2021年1月16日土曜日、愛知県北設楽郡豊根村にある別所街道望月峠までの峠道を歩いてきました。
ここ望月峠は、愛知県内の山登りをされる方や自転車乗りの方のブログなどに出てくる峠であり、また昔から東三河と信州を結ぶ街道の峠でもあったことから、峠の名前にまつわる古い伝承もあります。
ただ、この峠を訪れる人は、たいていは北設楽郡東栄町御園側から登るようで、豊根村側から旧街道を登って訪れたという記事は見かけませんでした。
周辺の地形図はこちら。地形図上部の星印からスタートして、地形図下部の望月峠を目指します。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
しかし、ご覧のとおり、現在の地形図では、スタート地点と望月峠を結ぶ道は記載されていません。
次に戦前の地形図です。こちらには赤線で印をしたように、豊根村と望月峠を結ぶ道が里道(聯路)として記載されています(青線は別稿になりますので、今回は無視してください。)。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行
ちなみに、本稿の表題では「別所街道」望月峠としていますが、この地形図が測図された時点での「別所街道」はルートが変更されており、望月峠を通過しない図中左側の緑線ルートになります。これは現在の国道151号ルートに相当します。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行
※余談:豊根村から長野県境にかけても、現在の国道151号と違うルートを通っていた時代があり、望月峠の峠道の途中から豊根村下黒川を経由し、小田峠を越えて長野県境の新野峠へ向かうルートだったようです(赤線から右側へと別れて、図中中央上側へと至る黄線。)。
「愛知の歴史街道」によると、新ルートの建設(おそらくは旧来からの道の大規模改修工事。)は明治27年(1894年)に起工され、北設楽郡東栄町本郷を起点に太和金峠を越えて豊根村上黒川までが明治30年(1897年)に開通しました。この新ルートが開通した時点をもって、別所街道は望月峠経由から太和金峠経由へ変更されたわけです。
あらためて現在の地形図上に整理すると以下のようになります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
前置きが長くなりましたが、望月峠への峠道を歩いていくことにします。
やって来たのは、豊根小・中学校前の道路。
ここの路肩に車を停めて峠へと向かうことにします。周囲は思ったよりも雪が残っていたので、雪中やぬかるみでの歩行を想定して、長靴を履いていくことにします。
ここが望月峠への峠道の入口になります。
地形図に記載のない古道の取り付き口というのは、探すのに手間取ることがままありますが、今回は「ここしかないだろう。」というくらい、あっけなくわかりました(笑)。
林の中へ入ると初っ端から急坂です。これでは、明治時代に入って車道(馬車道・荷車道としての車道。)としては使えず、新道が建設されるのも当然です。
いきなり息切れしてしまいますが(笑)、急坂の頂上が見えてきました。
しかし、頂上の先を右へとカーブすると、坂の勾配がさらにきつくなっています…。
山側の斜面を削って、わざと道を蛇行させています。少しでも迂回させて距離を長く取ることで、勾配を緩くするためでしょう。
坂道の勾配が緩くなってきました。
前方に堀割り道が見えてきました。間もなく尾根の上へと出るのでしょう。
すぐに尾根へと出ると思ったら、けっこう奥行きがあります。
尾根へと出たら左へと曲がり進みます。地形図を見ていてわかっていましたが、まだまだ急坂が続くようです…。
ここからは、次の尾根に出るまで堀割り道のつづら折りを登っていきます。急坂の路面には小石や枯れ枝が無数に散らばっていて、着実に足腰へとダメージを与えてくれます(笑)。
この区間での最後のつづら折りを抜け、尾根へ向かい真っすぐに登っていきます。
細尾根の土手道に出ました。土手道といっても、今までに見たことがある無名の道跡のものとは違い、道幅は十分にとられています。さすが県道に指定されていた道だけのことはありますね。
※「別所街道」は明治9年(1876年)に「三等県道」として指定・命名されたもの。それ以前の街道名はよくわかりませんが、信州側からは遠州街道や金指道(金指は浜松市北区引佐町金指のこと。)と呼ばれていたようで、信州と東三河を結ぶ街道というよりは、遠州とを結ぶ街道だという認識だったのかもしれません。
両脇の路肩に切り株が並んでいます。並木のように見えますが、幹が細いので、街道として利用されていた当時のものではないでしょう。
一息つく間もなく、また急坂が始まります。
この辺りは崩落地形のようで、道跡は残っているとはいえ幅がだいぶ削られてしまい、歩きにくくなっています。
何とか通り抜けたところでまた倒木です。しかも枝打ちされていないので、容易に跨げません…。枝にしがみつき、幹に馬乗りになって乗り越えます。
ふたたび尾根が近づいてきました。
ここも細尾根の土手道になっています。
土手道を渡った先で道が二股に分かれているようです。尾根の上を通る道跡は帰りに通るとして、右側の道跡を辿っていきます。
大きい倒木が重なっていますが、幹を切り取ってくれてあるので、難なく通過します。
直線的な坂を進んでいきます。
唐突に作業道へと出ました。
緩い傾斜地の中を進みます。今まで歩いてきた峠道から真っ直ぐつながっていますし、周囲にほかの道跡も見られないので、これが峠道でしょう。
路上に雪が現れました。ぬかるんでもいるようです。
長靴で来て正解でした。
林道望月峠線へ合流しました。ここからは峠まで林道で歩いていきます。
通行止めの注意看板が立っています。もしかしたら人くらいは通れるかもしれないので、ひとまず進むことにします。
長い急坂の直線です。つらい!(笑)。脇にそれる小道があり、歩きながら上から眺めていましたが、どうやら作業道のようでした。
ここが通行止めの箇所のようですが、道は通れるようになっています。車の轍も続いているので、そのまま通過します。
5cmほどの積雪ですが、ここまで登ってきて疲れた足には大きな負担です。
登り始めてから1時間10分ほど。望月峠に到着しました。標高は837m(地理院地図の標高データより。)。スタート地点が505mなので、標高差332mでした。
峠は開削されて四方向に林道が伸びており、街道の峠という雰囲気は全くなく味気がありません。峠名を知らせる案内板等は無く、峠が北設楽郡豊根村と東栄町の境界になっていますが、町村名を表示する標識もありません。
峠の南側から分岐する林道の路肩、生い茂っている笹の間にすき間が見えます。
覗いてみると道が下っていっています。別所街道でしょう。
本当は峠で引き返すつもりでしたが、見えてしまったものは仕方ありません(笑)。峠下の集落まで辿ることにします。
どんどん下っていきます。帰りが大変そうだ…。
石仏と思しきものがあります。
しかし、正面へと回ってみたら、どうやら自然石のようでした。台座があるので、何らかの理由(損壊か盗難か。)で代わりに据えられたものでしょう。
道はまだまだ下っていきます。
最後の折り返し。
ここに望月峠への道標がありました。「熊注意」もあります。山深いですからね。
簡易水道の施設のようです。
脇を抜けると道路へと出ました。
左側には神社(熊野神社)があります。峠の南側の集落に出たようです。
熊野神社の参道。
神社から少し下ると集落に出ました。地名は「眞地(まっち)」だそうです。
歩いてきた望月峠の峠道のルートがこちらになります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
旧の別所街道はこの先もいくつか峠越えをして、北設楽郡東栄町本郷へと向かっています。そのルートは現在の愛知県道74号が相当しますが、車で走るのもなかなか大変な山道です。
さて、眞地集落に出たら、もう一度峠道を登り直して帰るつもりでしたが、時間に少々余裕があったので、この付近でもう一つ探索しようと思っていた古道へ足を伸ばしてみることにします。
(次稿へつづく)