橋市の本坂隧道の2つだけのはずです。
フェンスの網目にカメラを差し込んで内部を撮影。大正年間開通のトンネルと考えると大きなサイズと言え、トラックやバスの通行も見据えた設計だったのかもしれません。
次は、反対側の本郷側坑口へと向かいます。
隣にある新本郷トンネルの通り抜けます。新本郷トンネルは昭和63年(1988年)の開通で、延長は413mです。トンネルは両側の坑口付近でカーブがあり、見通しが悪くなっています。
本郷側の坑門です。こちらの扁額は、普通に坑口の上に設置されています。
本郷側は、新旧のトンネルが並ぶ形になっています。
本郷隧道の本郷側坑門です。こちらもフェンスで締め切られています。
奈根側と違い、本郷側の坑門は開通当時のままの石積みです。
ちなみに、奈根側坑門は、斜面の崩壊により破壊され、昭和8年(1933年)にコンクリート造で修復されたものだそうです。
扁額です。ひらがなで「ほんがうずゐだう」とあり、「大正十年十二月開通」と刻まれています。
おそらく奈根側坑門の扁額は、漢字で「本郷隧道」と彫られていたでしょう。
本郷側は奈根側と違い、煉瓦をコンクリート吹き付けで覆っていません。
トンネル内部です。アーチ部などからの落下物なども見られず、きちんと保守管理すれば、今でも使用できそうです。
坑口からしばらくは石積みの側壁で、アーチ部も煉瓦巻き立てですが、奥の方はコンクリートで巻き立てられているようです。元は中央部は素掘りのままだったのかもしれません。
新本郷トンネルの開通記念碑です。
最後に旧別所街道与良木峠の峠道を歩いて、与良木峠まで登ることにします。
新本郷トンネルからすぐの所に分岐点があります。
戦前の地形図がこちら。縦の青い線は本郷隧道です。赤い線は与良木峠までの峠道、緑色の線は奈根までの峠道です。この地形図では、まだ別所街道として表記されています。

※5万分の1地形図「本郷」。明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入。昭和7年(1932年)発行。
発行年からすると本郷隧道が掲載されていてもおかしくありませんが、昭和5年は鉄道補入だけ(田口鉄道(旧豊橋鉄道田口線)の開通によるもの。)なので、道路トンネルは補入されなかったようです。
現在の地形図はこちら。図中の線は戦前の地形図と同じ意味です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
最初のヘアピンカーブに向けて、長い直線が続きます。
山側の斜面にある石積み擁壁。粗い積み方からして、明治時代の車道建設時のものでしょう。
ヘアピンカーブに来ました。
荷車道がベースだけあって、きついヘアピンカーブです。自分の車で走ったこともありますが、コース取りがまずいと要切り返しとなります。
しばらくは上下の道が並行しています。
基本、ヘアピン間は長い直線ですが、斜面に合わせて緩いカーブもあります。
石垣が木の根に飲み込まれています。
2つ目のヘアピンカーブです。ここで切り返しをしたことがありますが、ガードレールが無いので、その時は緊張しました。
ちょっとカーブがありますが、長い直線です。
これも明治時代の石積み擁壁のようです。山側の斜面を見ていると、苔や土で隠れていますが、ほとんどの場所に石積み擁壁が設けられています。
急斜面の中を通り抜けていきます。
右カーブを曲がると与良木峠です。峠ではなく単なる切通しにしか見えません。周囲はご覧のとおりなので、眺望も利きません。
峠を通り抜けると、左へと曲がっていく林道と真っ直ぐ下っていく林道があります。
真っ直ぐ下っていく林道が、奈根へと向かう別所街道になります。
2010年1月に与良木峠から奈根の集落まで1時間半かけて歩きましたが、その時点で林道への改修工事が進んでいて、往時の峠道の面影は無くなっていました。
与良木峠にある石仏と石碑です。
「よらき地蔵」と呼ばれる地蔵があるとのことですが、おそらく奥の右側の大きな石仏でしょう。「武田軍が遠州(現在の静岡県西部)での合戦に負けて、与良木峠を越えて帰還する際にお地蔵さんを谷へと蹴落とした。」という江戸時代からの伝承があるそうです。摩滅が進んでおり、頭も首の所で折れている(首部は細いのでどうしても折れやすい。)ので、相応の歴史があるのは間違いないでしょう。
峠の石仏も見ることができたので、これで帰ることにします。
帰り道、峠から本郷側の斜面にあった車道建設以前の峠道が残っていないか眺めながら歩いていると、下の方にずっと平場が続いているのが見えました。
目で追っていくとこの地点で合流。
右側に分岐していく細い道らしい所へ入っていくと、確かに道跡が続いています。
ただ、下りの道跡を追いかけると、車の駐車場所からかけ離れた所へ出てしまうはずなので、跡は追いません。
「それじゃあ、峠へと登っていく道跡もあるかもしれないな。」と山側の斜面を眺めながら歩いていると、分岐していく踏み跡を見つけてしまいました。
地形図中の黄色の丸印の中のオレンジ色の道です。

※5万分の1地形図「本郷」。明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入。昭和7年(1932年)発行。
「見つけた以上、行って確かめるしかないよなぁ…。」
踏み跡を登ってみるとその先にしっかりとした道跡があります。
「今日は舗装路だけのつもりだったから普段履きの靴で来たけど、このまま行くか。」ということで、奥へと入り込んでいきます。
急坂ですが、幅広の道跡が続いています。
道跡は左へとカーブしているようです。
シダが生えていますが、背は低いので、このまま踏み込んでいきます。
しっかりとした道跡です。
正面で道跡が途絶えています。
「多分、ヘアピンだろう。」と途絶えた辺りを探すと、やはりヘアピンカーブだったようで、さらに急坂な道跡が続いています。
今の峠道へと出てきました。
この写真の奥を右に曲がると与良木峠。どうやら、車道開通前の古い峠道で正解だったようです。
幅が広くて通行しやすい車道ができたとしても、勾配を緩くするために道自体は大回りなルートを取らざるを得ません。歩行者としては、楽でも距離を歩かされるよりは、峠まで一直線に行き来できた方が時間が短縮できて便利なはずなので、古い峠道が残されたのでしょう。
峠道を歩き終えて、新本郷トンネルの前に出る道へと出てきました。
予定外の古い峠道を見つけられたのはちょっとした収穫でした。やはり廃道歩きを始めた頃と違って、目ざとくなってきたのかもしれません(笑)。もちろん、戦前の地形図からの前情報があってのことですけどね。