2023年3月11日(土)、三重県北牟婁郡紀北町にある野又峠の明治期車道の廃道を探索してきました。
野又峠周辺の地形図はこちら。国道422号の紀北町側終端部となる楠木橋付近から野又峠へと至る破線道が、明治期車道のルートをおおよそ表しているようです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ネット検索すると探索した方々のいろいろなブログなどがヒットします。今回は、登山用アプリ「YAMAP(ヤマップ)」(私もルート確認や記録のために利用しています。)にあった、国道422号紀北町側終端部から野又峠までを往復した方のルート記録を参考にしました。
野又峠の明治期車道の来歴等については、「日本の廃道」第55号に多くの参考資料を交えた詳細な記事があります。
・明治41年(1907年)長島町(現:紀北町)と大杉谷桧原(現:大台町桧原)を結ぶ里道「長島道」の改修工事開始。新たに道路幅2~3mの荷車道を野又峠経由で建設。
・明治44年(1910年)3月に工事完成。
・大正11年(1923年)里道「長島道」が府縣道大杉谷長島線となる。
・昭和6年(1931年)測図の地形図ではすでに徒歩道表記となっている部分があり、早くも利用が廃れ始めていることが伺える。
こちらが昭和6年測図の地形図の野又峠付近のアップ。野又峠を越える前後は「主要ナル府縣道」表記となっていますが、大杉谷側(北側)へと向かう途中から「小径」(破線)表記になっています。

※5万分の1地形図「大臺ヶ原山」:明治44年(1910年)測図・昭和6年(1931年)要部修正測図。
さて、野又峠への明治期車道の取り付き場所と思われる付近へやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
明治期車道へと取り付く場所が判然としなかったので、この辺りから山側へと直登してみることにします。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
植林地の中を100mほど進んでいくと道がありました。まだ確証はありませんが、ひとまずこの道を辿って進むことにします。
不意に周りが開けた場所に出ました。斜面が崩落した場所を整備し直した感じです。道はそのまま続いていたので歩いていきます。
ふたたび植林地の中を進みます。まだこの道の雰囲気では、明治期車道なのか、林業用の作業道なのかはっきりしません。
何か良い雰囲気にはなってきました。
路肩に石積み擁壁があります。どうやらこの道で正解だったようです。これで安心して進んでいけます。
橋台のように見えますが、これは崩れてしまった石積み擁壁ですね。期待が高まってきました(笑)。
野面積みの擁壁が続いています。
これは良い景色ですね。山側の岩壁の切り取り、谷側の石積み擁壁、荷車道らしい道幅。明治期車道の要素が詰まっています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
まだまだ序盤。廃道に吸い込まれるようにサクサクと進んでいきます。
そんなに登ってきてはいませんが、けっこう岩壁の切り取り区間が長いです。開削工事するのが大変だったでしょう。
地形に忠実に沿って、緩やかな坂で山を登っていきます。
沢を渡っている場所が現れました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
沢を埋め尽くす石垣を見ると、暗渠は設けられていません。水量は無さそうなので、下部にすき間を作っておくだけで十分と判断したのでしょう。
L字型に岩壁を切り取っているのがよくわかります。
稜線の先端をヘアピンカーブで巻いていきます。
壁面がシダ類で覆われています。崩れた場所でしょうか。
路肩に石列が埋まっています。路盤を流出させないための工夫なのでしょう。
今のところは大きな損壊も見当たらず、気分良く歩いていけます。
路上が全面シダ類で覆われています。シダ類=崩落箇所のイメージがあるので、あんまりいい気分ではないですね。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
程なくしてシダ類の群落を通過。
凹地部分の路盤が崩落しています。踏み跡が付いているので、ここはゆっくりと注意して横断していきます。
土砂が路面に覆いかぶさり、歩く道幅だけが残されています。
沢が合流している地点。最近は集中豪雨が多くて沢もたびたび増水するのか、地面が抉れてしまっています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
昔の道形が残っている場所と荒れてしまった場所が交互に現れます。
高圧線鉄塔へと出てきました。ここで一旦、明治期車道は途切れてしまいます。
鉄塔の下を通り過ぎると林道の終端部に出ます。
ここからしばらくは、高圧線巡視路を歩いていくことになります。
尾根の上に出て、さらに高圧線巡視路を進んでいくと道跡との交差点に出ました。徒歩道にしては道幅が広く、もしかしたら途切れた明治期車道がここへと登ってきたのかもしれません。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
野又峠までまだまだ先は長いですが、ここはちょっと寄り道。道跡の素性を確かめるため、下りとなる左折側の道跡へと踏み込みます。
進んでいる方角は見当違いですが、道の雰囲気は明治期車道を彷彿とさせます。
ガレた場所もありますが、道跡自体は崩れていないのでそのまま乗り越えていきます。
どうやらこの場所で道跡が折り返しているようです。カーブの外側に弧を描くように石が積まれています。
カーブの頂点から振り返ってみます。この道幅と屈曲のキツさは明らかに明治期車道。ここから高圧線鉄塔の方向へと進んでいるようです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ヘアピンカーブから50mほど進むと、雑草に覆われた崩落地形に行く手を阻まれました。まだこの先、野又峠まで行かなければいけませんし、この付近のルートはこれで予想が立ったので、引き返すことにします。
高圧線巡視路との交差点へ戻ってきました。ここからは峠方向へと明治期車道を進んでいきます。前方がシダ類に覆われているのが不安ではありますが…。
※その(2)へ続く。