2023年8月27日日曜日、北設楽郡設楽町川合の愛知県道424号宇連橋から始まる木馬道跡を歩いてきました。
前置きとして、この道跡を歩くことにした理由を少々書きます。8月19日に宇連集落跡から海老峠までの峠道を探索した後、3つの滝へ寄り道しました。ブログへ記すために河川名や滝名をネットで検索してみましたが、結果的にはわかりませんでした。
ただ、その際に読んだブログの内の一つに、登山者が「インディージョーンズ橋」と呼んでいる木馬道の木橋が、宇連橋からの木馬道跡にあることを写真付きで載せているものがありました。
「そんな橋が現存しているのか!?」と大いに興味を惹かれました(笑)。ただ、そのブログがアップされたのは2015年1月。8年半前の話です。その時点では、ほぼ原形を留めているようでしたが、歪みは生じていました。心配なのは経年劣化による倒壊。あとは近年頻発している豪雨による増水や土石流の影響…。
運良く残っているかもしれないし、もう全て倒壊しているしているかもしれない。でも多少は残っているかもしれない。その後の情報はネットで見当たらなかったので、「行ってみるしかないな。」ということで、出かけたわけです。
朝8時20分、出発地となる県道424号宇連橋のたもとへとやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
車を出発して林道を歩き始めます。100mも進まないうちにブログにあったとおり、左へと分岐していく歩行者用の橋がありました。この欄干の無い橋を渡っていきます。
橋を渡った先に小屋が建っていました。物置のようですが、すでに使われてはいない様子です。
そして、小屋の前の木の幹にはこんな注意書きが。くくり罠でもあるんでしょうか。道跡の外へ踏み出すのが不安になるじゃないですか…。
心に動揺を感じつつ道跡を進んでいくと、さっそく木馬道の遺構を発見。木馬道の縦材部分である「竿」のようです。「木馬」(木材を積んで運搬する橇(そり)のこと。)が直接乗る横材である「盤木」はすべて無くなっています。
「竿」には釘が刺さったままです。この釘で「盤木」を留めていたのでしょう。
橋を側面から見ています。石積みの橋台が造られていて、重量物を運搬することを考慮した構造です。
初っ端から幸先良い発見に気を良くしつつ、先へと進んでいきます。
巨岩が谷側へと転がっています。元々は道跡と接するようにあったものが、地盤が緩んで転がってしまったのでしょう。
せり出しのある岩盤の前を歩いていきます。岩盤の下部が抉れていますが、道跡に支障していたようには見えないので、自然に抉れたものでしょう。
若い木々が多い植林地の中を進んでいきます。
橋跡に出てきました。対岸にはしっかりとした石積み橋台が残っています。ただ、ここに架かっていたはずの木馬道の橋の残骸は見当たりません。
河原に下りて、宇連橋側の橋台部分も確認します。
山奥側の橋台の前にある岩にはいくつか穴があります。もしかしたら橋脚用のホゾ穴の名残りかもしれません。
灌木が茂る道跡を進んでいきます。
小さな堀割り。
岩盤を抉る小さな沢。真っ直ぐ進むには面倒そうな感じだったので、一旦河原へと迂回してから道跡へと登り直し、先へと進みます。
この沢にも石積み橋台が残っていました。
いつも湿り気が多そうな雰囲気の道が川沿いに続きます。
「盤木」の跡のようです。地面に1本埋まっています。路肩には短い木がまとめて置かれてあり、これも「盤木」でしょうか。
川に削られたのか、細くなった崖道になります。
苔が絨毯のように生えています。
道跡が途切れました。対岸を眺めて、道跡を探します。
石垣が見えました。あれが道跡の続きのようです。
川を渡ると、道跡は上流側へと折り返していきます。
この辺りも巨岩がたくさん転がっています。
小さな沢。橋台らしき低い石積みが見えます。
ここで道跡を見失いかけましたが、つづら折りで上部へと進んでいました。
瓦礫が散らばる沢の中に「竿」と思われる残骸が転がっています。押し流されてしまったのでしょう。
沢を渡ると「おっ!?」と思わず声が出ました。組まれた状態のままの「竿」と「盤木」がありました。こういう遺物を見つけるとテンションが上がりますね(笑)。
現物を目の当たりにすると、素人目には随分と華奢な構造だと感じます。
古い写真をいろいろ見てみると、幹の太さで差はありますが、「木馬」には10本〜20本程度の木材を積んで運搬していたようです。人力で牽引できる重量であれば(それでも相当な重量のはずですが。)、この程度の太さの「盤木」で十分実用に耐えたということなのでしょう。
そして、「インディージョーンズ橋」の架橋場所へと到着しました。残念ながら、ご覧のとおり何にも残っていませんでした…。ああ…、多分そうかなとは思ってはいても、この事実にとてもガッカリしました…。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
河原へと下りて、「インディージョーンズ橋」跡を眺めます。
橋を撮影した写真を見ると、黄線で描いたような感じで架かっていました。現物が見たかった…。あったらもう写真撮りまくりだったでしょうね(笑)。橋は、傾きが増して自壊してしまったのか、橋脚が増水で流されて崩壊したのか…。
山奥側の橋台の上へと登っての眺め。河原から生えている木に引っかかっている丸太は残骸なんですかね。
橋が無くなっていたのは非常に残念ですが、道跡はまだ奥へと続いているので探索を続けます。
相当苔むしていますが、「竿」と「盤木」が残っています。
段々状に平場がある場所へと出てきました。土場(木材を一時集積する場所。)かもしれません。ということは、木馬道はこの辺りで終点になるのでしょうか。
道跡はまだ先へと続いています。
建屋がありました。作業小屋か飯場だったのでしょう。
建屋周辺の杉は、古い神社の境内に生えているかのような太いものばかりです。愛知県内で古道探索をしていて、植林地内でこのような太い杉を見たことはほとんど無い気がします。
太い杉の植林地を過ぎたので、もう道跡も終わるのかと思っていたら、まだ続きがあるようです。
沢渡りをする場所には、低いながらも石積みがありますし、その先の道幅も1m弱はあります。ここも木馬道として造られたものなのかもしれません。
沢を横断するように階段状の岩が突出しています。宇連ダムのダム湖で見た、安山岩の岩脈の一つもしれません。
沢を渡って程なくして植林地の末端となり、道跡も無くなってしまいました。奥に見えているのは自然林なので、木馬道の終点はここのようです。ただ、建屋以降は「盤木」の残骸はまったくありませんでしたが。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
それでは戻ることにします。
往路で気が付かなかった「竿」と「盤木」の残骸。
最初の橋まで戻ってきました。
続いて林道を進んでいってみます。もしかしたら、「2匹目のどじょう」がいるかもしれません。
終点まで進んでみましたが、自然の力で徹底的に破壊された廃林道でした。こういう廃林道を見ると、「一体、何のために造ったのかな。」と思ってしまいます。ということで、「2匹目のどじょう」はいませんでした。
廃林道からの帰り道は、お遊びで一枚岩の上を流れる沢の中を歩いていきました。
車へと戻ってきました。今回は短めで、歩行距離5.3km、4時間の探索でした。
今回の探索ルートの全体図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
繰り返しになりますが(笑)、「インディージョーンズ橋」が残っていなかったのは非常に残念でした。まあ、これもタイミングですからねぇ…。今回、滝の名称を探さなければ、そもそも存在を知ることもなかったわけですし、「木馬」とか「盤木」というものも、以前に奈良県の大鯛木馬道を歩いたことがきっかけでネットで調べて、ちょっとだけ知識を得たわけですからね。
愛知県内で木馬道の痕跡が残っている場所が他にもないか、ちょっと発掘してみようかなと思い始めてもいます。戦前の愛知県の林業報告書に、建設された木馬道の名称・距離と建設諸費用の記載があるのをいくつか見つけてはいますが、残念ながら所在地を特定できる住所の記述が無いんですよね。
まあ、あんまり「店を広げる」と収拾がつかなくなるので、ほどほどにはしたいと思います。