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小林あにのブログ一覧

2020年04月19日 イイね!

奥羽本線「庭坂の大カーブ」の煉瓦造暗渠群

現地に行ってから1年半ほど放置していた探索案件です。この時のメインイベントは「奥羽本線赤岩-板谷間の廃線跡に残る廃トンネル群を踏破する。」ことで、こちらはおまけ案件だったので、載せることもなく今までお蔵入りにしていました。


2018年11月24日土曜日、奥羽本線赤岩-板谷間の廃線跡に残る廃トンネル群を踏破するために福島市へとやって来ましたが、その前に「ある方」の依頼を実行するため、広域農道荒井庭坂線と奥羽本線が交差する地点へと寄り道しました。

「庭坂の大カーブ」と呼ばれる築堤区間です(この写真自体は、本件探索の最後の方で撮ったものですが、全景を見せるのにちょうど良かったので。)。


今回の依頼は、この築堤に4か所ある煉瓦造暗渠の名称を確認することです。

趣味で鉄道の古い煉瓦造や石造の暗渠やアーチ橋を探したりしますが(道路もしますけどね。)、見つけたらその建造物の正式な名称もやはり知りたいというのが人情。しかし、部外者である我々がJRの資産管理台帳のようなものを容易に閲覧できるわけもなく(当然、公開されているわけではないので。)、そうなると現地確認しかないわけです。

明治や大正などの古い時代の建造物の場合、現場に名称や竣工年月を記した銘板を設置する考えはなかったようで、その場合は泣く泣く名称の確定をあきらめるわけですが、中にはコンクリート造で増設や改修をされた際に銘板が設置され、それにより名称が判明することがあるのです。ここもそのパターンで名称が確定できそうな場所でした。

ですが、「ある方」は夏にこの場所を訪れ、激しく生い茂る雑草の前に確認を断念せざるを得ませんでした(これもまたよくある話…。)。そこで、私が確認してみようと思い立ったわけです。

前置きがだいぶ長くなりましたが、本題に入ります。庭坂駅寄りから順に赤岩駅方面へと確認していきました。

馬場川橋梁。この時期ですら手が届きにくい頭上で枯れ枝が複雑に絡み合い、銘板を確認するのに相当苦労しました。


この周辺は、基本、下り線側が旧来からの煉瓦造暗渠で、上り線側にコンクリート造で増設した形になっています。全て上り線側から進入しました。










下り線側の坑口に来ましたが、ご覧のとおりで外に出ることはできません。また、下り線側もコンクリート造で増設されています。


振り返って、上り線側を眺めています。


次にやって来たのは、地神前橋梁。


ここは狭くて中腰がやっとの高さしかありません。無理な姿勢で撮ったので、写真が傾いています。


煉瓦部分に来ました。奥が真っ暗なので、埋まっているか土管などになっているかもしれません(外から見ても反対側は見つけられませんでした。)。


反対側へと通り抜けられないのであれば、この窮屈な姿勢でいるのもバカバカしいので(そもそも入り込んでいること自体がおかしいのですが(笑)。)、ここで引き返しました。


続いて、大堀川橋梁。


ここは、人道兼水路暗渠になっています。4か所の暗渠のうちで人が通行できる唯一の暗渠です。




増設部分のコンクリートが煉瓦アーチにぴったりと接合されています。


人が通れて古臭そうな物件だと、落書きがつきものです。でも、ここは周りに人家のない田園地帯なんですけどね。わざわざ見つけてやって来たと思うと、エネルギーありますよね。


下り線側に来ました。


こちらにも両側に落書きがあります。何となく作品っぽくなってはいますね。




下り線側の坑口の全景。5重巻きの半円アーチです。


最後は、窪田堀橋梁。


縦長形状の水路暗渠です。








下り線側に来ました。こちらはそのままよじ登って出られます。


下り線側の坑口の全景です。多分、「引き」で撮れなかったのだと思いますが(忘れた(笑)。)、写真が上下に分けれています。




この後も、さらに漏れがないか線路沿いに進んで確認していきましたが、煉瓦造・石造とも暗渠はありませんでした。


とにかくこれにて依頼は無事終了。「ある方」の掲示板へ書き込みをしてから、次の目的地へと出発しました。
2019年11月04日 イイね!

旧奥羽本線 7号隧道、6号隧道、松川橋梁跡

11月2日土曜日、福島県福島市の西部にある奥羽本線赤岩駅と付近の廃線跡のトンネルを訪れました。

まず始めに赤岩駅を訪れ、つづいて廃線跡へと向かいます。今度は分岐点を直進です。


正面のシダの生えた斜面へと入り込んでいきます。ここに道跡があり、しばらく辿っていきます。


最初の沢であっけなく道跡は消失。ここからは、急斜面の森の中を奥へと進んでいくことになります。




肉厚でおいしそうなキノコ。本当に食べられるものかは全くわかりませんが(笑)。


だいぶ奥へと入り込みましたが廃線跡が見つかりません。下を流れる松川からの高さを考えると高すぎる位置を歩いていたので、一気に斜面を下っていきます。

ようやく平場が視界に入ってきたので、さらに斜面を滑り下っていくと7号隧道の前でした。やや行き過ぎてました。5回目の訪問ですが、「ここを行けば間違いない。」というルートが未だに見い出せません。


あらためて旧奥羽本線7号隧道です。1899年(明治32年)開通、1911年(明治44年)内部変状・崩壊により放棄。




「7」の金属製プレートは今回も健在ですね。


トンネル内から生えている木に倒木が寄りかかっていました。




根がこんなようにしか張っていない木なので、重みで根こそぎ倒れてしまわないか心配です。


坑口付近の天井は、亀裂の走っている真ん中を境に左右で雰囲気が違います。左が谷側で右が山側です。


中へと入っていきます。


退避坑。


白華現象で真っ白けの坑内。天井部分は水が浸み出して湿っています。


横坑も健在です。




トンネルの閉塞箇所。崩土は湿っていますが、新たに崩れた様子はありません。ひとまずはこの状態で安定しているようです。


坑口へと戻ります。


怪獣が突っ立っているようです(笑)。


煉瓦の目地のアップ。坑門正面側と側壁側で塗り方を変えていますね。


それでは次の6号隧道へと進んでいきます。まだまだ鬱蒼としていますが、真夏に比べると下草が少なくなり快適にはなっています。ただ、やたらとハエが多いのが困りました。


6号隧道米沢側坑口。木漏れ日を浴びています。


こちらのトンネルも1899年(明治32年)の開通です。




中へと入ります。ご覧のとおり、反対側まで貫通しています。


道床はすっかり洗われてしまい、石がゴロゴロしていて歩きにくいです。


退避坑その1。これは当時のまま煤も付いてなくきれいです。


この辺りは最大38パーミルの急勾配区間ですが、このトンネルの壁面はあまり煤煙が付着していません。




退避坑その2。こちらは白華現象で真っ白です。


このトンネルで一番目立つ剥落個所です。煉瓦がすべて剥落して地山が見えています。






すぐ先にも側壁が崩れてしまった場所があります。


反対側の坑口に着きました。付近の地面を見ると犬の足跡が何列か付いていました。猟犬のものでしょうか、しばらく前に付いたもののようです。


「仙土技」のチョーク書きも健在。


6号隧道福島側坑口。


森の奥深く人知れず眠っているという感じがいいですね。まあ、実際は接近困難と言われながらも、私も含めて多くのマニアが訪れているわけですが(笑)。

おそらく「6」のプレートが付いていた跡。金具だけが残っています。


トンネルの先、松川橋梁跡を眺めますが、木々が生い茂っていて見通せません。


松川橋梁跡の手前の路盤跡に残る煉瓦構造物。


松川橋梁跡です。橋台に日光が当たり、白く反射しています。


破壊されたアーチ部分の跡。






橋台部分を見上げます。


川岸近くにある2番めの橋脚を見下ろします。


さらに降りて、1番目の橋脚と橋台を見上げています。急な斜面に建てられているのがわかると思います。


2番目の橋脚に取り付きました。長年の風雪と木の浸食により橋脚はボロボロで、あたり一面に煉瓦の破片が散らばっています。




2番目の橋脚を川側から見上げます。大きな煉瓦の塔です。




さて、いつもだとこの橋脚の傍らから10m程の急斜面を下って、松川を渡り、新5号隧道、旧5号隧道へと向かうところですが、前に来た時よりも土の斜面が狭くなったようで、2番目の橋脚から土の斜面へ移動するのに岩上の狭い段差伝いに横移動しなければならなくなっていました。

まあ、これが登りであればダイレクトに岩を登ってくる程度のものでしたが、下を見下ろして一瞬躊躇してしまったのがいけませんでした。

結局10分ほど逡巡していましたが、「撤退撤退。」と諦めました。この先も行ったことがある場所ですし、気持ちがダメになると体が動かなくてケガをするだけですからね(と言い訳して。)。

こちらは戻る道すがらに撮った、6号隧道を通り抜けて7号隧道前に至るまでの動画です。


帰りは、7号隧道の横坑から外へ出て、そこから登って帰ることにしました。

前よりも埋まった気がする横坑から這い出して外へと出ました。


7号隧道の沢渡り部分の外壁です。この左手で天井が抜けて埋没したわけです。


外壁に造られた排水口と覗いた内部。




同じく外壁の排水管。


そこら中に転がっている煉瓦。外壁の表面に使用されている焼過煉瓦とそれ以外に使用されている赤煉瓦ですね。


煉瓦でしばし遊んだ後、7号隧道を後にします。


沢伝いに比較的登りやすいルートで登っていったところ、途中で行きに辿った道跡に合流でき、息を切らせることもなく赤岩駅への林道へと戻ってきました。


このルートを覚えておけば接近が容易になりそうです(そして次回また間違えるんですよね。合っていても、最後はトンネル内へ這って入るという(笑)。)。

さて、林道を進んでいったところ、路上に猿が座っているのを発見。いったんこちらが下がって猿の視界から消え、その間に逃げてもらい、さらに林道を進んでいきます。

今度は前方から大勢の猿の鳴き声が聞こえてきます。しばらく周囲の様子を伺っていると、猿の群れが目の前の林道を横断し始めました。50m以上は離れていたので、静かに立ち止まったまま猿たちが通り過ぎるのを待ちます。

群れの中には何匹か子猿もいて、ヨタヨタしながら走っていて微笑ましかったですね。

最後の1匹がこちらをじっと見ていたので、望遠で撮ってみました。相手がどんな動物だろうとも、生身のまま野生動物と対峙するのはいつも緊張を強いられますね…。


出発してから3時間超。ようやく車へと戻ってきました。


このあとはいつも通りにあづま総合運動公園近くのあづま温泉へ。熱い温泉にのんびり浸かり、廃線歩きの汗を流した後、涼みながら快晴の下の福島盆地を眺めていました。


2019年11月04日 イイね!

奥羽本線赤岩駅へ行ってきました

11月2日土曜日、福島県福島市の西部にある奥羽本線赤岩駅と付近の廃線跡のトンネルを訪れました。

自宅を出発したのは11月2日午前1時半頃。東海環状道、中央道、国道142号、上信越道、関越道、北関東道、東北道と進み、東北中央道福島大笹生ICで下りて、いつも車を停めている福島市大笹生大平に11時頃到着しました。

こちらはトイレ休憩した国道142号新和田トンネル料金所にて。時刻は4時半頃で気温は3℃でした。


最寄りとなる福島市大笹生の大平地区へやって来ました。片掛けリュックにヘッドランプと懐中電灯と飲み物を入れ、長靴に履き替えて出発です。まずは今まで訪れたことがなかった赤岩駅へと向かうことにします。


車を停めた大平地区と赤岩駅を結ぶ林道は、なかなか狭くて急なので自分の車では入り込めません。


赤岩駅方面と松川橋梁のたもとまで行く作業道の分岐点。廃線跡へは直進ですが、今回は右へとヘアピンカーブを下っていきます。




普通車では厳しい道が続きます。


山側にあった巨大な金属製ネット。太いワイヤーと金網で編み上げてあります。これも砂防用の設備なのでしょうか?落ち葉が一杯溜まっていました。


景色が開けました。


林道の左側を見下ろすと旧赤岩駅のスイッチバック引込線用トンネルがありました。


山側の斜面に石渠。登りたくなかったので(笑)、石渠の上に何があるのかはわかりません。


林道の坂が終わり、引込線用トンネルを振り返ります。これが目的地であれば薮に突っ込んでもいきますが、ここは寄り道なので眺めるだけ。


引込線の跡を歩いていきます。


頑丈そうな鋼管柱で造られた饋電設備。奥羽本線(山形新幹線)の架線に交流2万ボルトの電気を供給しています。


旧ホームまで来ました。ホーム上にある駅名標は錆びて全く読めませんでした。




ちょうど駅を山形新幹線が通過していきました。この駅がある福島と米沢の間は、急勾配・急曲線区間のため、新幹線といえどもゆっくりと行き来しています。


赤岩駅の待合室(工事現場にあるプレハブ事務室みたいな感じ。)に貼られている案内文。ご覧のとおりで赤岩駅は現在利用休止中になっています。


車を停めてきた大平地区を含めて、周囲に人家は全く見当たらない所なので、本当は廃止されてもおかしくないくらいです。

現在の赤岩駅です。1990年(平成2年)にスイッチバックが廃止されて、本線上にホームが設置されました。


駅のすぐ米沢寄りにある第二赤岩トンネル(左)と大日向トンネル(右)。同じ場所に坑口がありますが、建設時期と延長が違うそうです。


赤岩駅の駅名標。ホーム上には入れないので望遠で撮影。


ホームへの出入口は封鎖されていないのでホーム上へ行けないことはないのですが、踏切も休止されており線路横断になってしまうので止めました。

元来た道を戻っていきます。


旧赤岩駅のホーム。かつてはここで乗客が乗り降りしていたわけです。


先ほどの饋電設備は、旧ホームの一部を撤去して設置されています。


旧ホーム上に残されていた勾配標。駅構内向けの表示なので「L」(レベル、水平。)。ただし、なぜか「LL」と表記されています。複線だからでしょうか。


林道の坂を登り、次は廃トンネルへと向かいます。


(つづく)
2018年12月02日 イイね!

奥羽本線赤岩-板谷間の廃線跡を歩きました(3)戸澤橋梁・戸澤隧道

2018年11月24日土曜日、奥羽本線赤岩-板谷間の環金トンネル付近に残る廃線跡を歩いてきました。


前回(2)で旧環金隧道を通過。


旧環金隧道から100~200mくらい歩くと次の遺構である戸澤橋梁及び戸澤隧道が現れます。


強者はこの鉄橋の上を歩いて対岸へと渡るようですが、私にはそんな技量も度胸もないので、素直に沢へと下りていきます。


まずは橋梁の右手側の斜面を登ってみましたが、雪で水分を含んだためか、斜面の土が泥化していて長靴がグリップせず、もう一息のところで近づけません。


橋梁の下をくぐり左手側へ回ったところ、こちらはガレ場だったので幾分マシな状況。何とか橋台のアーチまでたどり着きました。


戸澤橋梁の全景です。この辺りの地形に慣れてくると、何かこの程度は穏やかな立地に見えてきます(笑)。


戸澤隧道の赤岩駅側坑門の真下に取り付きました。坑門が山体から突出しています。


ここから坑門の下部にある幅20cmくらいの出っ張り部分に乗っかり、さらにトンネル前の橋台にしがみついてよじ登りました。

戸澤橋梁をトンネル側から眺めます。高いし、雪で濡れてるし、渡るのは絶対無理です…。


あらためて戸澤隧道の赤岩駅側坑門。シンプルで端正な感じが好印象です。


それではトンネル内へと進入です。ここも内部はコンクリートで補修されています。




153mと短いトンネルなので、もう反対側の光が大きくなっています。


路盤には枕木が残っています。


短いながら、このトンネルもアーチ部をコンクリートで巻き立て直してありました。


板谷駅側の坑口に来ました。こちらは煉瓦アーチのままです。


坑口の先はロックシェッドが取り付けられています。


右手側の擁壁は布積みで古そうです。開通当時からのものでしょうか。


板谷駅側の坑門です。こちら側も山体から突出するように造られています。




ロックシェッドの坑口です。


現行線との合流部、環金トンネルの板谷駅側の坑口に来ました。


実際には、現行線と交差してもう一つ廃橋梁を渡り廃線区間終了となりますが、線路を渡ることになるので、廃線跡の探索はここで終わりとします。

ここまで飲み食いもせずに歩き詰めだったので、持ってきていたピーナツバターのコッペパンをほおばり、麦茶をがぶ飲み。

一息ついたところで戸澤隧道を戻ります。


今度は山側から戸澤橋梁と戸澤隧道をパチリ。




さて、ここから素直に環金隧道をくぐり、もと来た道を戻ればよかったのですが、ここで悪い虫が…。

「ここから沢を下って松川へ降りて、川辺を上流へと歩いていけば早いんじゃないか?」。

急峻な沢なら大人しく戻ったところが、足場が豊富で廃線歩きに慣れている人間にとっては苦にもならないレベル。

結局、沢を降り始めていきました。




難なく下を流れる松川の河原へ。


川辺を歩けるうちはよかったのですが、そのうち淵に突き当たってしまいました。対岸へも渡れそうでなかなか渡れず、結局、奥羽本線が通る山腹へと登り直す羽目に。

松川を離れて、小さな沢の傾斜の緩い源頭部を詰めていき、最後は雪で濡れた杉木立の急斜面を登っていきます。獣道すらなかったので、木立ちの並びに合わせて少しづつ上へ上へと進んでいき、ようやく奥羽本線の路盤の下まで復帰。この時点で体力的にはボロボロ…。


線路敷地内に入らないように注意しながら歩き、ようやく廃林道を見つけて転がり込み、板谷の集落の外れに戻ることができました。

戸澤隧道を後にして車に戻るまで約1時間。安易な判断による時間と体力のロスでした。


最後にケチをつけてしまいましたが、総じて気分の良い快適な廃線歩きでした。特に第一天狗山隧道から第二大日向隧道は周りの景色も良くて、ハイキングに来ているような感覚。そういう意味では、なかなか良い物件でした。

この後は、へとへとになった体を癒すために福島市内のあづま温泉へ。


今回も無事に目的達成できました。
2018年11月30日 イイね!

奥羽本線赤岩-板谷間の廃線跡を歩きました(2) 旧環金隧道

2018年11月24日土曜日、奥羽本線赤岩-板谷間の環金トンネル付近に残る廃線跡を歩いてきました。


さて、第一天狗山隧道の板谷駅側坑口からトンネル内を通過し、さらに赤岩駅側に進んで第二大日向隧道までを往復。

ふたたび第一天狗山隧道まで戻り、次は旧環金隧道へと向かいます。


トンネルへの途中、右手の山腹にある巨大な石垣。これも雪崩が線路を直撃するのを防止するための施設のようです。




こちらは、熊が爪とぎをしていると噂の電信柱(架線柱かもしれませんが。)。


ようやく旧環金隧道の前に着きました。開通は1899年(明治32年)。延長609m(開通当時の延長。)で、赤岩-板谷間では最長のトンネルです。


こちらがスノーシェッドの奥にある開通当時の坑門です。


坑門上部に「3」のプレート。第十三号隧道(福島駅から13番目のトンネル。)に由来します。「1」は脱落してしまったようです(取り付け金具が残っています。)。


坑門から伸びるスノーシェッド。なんか芋虫のようですね(笑)。


それではトンネル内部へと入ります。


スノーシェッドと坑門の接続部です。このトンネルは内部が一直線なので、板谷駅側坑口からの光が見えています。


ご覧のとおり、初っ端から崩落が始まっています。


一部だけコンクリートブロックで補修されてます。


ここも豪快に崩落しています。このトンネルは建設当初から地質の悪さが工事に悪影響を及ぼしていたそうです。


「日本鉄道請負業史 明治編」によると、トンネル掘削工事中、「明治三十年(1897年)八月三十日、俄然二鎖(2チェーン(約40m))余に亘り支保材を破壊して崩落し、延いてアーチ畳築の個所凡そ半鎖(0.5チェーン(約10m))を潰滅し、就業中の人夫十七名を埋没したのである。」というような重大事故が発生しています。


そして、早くもコンクリートブロック積みに改修された区間となります。


刻印されている内容から、施工されたのが1957年(昭和32年)6月とわかります。「57」は、ブロックの巻き厚が57cmということでしょう。

取りあえず平穏な雰囲気になりました。


と思ったら、また煉瓦積みに戻ります。


ただし、アーチ部分はコンクリート巻き立てに改修されています。


やはり煉瓦積み区間は荒れた雰囲気になります。


塗り固められていたコンクリートが割れています。


踏みしめると「パキン…、パキン…、」と乾いた音が響きます。


ここもひびがすごいですが、寒暖差や水分が原因なのか、トンネルにかかる荷重によって破壊されたものなのか…。


またコンクリートブロック積みになりました。


トンネル内の湧水を流すための排水口のようです。この辺りにいくつか設置されていました。


このトンネル唯一の横坑に着きました。




横坑から外に出て、外観を眺めます。




沢筋部分には明かり区間を設けず、そのままトンネルをロックシェッドとして前後区間を連結したようです。

この場所では、1948年(昭和23年)8月6日に高さ50m、幅40m、長さ80mに渡って斜面崩落が発生し、トンネルが破壊されました。当時、福島~米沢間は電化に向けた工事を実施しており、ここ環金トンネルでも改築工事を行っていました。工事に際しては爆薬を使用しており、周囲の地盤に振動を与え続けていたところに、連日の降雨で地盤が弛み崩落を招いたと原因が推測されています。

この崩落事故の詳細については、「福島縣大笹生村地内奧羽線板谷赤岩間 - 環金トンネル崩壊について(1948年8月30日付け)」という小論文がネットで検索・閲覧できます。

横坑の周囲の山腹には、至る所にレールが突き刺してありました。横坑周辺の崩落を防止するためではないかと言われていますが、何とも不気味な光景です。


再びトンネル内へと戻ります。


こんなにも大きく剥がれ落ちたコンクリート片を見ると、「煉瓦をコンクリートで塗り固めることに補強の意味があるのか?」と、何か疑問を感じる光景です。


アーチ部がコンクリート巻き立てに。


と思うとまたコンクリートブロックに。


目まぐるしくトンネル内の構造が変わるのを眺めつつ、板谷駅側の坑口に着きました。


この辺りも1957年(昭和32年)6月に改修されたようで、ブロックの巻き厚は57cmと表示されています。


玉石練り積みの高い擁壁とボロボロのロックシェッド。




板谷駅側の坑門を振り返ります。ロックシェッドのボロボロの天井は漏水が酷くて、まるで雨に降られている様でした。写真にも水滴が白い線で写り込んでいます。


板谷駅側のロックシェッドの坑口です。


600m強の延長でここまで継ぎ接ぎだらけのトンネルも珍しいと思います。完成後も頻繁に補修し続けないとトンネルが維持できない程、酷い地質だったということでしょう。

そして結局は維持することが困難となり、1964年(昭和39年)に新しい環金トンネル(当時は単線。現在は上り線用トンネル。)の開通をもって放棄され、今に至るわけです。

さて、この先はすぐに戸澤橋梁・戸澤隧道となりますが、その3へと続きます。

プロフィール

「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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