2025年4月19日土曜日、姉の誘いで母・私の3人で奈良県奈良市西ノ京町にある薬師寺を訪れました。つい3月にも奈良を訪れていますが、気に入った場所は何度行っても良いものなので、全然気にしません(笑)。
お寺からやや離れた場所にある参拝者用駐車場に車を駐車して、お寺への小径を歩いていきます。
薬師寺の南門前へと出てきました。拝観受付をして、境内へと入ります。
薬師寺の場所はこちら。お寺は奈良市街の中心部から西南方向へと外れた田園地帯の中にあります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
そもそも、薬師寺は680年に天武天皇が鸕野讚良(うののさらら)皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して建立を発願したものです。天武天皇自身は寺の完成を見ぬままに亡くなり、その後持統天皇、文武天皇と代替わりしながら整備されました。
そのため、元々の薬師寺は発願当時の都であった藤原京の地(現在の奈良県橿原市)にありましたが、710年(和銅3年)の平城京への遷都に伴い、718年(養老2年)に現在の地へと移転してきました(移転時期は諸説あり。)。
私が薬師寺を初めて訪れたのは、小学6年生の修学旅行の時。今から43年前になりますかね。その後も1回くらい訪れたような気はしますが、我が家の奈良県訪問の中ではめったに来ない場所です。
こちらは中門になります。
中門をくぐると正面に大きな建物。金堂です。お堂の中には本尊である薬師三尊像が祀られています。
西塔と金堂。どちらも近年に再建されたもので、西塔は1981年(昭和56年)、金堂は1976年(昭和51年)の再建です。
こちらは金堂とその奥に大講堂が見えます。
こちらは東塔。この塔は薬師寺創建時から唯一残る貴重な建造物で、730年(天平2年)の建立と考えられています。国宝に指定されています。
外観を見ると屋根が6つあり六重塔に見えますが、実際は三重塔だそうです。小さな屋根は「裳階(もこし)」と呼ばれる飾り屋根のため、数に数えないのだそうです。
西塔。西塔は1528年(享禄元年)にあった「享禄の兵火」により焼失しました。これは大和国国人である筒井氏と越智氏の争乱の最中に、越智氏側の兵が寺に乱入し放火したことが原因のようです。他にも金堂・大講堂がこの放火により消失しているそうです。
金堂と東塔を眺めています。
大講堂。2003年(平成15年)の再建。
この後は食堂で土産物などを見てから、薬師寺の境内の北側に隣接する薬師寺玄奘三蔵院伽藍を見物。
ここからあと500mくらい北へと歩くと、同じく奈良の古寺として知られる唐招提寺がありますが、さすがにそこまで母を徒歩で連れて行くのも辛いので、それは止めておきました。
薬師寺の境内もこれでひととおり見物終了。暑くなってきたのと、母に疲れも見えてきたので、これにてお寺から退散することにしました。
駐車場へと戻る途中にある休ヶ岡八幡宮。薬師寺の鎮守として、平安時代寛平年間(889年~898年)に勧請されました。現在の社殿は、1603年(慶長8年)に豊臣秀頼の寄進により建立されたそうです。
この後は車に戻ってから、奈良市街地の奈良町へと移動。猿沢池付近の茶屋でお昼ごはんを食べてから帰宅しました。
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2025/06/09 14:36:37