2021年9月23日木曜日、福井県敦賀市阿曽の阿曽隧道と滋賀県長浜市西浅井町の湖北隧道へ行ってきました。阿曽隧道は旧国道8号の廃トンネル、湖北隧道は長期間通行止め状態となっているトンネルで、国道303号岩熊トンネルの旧道に位置します。
まずは阿曽隧道へと向かうため、4時15分頃に自宅を出発。
阿曽隧道はある意味接近困難な廃トンネルです。容易に接近できるかどうかは、ひとえに間近を通る国道8号の交通量に掛かっています。そのため、日の出から間もない時間帯に到着できるよう早朝に出発しました。
まだ日の出前、名神高速羽島PAでトイレ休憩。自宅からまだ1時間ほど走行したところですが、ちょっと眠気が来ていたので軽くウトウトしていました。
米原JCTから北陸道へ。敦賀ICで下りて、国道8号を福井市方面へと走行します。
さて、阿曽隧道のある敦賀湾の岬「黒崎」の南側、最寄りとなる国道8号の駐車帯に6時半頃やって来たのですが、ここで問題が発生。スペースが狭い駐車帯にワゴン車が2台すでに駐車しており、停まれる余地がありません。
周辺で折り返しつつ駐車帯の前を2回ほど往復しましたが、どうやら動く気配がありません。これはおそらく釣りをしに来た人の車でしょう。そうなると代わりの駐車スペースを探すことになります。阿曽隧道へのアプローチ距離が伸びてしまいますが仕方ありません。
もう2~3回、敦賀市挙野と杉津の間を往復して駐車できるスペースを探し、結局、阿曽集落内の国道8号の路肩に駐車することにしました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
時刻はすでに7時15分過ぎ。祝日とはいえ、普段通りに仕事をしている方も多いわけで、国道8号の交通量も段々と増えてきています。
阿曽集落内の道路を通り、国道8号へと出てきました。ここから正面奥に見えているロックシェッドの中まで歩き、阿曽隧道へと続く旧道(廃道)へと取り付きます。
この海岸沿いの区間が歩行者にとって何より問題なのは歩道がないこと。もっと言えば、路側帯すら満足に確保されていません。そして、ここは幹線である国道8号。大型トラックやトレーラーがビュンビュン走ってきます…。
できる限り道路の端を歩き、ロックシェッド内へと入ってきました。写真はたまたま車列が途切れたタイミングで撮りました。
この先でロックシェッドは黒崎トンネルへと向かい左カーブ。黒崎トンネルの直前は歩行者が歩くスペースも無くなりますが、ここまで行かないと旧道へ取り付けません。
トンネル直前で一旦ロックシェッドの隙間に隠れ、車列が途切れるのを見計らって海側に向かい国道をダッシュで横断。そのままロックシェッドの隙間から路外へと転がり出ます。
まずは無事に阿曽隧道前の旧道に着きました。いやぁ、緑あふれる濃い草むら、立派な廃道です…。そして右側は断崖。まあ、背の高い草むらでないのは幸いですし、国道8号の路肩を歩くことを思えば楽勝です(笑)。
草むらを踏み均してトンネル前へとやって来ました。阿曽隧道です。訪れたのは6年4か月ぶりになります。当時は蔦で覆われていました。
戦前の地形図はこちら。

※5万分の1地形図「今庄」:明治25年(1892年)及び明治42年(1909年)測図の縮図・昭和7年(1932年)第2回修正測図の縮図。
ここ阿曽隧道は、明治9年(1876年)ないしは10年(1877年)の竣工。明治19年(1886年)頃に石積みの坑門をもつ現在の形状になったようです。
トンネル内部はご覧のとおり坑口付近だけが石積みで巻き立てられ、中央部は素掘りのままとなっています。ただ、相変わらず目立った崩落はなく、安定した岩盤なのでしょう。
反対側(敦賀市挙野側)の坑口です。こちらはトンネル上部の斜面から土砂が流入しており、わずかに口を開くのみです。ただ、人が立ったまま出入りできるだけの空間はあります。
トンネルの先に続く廃道です。こちら側は南側で日が当たるためか、もっと酷い草むらに覆われています。訪問1回目と2回目の時は、こちら側から進入してきました。
少し離れた場所からトンネル坑門を振り返ります。草むらでほとんど見えませんね…。
当然ですが、挙野側の坑門も阿曽側の坑門と同じデザインです。
坑口に土砂が積もっているため、アーチ上部の要石も間近で見ることができます。
坑門の石積みは、下半分は割りと大きさの揃った石材で積まれていますが、上半分は大きさや形がバラバラです。
デザイン的にこのようにしたのか、加工の手間を惜しんだのか、そもそも石材の規格を整えて積み上げるという工法がまだ一般的ではなかったのか。どうなんでしょうね?
自分が見てきた中では、春日野隧道の側壁や旧北陸本線 小刀根隧道の側壁がやはり使用している石材の規格に統一感が全然ありませんでした(そもそも四角形ですらない。)。そして、春日野隧道は明治19年(1886年)、小刀根隧道は明治14年(1881年)と年代も同時期です。
アーチの形状も釣鐘型や放物線型などと言われる独特のもので、これは福井~敦賀間に造られた国道8号の前身「敦賀道」にあと二つ現存する隧道、金ヶ崎隧道と春日野隧道も同様の形状です。
金ヶ崎隧道
春日野隧道
フラッシュを使わないで撮影した写真です。実際のトンネル内はこんな明るさです。延長が50m余りなので、懐中電灯無しでも問題はありません。
阿曽側坑口へ戻ってきました。
アーチ環と岩盤の間は、石材などできちんと隙間を埋められています。
黒崎トンネルから続くロックシェッドを眺めています。草むらには私が踏み均した跡が付いています。またあの中を歩いて帰らないといけないと思うと、なんか憂鬱です…。
これで阿曽隧道とお別れです。
阿曽集落の出入口まで戻ってきました。これでようやく安心できます。
阿曽集落の海岸から阿曽隧道がある「黒崎」を眺めます。この地形では、明治時代であってもトンネルを掘るしか方法はなかったのでしょうね。
次は近所にある(約10km)金ヶ崎隧道へ寄り道しようと、敦賀市街地の北端にある金ヶ崎城址駐車場へ来ましたが、トンネルへと続く旧道が立入禁止の表示。
せっかくなので、周辺を少し散策してみることにします。
敦賀港駅ランプ小屋。
金崎宮。
敦賀市街地の眺め。
敦賀赤レンガ倉庫。
敦賀港駅舎(実際に存在した駅舎を復元したものではないそうです。)。
それでは最後に湖北隧道へと向かいます。
国道303号岩熊トンネルの西側付近から分岐する道を歩いていきます。
この道は、国道303号岩熊トンネルの旧道にあたる道ですが、古い標識などの遺構は特に見当たらず、いたって平凡な舗装1.5車線道です。
随分上まで登ってきました。
突き当りにトンネルが見えてきました。
湖北隧道です。竣工は昭和9年(1934年)。コンクリート造りの坑門を持つトンネルです。長い期間通行止めとなっていますが、この様子では完全に封鎖するつもりは当面ないようです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
内部も当然コンクリート巻き立て。のっぺりしていて、味も素っ気もありません。
扁額には「風光随一」の文字。
琵琶湖側へと来ました。
今まで見てきたとおり、何の変哲もないコンクリート造トンネルですが、実はデザインに大きな特徴があります
「日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2800選」(土木学会発行)によると、「(ポータル(坑門)の)せり出し部が上に行くほど外側に出て、かつ、角が丸くなっており、ドイツ表現主義を強く感じさせる(トンネルとしてはおそらく国内唯一。))」などの理由により「Aランク」(国指定重要文化財相当)と評価されています。
私は美術に関する知識が無いので、どれほどすごいものであるのかは全然理解できないのですが…。
扁額「湖北隧道」。
トンネルの正面に広がる琵琶湖。
それでは車に戻ることにします。
30分ほどで国道303号岩熊トンネル近くの駐車場所へと戻ってきました。
さて、今回のメインは接近困難な阿曽隧道でしたが、だいぶ以前から再訪する気はありました。しかし、なにぶん接近が容易ではないことがネックとなり、何度も何度も目の前を通過していました。
今回は、最寄りの駐車帯が使えない時も、違う場所を見つけて必ずトンネルへ行くと決めていました。それくらいの気持ちでないと、なかなか行く気になれない場所でしたからね。
これでようやく目的を達したので、おそらく4回目の再訪をすることはないでしょう。