2024年7月13日土曜日、岐阜県~福井県~岐阜県と通過するルートでドライブしてきました。
自宅を出発して、新東名の豊田東ICから高速に乗り、東海環状道・東海北陸道と経由。白鳥ICからは中部縦貫道油坂道路を走行し、越美通洞(トンネル)から先は九頭竜湖沿いに国道158号を進みます。
最初に立ち寄ったのは、JR越美北線の越前下山駅。付近の国道158号を走行している時、いつも気になっていたので、今回は立ち寄ってみました。
当駅は、トンネルとトンネルに挟まれた、わずかな「明かり」区間に立地しています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
せっかくなので、駅ホームへと向かいます。
この駅の開業は昭和47年(1972年)12月15日。比較的最近の開業のため(それでも52年前ですが。)、高架化された路線のような簡素な造りのホームです。
旧国鉄駅には付き物の「名所案内」の看板。
しかし、越美北線の末端区間は一日4往復半しか列車が運行されていないので、わざわざ列車で名所案内に記載されている場所へ向かおうとする人は、ほぼいないでしょう。
越前下山駅の駅名板。
ちなみに、名所案内は錆び錆びになった古い駅名板を再利用しています。
越前下山駅の見物はこれくらいにして、移動を再開します。
昼御飯を食べるため、道の駅「越前おおの荒島の郷」へ立ち寄ります。
場所はこちら。
福井名物「ソースカツ丼」をいただきました。
さて、次に立ち寄ったのは、旧京福電鉄越前本線跡に残る旧下荒井隧道。こちらの廃トンネルも、TGRラリー恐竜勝山戦へ出場するために、付近の国道157号下荒井トンネルを通過するたび横目で気にしていた場所です(笑)。
ちなみに、この廃トンネルを含む勝山駅〜京福大野駅間は、昭和49年(1974年)8月12日に廃止されています。
場所はこちら。
トンネル坑門に掲げられている扁額。一文字目はわかりませんが、あとの文字は「〇誠一貫」でしょうか。
この廃トンネルの延長は521.4m。坑口の前にいた時点でわかっていたことですが、トンネル内の靄が濃いです…。
どうやら、内部は全面コンクリート覆工されているようです。トンネルの開通は大正13(1924)年12月20日だそうで(実は2代目トンネル。)、煉瓦造からコンクリート造へと代替わりしていく時期のものですね。
入ってきた坑口を見返しています。今は壊れてしまっていますが、元々は木製の扉を造り付けて封鎖してあったようです。
退避坑。
奥へと進むにつれて靄は薄くなってきましたが、懐中電灯で照らすとまだまだ真っ白になってしまいます。
ふたたび退避坑。
反対側の坑口付近までやって来ました。こちら側には金網が設置されていました。試しに扉を動かしてみましたが、鍵が掛かっているようで、トンネル内を引き返すことが決定しました。
進入した側の坑口に近づいてきました。坑口付近は浅く水没しています。そして、天井アーチ部分にはコンクリート打設時の型枠の跡が無数に付いています。
天井アーチ部に大きな亀裂が入り、そこから水滴がボタボタと滴っています。水没しているのは、この雨のように滴る漏水が原因でしょう。
旧下荒井隧道の探索はこれにて終了。
また機会があれば、今度は初代トンネルを探索してみたいものです。
さて、旧下荒井隧道から走行すること約44km。今回の目的地である国道417号冠山トンネルにようやく到着しました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
冠山トンネルを含む峠区間は国道417号「冠山峠道路」と呼ばれ、令和5年(2023年)11月19日に開通しました。開通したことを知ってから訪れたいと思っていましたが、岐阜県側からも福井県側からも高速道路からのアプローチ距離が長く、何となく今まで行きそびれていました。
ちなみにトンネル延長は4,834m。
冠山峠道路の開通により、国道417号の岐阜・福井県境の未開通区間が直結され、冬期通行も可能になりましたが、冠山峠道路や徳山ダム建設による新規開通区間以外では、まだまだ狭小区間や線形不良区間も残っているので、大型車の通行には厳しい部分が残されています。
この後は国道417号を南下して国道303号へと合流。東海環状道大垣神戸ICから高速道路に乗って帰宅しました。
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Posted at
2024/12/30 02:02:16