2022年5月15日日曜日、長野県飯田市南信濃南和田と下伊那郡天龍村平岡の境にある国道418号清水トンネルの旧道と旧旧道を歩いてきました。
当日は、新東名豊田東ICから高速道路に乗り、東海環状道、中央道、三遠南信道、長野県道、三遠南信道矢筈トンネルと進み、まずは飯田市上村の国道152号へとやって来ました。
そこからちょっと寄り道をして国道152号地蔵峠方面へと進み、大島河原河川公園まで入り込みました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
寄り道した目的は、地蔵峠へと向かう国道152号の自動車通行不能区間の開始地点を見るためです。
車の駐車場所から上流へと進みます。2020年7月の豪雨でこの付近は被害を受けたそうで、川沿いの法面や橋は新たに修復・設置されたようです。河川工事自体は現在も続けられています。
自動車通行不能区間の開始地点へと来ました。正確にはまだ先へと進めますが、許可車両以外は通行止めとなるので、ここが開始地点と言えるでしょう。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
今回はこの先へと進むことが目的ではないので、このまま引き返すことにします。またいつか日を改めて訪れましょう。
国道152号としらびそ高原及び大鹿村方面へと向かう林道との分岐点まで戻ってきました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ちなみに、地理院地図の表記は間違っていて、現在、しらびそ高原などへと向かう林道はループ橋で分岐しています。国土地理院撮影の航空写真にはきちんとループ橋が写っています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
こちらは三遠南信道「矢筈トンネル」。延長は4,176m。飯田の街と遠山谷を結ぶ交通路としては、小川路峠越え、赤石林道に続く三代目のルートになります。
この後は国道152号で遠山谷を南下。飯田市南信濃和田で国道418号に入り、今回の目的地である清水トンネル前の旧道分岐点へと到着です。
周辺の地図はこちら。ちなみに現行の地形図では、旧道も国道表記の赤線で示されたままになっています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
さっそく旧道へと進んでいきます。初めのうちはほぼ2車線幅のままの空間が残されています。
道幅が狭まって下り坂となる場所で、一気に薮に覆われ始めました。
国道標識が撤去されないまま残されています。
たいていの場合、その他の標識がたくさん残されていても、国道標識だけは撤去されているものなので、これは珍しいですね。
ちなみに反対側の路肩にも残されていました。
坂を下っていくと右カーブ。すれ違いのためか、道路幅には余裕を持たせてあります。
川側の路肩にカーブミラーがあおむけに倒れていました。
ふたたび薮に覆われた狭い道になります。
橋が現れました。境界を表す「天龍村」の標識が残っています。
橋の名前は「布滝橋」。
橋のすぐ横には橋名の由来となった「布滝」があります。ただし、路上に滝の水や落石が降り注ぐことを防止するためか、鉄板で覆われてしまっています。
布滝橋から上流を振り返った風景。谷底一杯に遠山川が流れ、両岸は切り立った崖。間違いなく難所です。
別の親柱を見ると、銘板に「昭和三十六年三月竣功」とありました。
さらに先へと進んでいきます。この旧道は何度も車で通ったことがありますが、旧トンネルの方の印象が強くて、切り立った崖の下をこんなに狭い道で通り抜けていたとは全然忘れていました。
ようやく旧トンネルが見えてきました。
旧トンネル「清水隧道」です。「全国道路トンネルリスト(平成16年度道路施設現況調査)」によると延長は38m。竣工年は昭和7年(1932年)とされていますが、これについては旧トンネル前後の橋梁の竣工年や、旧旧道のルートなどから疑義が持たれています。
「清水隧道」の扁額。
ご覧のとおりトンネル内部は素掘り。さらに加えて急カーブとなっています。
天井部には照明器具が残されたままです。
旧トンネルが現役時代に通った時は、見えにくい対向車に注意して慎重に走ったものです。
反対側の坑口です。
旧トンネルの先には旧清水橋が架かっていましたが、バイパス開通後撤去され、跡形もありません。土木学会「歴史的鋼橋一覧」によると、旧橋の延長は75.5m。昭和33年(1958年)竣工で、ポニートラス橋という形式の橋梁でした。橋の写真は「歴史的鋼橋一覧」で見ることができます。
さて、遠山川の河原へと下りてみます。
河原からの旧清水隧道の眺め。
対岸に残る旧清水橋の橋台。
旧トンネルから河原を上流側へ歩くと、吊り橋であった旧旧橋のアンカーが残っています。以前はこのアンカーの前に旧旧橋の主塔が残っていましたが、バイパス開通後、知らぬうちに消えてしまいました。旧清水橋の撤去に合わせて、主塔も撤去されたようです。
アンカーには橋を吊っていたと思われるワイヤーの断片が残っています。
旧道、旧清水隧道、旧旧橋と確認できたので、車へと戻ることにします。
車へと戻る前に、旧旧道の道跡が確認できるか、旧トンネル前からちょっとだけ覗いてみます。
まだ残っていますね。明らかに人為的に削り込まれた岩場が旧旧橋方向へと続いています。
遠山川の水量が多いので、旧旧道跡は川面へと沈んでいました。渇水期だと旧旧橋跡まで進めるようです。
水没している場所にピンクリボンがくくり付けられていました。国土調査や地籍調査に関連して、かつての街道や里道に沿って点々と付けられているのを見かけることがあります。時には「どうやってあんな場所に付けたんだ!?」ということも(笑)。ここは川の水が少ない時に付けたものでしょう。
旧旧道跡を振り返ります。こうやって眺めると、旧道に向かって緩やかに登り、ごく自然につながっています。実際には旧道と旧旧道の間には段差がありますが。
旧旧道のルートはこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
旧旧道は旧清水隧道が通る山を迂回するルートであり、旧旧道から旧清水隧道を通るにはルートに無理があること。旧清水橋・布滝橋が昭和30年代の架橋であること。この2つの点により、旧清水隧道の竣工年が昭和7年ということに疑義が持たれているわけなのです。おそらく旧清水橋・布滝橋と同時期の竣工だと考えられています。
それでは旧道を歩いて帰ります。
最後に現在の「清水トンネル」をチェック。
銘板には、延長326m、2011年3月竣工とあります。
清水トンネルの旧道はミニ廃道といった規模ですが、いろいろと中身が詰まっていて、私的にはなかなか面白い場所でした。
さて、清水トンネルからはこのまま国道418号を辿り、平谷村で国道153号へと合流して帰途につきます。途中、国道418号天竜川橋を渡ってすぐに国道から逸れて、通行止め区間の迂回路へと入ります。狭くて急坂の迂回路を通り抜けると、ふたたび国道418号へと合流します。
そしてしばらく走行し、天龍村戸口の先へと来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ここからは余談ですが、ここで令和2年(2020年)7月12日に大規模な崩落が発生し、国道418号が埋没しました。現在は仮設道路が完成し、暫定的に通行可能となっています。
こちらが崩壊した斜面です。表土が全て崩れ落ち、岩盤が露わになっています。崩落発生当初からの状況については天龍村のホームページなどで紹介されています。
よく通行止めになる国道418号。現在通行止めになっている天龍村的瀬~早木戸も原因は大規模崩落で、こちらは新たにトンネルを掘削しての復旧工事が進展中です。