2023年7月15日土曜日、奈良県吉野郡川上村中奥に残る「大鯛木馬道」を歩いてきました。この木馬道は1944年(昭和19年)に開通したもので、全長は2kmです。
「大鯛木馬道」を知ったきっかけは、何かの廃道の本で記事を読んだ事だった気がするのですが、どうにも思い出せません。手持ちの廃道関連本には見当たらないんですよね…。
とにかく、せっかくの三連休なので、日ごろ行きづらい場所へ行ってみようかと思い立ち、あらためて「日本の廃道」第79号や訪問者のブログなどをチェックして現地へと向かいました。
さて、やって来たのは川上村中奥にある「中奥地区簡易水道浄配水場」前の広場。正しくは林道大鯛線の終点転回場なんだと思います。
場所はこちら。浄配水場へたどり着くには、川上村白川渡で国道169号から奈良県道258号中奥白川渡線へ入り、中奥川沿いにところどころ行き違い困難区間がある狭い県道を中奥集落まで進みます。中奥集落からは林道大鯛線(一応舗装路。実態は苔で舗装されていたり(笑)、舗装がボロボロになっている状態。)の急坂を登っていきます。林道へ入ってからは、途中何度か停まっては落石を路上から取り除いて進みました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
準備ができたところで、浄配水場の前から折り返していく林道を登っていきます。
2~3分ほど歩くと、斜面に取り付けられた階段が現れます。大鯛木馬道へ行くにはこの階段を登ります。まあ、階段というよりも梯子と言ったほうが正しい気がします。しかも、一部踏み板が腐食しているので要注意です。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
階段を登ると大鯛木馬道です。が、目の前には細い踏み跡があるだけです…。おそらく、駐車場所から登ってきた林道が造られた際に削られてしまったのでしょう。
細い踏み跡なのは取りあえず大丈夫なのですが、ここでいきなりマムシとにらめっこになってしまいました…。まだ子どものようですが、マムシですからね…。いつまでたっても全然動いてくれる気配がなかったので、仕方なく高巻きして前方へと移動しました。
マムシがいた場所を越えると、まともな道になりました。
岩盤を切り取って造られた道が続いています。
岩盤剥き出しの沢が現れました。まだほんの序盤なのですが、私にとってはいきなりの難所です。道から沢へと下りることはできますが、岩盤全体がぬめっているように見えます。もしも滑ったら、すぐ真下は高い段差になっているので万事休すです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
沢へ下りて、下流を眺めています。ここから真横に進むと、ヌルヌルの岩盤の上を歩くことになるので精神衛生上よろしくない。そこで、足場になる苔や落ち葉が積もっている場所を選んで上流側へ迂回し、対岸へと取り付きました。
対岸から振り返っての眺めです。道の路肩に石垣が積まれています。路肩を補強するための擁壁ですね。
結局、このようなルートで沢を渡りました。
せっかく難所を越えましたが、ふたたび狭い道幅に戻ってしまいました。
2つ目の沢が現れました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
沢底からの眺め。踏み跡をなぞって沢から脱出します。
この沢は、1つ目の沢に比べると特に悩むこともなく通過できました。対岸を振り返ると、石垣がわずかに残っています。
渡ったルートはこちら。
ここも石垣がしっかり残っています。こんな場所で石垣が崩れていたら、進めなくなってしまいます。
崖上の切り取り工の道を進みます。
わずかな間だけ植林地を通過します。
3つ目の沢です。この沢には石積み橋台が残っています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
対岸を振り返っての眺め。向こう側にも石積み橋台が残っています。
この沢は山側を通過していきます。
ふたたび植林地です。灌木帯の中を進んでいきます。
4つ目の沢です。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
今のところは、現れる沢の難易度がだんだんと低くなり助かります。
ふたたび崖上へと出てきました。眼下には大鯛滝が見えてきたので、目的地まではあとわずかのようです。
その前にこの場所にある横穴へちょっと寄り道です。
中はすぐに行き止まり。下手に身を乗り出すと、下へ向かって広がっている部分へ落ちてしまうので、注意します。
そして、ようやく目的地である大鯛木馬道の素掘り隧道に到着しました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
隧道の手前の路面が切れ落ちています。この道、木馬道そのものを訪れる人や、さらにここから白鬚岳へと登山する人も通るので、安全確保のため(通過時にバランスを保つためのものかと。)トラロープが設置されています。
下流側の坑口は、谷側が大きくえぐれています。掘削しているうちにこのような形になったのだと思います。
4つ目の沢を渡ってからずっと急な登り坂ですが、隧道の中もそのまま急坂が続いています。
内壁は荒々しく削られたままの状態です。
上流側の坑口へと出てきました。隧道の先も絶壁の上を通っています。
「木馬道」の名残りと考えられている木材。
「木馬道」(きんばみち、きんまみち、きうまみち。)は、伐り出した木材を「木馬」と呼ばれる「そり」に積んで搬出するために造られた道です。「木馬道」には、摩擦を減らすために「盤木」と呼ばれる丸太などが敷かれていて、「木馬」はその「盤木」の上に乗せられ、人力で曳いていました。
この「木馬」による搬出は、かつてはごく一般的な搬出方法だったそうですが、下り坂の「木馬道」で重量物である「木馬」を人力で曳いたり止めたりするわけですから、大変危険な作業であったそうです。
せっかくなので、もう少し先へと歩いていってみます。
大鯛滝の上まで登ってきています。
滝口を過ぎると、今までの崖上の道から穏やかな渓谷に沿う道へと景色が一変します。
褶曲活動でねじ曲がった岩盤。
5つ目の沢が出てきました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
沢を越えるためには、一旦沢底へと下りて、流れの中を下流方向へ歩き、そこから道へと登り直す必要がありました。越えることはできそうでしたが、沢の中に段差があり、そこで服を濡らすことになりそうだったので、今回はこの沢で引き返すことにしました。
素掘り隧道へと戻っていきます。
滝口から下を覗いてみますが、滝壺までは見えません。
崖上の下り坂を慎重に下っていきます。
素掘り隧道まで戻ってきました。
この景色を直接見たくて、ここまで来たんですよね。
写真だと本当にわかりづらいですが、隧道内も急坂であることが多少は感じられると思います。
こんな崖上の狭くて急な坂で木材を積んだ「木馬」を引いて下っていたなんて、恐ろしい話です。
隧道内の写真を撮っていると、坂の下で待っている人がいるのに気が付きました。「これはいけないな。」と、道を譲るために下まで下りていきました(ただし急坂なので慎重に。)。
近くまで下りていくと、いかにも登山者だという風体の方が待って見えました。
登山者:「もう(木馬道の)終点まで往復されたのですか?」
私:「いえ、すぐ上の沢で引き返しました。この坂をゆっくりでしか下りられないような素人ですから。」
登山者:「(笑)。まさかほかの人が来ているとは思いませんでしたよ。それじゃあ、気をつけていってください。」
私:「ありがとうございます。お気をつけて。」
確かに、こんな場所で他人と遭遇するのは珍しい事。動物と遭遇する確率の方がよっぽど高いでしょう。
とにかく目的は果たしたので、まずは無事に車まで戻ることに専念します。
立ち話をした場所から20分ほどで階段まで戻ってきました。ここも、踏み外さないように慎重に下りていきます。
無事に車まで戻ってきました。後ろの車は先ほどすれ違った方の車でしょう。
ここで上着にヤマビルが1匹くっついていることに気がつき、指で弾き飛ばしました。
今回の探索ルート図です。距離としては往復2kmほどと、最近では短い部類の探索となりましたが、内容が濃くて満足でした。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
引き返した先にもまだまだ木馬道は続いていますが、過去の訪問者のレポートを読む限りでは、この先はあまり「成果」の残る雰囲気ではないようです。
ただ、木馬道沿いの渓谷は紅葉が綺麗らしいので、晩秋に紅葉狩りへ再訪するのは良いかもしれませんね。