2022年4月2日土曜日、愛知県新城市四谷にある旧海老街道(ふりくさ道)の峠「仏坂峠」の峠道を歩いてきました。今回の目的は旧街道のルートを地図上に確定させるためのGPSデータを取ることです。
ここ仏坂峠の峠道は、2011年5月21日、2019年3月9日と2回訪れていて、今回で3回目となります。なので、もはや「ルート探索」というよりは「散策」といった感じですが、峠道周辺の一部の山林が近年の豪雨などによる崩落で荒れ果てて、踏破が困難になっています…。
前回(1)では、仏坂峠道の最大の難所である釜滝の上までやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
峠側から釜滝の滝壺を眺めています。何も知らずに峠から下ってくると、いきなり大穴へと飛び込んでいくような感じに見えます。
登ってきた道筋を振り返ります。岩盤を削って道を付けたような場所ですが、特に石仏の前は狭く、路面も荒れています。こんな場所を重い荷物を背負った牛や馬が通行するのは、さぞ大変な事だったでしょう。
少しお遊びで、滝の上の巨木の隙間(2本の木がくっついている形なので、真ん中に隙間がある。)から巨岩の先端へと出てみます。
この巨岩の上にも石仏が祀られています。しかし、私では見ることができるのは背中のみ。間近で顔を見ようと接近するには、あまりに危険な場所です。
釜滝の滝口も覗き込んでみます。すくみ上がりますね…。
石仏の顔を収めたいと思い、少しだけ坂を下った場所から望遠で捉えてみます。
明王像でしょうか。光背には火焔形の線刻が施されています。「大林村」、「文化」の文字も読み取れます。
巨木付近の峠道に残る石畳。
釜滝を後にして、ふたたび仏坂峠へと進んでいきます。
こちらも石畳の跡。
つづら折りを通過。
街道の遺構の一つと言える巨岩が見えてきました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
巨岩を利用した馬頭観音碑です。
写真では見にくいですが、黄枠内に「馬頭観世音」の文言が彫られています。
馬頭観音碑からさらに歩くこと7~8分。東海自然歩道との合流地点に来ました。
ここから先の旧海老街道仏坂峠道は、東海自然歩道として登山者に利用される現役の道となります。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
合流地点に立つ「ふりくさ道」(旧海老街道)の道標。
少し歩くと峠の切り通しが見えてきました。
峠の直下にも、数年以上前の台風か大雨で倒れた倒木群があります。登山者の通行に支障がないよう、登山路部分のみ切断・撤去されています。
仏坂峠に到着しました。峠道の入口から約2時間かかりました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
馬頭観音碑。「二十一番観音」と同じく、海老町四谷の「馬方連中」が建てたものですね。
こちらが「三十三番観音」です。
仏坂峠から東側の峠道はまた廃道となりますが、もう少し進んでいきます。
峠の切り通しを抜けると、峠道は左へと曲がって進みます。
つづら折りを下っていきます。
峠の切り通しを見上げています。あまり距離は歩いていませんが、急坂なので高低差が一気につきます。
峠を見上げた場所の先からは、沢に沿ってだいたい直線的に坂を下っていきます。
そして、仏坂トンネルの神田側坑口の真上で道跡は途絶えてしまいます。トンネル工事の際に削り取られたようです。
愛知県道32号 仏坂トンネルです。
これで道跡が確認できる区間は踏破したので、帰ることにします。
仏坂峠を通過。
釜滝を通過。
さて、仏坂峠へと登ってくる途中に見つけていた、石積み橋台へと寄り道します。
旧海老街道との位置関係はこんな感じ。
どこへつながる道かはわかりませんが、道跡を軽く辿ってみることにします。
路肩に石垣を組んで道幅を確保しているくらいなので、行き止まりの道ではないようです(立派そうでも行き止まり道だったこともありますが…。)。
交差する小さな沢に石積み橋台跡がありました。道跡はまだ奥へと続いているのか…。
しかし、すぐに道跡はわからなくなってしまいました。四方八方から沢筋が集まる地形で、周辺は大量の岩石に覆い尽くされていたからです。
少し周辺を歩き回ってみたところ、炭焼き窯の跡を発見。「もしかしたら、炭を搬出するための道だったのかもしれないな。」とひとまず結論付けました。
この時点で時刻は16時35分。周囲はすっかり薄暗くなっています。今回の目的は仏坂峠道のルートデータ取りなので、これで帰ることにします。
やや小走りで帰路を急いでいたところ、毎回よくやらかす杉の枝で両足をロックされる事故が発生。普段なら、「おっとっと」という感じでよろめくだけとか、片足ケンケンで踏ん張るとかして回避するのですが、この時はいきなり誰かに両足首をつかまれたがごとく完璧にロックが決まってしまい、小走りの勢いそのままに転倒。
とっさに左手が出たことと、幸運にも岩の間の窪地にはまるように落ちたため、頭を打つような大事には至らずにすみました。
ちなみに、勢いよく地面についた左手は、後日、下半分がどす黒く変色しましたが(多分、衝撃で血が死んだのだと思われ…。)、それだけで済みました。
あと、転倒時は地形図を見るためにスマホを手に持って歩いていましたが、そのスマホの画面を頭の右上にあった岩へと直撃させました…。「これで画面は粉々か…(泣)。」とあきらめかけましたが、こちらも保護フィルムに穴が開いただけ。フィルムの貼り替えだけですみました。
すっかり気落ちして、残りの帰路はトボトボとした足取りに…。
そうして出てきたのが、旧海老街道とカンバンタ山道との分岐点。今まで歩いていた道が、カンバンタ山道だったのだとわかりました。こちらの道は、また日を改めて出直しです。
分岐点のすぐ下にある馬頭観音碑に手持ちののど飴を1個お供えして、「何とか無事に済んでありがとうございました。」と頭を下げてきました。
17時10分、ようやく車へと戻ってきました。
今回はデータ取りメインのつもりだったので、あまり細かく見ずに「サクッ」と行くつもりでしたが、現地へ来てしまうとどうしても虫が騒いで、結局いつもの探索と同じようにいろいろとジロジロ見て、写真たくさん撮ることになってしまいました(笑)。
最後に旧海老街道仏坂峠道のルートです。
戦前の地形図はこちら。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年測図)・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行
今回取ったデータで作成したルート図。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。