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小林あにのブログ一覧

2023年09月18日 イイね!

宇連集落跡から海老峠への峠道を探索する(1)

2023年8月19日土曜日、北設楽郡設楽町川合の宇連集落跡から海老峠への峠道を探索しました。

海老峠は、宇連集落跡と新城市海老を結んでいた山道の途中にあった峠です。現在は、岩古谷山と宇連山の間を縦走する東海自然歩道の通過ポイントの一つでしかありません。

海老峠については、7月16日日曜日に峠の西側にある新城市の川売集落から峠道の探索を試みましたが、最終的には道筋がはっきりしなくなり、岩壁へと出たところで探索を断念して引き返すこととなりました。今回は、「西側がダメなら東側から。」と宇連集落跡から峠道の探索をしてみようと思い立ったわけです。

愛知県道424号 丸天橋へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

本当は、ここから宇連集落跡へと向かう林道へと入り、集落跡付近へ車を停めて峠へと向かうつもりでしたが、ご覧のとおり通行止めとなっていたため、この場所に駐車して向かうことにしました。このすぐ先で土砂が林道に流れ込んでいるのが見えています。


歩き始めると道路を跨ぐ倒木に遭遇。奥に人家が無いためか、もう積極的には道路整備されていないみたいです。


眼下の渓流。水が透き通っていてきれいですね。


小さな滝が見えています。滑り台のような変わった雰囲気の滝です。


小さな橋がありました。銘板は見当たらず、名称はわかりません。


対岸に石垣が見えています。上が平場なので、耕作地の跡かもしれません。


また小さな橋がありました。相当以前から車が通行していないのか、路面が一面苔だらけです。


右側の路肩に転がっていたダッシュボード。以前はここに廃車があったようですが、どうしてこのパーツだけ転がっているんですかね。


目線を先にやると大きな木の下に石碑があるのが見えます。


木の真下にある小さな石碑はよくわかりませんでしたが、こちらは竣功記念碑ですね。碑文を見て、この道が「林道宇連線」という名称であることがわかりました。


裏面は日付と関係者氏名が彫られています。「昭和41年(1966年)7月」が竣工時期を指しているのであれば、それまでは宇連集落跡まで自動車は入ることができなかった可能性が大です。




記念碑の先にはヘアピンカーブがあります。この写真の左側から分岐していく道がありますが、その道の先に旧神田小学校宇連分校があったそうです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ふたたび苔むした道を歩いていきます。滑って転ばないように気を遣います。


中身がもぬけの殻となった祠と石仏群。ここから先が宇連集落跡となります。


家屋があります。人が住んでいるような気配は感じられませんが、家の周囲はきれいになっており、時々は所有者が訪れているのかもしれません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

路面の舗装がここで途切れました。林道宇連線はこの場所が終点のようです。林道左側は山の斜面に、右側は沢沿いの緩斜面に、それぞれ石垣がある段々地が残っています。


少し歩くと道の右側に苔で覆われた小山があり、その頂上に石碑が立っています。


彫られている文字を読み取ると「御頭天皇」とあります。初めて見る文言です。後日、「設楽町誌 村落誌編」で調べてみたら、「牛頭天王の意である。」とありました。要するに当て字なわけです。牛頭天王は除疫神として崇拝されているようなので、疫病退散の意を込めて祀られたものでしょうか。


側面には「明治十三年辰六月」とあります。明治13年は西暦1880年なので、143年前のものとなります。


石碑を通り過ぎると橋が架かっていて鳥居があります。鳥居をくぐると宇連集落の氏神である諏訪神社があります。






「振草村誌」によると、宇連の諏訪神社は、「建御名方命を祭神とする。天平時代(729年から749年まで)の勧請と伝えるが真偽不明である。」とあります。また、神殿には元禄9年(1696年)の棟札があり、境内に立つ灯篭には「元禄六年癸酉天九月吉祥日 三州渥美之郡吉田宿加藤兵衛納」と文字が彫られているそうです。

天平時代はともかくとして、少なくとも320年から330年ほど前には、すでに宇連の地に定住していた人たちが居たことがわかります。

ちなみに、灯篭を奉納した加藤兵衛さんは、当時川合(新城市川合)・宇連・海老(新城市海老)を結ぶ山道で商売をしていた魚屋だそうです。こんな山奥なので、しっかり塩漬けして作られた干物などを売り歩いていたんですかね。今回の目的地である海老峠も、何度も越えたことでしょう。

場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

石製の嗽盥(うがいだらい)。


「設楽町誌 村落誌編」によると、寄進したのは佐藤彦蔵さん。国内有数の長寿者として知られた人だそうで、文化7年(1810年)に宇連地区の向貝津に生まれ、大正6年(1917年)に老衰により享年108歳で死去したそうです。長寿を祝っての恩賜金を三回賜ったことがあり、この嗽盥は104歳の時に恩賜金の一部を割いて寄進したそうです。

あらためて境内の写真です。本殿の右側に加藤兵衛さん奉納の灯篭が立っています。


結局、集落跡には入口の家屋と神社以外、林道から見える範囲で目に付くような廃屋などは残っていませんでした。

さて、探索を再開します。神社を後にして道筋を進んでいくと沢を渡ります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

沢を渡った後に道筋が消えてしまうことがよくありますが、今回は杉木立が並木のように道筋を示していて、迷うことなく進んでいけます。






集落跡があった緩斜面が終わり、沢沿いを離れて山肌へと取り付きます。この先は何度も何度も折り返しが現れます。








小さな平坦地が現れました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

平坦地の奥には炭焼き窯の跡がありました。


ここからは道幅がさらに狭くなり、小刻みなつづら折りを繰り返しながら登っていきます。








稜線の上へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

一息つけたのも束の間、またつづら折りが始まります。






この辺りからは斜面に石が散らばり、道筋もはっきりしなくなってきます。何度も周囲を見渡したり、振り返ったりして確認しつつ、急坂を登っていきます。




石が散らばる区間を通り抜け、炭焼き窯の跡の横を進んでいきます。




沢の源頭部を巻いていきます。


沢を見下ろすと、まさに岩盤製のウォータースライダー。どこまで滑り落ちていくんですかね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

※その(2)へ続く。
Posted at 2023/09/18 21:29:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2023年08月08日 イイね!

【奈良県川上村】大鯛木馬道を歩く

2023年7月15日土曜日、奈良県吉野郡川上村中奥に残る「大鯛木馬道」を歩いてきました。この木馬道は1944年(昭和19年)に開通したもので、全長は2kmです。

「大鯛木馬道」を知ったきっかけは、何かの廃道の本で記事を読んだ事だった気がするのですが、どうにも思い出せません。手持ちの廃道関連本には見当たらないんですよね…。

とにかく、せっかくの三連休なので、日ごろ行きづらい場所へ行ってみようかと思い立ち、あらためて「日本の廃道」第79号や訪問者のブログなどをチェックして現地へと向かいました。

さて、やって来たのは川上村中奥にある「中奥地区簡易水道浄配水場」前の広場。正しくは林道大鯛線の終点転回場なんだと思います。


場所はこちら。浄配水場へたどり着くには、川上村白川渡で国道169号から奈良県道258号中奥白川渡線へ入り、中奥川沿いにところどころ行き違い困難区間がある狭い県道を中奥集落まで進みます。中奥集落からは林道大鯛線(一応舗装路。実態は苔で舗装されていたり(笑)、舗装がボロボロになっている状態。)の急坂を登っていきます。林道へ入ってからは、途中何度か停まっては落石を路上から取り除いて進みました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

準備ができたところで、浄配水場の前から折り返していく林道を登っていきます。


2~3分ほど歩くと、斜面に取り付けられた階段が現れます。大鯛木馬道へ行くにはこの階段を登ります。まあ、階段というよりも梯子と言ったほうが正しい気がします。しかも、一部踏み板が腐食しているので要注意です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

階段を登ると大鯛木馬道です。が、目の前には細い踏み跡があるだけです…。おそらく、駐車場所から登ってきた林道が造られた際に削られてしまったのでしょう。


細い踏み跡なのは取りあえず大丈夫なのですが、ここでいきなりマムシとにらめっこになってしまいました…。まだ子どものようですが、マムシですからね…。いつまでたっても全然動いてくれる気配がなかったので、仕方なく高巻きして前方へと移動しました。

マムシがいた場所を越えると、まともな道になりました。


岩盤を切り取って造られた道が続いています。




岩盤剥き出しの沢が現れました。まだほんの序盤なのですが、私にとってはいきなりの難所です。道から沢へと下りることはできますが、岩盤全体がぬめっているように見えます。もしも滑ったら、すぐ真下は高い段差になっているので万事休すです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

沢へ下りて、下流を眺めています。ここから真横に進むと、ヌルヌルの岩盤の上を歩くことになるので精神衛生上よろしくない。そこで、足場になる苔や落ち葉が積もっている場所を選んで上流側へ迂回し、対岸へと取り付きました。


対岸から振り返っての眺めです。道の路肩に石垣が積まれています。路肩を補強するための擁壁ですね。


結局、このようなルートで沢を渡りました。




せっかく難所を越えましたが、ふたたび狭い道幅に戻ってしまいました。


2つ目の沢が現れました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

沢底からの眺め。踏み跡をなぞって沢から脱出します。


この沢は、1つ目の沢に比べると特に悩むこともなく通過できました。対岸を振り返ると、石垣がわずかに残っています。


渡ったルートはこちら。


ここも石垣がしっかり残っています。こんな場所で石垣が崩れていたら、進めなくなってしまいます。


崖上の切り取り工の道を進みます。


わずかな間だけ植林地を通過します。


3つ目の沢です。この沢には石積み橋台が残っています。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

対岸を振り返っての眺め。向こう側にも石積み橋台が残っています。


この沢は山側を通過していきます。




ふたたび植林地です。灌木帯の中を進んでいきます。


4つ目の沢です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今のところは、現れる沢の難易度がだんだんと低くなり助かります。




ふたたび崖上へと出てきました。眼下には大鯛滝が見えてきたので、目的地まではあとわずかのようです。


その前にこの場所にある横穴へちょっと寄り道です。


中はすぐに行き止まり。下手に身を乗り出すと、下へ向かって広がっている部分へ落ちてしまうので、注意します。


そして、ようやく目的地である大鯛木馬道の素掘り隧道に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

隧道の手前の路面が切れ落ちています。この道、木馬道そのものを訪れる人や、さらにここから白鬚岳へと登山する人も通るので、安全確保のため(通過時にバランスを保つためのものかと。)トラロープが設置されています。


下流側の坑口は、谷側が大きくえぐれています。掘削しているうちにこのような形になったのだと思います。


4つ目の沢を渡ってからずっと急な登り坂ですが、隧道の中もそのまま急坂が続いています。


内壁は荒々しく削られたままの状態です。


上流側の坑口へと出てきました。隧道の先も絶壁の上を通っています。


「木馬道」の名残りと考えられている木材。


「木馬道」(きんばみち、きんまみち、きうまみち。)は、伐り出した木材を「木馬」と呼ばれる「そり」に積んで搬出するために造られた道です。「木馬道」には、摩擦を減らすために「盤木」と呼ばれる丸太などが敷かれていて、「木馬」はその「盤木」の上に乗せられ、人力で曳いていました。

この「木馬」による搬出は、かつてはごく一般的な搬出方法だったそうですが、下り坂の「木馬道」で重量物である「木馬」を人力で曳いたり止めたりするわけですから、大変危険な作業であったそうです。

せっかくなので、もう少し先へと歩いていってみます。


大鯛滝の上まで登ってきています。


滝口を過ぎると、今までの崖上の道から穏やかな渓谷に沿う道へと景色が一変します。






褶曲活動でねじ曲がった岩盤。


5つ目の沢が出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

沢を越えるためには、一旦沢底へと下りて、流れの中を下流方向へ歩き、そこから道へと登り直す必要がありました。越えることはできそうでしたが、沢の中に段差があり、そこで服を濡らすことになりそうだったので、今回はこの沢で引き返すことにしました。


素掘り隧道へと戻っていきます。




滝口から下を覗いてみますが、滝壺までは見えません。


崖上の下り坂を慎重に下っていきます。




素掘り隧道まで戻ってきました。


この景色を直接見たくて、ここまで来たんですよね。


写真だと本当にわかりづらいですが、隧道内も急坂であることが多少は感じられると思います。






こんな崖上の狭くて急な坂で木材を積んだ「木馬」を引いて下っていたなんて、恐ろしい話です。

隧道内の写真を撮っていると、坂の下で待っている人がいるのに気が付きました。「これはいけないな。」と、道を譲るために下まで下りていきました(ただし急坂なので慎重に。)。


近くまで下りていくと、いかにも登山者だという風体の方が待って見えました。

登山者:「もう(木馬道の)終点まで往復されたのですか?」
私:「いえ、すぐ上の沢で引き返しました。この坂をゆっくりでしか下りられないような素人ですから。」
登山者:「(笑)。まさかほかの人が来ているとは思いませんでしたよ。それじゃあ、気をつけていってください。」
私:「ありがとうございます。お気をつけて。」

確かに、こんな場所で他人と遭遇するのは珍しい事。動物と遭遇する確率の方がよっぽど高いでしょう。

とにかく目的は果たしたので、まずは無事に車まで戻ることに専念します。

立ち話をした場所から20分ほどで階段まで戻ってきました。ここも、踏み外さないように慎重に下りていきます。


無事に車まで戻ってきました。後ろの車は先ほどすれ違った方の車でしょう。


ここで上着にヤマビルが1匹くっついていることに気がつき、指で弾き飛ばしました。


今回の探索ルート図です。距離としては往復2kmほどと、最近では短い部類の探索となりましたが、内容が濃くて満足でした。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

引き返した先にもまだまだ木馬道は続いていますが、過去の訪問者のレポートを読む限りでは、この先はあまり「成果」の残る雰囲気ではないようです。

ただ、木馬道沿いの渓谷は紅葉が綺麗らしいので、晩秋に紅葉狩りへ再訪するのは良いかもしれませんね。
Posted at 2023/08/08 23:52:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2023年08月06日 イイね!

【新城市】愛知県道435号 須山入口から「峰の峠」までを往復しました

2023年7月8日土曜日。この日は廃道探索には出かけず、三河の山の中を縫ってドライブしていました。

岡崎市額田地区から愛知県道37号を走行し、田原坂を登って新城市作手へと出ます。そこから県道436号・県道435号を通って、寒狭川沿いの新城市愛郷へと出て、少しだけ国道257号を走り、島原橋を渡ってふたたび県道435号へ。

インプレッサだとギリギリの幅の狭い上り坂を登って、新城市中島山中の東にある小さな峠に来ました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

以前、この県道をドライブした時に、峠の切り通しの上に石仏があるのを見かけ、その内にまた見に来ようと思っていました。

県道の上の斜面に上がると、車道改修される以前の古道が残っていました。


古道を進んでいくと石仏がありました。通りすがりに県道から見上げた時は一体しかなかったように見えましたが、全部で2体の石仏と2基の石碑でした。


左から馬頭観音、役行者像で、右端のものは文字が彫られているのみで、何の石碑であるかは不明です。役行者像には年号が彫られていて、「天保五年九月吉日」とあります。天保5年は1835年になります。石碑には「關〇林」の3文字が彫られていて(〇は上が「令」で下が「周」に見える。)、側面に大正六年(1917年)とありました。


こちらは名号碑(南無阿弥陀仏碑)です。彫られている書体は、「只持海老道」で見たものと似ています。ネットでこの独特な書体について調べてみると、江戸時代後期の浄土宗の僧侶「徳本上人」にまつわる名号碑に用いられているようです。ただ、「只持海老道」やこの場にある名号碑が「徳本上人」に関わりのある碑であるかはわかりません。


ひとしきり石仏群を見物した後、ドライブを再開しましたが、ふと「もう少し歩き回るかなぁ。」と思い立ち、須山集落入口の交差点にある旧道へ車を駐車。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

もう一度峠へと徒歩で登っていきます。






石造の暗渠かなと覗いてみましたが、天板はコンクリート製のようです。


峠まで戻ってきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠下のヘアピンカーブを下っていきます。




山中集落まで来ました。


正面の三角コーンが立っている細い道を進んでいくと、先週「只持海老道」の探索に利用した「林道桃の久保線」へとつながります。新城ラリーの初期にはこの小さな交差点もリエゾン区間の一部で、細道から鋭角に左折して走行していました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

山中集落内も県道435号は狭い道のままです。


さて、ここで引き返しても良かったのですが、ここ山中集落から以前に古道探索で訪れた「峰の峠」まではそんなに遠くはないはずなので、もう少し足を伸ばしてみることにします。


ここが「峰の峠」へと向かう道になるようです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ひとまずは、地形図に表記されている道のとおりに進みます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

谷筋へと入り込むと、かつての棚田の跡が峠へと向かって何段にも残されています。




簡易水道の施設のようです。ここから先は徒歩道へと変わります。


まだまだ谷の奥へと向かって棚田の跡が続いています。思わず「すごいな。」と独り言が出てしまいます。




こちらは簡易水道の取水施設のようです。


棚田へ向かうためのあぜ道と思われる道跡を進んでいきます。これだけの土地の造成と石垣の積み上げ。何年がかりで仕上げたものなのでしょうか。




峠へと近づくにつれて谷筋は緩斜面へと変わってきました。まるで湿地帯のような水源地ですが、この辺りにも田んぼの区画と思われる石列や低い石積みが見られます。




ようやく「峰の峠」の盛土道に着きました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここからは、山中集落へと向かう古道をあらためて辿っていきます。




先ほど歩いてきた湿地帯。


古道は、谷底よりもやや上部の斜面を縫うように進んでいきます。




棚田跡をより高い目線から見下ろします。


多くの倒木で古道が荒らされてしまっています。




若木の中を突っ切っていきます。


砂防ダムにより古道が寸断されてしまったので、ダムの上流側へと迂回して対岸へと進みます。


棚田跡がある谷底とけっこう標高差が出てきました。




整然と区画された棚田跡が並んでいます。田んぼだった頃は、こんな鬱蒼とした感じではない爽やかな景色だったでしょうね。


古道部分の倒木が切り取られています。現地の当事者ではない私が言うことではないですが、こんなふうに倒木が処置されていると大変助かります。


山中集落から入り込んだ時に見えていた砂防ダムです。


分岐路に出てきました。往路では左側の道へと進みました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

山中集落へと戻ってきました。


さらに峠を越えて、車へと戻っていきます。


山中集落から歩くこと約30分。車へと戻ってきました。




今回歩いたルート図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

家を出た時には「今日はドライブするだけ。」のつもりだったのですが、結局山の中へと入り込んでしまいました(笑)。

今回は散歩をしたようなものでしたが、山中集落から「峰の峠」へと続く石垣の棚田跡はなかなか圧巻の景色でした。「田畑に使える土地は無駄なく使う。」という徹底した考え方が垣間見えますね。
Posted at 2023/08/06 22:34:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2023年08月04日 イイね!

【新城市】古道「只持海老道」を探索する(3)

2023年6月25日日曜日、新城市只持から新城市海老へと至る古道「只持海老道」を探索してきました。「只持海老道」という名称は、旧鳳来町発行の「鳳来町誌 交通史編」によります。そのため、この道が地元の人々からはどのように呼ばれていたのかは不明です。

さて、「只持海老道」については、前日の6月24日土曜日に新城市只持側から探索を進めていきましたが、用事のために時間切れとなり途中で引き返しました。このような場合、普段だと翌週末以降に再訪するところですが、今回はさっそく翌日に再訪しました(笑)。

やって来たのは、新城市玖老勢の「やまびこの丘」付近の林道桃の久保線。この場所へ車を駐車して、徒歩で前回引き返した地点よりもやや先の地点で「只持海老道」へと合流し、残る新城市海老の区間までのルート探索を行います。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

本当は、林道で前回引き返した地点の先まで車で乗り付けて、時間短縮と体力温存を図るつもりでしたが、駐車場所から100mほど先の所で土砂崩れに遭遇し、駐車場所へとバックしてきたわけです…。


土砂の上に軽トラのタイヤ痕は付いているんですが、さすがにインプレッサでの通過は無理です…。


林道を進んでいくと至る所で土砂が路上へと流れ出ていましたが、決定的なのはこの倒木。仮に先ほどの土砂崩れを越えたとしても、ここでアウトでした。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

車から歩くこと35分、ようやく今回の本来のスタート地点となる、林道桃の久保線と作業道の分岐点へと来ました。「只持海老道」の続きである作業道側へと右折していきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

余談ですが、この場所に立っていた時、突然「ブンッ!」という野太い音とともに、何者かが眼前を横切って飛び去りました。明らかに鳥ではなかったので(ただ、あまりに顔の前過ぎて、茶色系の塊としか認識できなかった。)、おそらくムササビでしょう。

現在地から新城市海老までの地形図。「只持海老道」に相当する破線道などの記載は全然ありません。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

車の轍が付いた作業道を進んでいきます。


前方に倒木が見えている方向へと、さらに進んでいきます。


倒木と落ち葉で荒れてしまっています。


小さな谷筋が合流する場所へと出てきました。経験上、こういう場所では道跡を見失いやすいんですよね…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

戦前の地形図に記載されている里道(只持海老道)の方向へと歩いていってみましたが、いまいち道筋がわかりません。

仕方がないので、見つけた古道を歩き、ひとまずは麓へと下りてから、下から「只持海老道」を探すことにします。


小さな切り通しを通り抜けていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

多くの倒木の中、つづら折りの道を下っていきます。




緩い傾斜地の中を大きくカーブしていきます。


小さな切り通しから先、倒木に埋もれている場所がほとんどですが、この場所は珍しくはっきりと道筋を見ることができます。






沢沿いを進み始めると、今度は土砂や岩に埋もれている場面が多くなり、だいぶ荒れた状況となります。






砂防ダムが見えてきました。この後は、作業道を下っていきます。


旧豊橋鉄道田口線跡の道路へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここから海老方面へと少しだけ廃線跡を進んでいきますが、海老の街には入らず、山すそをなぞっていく廃道へと入り込んでいきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

車が通れる幅だった廃道は、やがて川沿いを進む古道へと変わっていきます。


戦前の地形図を見て、「只持海老道」が通過していたであろう斜面の麓に来ました。廃線跡からこの地点まで山すそを歩いてきて「只持海老道」への入口は全然わからなかったので、ここから斜面を直登して「只持海老道」と交差できないか探ってみます。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

斜面を5分ほど登っていくと古道と交差しました。戦前の地形図にあるとおりに斜面を斜め一直線に進んでいる道なので、これが「只持海老道」のようです。


せっかく登ってきましたが、どの地点から斜面へと取り付いているのか確認したいので、坂を下っていきます。


先程歩いていた山すそを通る古道へと出てきました。この付近では道跡が判然としておらず、これではわからないのも当然です。


そのまま川岸へと出てきました。対岸を見ると右へと曲がっていく小径があり、「只持海老道」の続きと思われます。


対岸へと渡り、先を眺めてみると真っ直ぐ海老の街へと向かっているので、やはり間違いないようです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

それでは只持方面へと戻り、峠へと登っていく古道を探索していきます。




戦前の地形図上では緩く蛇行しているような表示ですが(5万分の1地形図のためもありますが。)、実際に歩いてみると小刻みに折り返しを繰り返す道であることがわかります。






古道の道筋があいまいになってきました。このような場面だと、ひとまず直進しつつ、峠方向へと進んでいく道筋がないか注視しながら歩いていくことになります。




ふたたび道筋がはっきりしてきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

斜面を一直線に下っていく細い道跡を見ています。この斜面には、折り返しを繰り返す牛馬用の古道(私が歩いている道。)と、直線的な道である歩行者用の古道が絡まり合うように残っています。


倒木の中を縫って進みます。


どこまで歩いても倒木や枯れ枝に埋め尽くされていて、本当に誰も歩いていない道なのだとわかるような光景です。




谷側の路肩に植林されていると、道跡が崩落している危険性が少なくなるので安心できます。


前方に尾根が見えてきました。間もなく峠が現れそうです。


場所はこちら。


と思っていましたが、なかなか尾根を越えようとはせずに横移動していきます。




やっと峠へと出てきました。ただ、切り通しではなく、平面的な場所へと出てきたので、峠という雰囲気はあまりありません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠から斜面を下っていきます。


見覚えのある場所へと出てきました。往路で道筋がわからなくなり、峠を越えそうな古道へとひとまず進み始めた場所です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

これで「只持海老道」の探索が完了しました。前回引き返し地点から、今回の林道桃の久保線から作業道への右折地点までの約500mは探索していませんが、この区間は地形的に林道桃の久保線に重複していると考えられますので省略しました。


今回の探索ルート図になります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今回の探索区間で確認した「只持海老道」の推定ルート図です。青線が推定ルートになります。
Posted at 2023/08/05 00:18:54 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2023年07月31日 イイね!

【新城市】古道「只持海老道」を探索する(2)

2023年6月24日土曜日、新城市只持から新城市海老へと至る古道「只持海老道」を探索してきました。「只持海老道」という名称は、旧鳳来町発行の「鳳来町誌 交通史編」によります。そのため、この道が地元の人々からはどのように呼ばれていたのかは不明です。

さて、前回(1)では、林道松峯線の終点までやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「只持海老道」はまだ先へと続いているので、砂利道となった林道へそのまま進んでいきます。

砂利道に入ってすぐの場所ですが、右側に平場が続いているように見えます。


上へと上がってみると古道の続きがありました。


この区間に残っていた古道は短く、間もなく林道へと飲み込まれてしまいました。林道へと下りて、先へと進んでいきます。






林道に出てから、ずっと山側(右側)の斜面を眺めながら歩いていましたが、不意に法面の上へと登っていく踏み跡を発見。さっそく上へと登ってみます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

やはり古道の続きがありました。しかし、埋もれたのか崩れたのか、だいぶ道幅が狭くなっています。




沢へと出てきました。そして、沢の先へと続いている古道へ進むのを邪魔するように、倒木が思い切り倒れ込んでいますね…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

段差の平らな所で沢を渡り、倒木の下をくぐって枝を掻き分けて対岸へと進みます。思っていたよりも苦労せずに通過できました。


沢を渡った箇所を振り返っています。対岸の路肩には石積みの擁壁が見えています。古道と沢の間には橋を架ける程の段差は無いので、流れの中をそのまま渡っていたのでしょう。


沢を渡った後も、古道の道幅は狭いままです。


古道が唐突に作業道へと変わってしまいました。周囲を確認してみましたが、正面の作業道以外に道跡らしきものはなく、作業道は古道を拡幅したものだと判断して、そのまま進んでいきます。


広い平場へと出てきたので、違う場所を古道が通っていないか念のため確認しておきます。


結局、作業道以外にはこれといった道跡は無かったので、このまま平場から下っていく作業道を歩いていきます。


作業道を下っていくと、道の分岐点に出てきました。


まずは下りてきた場所の正面から分岐していく道へと入ってみます。どうみても廃作業道なので、あまり気は進みませんが…。


ぬた場と思われる大きな水溜りで道がわからなくなってしまいました。この道から引き返します。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

平場から下りてきた分岐点まで戻り、隣の道へと入っていきます。




こちらもしばらくは廃作業道が続いていましたが、やがて途切れてしまいました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こうなっては仕方がないので、杉林の斜面を下りて、先ほどまで歩いていた並行する林道へと出ます。




林道を進んでいくと、別の舗装林道へと合流しました。そのまま真っ直ぐ進んでいきます。


峠の深い切り通しに出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

切り通しを通り抜けて、古道が通っていたと思われる方向へ左折します。この道も廃作業道のようですね…。


路上に木々が生えていたり、薮で覆われていたりと、なかなか不快な廃道です(笑)。




ここが作業道の終点のようです。この先に古道の続きはあるのか…。


しばらくは土砂などでかく乱されていましたが、そのまま進んでいくと古道が再び現れました。


古道が折り返して下を通っていくのが見えます。路肩に石積みの擁壁があるのが見えています。


この辺りは作業道ほどの道幅があります。「現役」の頃からこの道幅なのか、後年の作業道への改修によるものか、見当が付きません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

小さな沢を渡る部分も路肩が石垣で補強されています。


小さな沢から振り返っての眺め。古道の路肩にはずっと野面積みの石積みがあります。この景色を見る限りでは、昔のまま残っているようにも思えます。


道が分岐していく場所に来ました。ひとまず、この地点で山へと登っていくことはないはずなので、左側の道を進むことにします。


ここへ来てまた倒木ですか…。しかも薮と絡んでいるし…。


少々嫌な思いはしましたが、また沢へと出てきました。


沢の辺りも土砂や岩で地面がかく乱されていて、道跡は全くわからない状態。そのまま沢を歩いて舗装林道へと出ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この時点で時刻は14時10分。実は夜に飲み会の約束をしているので(笑)、この場所から車まで引き返して、さらに自宅へと戻り、集合時間に間に合うように会場へ向かうとすると、時間的に限界かなと判断。ここで引き返すことにしました。

まずは、峠の切り通しまで舗装林道を登っていきます。ちなみに、この林道の路線名は「桃の久保線」といいます。新城ラリーの初期にはSSコースとして使われたこともある林道です。




土砂崩れが放置されています。土砂の雰囲気からして、ごく最近の土砂崩れのようですが、誰もこの林道を通らないようですね。


さて、峠の切り通しの近く、道の上の斜面に石碑が立っているのを見つけました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

喜び勇んで(笑)近寄ってみたところ、これは名号碑ですね。独特の書体で「南無阿弥陀仏」と彫られています。それ以外の文言は全く無いため、残念ながらいつの時代に立てられたものかは不明です。


名号碑の目の前には古道が通っています。通っている場所からして、これが「只持海老道」でしょう。


せっかくなので、名号碑から左方向へと延びていく古道を辿っていきます。程なくして酷い道になるのはわかっていましたが…。


若木に覆われだしましたが、まだこの程度なら問題なく行けます。


いよいよ、いろいろなものが絡みだしてきました…。


かつて道が通っていたルートを忠実に辿ろうとすると、往々にしてこんな目に遭います…。何の「旨味」もない行動ですが、自分が納得するためだけに突破していきます(笑)。


とにかく面倒くさい事ばかりが連続する区間でしたが、何とか突破してきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

あとはここから砂利道の林道へと合流し、まずは林道松峯線の終点に向けてひたすら歩いていきます。

林道松峯線の終点まで戻ってきました。もう古道は通らず、そのまま舗装林道を進んでいきます。


と言いながら最後に寄り道。スタートして間もなく古道へと取り付いた地点から只持側へと続いている、ほんのわずかな距離の古道を歩きます。




林道だけでなく、こちらの古道にも獣害防止柵の門がありました。しかも困ったことに扉が開かない仕様…。仕方がないので、金網を登って外へと出ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

最後の最後に引っ掛かりましたが(笑)、無事に車へと戻ってきました。




今回探索したルート図がこちら。赤線が往路。青線は復路ですが、一部赤線の区間も通っています。登山用アプリでの計測では、往復8.4kmに4時間15分かかりました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらの地形図での赤線は、今回探索した区間での「只持海老道」の推定ルートになります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今回だけでは、只持から海老まで踏査することはできませんでしたが、残りの区間については日を改めて探索したいと思います。
Posted at 2023/07/31 22:01:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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