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小林あにのブログ一覧

2025年11月02日 イイね!

新車「エブリィワゴン」でドライブしてきました(2)

2025年10月4日土曜日、今度は母と姉を誘って、2回目となる新車「エブリィワゴン」のドライブへと出かけてきました。行き先は、先週に弟とドライブした時と同じ目的地である浜松市天竜区の山住神社です(笑)。

山住峠にある駐車場からの眺め。どんよりとした曇り空で、あまり良い眺めとは言えませんね。


山住峠にある鹿の案内板。


「山住峠」の標柱。標高1107mとあります。けっこう高い場所だったんですね。


今回も山住神社へお参り。ちなみに門前の飲食店はお休みでした。日曜日しかお店を開けていないのかもしれません。


神門をくぐって境内へ。先に入っていった二人は、巨大なご神木を眺めています。






神社の拝殿。


境内を散策していたら雨がパラついてきたので、車へと戻りました。水窪から続いている谷間は、雲で覆われてしまっていました。


今回も山住峠から東側にある門桁集落へと峠を下り、門桁集落からは気田川に沿って走っていきます。

先週は素通りした気田川の明神峡へちょっと寄り道。一番見応えのある場所は道幅が狭くて路駐できる場所がなく、やや通り過ぎた場所で停車。


この場所に「明神峡」の標柱が立っていました。


気田川の中には巨岩がゴロゴロと転がっております。




この場所は、紅葉の時期に来るととても綺麗そうですね。


この後は国道362号へと合流。浜松市天竜区二俣を経由して、新東名 浜松浜北ICから高速道路に乗って帰宅しました。
Posted at 2025/11/02 20:24:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年10月27日 イイね!

新車「エブリィワゴン」でドライブしてきました

2025年9月28日日曜日、私にとって21年ぶりの新車購入となった「スズキ・エブリィワゴン」でドライブしてきました。

さて、私は長らく「スバル・インプレッサ」を乗り継いできたわけですが、昔のように週末に夜な夜な山の中を走り回ることもなく、サーキット走行するわけでもなく、ここ数年来の休日の行動を思い返しても、オーバースペックで用途にもそぐわない車になってきていました。

もちろん、「ハイパワーターボ4WD」という車の味を知ってしまっている以上、この車に対する魅力が無くなってしまったわけではありませんが、日常生活の上で、その威力を必要とする機会は、高速道路を走行する時くらいしかないのもまた事実でした。

それでも、今まではインプレッサ1台でどんな状況もこなしてきたわけですが、「やはり『日常の足』・『自分の趣味(廃線・廃道探索など)で使いやすい車』があるといいなぁ。」という思いも膨らんできていて、いよいよ新車購入に踏み切ったというわけです。

「次に乗り換えるなら軽ワゴンだな。」ということは、周りには話していたりしていました。過去に弟がスバル・ディアスに乗っていて、当然よく同乗していたわけですが、やはり軽ワゴンの使い勝手の良さや、足を伸ばして寝られる(長距離ドライブ好きなのでこれ大事。)というのは魅力でしたからね。


新車が我が家へやって来て2日目。もう車は買ってしまったわけですが(笑)、「期待通り」の車であるか品定めをするため、弟と一緒にさっそく山の中へとドライブへ出かけたわけです。

今回の目的地は、浜松市天竜区の山住神社。道中に狭い道に急坂など、私単独や家族でのドライブなどで突入しそうな条件がふんだんにあるのと、山住神社へ行ったことがなかったというのが理由です。

ここは二本杉峠。静岡県道290号の峠です。ここまで登ってくるまでの道中は、予想以上に急坂で狭かったです(笑)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは峠の説明板。


峠には石碑や石仏がありました。大きな石碑は、「二本杉峠を越える道を横浜市の原田久吉翁の協力により改修した。」といった内容の記念碑のようで、「大正十五年」(1926年)の年号も彫られています。




続いて北条(ほうじ)峠。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

北条峠の由来を記した説明板。地形図には北条峠とありますが、ホウジ峠、傍示峠と言う表記もあるそうです。


こちらの峠にも石碑・石仏がありました。


二本杉峠から北条峠までは、等高線に沿って屈曲して進む感じでしたが、北条峠からはまた一気に急坂で下っていきます。国道152号へ合流し、水窪まで進んだら、次は静岡県道389号へと入ります。

水窪河内川に沿って谷を進み、谷奥の河内浦集落からまたも急坂を一気に登っていきます。ピカピカの新車に容赦のないルート設定です(笑)。

坂を登り切り、無事に山住峠に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠の交差点に立つ、鹿の案内板。


交差点の脇にある駐車場に車を停めて、山住神社へとやって来ました。


門前には飲食店が一軒。神社を参拝後に立ち寄って、蕎麦とヤマメの塩焼きをいただきました。


境内には巨木の杉があちらこちらに生えています。




山住神社の拝殿。山住神社は山犬(狼)伝説を持っていて、徳川家康も絡んでいるそうです。そのためか、拝殿には葵の御紋が飾られています。


神門と山犬。


参拝を終えて、ドライブを再開。山住峠を越えてさらに県道389号を進み、麓へと向けて一気に急坂を下っていきます。山住峠の東側の麓にある門桁集落まで下ると、ここからは気田川の渓谷に沿って進みます。

門桁国有林への森林鉄道跡を転用した気田川沿いの県道389号を進み、山と山に挟まれた大島橋を渡ったところで小休止。


山住神社から現在地までのルート図。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここ大島橋の傍らには、森林鉄道時代の橋梁の跡が残っていました。






この後も気田川沿いを下って国道362号へ合流。このまま素直に新東名 浜松浜北ICへと直行すれば早く帰宅できたのですが(笑)、国道362号から逸れて秋葉神社下社の前を通過し、天竜川を渡って国道152号へ。浜松市天竜区横山町からは県道295号へと入り、ふたたび山越えに挑みます。

県道295号の峠にある一本杉トンネル。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

一本杉トンネルから峠を下り、麓の浜松市天竜区熊の集落にある道の駅で一服。熊からは県道9号を南下。県道47号でふたたび山を越えて浜松市浜名区引佐町渋川へ。若い頃、週末の夜中に走ったことがあるルートです。

こちらは県道9号と県道47号との分岐点に残る道標。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

道標には、「左 二俣 熊」、「右 澁川 熊」往還とあり、その下部には距離が彫られています。背面には「大正七年」(1918年)とあります。「二俣」は浜松市天竜区二俣のことです。


山越えをして渋川へと出たら、県道289号へ入り、静岡・愛知県境の峠を目指します。愛知県へ入ると県道番号は愛知県道505号へと変わります。最後は国道151号へと出て、新城ICからようやく新東名に乗り、帰路へとつきました。

今回、いきなりハードなコース(笑)を走行し、最後は新東名も走行しましたが、走行性能については特に不満を感じることはありませんでした。

狭い道での取り回しも、インプレッサの大きさを思えばワゴンタイプでも全然問題なく、何よりインタークーラー付きターボなので、急坂でもそれなりに安定したスピードで登ってくれました。

これから、いろんな場所へと出かけることになるでしょうが、重宝することになりそうです。
Posted at 2025/10/27 22:40:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年10月20日 イイね!

東京国立博物館へ出かけてきました

2025年9月14日日曜日、姉弟3人で東京国立博物館へ出かけてきました。目的は、開催中の特別展「江戸・大奥」を観るためです。

自宅を午前3時に出発。上野駅の西側にあるパーキングへ車を駐車して、上野公園の中を歩いて行きます。


上野動物園の出入口ゲートですね。今回の目的地ではないので、そのまま素通り。


パンダ柄の郵便ポスト。


東京国立博物館の前にやって来ました。まだ開館時刻前ですが、すでに行列ができています。


行列ができていた割には、さほど待たされることもなく敷地内へと入れました。


「表慶館」の前を通過していきます。この建物は、1909年(明治42年)に開館したとのこと。この日は閉館していました。


今回の目的である特別展「江戸・大奥」が開催されている平成館に到着しました。しばし順番待ちをした後に入館。じっくり見物させていただきました。


特別展を見物した後は、平成館の前にあったキッチンカーで昼食を購入。


ふたたび上野公園の中を移動。


続いては国立科学博物館へ立ち寄って見物。なかなか興味深い展示物が勢ぞろいしていましたが、なんか疲れが出てきたのか体が重たく、「早く座りたいなぁ。」といった気分で館内を歩いていました。


最後に立ち寄ったのは東京タワー。東京へ行くとなんだかんだと立ち寄っていますね(笑)。ちなみにスカイツリーの方は、1回しか行ったことがありません。








こちらは特別展「江戸・大奥」の図録。当然のように購入いたしました(笑)。厚さ3cmくらいあり、ズッシリとした重みがあります。
Posted at 2025/10/20 21:39:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年10月09日 イイね!

【奈良県天理市】石上神宮へ行ってきました

2025年8月31日日曜日、弟に誘われて奈良県天理市の石上神宮へ行ってきました。

自宅を7時過ぎに出発して、10時50分頃に石上神宮に到着しました。






場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

参道を歩いて行くと途中に鶏小屋があり、鶏があちらこちらにうろついております。神社のホームページによると、約40年前に奉納されたことがきっかけみたいです。


楼門までやって来ました。


楼門は文保2年(1318年)に建立され、国の重要文化財に指定されています。


楼門をくぐると正面にある建物が拝殿です。こちらは、永保元年(1081年)に白河天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進したものと伝えられています。国宝に指定されています。




天理市内の文化遺産をスタンプラリーで巡る「天理ぐるぐる」。中央が「こっふんさま」、左側が「わにひこくん」、右側が「ふるっぴー」だそうです。


参拝を終えて車へと戻る途中、鳥居の下に水で輪が描かれていました。


ネットで調べてみたら、神社側が特に儀式・儀礼的に描いたものではなくて、神社の用務員さんが、「参道の真ん中は神様の道ですよ。」というような意味で、遊び心で描いているみたいです。


さて、石上神宮からの帰り道は、弟の要望により国道25号「名阪国道」ではなく、「非名阪」とも呼ばれる国道25号の下道を通っていくことに。

天理市から亀山市までの「非名阪」区間は、一応、二桁ナンバーの国道に指定されているにも関わらず、至る所にセンターラインがない狭隘区間がありますし、何か所も交差点を曲がって進む箇所があるので、走り慣れてない方だと途中で知らぬ間にルートを外れて、迷子になるかもしれませんね(笑)。

こんな道路状況やルート設定なのは、名阪国道建設にあたって、まず先行して名阪国道の予定ルートに近接する道々をつなげて国道指定した名残りです。

こちらは、奈良県山添村の豊原郵便局の近くにひっそりと立っている道路改修碑。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

側面や背面に碑文が彫られていましたが、摩滅していて読みづらい状態。道路改修事業の功労者名と碑が立てられた時期と思われる年月(明治二十年か三十年?)がかろうじて読み取れました。


郵便局の前を通る道(国道25号)が、車道(荷車道)改修された記念に立てられたものでしょうね。

続いての寄り道は、関西本線第165号架道橋。北側の坑門になります。やはり煉瓦アーチの建造物は良いですね(笑)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは南側の坑門。


傍らに説明板が設置されています。


架道橋の内部。側壁部分とアーチ部分で煉瓦の色合いが違っています。


最後は亀山市内に残る旧東海道の一里塚「野村一里塚」。現在残っているのは北側の塚のみで、南側の塚は大正3年(1914年)に撤去されてしまったそうです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この後は亀山スマートICから東名阪道へ乗り、帰宅しました。
Posted at 2025/10/09 22:33:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年09月17日 イイね!

【新城市】槇原川沿いの伐木作業軌道跡を探索する(2)

2025年8月21日木曜日、新城市内を流れる槇原川沿いにかつて存在していたという伐木作業軌道の跡を探索してきました。

またちょっと長くなりますけど、ここで伐木作業軌道が槇原川の流域に設置された経緯について記していきましょうかね。説明上、本題(軌道の設置)までの前置きも長くなりますがすみません。

まずは「愛知の林業史」からの引用です。この槇原川の流域から宇連ダムに至る山林は「鳳来寺裏山」と呼ばれ、江戸時代までは近隣にある鳳来寺山(標高695m)全域を境内とし、徳川幕府の庇護を受ける名刹「鳳来寺」の寺領でした。

ところが、この寺領の山林は、明治4年(1871年)正月5日付太政官布告の「社寺領上知令」(社寺領現在ノ境内ヲ除クノ外上知被仰出土地ハ府県藩ニ管轄セシムルノ件)によって、明治新政府に没収されてしまいます。鳳来寺が没収された山林の面積は、1590ヘクタール(15.9平方km)に及んだそうです。

その後、没収された山林は官林(国有林)から御料林(皇室所有の山林)へと所属が変遷していきますが、「鳳来寺裏山」の御料林は開発順位の低い扱いだったようで、明治30年(1897年)になっても施業(植林、間伐、伐採等の行為)の対象とならなかったようです(愛知県内では、段戸山の御料林が積極的に開発された。)。

そこで明治末から大正にかけて、ようやく維新後の混乱から体制を立て直してきた鳳来寺が、旧寺領である御料林の払い下げ運動を開始。大正8年(1919年)に1551ヘクタールを66万7千130円の12年賦延納で払い下げを受けることが実現します。

ちなみに、66万7千130円が現在の価値だと何円くらいになるのか? 換算に用いる指標によって大幅に変わりますが、3億5千万円から17億円くらいになるようです。

なお、払い下げ代金は、払い下げを受けた山林の立ち木を売却して充当することになり、入札・売却手続きについては条件を付けつつ愛知県へ委任します。

入札の結果、東加茂郡足助町(現豊田市足助町)の加藤周太郎(加周)が111万円で最高札でしたが、予定価格(ここでは入札の最低価格)150万円に及ばず「不調」となりました。しかし、交渉の結果、そのまま加藤氏へ115万円で売却が決定しました。

「加周」(加藤周太郎家は代々木材商・製材業を営んでいて、「加周商店」とか「加周組」とか呼ばれていたようです。)は、買受けた山林から伐採した木材の運搬のために「トロッコ軌道」8kmを設置したそうです。ここでようやく今回の「本題」が出てくるわけです。

内容は一部重複しますが、続いては「長篠村誌」からの引用。「加周」は、大正8年10月から準備し、大正9年(1920年)から伐採を開始。大正10年(1921年)には製炭(木炭の製造)も開始しました。この立木伐採事業が終了したのは昭和4年(1929年)。12月24日に事務所を引き揚げて完了となりました。

「加周」は、この事業のために、約2里(約8km)の「トロ線」(トロッコ軌道)を設けて、製材工場を2か所建設しました。

余談ですが、この伐採・製材・製炭事業には最盛期で1600人が従事していたそうです。そのため、「加周」は現地に私立の小学校や青年訓練所を設置し、青年団も組織。食堂を開いたり、請願して警察官に駐在してもらったりもして、もともと人家がなかった槇原地区に、ちょっとした街が出来上がっていたようです。

「加周」による立木伐採事業に平行して、大正11年(1922年)より、伐採跡地に対して愛知県が95か年の地上権を設定(総面積1021ヘクタール)。ここに県の基本財産形成と模範造林事業地としての使命を帯びた「鳳来寺県有林」の経営を開始し、これが現在まで続いています。

これまた余談ですが、「加周」が買受けした立木伐採事業は、本来「15か年」を掛けて実施する契約内容でしたが、実際には昭和4年で終わり、10年間で事業を引き揚げてしまいました。これは大正13年(1924年)6月16日に発生し、6日間に渡り延焼した「鳳来寺裏山大火」により、伐採対象地域に大きな被害を受けてしまったためのようです。

大火の鎮火作業に際しては、「加周」・県有林の従業員、地元消防団員に加え、豊橋の陸軍歩兵第十八聯隊・豊橋工兵隊まで出動したそうです。

さて、探索の話を再開します。本谷橋から分岐していく破線道へと入ります。


岩を切り取って軽車両が通れるくらいの道幅にしてあります。「愛知縣林業報告」に添付の地図によると、今歩いている道が通っている区域は県有林ではないようです。しかし、これも林道本谷線の支線として整備された可能性はありますね。


岩壁の切り取り工が続きます。


砂防ダムがある沢に遭遇しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

石垣がありますね。かつては橋が架かっていたようです。


道が林の中を直線的に突き抜けていきます。




今度は先ほどの沢よりも深く抉れた沢が出てきました。越えていけるのか?




問題なさそうです。黄色線のように進んでいきます。


来た方向を振り返って眺めます。橋台の石垣は崩れ去ってしまったのでしょうか。


太い倒木ですね。


岩場が現れましたが、その手前で道は途切れています。


少し引き返して、道の下側へと下ります。道の路肩部分には石垣の擁壁が築かれています。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

途切れた道の先には岩盤を深く掘り下げた切り通し。こういう物件は興味を惹きますね。「伐木作業軌道」か木馬道を通すために削ったものなのか、林道へ改築する際に削り直したものなのか。真相は不明です。








こういう絡んだ倒木はめんどくさいです。


また一直線の道が現れました。


土砂で半ば埋まってしまった沢を越えていきます。


どんな山奥でも見かける炭焼き窯の跡。


また小さな沢を渡っていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここも路盤が無くなってますね。この程度ならそのまま普通に進めますから問題ありません。


ぬた場ですね。


ついに本当に道が途切れてしまいました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

地形図を見ると、破線道はこの場所を渡って対岸へと進んでいるように見えますが、橋台など橋が架かっていたような痕跡は見られません。


川の中を歩いて渡り、対岸を通る林道へと出てきました。時刻はすでに15時半を回っています。ここで引き返すことにします。


交差点へと出てきました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちなみにこの交差点は、「新設林道」と「在来軌道」の接点と思われる地点。今回は時間切れと体の疲れで、「在来軌道」方面の探索はパスします。


山の上へと向けて一直線に空間が続いています。一体何でしょうかね。高圧線は通っていないので、索道かインクラインの跡のような気がしますが。


川側にも空間が開いています。


林道は真っ直ぐ続いていますが、右側の木々の中に道跡と思しきものがあるのに気が付きました。この辺りから右方向へと逸れていくので、跡を追ってみることにします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

明瞭なものではありませんが、道跡が林の中にずっと伸びていきます。






川べりへ出たところで途切れてしまいましたが、先を眺めると道跡の続きらしきものが見えています。


この削り込み方は道跡で間違いないようです。ただ、幅が狭いですし、「新設林道」のルートとは若干違うので、もしかすると、この区間は改築されずに残った「伐木作業軌道」そのものの跡かもしれません。


また途切れてしまいました。河原まで下りて先へと進みます。


道跡が復活しました。


石積みの築堤が現れました。




川で途切れてしまいました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

対岸を眺めています。空間が開いている場所へと橋が架かっていたと思われます。


ここも川の中を歩いて渡ります。


林道本谷線へと再合流しました。往路では赤色線の所から出てきました。帰りはこのまま林道を進んでいきます。


この後は特に目立ったものを見つけることはなく、三河槇原駅へと戻ってきました。


今回の探索のルート図です。探索時間は3時間40分、移動距離は9.2kmでした。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ネットで簡単な下調べを始めた時は情報が少ないなと思っていましたが、ネットや図書館で調べ直してみて、国立国会図書館デジタルコレクション、「愛知の林業史」、「長篠村誌」などで、槇原川の流域に「伐木作業軌道」が設置された背景という、今まで知らなかった事柄を知ることができたのは興味深かったですね。

今回探索した道跡そのものは、もはや90年以上前の「伐木作業軌道」跡なのか、改築後の「新設林道」跡なのか、全然関係ない道跡なのか、明確に区別を付けようもありませんでしたが、いろんな興味ある遺構を見つけることができましたし、満足いく探索でした。
Posted at 2025/09/17 00:08:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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「新車「エブリィワゴン」でドライブしてきました(2) http://cvw.jp/b/1796277/48744226/
何シテル?   11/02 20:24
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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