2023年5月13日土曜日、長野県下伊那郡阿南町を通る国道151号のバイパス「落合新野バイパス」の旧道を歩いてきました。
国道151号「落合新野バイパス」は、阿南町巾川から阿南町新野の区間にあるバイパスで、同区間にある幅員狭小・線形不良部分の解消を目的として建設された延長7.6kmの二車線道路です。
区間のほとんどは新規に建設されていて、旧道から離れて大きく蛇行したルート取りやループ区間、いくつかのトンネルを設置することで、二車線確保と勾配緩和がなされていますが、地形的な制約もあり急坂の完全解消までには至りませんでした
このバイパス区間の旧道、現在は事実上廃道となっていますが、おそらく廃道となってからまだ20年程度しか経過しておらず、廃道としてはまだ現役時代の風味が残る部類になるかと思います。実際、この旧道がまだ現役国道だった頃に自分の車で通行したことも何度かあります。
さて、前回(1)でここまでやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ここから現国道の路肩(歩道は無いので。)を少し歩くと、また旧道が分岐していきます。
現国道の橋梁をくぐるとすぐにきついヘアピンカーブ。
ヘアピンカーブを過ぎると橋が現れます。
川の名前は「からさわ」。現国道の橋梁名が「新唐沢橋」なので「唐沢」ですね。
旧道の橋名は当然「からさわばし」。変体仮名を使用しているので、「から」しかまともに読み取れませんね。
現国道の橋梁下を進んでいきます。
「すべりやすい」の警戒標識。
石積みの擁壁が崩れています。大雨で緩んだ土砂に押し出されたのでしょう。
この辺りは山側にずっと石積み擁壁が組まれています。
現国道が接近してきました。現国道の奥に見えているのは聖岩トンネルです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
現国道へ合流です。
出入口には車両通行止の注意看板が立てられています。
また現国道の路肩を少しの間歩き、今度は左側へと分岐していきます。
この場所は現国道との接続部分が急坂です。写真ではわかりませんが、路面にぬめっとした苔が生えていて、滑りそうになりました。
苔で滑る坂を下りてくるとすぐにヘアピンカーブ。転ばないよう慎重に歩いていきます。
また橋が現れました。高欄がガードレールに交換されていたので、橋名は不明です。
この看板、文章の内容からみて、おそらく旧道が現役の頃に設置されたものがそのまま残っているようです。
背の高い石積み擁壁です。擁壁の上部には細い水路が通っています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ここからは大きく半円形に右カーブしていく現国道の外側を通っていきます。
半円形のカーブ区間が終わると、ガードをくぐってきた道路が合流してきます。
このガードをくぐる道路は、落合新野パイパスの帯川トンネルが開通するまで、バイパスの暫定開通区間と旧道(当時は国道)をつなぐ連絡路でした。ちなみにこの連絡路は半円形カーブの内側にループ形状で設置されています。
ガードに設置されている銘板。「根吹第2トンネル」とあります。ちなみにバイパス上に「根吹トンネル」があります。「根吹第1~」とは付けなかったんですね(笑)。
元連絡路との合流地点以降の旧道は供用中の道路となります。
現国道の橋梁下にある帯川バス停。この橋梁の先にバイパス区間最長の帯川トンネル(延長1264m)があります。
旧道にも橋が現れました。
昭和38年(1963年)3月竣功とあります。当時はこのサイズの橋で十分だと判断される程度の交通量だったのでしょう。
橋名の銘板も残っていました。「井戸入沢橋」とあります。
今回の目的である旧道の廃道区間は終わってしまったので、この橋で引き返すことにします。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
旧道の急坂を休み休み登り返してきて、旧道と天龍村の見遠へ向かう道との分岐点まで戻ってきました。ここから見遠への道へと入り込みます。
見遠への道は2020年8月30日に弟のレックスで走っています。その時は、天龍村内の国道418号が大規模土砂崩れで通行止めになっていたことを知らずにやって来て、何とか国道151号へ出ようと山の中をさまよっているうちにたまたま通りました。
その時にどこかのカーブに石仏があったのを見かけていて、「ついでだし、それを見に寄り道するか。」と思い立ったわけです。いや、本当はここまで相当な距離を歩いて疲れているので、そんなことをせずにそのまま旧道を登っていけば良かったのです…。
さて、旧道からの取り付き部分はコンクリート舗装の急坂の連続になります。この時点ですぐに嫌気が差していましたが(笑)、「わかっていたことだし。」と黙々と登っていきます。
石仏を見かけた場所を正確に覚えているわけではないので、見つけるまで奥へと進んでいくことになります。
深い谷の奥を小さな橋で渡っていきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
この橋からまた急坂が始まります。
この道はずっと幅が狭いので、軽四でもちょっときついですね。写真みたいに路肩が崩れた場所があるともうギリギリです。対向車がくると本当に最悪です(笑)。
戦前の地形図にも徒歩道の里道として記載されている道ですが、良くも悪くも忠実に当時の線形をなぞっている感じです。
二つ目の深い谷の奥まで来ました。ここまで石仏の姿は発見できていません。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
この時点で16時20分過ぎ。日が長くなったとは言え、ここは人家が全く無い深い深い山の中。それにまだ旧道の急坂を登り返していかなければいけません。ここで見切りをつけて引き返すことにしました。
引き返し地点から30分後、旧道へと再合流しました。ここまで熊鈴をいつもより大きく鳴らしながら歩いてきました。
ここからさらに休み休み歩くこと20分あまり。ようやく駐車場所へと到着しました。登山用アプリで計測した歩行距離は13.7km、歩行時間は4時間18分。これだけの距離を歩いたのは久しぶりで、車に乗り込んで少しぐったりしていました…。
今回の歩行ルートです。
4月に尾鷲市内の山の中を歩いて以来、しばらく山の中を歩く機会が無かったので、雨天でもそこそこ大丈夫だろうと舗装路の廃道へとやって来たわけでしたが、その分、欲張って歩いてしまいました。道が崩れて無くなっていれば嫌でも引き返しますが、そこまで古い時代の廃道でもないですからね。まあ、体力をしっかり使ったので、良い気分転換にはなりました。