2024年6月30日日曜日、弟の誘いで岐阜県不破郡関ケ原町にある名神高速道路の廃道を見に行ってきました。
この廃道は、現在の名神高速道路今須トンネルの旧道に当たります。途中に半径280mの急カーブが存在するために、1964年(昭和39年)の開通以降、交通事故の多発地帯となっていました。1978年(昭和53年)、新たに現在の今須トンネルを経由するルートが完成したことにより廃止されました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
弟によると、今回この場所を訪れることにしたのは、YouTubeでこの廃道を紹介した動画を見て、行ってみたくなったからだそうです。
現地へとやって来ました。あいにくの雨模様ですが、散策する分には問題ないでしょう。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ちなみに、現在の地形図には残存しているガードが表記されています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
盛り土部分は取り払われて、コンクリート構造物が露出した状態となっています。
車1台が通過できる程度の幅ですね。
「彦根117」のプレートが残されています。
反対側の出入口には木が茂っているので、現状、車での通行には難ありです。
こちら側にも「彦根117」のプレートが残っています。
車では反対側へと出られない状態ですが、ガードの内部は利用されているかのように、まずまずきれいな状態を保っています。
この場所から徒歩でかつての高速道路のルートをだどってみます。
坂を下った所で右折するとコンクリート擁壁があります。これも高速道路の構造物の名残りなのでしょうか。
ふたたび直進ルートへと戻り、先へと進んでいくと橋を渡ります。舗装路の左側の砂利道がある高台が、かつての高速道路になります。
これといった遺構が見当たらないまま歩を進めていくと、廃鉄道車両を見つけました。
車掌車と貨車の合造タイプですね。形式はわかりませんけど。
名神高速道路との合流地点まで来ました。結局、「彦根117」ガード以外、はっきり遺構だとわかるものは確認できませんでした。
合流地点にある現道のガードは「彦根114」。ということは、廃道区間にあった「114」から「116」のガードは撤去されたということなのでしょう。
これにて廃道区間の散策は終了。車へと戻ります。
「まだ時間も早いし、どうするかね。」ということで、同じ関ケ原町内にある「関ケ原鍾乳洞」へ行ってみることにしました。
こちらは鍾乳洞への道路の路肩に立つ「立哨台」。実は鍾乳洞がある敷地、戦前までは陸軍の火薬庫がありました。
こちらは周辺の戦前の地形図ですが、火薬庫の記載はありません。軍事施設なので、載っているはずがありませんけどね。

※25,000分の1地形図「關原」:大正9年(1920年)測図。
こちらは第5火薬庫。
表に説明板が立っています。
見学できるので中へと入ってみます。雨天のため、庫内はかすかに靄っています。
庫内に設置されている各種説明板。
火薬が保管されていた庫内を覗きます。火薬があっただけのはずですが、戦前の軍事施設だと思って見てしまうと、何とも言えない気分になります…。
外側を振り返って見ています。人が出入りした区画の壁面は白く滑らかに塗られていますが、当時のままなのか補修されたものなのか。
さて、それでは本題の鍾乳洞へと潜ります。子供の時以来ですかね。もうはっきりとは覚えていません。昔はテレビCMもやってました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ここは、洞内がとにかく狭い・低いです。あとは、人工的に掘削した区間が長いみたいですね。
洞内の様子です。
外へと戻ってきました。店舗が昭和チック丸出しで、ある意味和みます(笑)。
店内で地元の方々が作っている蕎麦をいただきました。
この後は、関ケ原町からいなべ市へと抜けて伊勢湾岸道で一旦帰宅。あらためて弟と二人で行きつけの焼肉屋へ出かけて、晩御飯を食べました。
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ドライブ・道路・廃道 | 日記
Posted at
2024/11/26 21:08:25