2021年2月20日土曜日、愛知県新城市中島(湯島)にある愛知県道435号島原橋から東方向へと山を登り、「峰の峠」を越えて、新城市中島(山中)や新城市海老とを結んでいた古道を歩いてきました。
戦前の地形図はこちら。里道(聯路)として表記されています。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行
この地図ではわかりませんが、あまりのつづら折りの多さに「四十四曲がり」と呼ばれていたそうです。ルート的には県道435号の前身道と言えます。
さて、やって来たのは島原橋のたもと。
現在地は星印の地点になります。当然ながら、現在の地形図には峠越えの道は記載されていません。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
こちらは島原橋。橋名は、寒狭川左岸の「湯島」と右岸の「恩原」から一文字づつ取ったものです。昭和14年(1939年)3月の架橋です。
「鳳来町誌 交通史編」によると、明治42年(1909年)に架橋された吊橋の老朽化が激しく、昭和9年(1934年)から現在の鉄筋コンクリート製の橋の架橋工事が開始されましたが、日中戦争開戦による鉄材の高騰や県からの補助金削減の影響を受け、完成は延び延びになっていたそうです。
県道435号はここから右へとカーブして新城市中島(山中)へと向かい山を登っていきますが、道幅が狭く、1.9mの幅員制限の標識が立っています。
ここが峠へ向かう古道の入口になります。植込みの手前にある細い路地を登り、入り込んでいきます。
入っていくとすぐに獣害防止用の柵が設置されています。扉は鎖を絡めて留めてあるだけなので、ほどいて中へと入っていきます。
柵を取り抜けると古道らしい浅いU字型の道があります。
始めのうちは斜面を直登していきますが、やがて左へと曲がり、斜面を横断する方向へと進路が変わります。
1か所目の折り返しが現れました。ここから、うんざりするほどのつづら折りが始まります(笑)。
登っていく先の斜面を見上げています。ジグザグに上の方まで道が付いているのが見えます(写真ではわかりにくいですが。)。
ちょっとした直線があったりしますが、基本、ひたすら折り返しです。
石畳が残っていました。
まだまだ折り返しが連続します。
石積みがあります。土留めのためでしょうか。
石積みの先、右側の木の根元に何かあります。
石仏です。しかし、上半身がありません。
辺りを見回したら、石仏から左方向、やや離れた地面に転がっていました。
側面に字が彫られています。「奉造立地蔵」と読み取れますから、この石仏はお地蔵様ですね。
見つけた上半身を下半身の上に据え置きます。ぴったりとはまったので、落ちてからそんなに経ってはいないのかもしれません。
「あとは頭が見つかるといいな。」と周りを探し回ってみましたが、全然見当たりません。さらに下の斜面まで降りて探してみましたが、見つけることはできませんでした。頭は丸いので、はるか下まで転がっていってしまったのかもしれません。
残念ですが、時間もあるので先へと進むことにします。
ちょっとした緩斜面へ出てきました。
この先から斜面の傾斜はさらにきつくなります。それを避けるかのように道は左へとカーブしていきます。
視界が開けてきました。ここからは山腹を尾根に並行するように通り、緩やかに登っていくようです。
水が浸み出している場所がぬた場になっているので、泥にはまらないよう跨いで通り抜けます。夜になるとイノシシとか来るんですかね。
日が差し込んでいます。けっこう高度を稼いだので眺めはいいのですが、写真で撮るには木々の枝が邪魔になります。
薮が現れました。通り抜けられるだけのスペースは開いているので、しゃがんでくぐり抜けます。
薮を歩くのは10mほどで済みました。
石積み擁壁です。積み方が粗いので、割と古い時代のものかもしれません。
上の方はずっと険しい岩山になっています。越えることができないわけです。
薮を刈り込んだ場所のようで、地面から細い木の切株がたくさん突き出しています。うっかり躓かないように注意します。
倒木がカットされています。おそらく峠側からこの付近までは人が入ってくるので、支障がないようにしたのでしょう。
正面が明るくなってきました。ここで道は右へとカーブし、いよいよ峠へと向かうようです。
若木をかき分けながら坂を登っていきます。
坂道が終わり、道が水平になると、
「峰の峠」に到着しました。「峰の峠」なんて地形そのままの名前なので、特に地名などに基づく名前が付けられてなく、普段呼びならわしていたものがそのまま定着したものなのでしょう。
峠の標高は地形図読みで標高410m。島原橋が標高165mなので、標高差245mを登ってきたことになります。
歩いてきた推定ルートはこんな感じです。
峠は細尾根になっているので、土を盛って土手道にしてあります。
土手道の手前から右側へと下っていく道が新城市中島(山中)への道で、土手道を抜けて先へと進んでいく道が新城市海老へと向かう道です。
土手道を反対側から眺めています。登ってきた側の斜面(右側)は急斜面ですが、中島(山中)側(左側)は緩やかな斜面になっています。
さて、登り始めた時刻が14時で、今の時刻は15時25分。ここまで歩いてきた距離は地形図読みで1.2~1.3kmほどと短いですが、だいぶ日も陰ってきたので速やかに撤収することにします。
道中の一番眺めがいい場所でも、カメラで撮ると木の枝がモサモサと写りこんな感じ。高い所を通っていることはわかってもらえると思います。
急斜面のつづら折りを足早に下っていきます。
峠から30分で車まで戻ってきました。
この古道は「忘れられた街道(下)」という本で知りました。知ったのはけっこう以前のことになりますが、短距離で急斜面を登るルートで歩くのが大変そうだったので、昨年4月頃から県内の古道歩きに精を出すようになってからも後回しにしていました(笑)。
ようやく、最近は各所を歩き慣れてきて抵抗感も薄まってきましたし、比較的自宅から距離も近いので今回アタックしてみました。
歩いてみると、うんざりするほどのつづら折りのおかげで、想像していたよりも坂道は厳しくありませんでした。別所街道望月峠の方がきつかったくらいですね…。
愛知県内の古道のネタ本は「愛知の歴史街道」と「忘れられた街道(上)・(下)」ですが、どちらも著者は同じ方。これに戦前の地形図を合わせれば、県内だけでもまだまだ探索する場所には困りません。
あとはやる気と行く気を維持するだけですが、ちょっとくたびれてきたかな(笑)。