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2024年05月26日

【豊根村】霧石峠への富山漆島側峠道を探索しました(踏破)

2024年3月10日日曜日、北設楽郡豊根村富山漆島から始まる霧石峠の峠道を探索してきました。この峠道については、2月18日に峠道の入口と入口付近の峠道を下見。3月2日に下見を踏まえて峠までの探索を試みましたが、下見時に引き返した小崩落地を越えられず撤退しています。

豊根村富山漆島の駐車場所へとやって来ました。この場所に駐車するのは3回目ということになります(笑)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駐車場所から歩くこと1時間。前々回、前回と引き返した小崩落地へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

上にも下にも迂回できなかったこの小崩落地。今回は万古集落の探索時に道修繕で使用した草刈り用の鍬を持参。「斜面を掘っては足踏みして地固め。」という作業を地道に繰り返して道を造作。50分ほどかかりましたが、安心して通過できる道ができ上りました(笑)。




3回目にしてようやく小崩落地の先へと進むことができました。ただし、この先はもう安心して進んでいけるという保証は全く無いんですよね…。


と言いつつも、まずは順調に進むことができています。




ガレ場が現れました。でも、踏み跡もありますし、この程度の傾斜なら問題はないでしょう。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ガレ場の先にちゃんと道筋が続いているのが見えていることも安心材料です。


利用されなくなってから長い年月が経っているので、道筋が残っていても細く歩きにくい箇所が次々と現れます。


ふたたびガレ場が現れました。


先ほどのガレ場よりも傾斜はややキツいですが、ここも踏み跡が付いていて何とか進めそうです。




ガレ場を見上げると、相当上部まで石で埋め尽くされています。


ガレ場に対岸に来ましたが、道筋が瘦せていて取り付くのが面倒そうです。


谷側(右側)はけっこう落ち込んだ地形になっています。


ここも軽く崩れていますね。でも奥に道筋が続いてはいます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

で、足元は路面が崩落しています…。「ここで終了か?」とも思いましたが、よく見れば岩には足場になる段差があり、太くて手すり代わりになる根っ子も露出していたので、ゆっくり慎重に下りて通過することができました。


通過してから振り返って撮った写真です。たまたま通過できましたが、こういう場面はもう出てきてほしくないですね…。


見上げるような急坂を登っていきます。


木々の隙間から山々を眺めます。


唐突ですが、前々回で霧石峠の別名が「辞職峠」ということを記しています。

富山村へ赴任する役人や教員などは、別所街道(奥三河の主要街道)が通る隣村の豊根村から徒歩で向かったと思われますが、豊根村の中心地から富山村へ向かうには、最短ルートでも小田峠、小田~間袋の間の峠、霧石峠と3つの峠を越える必要があります。

最後、村境となる霧石峠を登り、それでもなお奥深い山々が連なるこの景色を見れば、霧石峠で辞職を申し出たくなるのも仕方がないのかなと感じました。

さて、道筋がはっきりしない斜面へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

正面方向に道の跡らしき薄い踏み跡が付いています。


一方、折り返す方向にも、細いながらも前方よりは明瞭な道筋が付いています。ここはひとまず折り返し方向へと進むことにします。


少し歩くと道筋がはっきりしてきました。こちらの方向で正解だったようです。


地面に落ちていた碍子。電柱とか見当たらないですけどね。


岩場の中を通り抜けて道筋を進んでいきます。




厄介な場所が現れました。細い踏み跡は残っていますが、踏み外すと危険な斜面です。しかも地面が硬くて、切り拡げたくても持参の鍬では歯が立ちません。


この場所を帰路で通る時のことも考えて、長靴で地面を何度も蹴っ飛ばして足場を作っておきました。


道筋は斜面を巻いていくように進んでいきます。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

そして、この場所に苔むした木造の電信柱が1本残っていました。昔はこの峠道が豊根村と富山村を行き来する唯一のルートだったので、この峠道に沿って電話線などが通っていたとしても当然の事だったと思います。


斜面に小さな水の流れが亀裂のように付いている場所をいくつか越えていきます。このような場所もけっこう越えるのが厄介でした。


標高が高く日陰のために地面が凍っていたからです。これまた持参の鍬が役に立たず、ここでも長靴の踵で地面をキックして足場を確保しながら、一歩づつ慎重に進むしかありませんでした。


谷底を流れていた沢にだいぶ近づいてきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

対岸に石垣で囲まれた区画が見えます。お堂が建っていたのか、避難小屋でもあったのか。


正面方向が行き止まりとなったため、沢を渡って対岸へと移動します。




先ほど見ていた石垣の区画の上の斜面を登っていきます。


斜めに残る細い道筋と霜柱に埋め尽くされた硬い斜面に泣かされながら進みます。


ガレ場が現れました。今までで一番傾斜がキツいガレ場です。


石が散らばる硬い斜面。非常に厄介です…。ここも長靴で地面を蹴り飛ばして足場を築きながら、少しずつ前進していきます。


10分かけて、ようやくガレ場を通過。


またガレ場が現れましたが、この程度なら大丈夫ですね。


石がゴロゴロする斜面。杉の枝も覆いかぶさり、石と杉の枝の両方に足を取られます。ヨタヨタしながらも、転ばないようにゆっくりと歩いていきます。




深く抉れたガレ場に出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ガレ場を横断してみましたが、その先には道筋を見い出すことができませんでした。真上を林道が通っているので、林道からの土砂で埋もれてしまったのかもしれません。


峠道の探索はここで断念。急斜面を直登して、林道へと脱出しました。


廃道と化した林道を歩くこと15分。霧石峠に到着しました。周囲は鬱蒼とした植林地で展望は無く、ここまで苦労した割には特に感慨はありませんでした。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この時点で時刻は14時50分。日暮れとなる17時30分頃までには車へと帰着する必要があります。しかし、あの状態の峠道を戻ることはもうしたくありません。

この時点で迂回路案は2つ。1つは林道豊富線を北へと進んで霧石トンネルまで行き、そこから県道を漆島まで戻る。もう1つは林道豊富線を南へ進み、途中から東へと方向を変えてニセ日本ケ塚山へと至り、そこから登山道で漆島へと戻る方法です。

検討した結果、距離を考えてニセ日本ケ塚山経由で戻ることにしました。地形図では、ニセ日本ケ塚山へと向かう途中で道路の表記は消えてしまいますが、なだらかな尾根が道路の末端とニセ日本ケ塚山の間をつないでいるので、行けると判断しました。

霧石峠から40分ほど歩いてきました。奥にニセ日本ケ塚山が見えています。「まだあそこまで歩くのか…。」と少し気持ちが萎えました(笑)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

細尾根もありましたが、歩くには十分な幅があり助かりました。


ニセ日本ケ塚山への取り付き。しがみつくように登る斜面でしたが、新しいロープも張られており、地形図に無くとも一応登山ルートにはなっていたみたいです。


16時10分、やっとニセ日本ケ塚山に到着です。しかし、残雪があるのは誤算でしたね。無事に降りられるのか…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

頂上で危惧したとおり、尾根道部分はアイスバーン状態…。平らな部分はまだいいんですが、この登山道の坂区間は急峻過ぎて、木々にしがみつきながら必死に下っていくしかありませんでした…(もちろん写真を撮る余裕など無し。)。


1時間20分かけて無事に登山口へ到着。なんとか日暮れ前に麓にたどり着きました。


登山口からもう少しだけ歩き、ようやく車に戻ることができました。


今回の探索のルート図です。探索距離9.8km、行動時間7時間30分と、久しぶりにハードワークな探索行になりました…。でも、距離的には復路となる部分が4分の3占めていますけどね。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、ここからは霧石峠に関する地誌類の記述などを記しておきます。まずは「豊根村誌」です。

霧石峠を通る道については、「津具・粟世・河合道」として紹介しています。この道は、「伊那街道の上津具宿(現:北設楽郡設楽町津具)から分岐し、見出ー柿ノ沢宇連ー坂宇場(現:豊根村坂宇場)を経て宝地峠に登り、粟世(現:豊根村三沢粟世)で下街道(遠州街道または金指道。後世の別所街道の旧道。)と交差して、山内ー霧石峠を経由して漆島に達する道である。」とあります。

霧石峠については、「特に険阻で、『辞職峠』と呼ばれたほどである。霧石峠から郡役所(北設楽郡役所。設楽町田口にあった。)までは35km近くあった。」とあり、ここで「辞職峠」の別名が出てきます。

また、郵便輸送について、「豊根村では明治9年(1876年)4月に現在の豊根郵便局の前身にあたる中久名村郵便取扱所が大字下黒川字下中に県内百二十番目の曲として開局された。(中略)郵便局の開設により本村と本郷(現:北設楽郡東栄町)・市原(現:豊根村富山市原)の間に、郵便脚夫による一日一往復の郵便物の逓送便が設けられた。」とあり、おそらくこの逓送便の脚夫は霧石峠を往来していたでしょう。

続いては、「失われた祭」という富山村教育委員会が平成3年(1991年)2月に発行した本です。

「(前略)明治以降の状況はかなり明確に知られているが、道路は人と人の背による交通運輸のみで、霧石峠越えの豊根方面を第一にして、東又越えの新野(現:長野県下伊那郡阿南町新野)方面を第二とした。その他、佐太地区から坂部を経て天龍川沿いに満島(現:下伊那郡天龍村)に出るもの、川(天竜川)を渡って水窪(現:浜松市天竜区水窪町)方面と交通するものがあった。行商のほとんどは豊根方面から入り、新野方面からは米が人の背で入れられたが、こうした道路利用は鉄道開通後激減した。」

旧富山村の最寄り駅となる三信鉄道(現:JR飯田線)大嵐駅が開業したのが昭和11年(1936年)12月。それまで旧富山村が他村と交流するためには、人しか歩けないような峠道を往来するしかなく、その中の一つとして霧石峠越えの道があったわけです。

ここで本題から少し外れますが、鉄道が通っていたのは天竜川対岸のため、どうしても橋を渡る必要がありました。この橋が人一人通れるだけというものだったそうで、やはり人の背で運べる以上の輸送手段は利用できず、鉄道開通がただちに旧富山村の交通事情の全面的な解決に役立ったという訳ではなかったようです。

その他には、旧富山村の主要な集落の一つであった河内地区(佐久間ダムの完成により水没。)の概況の文章に、「この河内集落への主な出入口は三箇所。一つは漆島側からのもので、集落の北側にあり、道路としては最も古いものであった。豊根村・東栄町などの郡内、さらには新城・豊橋などの三河国へと繋がる道であり、河内郷を拓いた多田氏が曽川から入って来たのもここであったろう。ところが、この道は、辞職峠といわれた難所な山道であったことと、経済に直結する市場などにも遠かったことから、近世以降行政の連絡路としては重要であったが、一般的には利用されることが少なかった。」とあります。

霧石峠越えの道は歴史的に古く、北設楽郡内や隣町村をつなぐ行政上の連絡路としては重要だったようです。しかし、一般的な利用は前述のように行商が往来するくらいで、近世以降は天竜川の水運や鉄道が主だったのかもしれません。

そして、昭和31年(1956年)に佐久間ダムが完成。このダムの完成により旧富山村は主要集落の水没という大きな損害を受けたわけですが、それと引き換えに村外と直接往来できる自動車道が天竜川沿いに開通したと思われます(豊根村のホームページには湖岸道路(現在の県道1号)の完成は昭和45年(1970年)とある。)。

それから、霧石峠にもようやく昭和49年(1974年)に峠の北方4~5kmの場所に霧石トンネルが完成。これで豊根村と旧富山村は直接自動車で往来できるようになったわけです。

それを考えると、単純に50年前には霧石峠を歩いて往来する必要は無くなり(たぶんもっと以前から途絶えてはいたでしょうが。)、その後はただただ荒廃して現在の峠道の姿になったのでしょうね。

※ひなたGIS引用


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ブログ一覧 | 豊根村 廃道 | 日記
Posted at 2024/05/26 12:11:32

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