2021年11月20日土曜日、岐阜県高山市荘川町の軽岡峠に残る国道158号の旧旧道と旧軽岡隧道を探索しました。
この旧旧道は、旧来の郡上・白川街道の峠道を明治36年(1903年)に改修した馬車道に由来し、昭和34年(1959年)に国道158号が新軽岡峠経由にあらためられたことにより、国道としての役目を終えました。
この峠と廃トンネルについては、インターネット上でそれなりの数の訪問記録がヒットします。いろいろな記事を読んでみて、今回は比較的接近が容易そうな高山市荘川町六厩側からアタックすることにしました。
峠までのルート図はこちら。現在の国土地理院発行の地形図には旧旧道も廃トンネルもきちんと記されているので(なぜ廃トンネルも記されているのかは不明ですが(笑)。)、目安になります。
戦前の地形図はこちら。

※5万分の1地形図「三日町」:大正1年(1912年)測図・昭和5年(1930年)要部修正測図。
当日は朝6時に自宅を出発。3時間かけて高山市荘川町六厩の旧旧道だった林道が分岐していく地点の近くへとやって来ました。
ここが六厩側の旧旧道入口。矢印を付けた未舗装路が旧旧道です。
まずは快適な林道散策といった風情でのスタートです。
東海北陸道の軽岡トンネルの坑口付近を通過していきます。
現在、軽岡峠は東海北陸道・国道158号ともトンネルで通過しているわけですが、名称は両方とも「軽岡トンネル」となっています。
熊笹に囲まれた道を進んでいきます。最近訪れる廃道は熊笹が多いですねぇ(笑)。
ヘアピンカーブが現れました。
この地点です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
続いて2つ目のヘアピンカーブ。
この地点です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
一つ目のヘアピンカーブを見下ろしています。
緩やかな斜面でなぜヘアピンカーブを2つも設けているのかなと思いつつ歩いていましたが、こうやって見下ろしてみると、けっこう高低差があるのがわかります。それでも、今なら直線的に盛土をして通してしまいそうですけどね。
谷に沿って山の中腹部を緩やかに登っていきます。
小さな谷を迂回するようにヘアピンカーブを描いていきます。ここも今なら橋を真っ直ぐに架けてしまうでしょう。
晩秋に訪れたのは正解でした。ここまでひどい薮もなく、いたって快適な散策です。
山側に岩肌が露出しています。馬車道建設時に削り込んだものでしょう。峠までの道筋で、岩肌が露出しているような場所はここだけでした。
このカーブの谷側の路肩には、低い石垣が残っています。路肩を支える擁壁ですね。
ススキに覆われた広い場所へと出てきました。ちょっとした迷子ポイントの一つです。
もともと旧旧道(写真には「旧道」と記入してしまいました(笑)。)が真っ直ぐに通っていましたが、橋が無くなってしまい、現在の林道は右側から迂回しています。
旧旧道の橋跡を見下ろしています。
こんな構図となっています。
沢へと下りて、下から橋台を眺めてみます。
橋台の石垣は、よくよく見てみると石を積み上げただけの「空積み」ではなくて、隙間をコンクリートで埋めてあります。元からなのか後補なのかはわかりませんが。
3つ目のヘアピンカーブが現れました。
このカーブの上段に峠へと向かう道が通っています。
3つ目のヘアピンカーブの全景。
4つ目のヘアピンカーブ。
5つ目のヘアピンカーブ。
5つ目のヘアピンカーブには、さらに上段を通過していく道を支える石積み擁壁があります。この石垣はなかなかの高さがあります。
4つ目のヘアピンカーブを見下ろしています。ここは狭い場所に連続のヘアピンカーブを設けて、一気に高度を稼いでいます(と言ってもそれほどではありませんが。)。
6つ目のヘアピンカーブです。
連続ヘアピン区間の地図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
徒歩なら一気によじ登って行けそうな高低差ですが、馬車道としてはできる限り坂を緩やかにする必要があるので、このような造りになったのでしょう。
連続ヘアピン区間を通過すると薮がひどくなってきました。これが真夏だったらもっとひどいことになっていたでしょうね。
山側の路肩にある土留めの擁壁。
枡形の謎の構造物。多分、集水桝だと思いますが。
また広い場所が現れました。車の行き違いのために広くしたのでしょうか。
朝日に映える落ち葉のじゅうたん。この辺りの木々はしなって生えており、真冬の雪深さを感じさせます。
尾根の稜線が見えてきました。トンネルまでもう間近な雰囲気を漂わせます。
コンクリートの構造物が見えました。旧軽岡隧道です。旧旧道の入口からここまで約2.5km、時間は1時間でした。
旧軽岡隧道の竣工年は不明です。周囲の地形から、馬車道改修時の明治36年にはすでにトンネルが存在していたとする意見もあります。
現存しているのはコンクリート造りなので、少なくとも昭和に入ってから自動車通行用に改修を受けているはずです。
この六厩側の特徴は、圧壊してしまい坑口付近の構造物だけが橋のように残っていること。
そして、コンクリート内に木材が埋め込まれていることです。
昔のコンクリートトンネルは「無筋」も当たり前ですが、このトンネルはアーチ部の補強のために木材を埋め込んだのではないかと言われています。
かつてのトンネル内部の壁面を覗いてみます。古いコンクリートトンネルらしく、細い型枠の跡がたくさん付いています。
黄色の枠の部分には、坑門部に刻まれた石アーチを模した模様が残っています。
さて、黄色の枠内にある「闇」の部分を覗いてみます。
体をねじ込んでもこれが限界ですね。あまり斜面に力を掛けると土砂がさらさらと崩れてきますし…。
数年以上前にこの場所を訪れた方々の中には、まだ大きかったこの隙間から内部へと進入した人もいます。トンネルはこの先で完全に閉塞していますが、そこまでのわずかな空間は現役時のトンネルの原型を留めています。
トンネルの上部へと回り込んでみます。
表土が大きく凹んでいます。その分、トンネル内部へと土砂が流入しているのでしょう。
六厩側の坑口はこれくらいにして、次はトンネル上部の軽岡峠の鞍部を越えて、反対側となる荘川町三尾河側の坑口へと移動します。
※その2へと続きます。