2023年4月9日(日)、三重県尾鷲市賀田町にある弓山林道から国道42号の矢ノ川峠旧道へとつながる古道を探索してきました。
さて、伐採地を横断して、古道はふたたび森の中へと入っていきます。
森の中に入ると、伐採地と違って道跡がしっかりと残っていました。路肩には石積みの擁壁もあります。
大量の岩が転がる沢に遭遇しました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
沢の直前で路面が消失していましたが、対岸を眺めると石垣が見え、古道は続いているようです。
沢の中へと下りて、岩の間を通り抜けていきます。
対岸へと取り付きました。先ほど眺めたとおり、路肩の石垣がしっかり残っています。
ただ、この先は道跡の状態が悪そうですね。
崩落して道跡が消失しています。崩落した斜面はそんなにきつい傾斜ではないので、木々を頼りに横断していきます。
古道が復活しました。
前方の広い範囲が明るくなってきました。
どうやらこの場所で古道は折り返すようです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
最初に折り返した地点から、地図読みで500mほど進んできています。どうしてすぐに折り返さずに、こんなに長い距離を移動してきたのか考えましたが、おそらくは牛馬が通行しやすいように勾配を緩くするためなのでしょう。
人が通行するだけなら、短距離でジグザグに折り返す「稲妻型」に道を造って、直線的に急勾配を登っていけば、距離が短く済みますし、時間も余分にかかりません。
しかし、体が大きくて、重い荷物を背負う牛馬を通行させるとなると、勾配を緩くする必要がありますし、それなりの道幅も確保しなければなりません。また、頻繁に方向転換するような道形も避けたかったでしょう。ベターなルートとして、このように大きく迂回するルートを取ったのだと思います。
折り返してからの古道も、今となっては所々で崩落して、往時の姿のままに残っている箇所はあまりありません。
至る所でしっかりした石積み擁壁を築いて、険しい地形ながらも徒歩道以上の道幅を確保しているところから見ても、賀田・茶ノ又と三重縣道熊野街道を結ぶ重要な運搬路・交通路として開削されたことが推測できます。
と言いつつ、また崩落箇所を通過。
路肩の外は沢へと落ちる崖です。
水量の少ない滑滝へと出てきました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
沢の対岸には古道の続きが見えています。
滑滝を見上げながら、沢の中の岩場を横断していきます。
木々に囲まれているのであまり意識しないで済みますが、この辺りも路肩の外は崖地が続いています。
水抜きのためか、路肩の石垣に隙間が設けられています。
ここでまたしばらくは、道幅がしっかり残った古道へと戻ります。
道跡が軽く抉られた枯れ沢を通過。
枯れ沢を登ると路肩に大きな岩が転がっていました。割れた断面が滑らかな岩ですね。
背の高い石積み擁壁が続いています。
石積み擁壁のある区間を過ぎると道跡があいまいになってきましたが、間近に見えてきた尾根を目指して、一直線に進みます。
広場に出てきました。左側へと進みます。
ようやく切り通しに到着しました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
比較する物がないので写真ではわかりにくいですが、これは確かに巨大な切り通しです。壁面の高さは20m~30mはあるでしょうか。
これだけの規模の切り通しを掘り下げるとなると、相当の資金と労働力を掛けたと思われますが、どうして「尾鷲市史」にこの切り通しの工事のことが記述されていないのでしょうか。南輪内村が発行した「南輪内村誌」にすら何もありませんでした。
南輪内村が村費もしくは有力林業者からの寄付金などで開削したにしろ、三重県へ陳情して補助金を受けたり、県が工事を実施したにしろ、何らかの記録がありそうなものです。本当に記録が残っていないのか、市史などに記述するほどの出来事ではないと無視されたのか。また機会があれば調べてみますかね。
国道42号矢ノ川峠旧道へと出てきました。こちらは矢ノ川峠方面。
こちらは熊野市飛鳥町大又方面。矢ノ川峠以西は林道的な使われ方もされなくなってしまい、廃道化が進んでいる区間です。
交差点に立つ道標。
せっかく矢ノ川峠旧道まで登ってきたので、比較的近い場所にありそうな水準点と橋を見るために大又方面へと進んでいきます。
警戒標識が転がっていました。支柱が四角なので古いものには間違いありません。国道当時のものでしょうか。
路肩には申し訳程度の駒止め。
路上にまで木が生えていて、もはや自動車での通行は無理ですね。
水準点を見つけました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
少し摩滅していますが、「水準點」と読み取れます。
裏面には番号が彫られていて、「四七八六号」だと思われます。現在、基準点成果等閲覧サービスでこの地点を検索しても水準点は無いことになっているので、廃点された水準点のようです。
ふたたび歩き出し、橋へとやって来ました。ご覧のとおり、橋桁は撤去されています。そして、橋台には穴が4つ開いていて、その真下には丸太が4本転がっています。方丈橋のように橋を支えていた丸太でしょうか。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
橋跡をぐるりと見渡します。
橋跡の先にも廃道は続いていますが、今回の目的ではないので、ここで引き返すことにします。
矢ノ川峠旧道を引き返して、一旦切り通しの前を通過。矢ノ川峠が見える場所まで来ました。
さすがにまだ遠いですね…。今回のところは峠もあきらめることにします。
切り通しへと戻ってきました。それでは車へと帰ることにします。
さて、ここで登ってくる途中で気が付いた別の古道へと入っていきます。もしかしたら、歩いてきた古道の旧道に当たる道かもしれません。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
登ってきた古道に比べると勾配は急ですが、所々、路肩に石積みがあったりして、道の造りはしっかりしています。
ところが、大岩を過ぎて折り返したところ、その先から道跡がプツリと消えてしまいました。おそらく崩落してしまったのでしょうが、全然見い出せなくなってしまいました。
仕方がないので、そこからは木々を頼りに斜面を急降下。伐採地近くの古道へと再合流しました。
いちいち古道を辿って戻るのももどかしいので、伐採地の中をショートカットして降りていきます。
斜面を下りていく途中に古道の名残りがありました。おそらく、正面の斜面を伝って緩やかに登ってきていたのでしょう。
弓山林道の終点付近にある橋まで戻ってきました。ここからもう少しだけ、おまけの探索を続けます。
※(3)へ続く。
ブログ一覧 |
矢ノ川峠 | 日記
Posted at
2023/05/07 21:08:55