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小林あにのブログ一覧

2025年09月06日 イイね!

「竜神の滝」と「大平宿」へ行ってきました

2025年8月14日木曜日、お盆休みということで家族4人でドライブにお出かけしてきました(私はたまたまこの日は仕事がお休みだっただけですけどね。)。

最初に訪れたのは、岐阜県中津川市川上にある竜神の滝。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駐車場から滝へと向かって歩いて行くと、真新しい説明板が立っていました。


約1か月前の7月10日に記録的短時間大雨がこの周辺に降った影響で、散策路に被害が出ているようです。滝自体は眺めることができるようなので、このまま進んでいきます。

最寄りの展望台の直前で少々順番待ちをする羽目になりましたが、ようやく到着しました。こちらが「竜神の滝」です。


違う方向へ目をやると、大雨による土石流で岩盤が剥き出しになってしまった沢や、橋桁が流されたのか橋台だけが残る橋の跡が見えます。




こちらは展望台の上側にある神社の傍らから眺めた竜神の滝。


滝へと向かう散策路の途中から分岐していた吊り橋へとやって来ました。




吊り橋の上から竜神の滝を眺めます。展望台の下には河原へ降りる仮設階段がかけられていましたが、通行不可になっていました。


吊り橋の先は通行止めになっているため、このまま引き返します。


さらに下流に架かる橋まで来ました。この辺りの河原でしばらく一休み。




竜神の滝の見物はこれにて終わり。「このまま帰るか、それとも他にどこか行くか?」との話になり、「それなら、この辺で山の中にあった宿場の跡へ行ってみるか。」ということで移動を開始。

国道19号、国道256号、長野県道8号と通り、旧大平街道の宿場である「大平宿」へとやって来ました。今までにも何度か訪れている場所です。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

旧大平街道は、1754年(宝暦4年)に飯田藩によって飯田の街と中山道妻籠宿を結ぶために建設された街道です。大平宿は、この街道の開通により新たに開墾された土地に開かれた宿場です。

宿場の最盛期は、中央本線が三留野駅(現南木曽駅)まで開通した1909年(明治42年)の頃から大正時代にかけてだそうで、飯田の街と中央本線を結ぶ重要な街道として、この宿場も戸数70戸を数えたようです。

その後、1923年(大正12年)に当時の伊那電気鉄道(現JR飯田線)が飯田駅まで延伸されてくると、わざわざ険しい峠を2つ(飯田峠と大平峠)も越えて中央本線が通る木曽谷へと向かう必要は無くなり、街道は衰退していきます。

最終的には1970年(昭和45年)に、「もはやこの土地での生活は立ち行かない。」として集落の住民は集団移住を決断し、廃村となりました。

現存している戸数はだいぶまばらですが、集落の家屋は今も有志などにより維持されていて、今回も車が停まっている家がありました。






これはポンプ車なんですかね。箱には「昭和十一年十一月新調」と書かれています。昭和11年は1936年ですから、書かれているとおりなら、89年前のものということになりますね。


残されている家屋には、江戸時代に立てられたものもあります。




宿場の飯田側の端まで来ました。ここで折り返します。




こちらは、丸山小学校大平分校跡(旧大平小学校)。住民が集団移住した1970年(昭和45年)11月に閉校となりました。立入りが禁止されているので、敷地外からの撮影です。






大平宿を一回りしたので車へと戻ります。国道19号方面ではなく、長野県道8号(旧大平街道)を飯田市街地へと向かって走ります。昔の街道を引き継いだ県道なので、ひたすら地形に合わせてクネクネと進むことになります。

ようやく山の中から市街地の入口へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

大平街道の石碑。石碑の側面には「自明治三十二年 至明治三十八年改修」とあります。


この石碑は、明治32年~38年(1899年〜1905年)にかけて実施された大平街道の改修工事が完成したことを記念したものです。

改修工事が実施されたきっかけは、中央本線が伊那谷ではなく木曽谷の通過を決定したため。これにより飯田の街と中央本線を結ぶ道路の改修の必要性が建議され、大平街道の改修工事を実施。荷馬車の通行が可能になったそうです。

この場所で小休止した後は国道153号へと出て、高速道路には乗らず、そのまま国道で愛知県へと戻っていきました。
Posted at 2025/09/06 23:33:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年08月30日 イイね!

大井川鐡道の駅をいくつか巡ってきました

2025年8月10日土曜日、久しぶりに土・日・月と3連休になったので、「せっかくの3連休、どっか遠出しないと!」ということで、静岡県の大井川流域に通る大井川鐡道の駅をいくつか巡ってきました。

当日はあいにくの雨天でしたが決行(笑)。新東名高速を島田金谷ICで下りて、大井川に沿って曲がりくねった国道473号や静岡県道63号をのんびりと走行。

トイレへ行きたくなったので、道の駅「川根温泉」で小休止。この道の駅からは川根温泉笹間渡駅が近いので、歩いて行ってみることにしました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駅に着くと、ちょうど折り返しの電気機関車牽引の客車列車が停車中でラッキーでした。この茶色の電気機関車はE10形ですね。


5分後くらいに発車予定だったので、急ぎ元来た道を戻り、道の駅の横に架かる鉄橋へと向かいます。

何とか間に合いました。列車が鉄橋を渡り始めます。


けっこう強い雨が降っていたので、雨粒が写真に写り込んでいます。


列車の最後尾にも電気機関車が。「えっ、EF65形?でもなんか短い…。」と思ってよく見たら、旧西武鉄道のE31形でした。顔はそっくりですからね。


現在、大井川鐡道は線路被災により新金谷駅からやって来た列車は、川根温泉笹間渡駅で折り返し。この駅は単線なので、機関車の前後入換ができません。だから前後に機関車が付いているわけですね。


次にやって来たのは青部駅。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この駅は休止区間の中にあるので、線路上に雑草が茂ってきています。




川根駅方面は、まるで廃線のような様相となっています。




2020年11月1日に青部駅を訪れた時の写真です。この時は当然通常運行していて、勾配標はへし折れていますが(笑)、線路上には全く雑草が生えていません。


この後は千頭駅横の道の駅「奥大井音戯の里」に立ち寄り、千頭駅も訪れましたが、たまたま列車の発着がない時間だったので、すぐに移動を再開します。

大井川をさらに上流へと進み、長島ダムまで来ました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ダム横にある長島ダム駅を覗いてみます。




アプトいちしろ駅~長島ダム駅間は90‰(1000m進む間に90mの高低差ができる勾配。)という急勾配のため、日本で唯一アプト式(レールの間にラックレールを設置して、機関車側にあるピニオンギアと噛み合わせて急勾配を走行する型式。)を採り入れています。

長島ダム駅からアプトいちしろ駅方面を眺めていますが、目で見える範囲にはラックレールは見えませんね。


アプトいちしろ駅へ向かう区間を望遠で眺めてみます。鉄道として見るとやはり急勾配ですね。




長島ダム沿いの道をさらに奥へと進んでいきます。

次に立ち寄ったのは閑蔵駅。ちょうど千頭駅行きの列車が到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この区間は、もともとダム建設や保守用に軌間762mmで敷設された鉄道に由来するので、車両のサイズも小さなものになります。


閑蔵駅の井川駅側はすぐにトンネルとなっています。


閑蔵駅の構内を見て回ります。構内と言っても、山に挟まれた地形に線路とホームがあるだけの小さな駅です。








スプリング式ポイント。これだけ間近で見ることができる場所は、あまりないでしょうね。


さて、閑蔵駅までの道路はおおむね対向2車線が確保されていましたが、閑蔵駅から井川ダムまでの区間は1車線から1.5車線。落石もあったりするので、少々注意が必要となってきます。まあ、狭い山道は走り慣れているので、そんなに苦にはなりませんでしたけどね。

ようやく井川ダムに到着しました。また天気が悪くなってきているためか、気温は22℃しかありません。






今回、ダムはオマケなので、井川線の終着駅である井川駅へと徒歩で向かいます。


道路から階段を登ると井川駅の駅舎の前へと出ました。登ってきた階段以外に駅舎へと行くことができるルートは無いようです。


井川駅からの発車時刻についての案内が掲出されていました。井川駅から乗った場合だと、列車の終点である千頭駅まで行ってから折り返すことはできないダイヤになっているということですね。


駅構内を見るため、駅舎から道路へと戻ります。道路の右側に残る橋台は、井川駅のさらに先にあった堂平駅までの線路の跡です。


井川駅の構内。今はガランとした構内も、昔は終点らしく客車や貨車が留置されていたんでしょうかね。




最後に堂平駅までの廃線跡を歩いて行きます。この区間は1971年(昭和46年)に廃止となりましたが、現在は遊歩道として開放されているので、誰でも通ることができます。ここからは熊鈴を鳴らしながら進みます。




井川駅との間にあるトンネル。先ほどの道路脇の橋台を渡るとすぐにこのトンネルをくぐり、ここへと出てくるわけです。


廃線区間のレールと枕木は撤去されずに残されていて、1988年(昭和63年)〜1996年(平成8年)には、発電所建設の資材運搬のために復活運用されていたそうです。




井川駅〜堂平駅間で2つ目のトンネル。信号機はどこか別の場所から持ってきたものでしょう。




入口から15分ほどで堂平駅跡へと到着しました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駅としての遺構はすでに何もなく、このポイントの跡が唯一の名残りのようです。


井川ダムからの帰り道、奥大井湖上駅を遠望。道路と駅をつなぐ通路があるようですが、時間も遅いので今回は止めておきました(疲れたし。)。


今度は、千頭駅から列車に乗って井川線を訪れてみたいですね。いつになるかはわかりませんが。
Posted at 2025/08/30 00:20:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年08月26日 イイね!

【浜松市北区】「竜ヶ岩洞」と「立須」へ行ってきました

2025年7月6日日曜日、家族4人で浜松市北区引佐町にある鍾乳洞「竜ヶ岩洞」と尖った岩の頂きである「立須」へ行ってきました。

まず立ち寄ったのは「竜ヶ岩洞」。最近のひどい暑さゆえに、涼を求めてやって来る人たちが大勢来ています(写真には写っていませんけど(笑)。)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

洞内へと入っていきます。いやぁ~、涼しくて気持ち良いですねぇ(笑)。


洞内の様子。洞内が狭いことや、見どころではみなさん足を止めてしまうので、まあまあ渋滞しながらの見物となりました。
















売店前にあった栄養ドリンクの自販機。右側が昭和40年代製で、この栄養ドリンクの自販機で昭和40年代製が稼働しているのは、この1台だけなんだそうです。


「竜ヶ岩洞」の見物を終えて、続いては同じ浜松市北区引佐町の尖った岩の頂き「立須」へと移動します。


「立須」の入口へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

入口からしばらくは平坦な山道を歩いていきますが、途中からいきなり尾根へ向けて一気に直登していきます。


尾根まで登るとようやく「立須」が見えてきました。これは想像していたよりも岩山ですね。


長年の浸食作用により鋭く尖った、この石灰岩の険しい岩山を見て、母と姉は山頂まで登るのを断念。弟と私の2人で登ることにします。


山頂まで登ってきました。標高は378mとあまり高い山ではないですが、平野から聳え立つ山だけあって、眺望は大変良好です。遠くに浜名湖も見えています。






非常に見づらいですが、中央の岩には「立須」と文字が書かれています。


20分ほど山頂にいましたが、その間に3組ほどの方々が山頂にやって来ました。


そもそも、「立須」は姉が「行ってみたい。」ということでやって来たのですが、「どうやってこんな場所を知ったの?」と尋ねたら、「インスタで『東海地方で行ってみたい場所。』というので見たから。」という理由でした。

しかし、「岩が尖って険しいので、運動靴や軍手が必須です。」みたいなコメントまではチェックしていなかったようで、前述したように山頂まで登ることは断念する羽目になったんですけどね…。
Posted at 2025/08/26 23:23:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年08月11日 イイね!

【恵那市】岩村城へ行ってきました

2025年6月1日日曜日、弟の誘いで母と3人でドライブがてら、岐阜県恵那市岩村町の岩村城へと行ってきました。何度も訪れている場所なので、今さら物珍しいものがあるわけではありませんけどね(笑)。

場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

山頂の駐車場から岩村城本丸の石垣を眺めます。この日は城跡の草刈りを各所でしておりました。


本丸へと登っていきます。




本丸まで登ってきました。本丸の外縁には、櫓や門、塀があったそうですが、現在は建物は何も残っておらず、広場が広がるのみです。












城下町だった岩村の市街地を見下ろしています。




岩村城の説明板。


普段は本丸まで登るとそのまま駐車場へと戻りますが、今回は駐車場と反対側へと下りていってみます。






岩村城は山城ですが、山を覆い尽くすように石垣が巡らされています。








下まで降りると、階段状の立派な石垣を見上げることができます。


写真の左下に写っている母と比べてもらうと、石垣の巨大さがわかると思います。


普段は行かない場所も含めて、結局2時間ほど山頂部の城跡を散策していました。
Posted at 2025/08/11 11:50:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年06月12日 イイね!

草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました

2025年5月4日日曜日、国道292号「草津志賀高原ルート」の「雪の回廊」を見に行ってきました。

姉から「せっかくのゴールデンウィークだから遠出しよう。希望がないなら『雪の回廊』という所へ行ってみたい。」との要望があり、姉弟3人で出かけてきた次第です。

今回は、自宅から東海環状道、中央道、長野道、上信越道と経由。信州中野ICからは国道292号を走行して現地へと向かいました。

草津白根山を望む駐車帯へとやって来ました。周囲にはまだまだ多くの残雪があります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駐車帯から右下方を眺めると、国道の両側に雪の壁がある場所が見えています。どうやら、あれが「雪の回廊」のようです。


せっかくなので間近まで行ってみることにします。ちなみに、言い出しっぺの姉は「ここ(駐車帯)から見えてるからいいわ。」とのことで来ませんでした…。

「雪の回廊」までやって来ました。「草津志賀高原ルート」の除雪が完了して開通したのが4月23日。訪れた時点で12日間が経過していますが、想像していたよりは高い雪の壁が残っていました。


車やバイクがけっこう通行していたので、周りに注意しながら撮影しました。




さて、この後はそのまま国道292号を草津温泉へと下っていくつもりでしたが、山田峠を越えた先の交差点で、「草津温泉方面は雪崩のために通行止め。」となっていました。

仕方がないので迂回ルートの案内に従って万座温泉へと下っていきます。

万座温泉まで下りてきたところに駐車場を見つけたので、ちょっと立ち寄ります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この場所に火山ガスを噴出する斜面があったので見物します。


この辺りからは硫化水素ガスが出ているようです。どおりで卵が腐ったような臭いがするわけです。


駐車場の奥にも噴出場所があるようなので行ってみます。


斜面の上部に噴煙が見えます。地形図によるとこの沢は「殺生沢」と記されていますが、この有り様だとそのように名付けられるのも当然ですね。


殺生沢の流れ。側壁も河床も石組みとなっています。石の色がまだらになっているのはガスや酸性の水が原因なんでしょうかね。


万座温泉から先は「浅間白根火山ルート」を通り、万座・鹿沢口駅前で国道146号へ。ひとまず渋川方面へと進みます。

国道脇に滝があるのを見つけて停車します。「瀬戸の滝」だそうです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

滝の前に残る旧国道の橋。


「大滝橋」とあります。


さて、滝の説明板に「崖の中腹に不動明王が祀られている」とあったので探してみたところ、確かにありました。コンクリートで固められた崖には、崖道らしき段差が国道脇から不動明王像まで続いていましたが、とても行く気にはなりません…。


スマホでの撮影では、これが限界でした。


次は八ッ場ダムへと立ち寄ってみました。


八ッ場ダムの周辺図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ダム湖の湖面は鮮やかな青色をしています。


八ッ場ダムの堤体を歩いてみます。


ダムの下流を眺めます。ダムの直下から下流側は「吾妻峡」と呼ばれています。






八ッ場ダムはこれくらいにして、「吾妻峡」へ行ってみることにします。


ダムの下流側へと移動。駐車場に車を停め、旧国道を歩いて吾妻峡・八ッ場ダムへと向かいます。


けっこう深い渓谷ですね。そして、川の流れがダム湖と同じ鮮やかな青色です。てっきり、もっと青色が薄まっていると思っていました。


吾妻側へと流れ込む滝がありました。


旧国道の崖上には、八ッ場ダム建設により付け替え廃止されたJR吾妻線の旧線が残っていますが、ここで鉄道ファンには有名な物件を確認。


かつて、日本で最も短い鉄道用トンネルだった樽沢トンネルです。延長は7.2m。実際にはロックシェッド的な役割の物件だったのでしょう。


反対側から見上げます。トンネルの周りが樹木に覆われていて、全体がしっかり見えないのが少々残念です。




前方にトンネルが見えてきました。


「松谷トンネル」だそうです。銘板には「1989年12月」と記されていますが、竣工年から考えるとトンネルの幅が狭い気がします。


全然通ったことがない場所で理由がわからず、気になってネット検索してみたら、どうやら狭隘箇所へ新たに一車線幅のトンネルを造り、上下車線を分離することで通行を容易にしたという改良のようでした。


トンネルの傍らには「吾妻峡」の看板が立てられています。


ここからは旧下り車線を進んでいきます。山側の壁面には微妙にオーバーハングした部分が残っていて、かつては壁面がもっと迫り出した「片洞門」だったのかもしれません。


この辺りも深い渓谷が続いています。


松谷トンネルの反対側へと来ました。


前方に大きな岩山が見えています。


旧長野原町へ入りました。


八ッ場ダムが見えてきました。


駐車場から歩くこと約40分、八ッ場ダムの真下に到着です。


やはりダムは下流側から見上げるほうが迫力があって良いですね。


「八ッ場もみじ橋」を渡って、対岸へと進みます。


ダム堤体を見上げます。




吾妻線の廃線を利用した自転車型トロッコの駅「吾妻峡八ッ場駅」。


駅からダム側を眺めると、吾妻線が途切れた場所が見えています。


さて、帰り道は旧国道ではなく、吾妻川を挟んで対岸にある遊歩道を歩いていきます。


吾妻川の急流をより間近で見ることができます。


旧国道を見上げます。旧国道が崖の中腹を掘削して造られた道であることがよくわかります。


遊歩道と言いながらほぼ山道のような行程でしたが、吾妻川の鮮やかな青色の渓流を楽しみながら車へと戻りました。


Posted at 2025/06/12 23:30:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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「【新城市】槇原川沿いの伐木作業軌道跡を探索する(2) http://cvw.jp/b/1796277/48659559/
何シテル?   09/17 00:08
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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