2023年3月11日(土)、三重県北牟婁郡紀北町にある野又峠の明治期車道の廃道を探索してきました。
さて、高圧線巡視路との交差点へ戻ってきました。ここからは峠方向へと明治期車道を進んでいきます。前方がシダ類に覆われているのが不安ではありますが…。
現在地はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
入り込んでみるとこのシダ類の薮、思ったよりも難関です…。背丈並みに高さがあるし、ツタまで絡まっていて、なかなか進むことができません。崩れかけている足元に注意しながら薮に思い切り体重をかけて、体で押し切るように進んでいきました。
無事にシダ類の薮を通過。この先にも同じような薮が現われるかもしれないと思うと面倒くさくなりますね(笑)。
路面が崩落した場所に丸太が倒れています。丸太の上を歩いて渡ろうかとも思いましたが、よくよく確認すると何となく腐り気味。大事を取って、山側へと迂回していきます。
車道跡は土砂で埋まってあいまいになっていますが、地面にある石列が路肩の位置を教えてくれます。
車道跡が荒れていたり、崩落している箇所が増えてきました。2~3mくらいの段差がある場所もあり、その都度立ち止まっては上り下りするルートを考えます。
この車道跡の前半部のハイライトですかね。もっと上部へ行けば、よりスケール感の大きい崖道があるようです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
車道跡が完全に斜面に飲み込まれてしまっています。踏み跡は付いていますし、地面も引き締まっているので、歩くのに支障はありません。
野面積みの擁壁。この地点まで、整形した石材をきっちりと組み上げたタイプの擁壁は全然見当たりません。現在まで残っているわけですから、擁壁としての効果は十分発揮されているわけですけどね。
またも崩落箇所を横断していきます。ここは踏み跡が細い上に、けっこう下まで斜面が見通せる状態だったので、気を付けて進みました。
これから進む方角を眺めています。地肌が露わになっている斜面が見えています。また崩落箇所が現れそうですね…。
灌木帯が現れました。歩けるだけのスペースは開いているので、ここは気楽に通過。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
若木が密生していますが、シダ類の薮に比べれば何でもありません(笑)。かき分けて進んでいきます。
先程眺めていた地肌が露わになっていた斜面に来ました。車道跡は斜面の上部を通過していたので、ひとまず影響は無いようです。
ふたたび若木の並木の中を歩いていきます。
路面が崩落して斜面になっています。しかも硬い地面にサラサラした砂利が乗っている状態。歩きにくいことこの上なし…。山側に重心を掛けて足場を確認しつつ慎重に進んでいきます。
そして、今回の撤退地点に到着です…。
場所はこちら。
砂礫の崩落斜面。踏み跡は二筋付いてはいました。上側の筋の先には赤テープが巻かれた標石らしきものも見えています。
しばらく腕組みして斜面を眺めていましたが、まず砂礫の斜面へ下りるまでの足場が心もとなかったこと、立っている場所から砂礫の斜面の下方が確認できなかったこと、この先の斜面にも同様の崩落箇所が見えていたこと、そして何よりも踏み跡があっても砂礫の急斜面を横断する気持ちにどうしてもなれなかったこと。
ひとまず砂礫の斜面を横断することは断念しました。そして、尾根側から迂回できないかと期待して斜面を登っていきました。
そして約1時間後、この場所へと再び戻ってきました…。背高のシダ類の薮の海に溺れて、尾根にたどり着くことさえできませんでした…。
かき分けてもかき分けても現れる濃密なシダ類の薮で尾根へと出られず、仕方なくこのまま撤退しようと稜線を下るも、こちら側も密生するシダ類の薮に行く手を阻まれて車道跡へと復帰できず、結局四苦八苦しながら何とか元の場所へと戻るしか手がありませんでした。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
途中で探索を打ち切るしかない形となりましたが、こうなれば割り切るだけです。いつになるかわからない次回探索に期待して、元来た道を引き返します。
さて、高圧線鉄塔の下まで引き返してきました。この付近から車道跡が途絶していたので、再確認してみることにします。
高圧線鉄塔の山側に道跡らしいものがあることに気が付きました。そちらへと入り込んでみます。
車道跡が残っていました。進んでみることにします。
あっけなく林道終端部へと出てきました。ということは、この直線上に車道跡が残っているはずです。
高圧線巡視路は尾根筋へと登るために右へと曲がってきますが、車道跡は正面の薮の中へ進んでいるはず。
薮の直前に細い踏み跡らしきものがあったので、入り込んでみます。
シダ類の生えている場所の左側はすぐに急斜面。足元をよく見て、足場を確認しながら一歩一歩進んでいきます。
車道跡が残っていました。
この場所の立ち木に白と青のテープが巻いてあります。ここの山道を歩いていて、この色のテープが貼ってあるとその先は通行困難な場所ばかりでした。まあ、廃道歩きなので、行ける所まで進むだけです。
入口の濃い薮を見て心配でしたが、中へ入ってみたら、割ときれいな状態(廃道としてですけど。)を保っています。
足元が覆われている場所はなるべく山側を通行。
本当にシダ類が多いですね。
岩盤の切り取り工があると、人が踏み均して自然にできたものではない、「造られた道」という感じが強まります。
足元がすっぱりと崩れてしまった場所に遭遇してしまいました。飛び下りてこの先へと進むことはできますが、戻る時にこの場所を登り返すことができそうもありません。ここで終了です。
最後はこの車道跡が麓側の道とどこでつながっているのか確認します。この道へと取り付いた場所を直進していきます。
ちゃんと現在も利用されている道路へと出てきました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
車へと戻ってきました。今回の活動時間は6時間35分、歩行距離は8.7kmでした。
この車道跡は登れば登るほど酷い崩落箇所が増えてくることはあらかじめ知っていたので、元々「どこまで進むことができるかな。」という気持ちではありましたが、半分までしか進めなかったのは残念でした。
もし次に訪れるようなことがあれば、高圧線巡視路を進めるだけ進んで、そこから尾根筋に取り付いて、砂礫の崩落箇所を越えるようにした方が良いかもしれません。ただし、うまく車道跡へと復帰できる保証はありませんけどね。
今回の探索ルートの全体図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。