2020年11月22日日曜日、長野県下伊那郡天龍村と飯田市の境にある谷京(やきょう)峠への峠道を歩いてきました。
「谷京峠」を見つけたのは、今回も戦前の地形図を眺めていたのがきっかけです。

※5万分の1地形図「満島」明治41年(1908年)測図、昭和8年(1933年)要部修正測図
そして、この峠は自動車道が通っていないにもかかわらず、現在の地形図にも記載されています。
そのような場合、かつては交通上重要な峠であった可能性が高いので、インターネットで検索してみたところ、天龍村の北隣にある泰阜(やすおか)村が発行した泰阜村誌に記事がありました。
「『秋葉道(中道)』(前略)赤石構造線の古道を遠山郷和田より分岐し飯島より『谷京峠(焼尾峠)』に出、これより万古村に下り、万古川を渡って我科村四辻に登り、温田、大畑村の尾根筋を通って(中略)この道は、ほかの秋葉街道の中でも集落に添続して難関の山地の最も少ない街道で古い時代からの街道であった。(後略)遠山谷との経済交流もこの道により、当地域の米穀は温田村の合渡や万古の問屋を中継として担送によって送られ、また塩の道ともなって一部の塩がこの道より村へと入った。」
文中、「赤石構造線の古道」は国道152号の前身となる「秋葉街道」のことを指すと思われます。「遠山郷和田」は現在の飯田市南信濃和田、「遠山谷」は和田を中心とした地域を指します。
この記事からみると、谷京峠(本来は焼尾峠と呼ぶのが正しいらしいです。)を通る峠道が、かつては遠山谷にとって非常に重要な道であったことが伺えます。これで谷京峠に興味が湧き、機会を見て訪れようかと考えるようになりました。
で、この11月下旬の三連休、紅葉が終わりに近づき草葉も落ちて、山の中を歩くにはうってつけの時期となり、福島県の旧奥羽本線へ行くか谷京峠へ行くか悩んでいましたが、谷京峠へ行くことに決めたわけです。
さて、谷京峠付近の地図がこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
赤線が今回歩く予定のルートで、天竜川に架かる吊り橋「天竜橋」のたもとに車を停めて、JR飯田線為栗(してぐり)駅から峠道へと取り付いていきます。
探索するにあたって、事前に谷京峠を歩いた記事がないか検索してみたところ、掲載した地図中の北東角に青枠で囲った戸倉山への山行記録がいくつかあり、登山ルートの一つとして為栗駅付近から谷京峠を経由するルートがよく使われていることがわかりました。
なので、地図に記載した赤線ルートも山行記録を参考にしました。
天竜橋へとやって来ました。
今回は母が同行しています。「山へ行くなら私も一緒に行きたい。」ということだったので、山行記録の内容を説明して、きつい所もあるということを納得してもらった上での同行です。
天竜川を天竜橋で渡っていきます。天竜橋は吊橋なので若干揺れますが、しっかりした造りなので不安になることは全然ありません。
対岸にはJR飯田線が通っています。こちらは為栗第5トンネル。「80」のペイントがされているので、豊橋方から80本目のトンネルということでしょう。
線路沿いを為栗駅へと向かって歩いていきます。
為栗橋梁の塗装記録。橋の延長12m90cm、2007年9月に塗装されたことがわかります。13年前の施工ですが、けっこう傷んできています。
こちらが為栗駅。JR飯田線が誇る秘境駅の一つで、周辺には駅の裏手に家が一軒あるのみです。ただし、ご覧のとおり訪問するのは容易で、ほかにも幾人かの来訪者がありました。
駅は緩いカーブ上に細い単式ホームがあるのみです。ちなみに一軒家は写真中の芭蕉(かな?知識が無いのですみません。)の陰に隠れています。
駅の見物はそこそこにして、谷京峠への峠道に取り付きます。
ホーム脇でよく左右確認をしたら速やかに線路を渡り、一軒家の前から坂道を登り始めます。踏切が無いということは、一軒家には住人がいないのかもしれません。
ここからは、ひたすらつづら折りの急坂を登っていきます。私にもそこそこキツかったですが、すっかり山歩きをしなくなった71歳の母にとってはもっとキツかったわけで、何度も何度も止まりながら登っていきます。
杉林を抜けて、明るい落葉樹の林へとなってきました。
尾根に向かって、まだまだ何度もつづら折りを登っていきます。
長い直線が現れました。周囲の様子から見ても、尾根は近そうです。
落ち葉がたくさん覆っている中、所々、道が細くなっているので、私が先導して地面の落ち葉を払い、歩きやすくしていきます。
ようやく尾根に到着しました。為栗駅から約40分かかりました。
母はここでギブアップ。ここまでずっと急坂続きでしたからね。
今回は母を連れて行くことにした時点で、峠まで行くことは諦めていました。為栗駅から尾根まで登れる道があることが確認できただけで良しとします。
とは言っても、もう少し先の様子も見たかったので、母に断って、母の姿が見える範囲で一人先へと踏み込みます。
私にとっては魅惑の道ですね(笑)。本当は先へとどんどん進んでいきたい。しかし、母がいるのでここはグッとこらえて引き返します。
尾根で20分ほど休憩したところで為栗駅へと引き返していきます。
帰りは帰りで、落ち葉が敷き詰められた急な下り坂を降りていくわけで、見守るこちらも気を揉みながらの下山となります。
ようやく為栗駅が見えてきました。実はこのススキの原っぱが最後の難関。地面に小石が散らばっているので、最後の最後で転んだら大変。付き添いながら降ります。
無事に駅前の道路へと出てきました。いろいろと気を遣いましたが、母に久方ぶりの山歩きを体験してもらえたのは良かったかなと思えました。ただ、連れて来た場所がハード過ぎましたけどね(笑)。
今回、母を連れていたこともあって、けっこう大変な道程だったように見えますが、実際には矢印の所あたりまでしか登っていないと思われます。
母にも橋の上から「たぶん、あの辺までしか行ってないよ。」と話をしたら、「ええっ、そうなの?」という反応でした。まあ、山歩きは平地を歩くようにはいきませんからね。
なので、今回進めたのは地図中の赤線部分のみ。まだ遥かに長い青線部分を踏破しないと谷京峠にはたどり着けません。
実際のところ、すでに「次の土曜日にでもアタックするか…。」という気分になっています(笑)。10日間予報を見る限りでは行けそうな感じなんですよねぇ。
最後は売木村の道の駅「うるぎふるさと館」へ寄り道。
ここで遅い昼御飯を頂きました。私は唐揚げカレーのセット。唐揚げが私好みのカラっと脂っこくないものだったで、美味しくいただきました。
この後は茶臼山高原道路を経由しましたが、雲がどんどん上がってきていて、霧の中を走行する羽目に。国道257号へ出たところで、どうしても眠くなってきたので、そのまま道の駅「あぐりステーションなぐら」で1時間ほで寝てました。