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小林あにのブログ一覧

2024年12月30日 イイね!

越前下山駅・旧下荒井隧道・冠山トンネル

2024年7月13日土曜日、岐阜県~福井県~岐阜県と通過するルートでドライブしてきました。

自宅を出発して、新東名の豊田東ICから高速に乗り、東海環状道・東海北陸道と経由。白鳥ICからは中部縦貫道油坂道路を走行し、越美通洞(トンネル)から先は九頭竜湖沿いに国道158号を進みます。

最初に立ち寄ったのは、JR越美北線の越前下山駅。付近の国道158号を走行している時、いつも気になっていたので、今回は立ち寄ってみました。


当駅は、トンネルとトンネルに挟まれた、わずかな「明かり」区間に立地しています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

せっかくなので、駅ホームへと向かいます。


この駅の開業は昭和47年(1972年)12月15日。比較的最近の開業のため(それでも52年前ですが。)、高架化された路線のような簡素な造りのホームです。




旧国鉄駅には付き物の「名所案内」の看板。


しかし、越美北線の末端区間は一日4往復半しか列車が運行されていないので、わざわざ列車で名所案内に記載されている場所へ向かおうとする人は、ほぼいないでしょう。


越前下山駅の駅名板。


ちなみに、名所案内は錆び錆びになった古い駅名板を再利用しています。


越前下山駅の見物はこれくらいにして、移動を再開します。




昼御飯を食べるため、道の駅「越前おおの荒島の郷」へ立ち寄ります。


場所はこちら。


福井名物「ソースカツ丼」をいただきました。


さて、次に立ち寄ったのは、旧京福電鉄越前本線跡に残る旧下荒井隧道。こちらの廃トンネルも、TGRラリー恐竜勝山戦へ出場するために、付近の国道157号下荒井トンネルを通過するたび横目で気にしていた場所です(笑)。


ちなみに、この廃トンネルを含む勝山駅〜京福大野駅間は、昭和49年(1974年)8月12日に廃止されています。

場所はこちら。


トンネル坑門に掲げられている扁額。一文字目はわかりませんが、あとの文字は「〇誠一貫」でしょうか。




この廃トンネルの延長は521.4m。坑口の前にいた時点でわかっていたことですが、トンネル内の靄が濃いです…。


どうやら、内部は全面コンクリート覆工されているようです。トンネルの開通は大正13(1924)年12月20日だそうで(実は2代目トンネル。)、煉瓦造からコンクリート造へと代替わりしていく時期のものですね。


入ってきた坑口を見返しています。今は壊れてしまっていますが、元々は木製の扉を造り付けて封鎖してあったようです。


退避坑。


奥へと進むにつれて靄は薄くなってきましたが、懐中電灯で照らすとまだまだ真っ白になってしまいます。


ふたたび退避坑。


反対側の坑口付近までやって来ました。こちら側には金網が設置されていました。試しに扉を動かしてみましたが、鍵が掛かっているようで、トンネル内を引き返すことが決定しました。


進入した側の坑口に近づいてきました。坑口付近は浅く水没しています。そして、天井アーチ部分にはコンクリート打設時の型枠の跡が無数に付いています。




天井アーチ部に大きな亀裂が入り、そこから水滴がボタボタと滴っています。水没しているのは、この雨のように滴る漏水が原因でしょう。


旧下荒井隧道の探索はこれにて終了。


また機会があれば、今度は初代トンネルを探索してみたいものです。

さて、旧下荒井隧道から走行すること約44km。今回の目的地である国道417号冠山トンネルにようやく到着しました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

冠山トンネルを含む峠区間は国道417号「冠山峠道路」と呼ばれ、令和5年(2023年)11月19日に開通しました。開通したことを知ってから訪れたいと思っていましたが、岐阜県側からも福井県側からも高速道路からのアプローチ距離が長く、何となく今まで行きそびれていました。


ちなみにトンネル延長は4,834m。


冠山峠道路の開通により、国道417号の岐阜・福井県境の未開通区間が直結され、冬期通行も可能になりましたが、冠山峠道路や徳山ダム建設による新規開通区間以外では、まだまだ狭小区間や線形不良区間も残っているので、大型車の通行には厳しい部分が残されています。

この後は国道417号を南下して国道303号へと合流。東海環状道大垣神戸ICから高速道路に乗って帰宅しました。
Posted at 2024/12/30 02:02:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2022年05月10日 イイね!

野尻森林鉄道「木曽川橋梁」を見に行ってきました

2022年3月19日土曜日、長野県木曽郡大桑村野尻に残る野尻森林鉄道の木曽川橋梁を見に行ってきました。木曽川橋梁は大正10年(1921年)の架橋(大正12年(1923年)という記事もある。)。同森林鉄道が廃止された昭和40年(1965年)までの44年間供用されました。

場所はこちらになります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

中央本線野尻駅の駅前広場へとやって来ました。ここに車を駐車して、徒歩で現地へと向かいます。


駅前に立つ長野県道261号「野尻停車場線」の標識。


野尻駅の北側にある石積みのガードをくぐっていきます。中央本線の木曽谷区間には、多くの石積みアーチが存在しています。


坂を下り、木曽川へと向かっていきます。


小さな鉄橋が見えてきました。野尻森林鉄道の廃線跡です。






橋の下をくぐり、さらに先へと進みます。


木曽川のほとりへと出てきました。対岸につり橋の主塔跡が残っています。


さらに上流へと向かい歩いていくと、また橋の跡がありました。


対岸には橋台跡も見えています。


現在供用中の道路橋をくぐって進むと目的地が見えてきました。


野尻森林鉄道 木曽川橋梁です。森林鉄道廃止後も撤去されることなく現存しています。


土木学会の「歴史的鋼橋調査台帳」によると、橋長は134.6m、橋梁の形式は「単線上路ワーレントラス」、「単線下路曲弦プラットトラス」、「単線上路プレートガーダー」の3種類が用いられています。


「単線上路ワーレントラス」部分の写真。




橋梁の支承部の写真。と言っても知識があるわけではありませんが、「平面支承」というタイプと思われます。


上流側からの眺め。


橋台の上へと登って橋を眺めます。レールは撤去されていますが、枕木が残置されたままになっています。長年風雨にさらされているため、すっかりやせ細っています。




それでは対岸側へと移動します。


木曽川橋梁の下流側に架かる道路橋を渡っていきます。橋の名前は「野尻向橋」とあります。


野尻向橋からの下流の眺め。手前が先代橋、奥が先々代橋の跡ということになりますね。


木曽川橋梁の対岸側へとやって来ました。こちら側は鬱蒼とした竹林で眺めがよくありません。






「単線上路プレートガーダー」の上に残っているボロボロの枕木。


右岸側からの眺めです。


「単線上路プレートガーダー」の側面に取り付けられている銘板。「大正十年四月 日本橋梁株式会社 製作 大阪」とあります。


ついでに野尻向橋の先代橋を見てみることにします。

間近で見ると変わった構造をしています。橋の下のホームのような構造物は何のためのものなのでしょうか。


川べりの構造物には階段が設けられています。元は堰堤か取水口で、橋も併設されていたというところでしょうか。


橋の上からの眺め。


最後に中央本線野尻駅に隣接する木曽森林管理署南木曽支署野尻土場の眺め。


かつては周辺の山々から大量に伐採された材木が森林鉄道でこの土場へと搬入され、野尻駅で中央本線の貨物列車へと積み替えられ発送されていたのでしょうね。

Posted at 2022/05/10 22:42:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2022年05月01日 イイね!

野尻森林鉄道 柿其線跡を歩く(1)

2022年3月12日土曜日、長野県木曽郡南木曽町に残る野尻森林鉄道柿其線跡を歩いてきました。

ここを探索しようと思ったのは、3月6日日曜日に木曽谷へドライブへと行った際、立ち寄った柿其水路橋付近で弟が森林鉄道跡にトンネルがあるのを発見しながらも、その日は現地へと近づくことができないまま帰ることになったからです。

南木曽町の木曽川に架かる柿其橋のたもとへとやって来ました。


柿其橋の上から森林鉄道跡がある方向を眺めています。黄色の枠で囲った辺りに森林鉄道跡があります。


柿其橋のたもとにある神社の脇から木曽川の河原へと下ります。


そのまま河原を歩いて、支流の柿其川に架かる橋の下に来ました。


本当はこの橋を渡ることができれば森林鉄道跡が残る対岸へと楽に進めるのですが、この橋は付近にある採石場の私有橋のようで、関係者以外立ち入り禁止となっていました。そのため、河原を歩いて対岸へと渡ることにしたわけです。

河原を石伝いに渡り、採石場の敷地内に入らないように注意しながら急斜面を登って、森林鉄道跡へとやって来ました。登ってきた場所のちょうど目の前にトンネルがありました。


このトンネルは第6号隧道と呼ばれているようです。ご覧のとおり、森林鉄道のトンネルとは思えない立派な石積みの坑門を持つトンネルです。


内部は緩くカーブしています。


通信線用のものか、碍子が残ったままになっています。


内部は側壁が石積み、アーチ部はコンクリートで覆工されています。森林鉄道だと内部は素掘りのままというのがよくあるパターンですが、このトンネルは全面が覆工されています。


反対側へと出てきました。


路盤の上には多くの落石が転がっています。そして左側遠方には関西電力読書発電所の柿其水路橋が見えています。


反対側の坑門です。


3月6日日曜日に訪れた際に引き返した崩落斜面の反対側へと来ました。


行けそうな感じではありますが、もう向こう側へと渡る意味がないですし、やはり滑落が怖いので素直に引き返しました。


引き返した地点からの第6号隧道の眺め。柿其川へと落ち込む右側の急斜面を見てもわかるとおり、険しい場所に造られています。


第6号隧道はこれくらいにして、木曽川の上流方向へと進んでいくことにします。




少々うっとおしい薮を通り抜けていきます。


植林地の中にも森林鉄道の跡が一直線に残っています。


幅の広い場所に出ました。この場所で列車交換でも行っていたのでしょうか。


盛土状の路盤がはっきりとわかります。


谷積みで高く積まれた立派な石積み擁壁です。




同じように石を高く積まれた擁壁が続きます。


右側の落ち込んでいくような急斜面にも、路盤を維持するための石積み擁壁が設けられています。


路盤の上に行く手を塞ぐような大きな落石が転がっています。


ここは落石の上に登って迂回します。




落石がある場所を振り返っての眺め。


また背の高い石積み擁壁です。


露出している岩を避けるように石垣が組まれています。




依然、険しい地形が奥へと続いているのを見て、この先に路盤が残っているのか不安になってきます。




路肩に残っていた境界標石。戦前の宮内省帝室林野局のものです。


玉石積みの擁壁です。この場所のものは、目地にコンクリートなどの「つなぎ」を何も使わずに積み重ねる「空積み」だと思われますが、これだけの規模のものは初めて見ます。


玉石積みでよく見かけるのは、目地をコンクリートなどで埋める「玉石練積み」と呼ばれる手法で造られたもの。玉石の空積みだとイメージ的に土留めとしての機能が弱い気もしますが、今もこのように維持されているということは、これで十分だということなのでしょう。

こちらは下部が玉石の空積み、上部は平らに加工した石を斜面に敷いてあります。上部のような斜面の補強の仕方も見かけません。しかも、石のサイズがバラバラで敷き方に規則性もありません。


擁壁から剥がれ落ちていた玉石。さすがに大きい石です。


ようやく次のトンネルが見えてきました。


第5号隧道です。


坑門の上部は石材が斜めに積まれています。落石や土砂崩れを受け流すためでしょうか。


トンネル坑口からすぐの場所の天井には大穴が開いています。


このトンネルも全面覆工されています。側壁が石積みなのは明らかですが、アーチ部も煉瓦状に加工した石材で巻かれているようです。第6号隧道と違う方法で覆工した理由はわかりませんが。


出口が見えてきました。すでに次のトンネルが見えています。


これは良いですねぇ。とても絵になります(笑)。


先に振り返って、第5号隧道の反対側の坑門。トンネルの前が落石や倒木で物々しいです。


第4号隧道になります。


こちらはご覧のとおりの短いトンネル。それでもしっかり全面覆工してあります。


第4号隧道の反対側の坑門です。トンネル上部の土被り部分が少なく、ロックシェッドといった感じです。


倒木が絡んでいたり、斜面が土砂崩れを起こしたりと、また荒れだしてきました。




橋梁跡が現れました。この深さだと迂回して沢まで下りるしかありません。


一応、写真にある斜面が下りていけそうでしたが、この周辺は真砂土なのか土質がボロボロ・サラサラで踏ん張りが効きません。


実際、写真で見るよりも急斜面なので、踏ん張りが効かなくてそのまま滑り落ちることもあり得ます。今回は大事を取って、ここで引き返すことにしました。

実は夜に知人と飲む約束があったので、これ以上時間を費やすことができないという理由もありましたが(笑)、あくまでも「これは無理したくない。」というのが引き返す理由です。

この先は次回に出直すとして、車へと戻ることにします。しかし、いい風景です(笑)。


第6号隧道まで戻ってきました。ここから左側の斜面を柿其川まで下っていきます。


柿其川の河原です。帰りもこの河原を通って対岸へと渡ります。


柿其橋が見えてきました。あとは神社の境内へと登って、柿其橋を渡っていくだけです。


さて実際のところ、今回は第6号隧道を確認する程度の偵察気分でこの場所へ来たので、距離的には大したことはなかったですが、時間的には足を伸ばし過ぎてしまいました。トンネルがあるのに懐中電灯も持ってきていなかったくらいですからね。

これを書いている時点ではまだ続きの区間を探索してはいませんが、自宅から2時間程度で行けるので、探索ネタが思いつかなくなった時にでも再訪してみたいと思います。なので題名には(1)を付けました。

まあ、橋梁跡の先はさらに困難な状況らしいですが…。
Posted at 2022/05/01 22:21:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2021年07月22日 イイね!

旧篠ノ井線廃線敷遊歩道を歩いてきました

2021年7月17日土曜日、長野県安曇野市にある旧篠ノ井線廃線敷遊歩道を歩いてきました。この遊歩道はJR篠ノ井線明科駅~西条駅の線路付け替えによる旧線廃線跡のうち、明科駅付近から第二白坂隧道までの区間を遊歩道として整備したものです。

とは言っても、今回は遊歩道の散策がメインなわけではなく、トンネルなどの遺構を見るのが目的です。

まずは、漆久保隧道の最寄りとなる駐車場へとやって来ました。遊歩道の路肩に5~6台分ほどのスペースが設けられています。


さっそく、漆久保隧道方面へと歩いていきます。


遠方に漆久保隧道がチラリと見えています。遊歩道は軽く砂利敷きがされており、おそらく当時のものと思われる架線柱が路肩に残されたままになっています。


さて、いきなり漆久保隧道へは向かわず、直前を流れる川に設置されている小沢川橋梁をまず訪れました。




川の中からの眺めです。ちなみに、川へ降りられるようには整備されていないので、普通は上から眺めるだけになると思います。


小沢川橋梁の銘板です。これは内部をコンクリート覆工した工事のものです。名称には「小沢川拱きょう」とあります。


「拱きょう」は拱橋のことでアーチ形状の橋という意味ですね。ここは実際には築堤をくぐる水路トンネルといった感じですが、鉄道ではこのような形状のも含めて「橋梁」に分類しているようです。

この小沢川橋梁の一番の特徴は、正面の壁面部分(スパンドレルと言います。)の煉瓦の積み方です。


煉瓦の小口面を見せている段が、おそらく川の流路に並行するように(全くの憶測ですが。)斜め方向に積まれています。


私は、このような壁面を持つ煉瓦アーチ橋はここしか知りません。独特の景観を持つ非常に珍しいアーチ橋と言えるでしょう。


また、5重のアーチ環もそれぞれの環がずれるように積まれていて、その特徴から内部は「ねじりまんぽ」ではないかと推測もできます。ただ、現在は分厚いコンクリートで覆工されてしまっているので、知るすべがありませんが…。


川の下流側です。こちらも同様の壁面となっています。


築堤を登り直して、ようやく漆久保隧道に到着です。


遊歩道として開放されている区間にはトンネルが2か所あり、この漆久保隧道ともう一つは明科駅付近に三五山隧道(未訪問)があります。

坑門を見ると、壁面の煉瓦がだいぶ劣化しているのがわかります。


トンネル内部にも煉瓦が剥落してしまっている場所が見受けられます。


延長は53mと短く、外光でも内部が十分明るいためか照明は設置されていません。


天井に架線を吊り下げていた碍子が残されています。


反対側の坑門です。こちら側は日当たりが悪いためなのか、苔むした感じです。


せっかくなので、ここから終点の第二白坂隧道まで往復してみることにします。


山側の斜面に土留めのための擁壁が現れました。上を見上げると遊歩道と並行するように平地が見えています。


架線柱に取り付いていたナナフシ。


潮沢信号場跡です。設置されたのは昭和36年(1961年)で、篠ノ井線が明治35年(1902年)に全通していたことを考えると、比較的新しいと言えるでしょう。


スイッチバック式の信号場で、列車の行き違いを行っていました。現役当時の写真が掲示されていました。


西条駅側の引込線跡です。すっかり草むらに埋もれています。


路肩に33.5kmの距離標がありましたが、真新しいので、これは遊歩道として整備された時に設置したものでしょう。


何らかの機器を設置していた台座でしょうかね。


本線と引込線の間にだいぶ高低差が付いてきました。


34kmポストの地点で引込線の終端となりました。と言うことは、引込線の長さは500m以上はあったようです。貨物列車の行き違いも行うわけですからね。


鉄道らしい緩いカーブ。この頃には暑さでだいぶ参ってきていました(笑)。


山側の斜面に設置されていた注意看板。「〇(たぶん牛)・馬・羊などを放牧しないこと。」とあり、「この斜面でそれは無理だろう。」とちょっと笑えました。


ようやく第二白坂隧道前の駐車場に到着。漆久保隧道から30分ほどかかりました。




遊歩道の案内板。漆久保隧道から1.7km歩いてきたようです。


もう少し先へと進んで、第二白坂隧道を見に行きます。




路肩に隠れるようにひっそりと建っている案内板。


第二白坂隧道に到着です。トンネル延長は2094m。明科駅側はご覧のとおり封鎖されています。2018年3月に西条駅側からトンネル内部へと入り、この扉の裏側まで往復しています。


う~ん…、やはりウォーズマンの顔に見えてしまうな(笑)。


もともと坑門は煉瓦積みですが、後年、コンクリートで覆工されたようです。


窓の隙間からとても涼しい風が吹き出してきます。しばらく寄りかかって涼んでいました(笑)。


涼むのはこれくらいにして、1.7km先の漆久保隧道のさらに先にある駐車場まで、また炎天下を歩いていきます。


潮沢信号場跡に立っていた35km/h進入の速度標識。


漆久保隧道を通過。


駐車場へと戻ってきました。帰りは35分ほど掛かりました。歩くペースが落ちたようです。


これで帰宅してもよかったですが、せっかくなのであと2か所、煉瓦造暗渠を探しに行きます。

車に乗り、漆久保隧道近くの駐車場から明科駅側へ700mの所にある「けやきの森自然園」の出入口へと移動してきました。


一つ目の煉瓦造暗渠です(名称不明)。けやきの森自然園の出入口のほぼ真下になります。




やや屈むくらいで入れそうなので、潜ってみることにします。


LEDライトを持ってきていなかったので、スマホのライトを頼りに奥へと進んでいきます。


流路の部分も煉瓦でインバート(トンネル下部のアーチ構造のこと。)が造られていて、疑似的な円形トンネルになっていますね。


奥が土砂で埋まっているのは見えていたので、そんなには入り込まずに引き返してきました。


けやきの森自然園前の駐車スペースへの出入口に残る警報機と遮断機。


踏切跡からさらに明科駅側へと歩くこと15分強。2か所目の煉瓦造暗渠に到着です(こちらも名称不明。)。この時点で時刻は16時13分。沢底は薄暗くなってきています。


こちらの暗渠も先ほどの暗渠と同じく全周を煉瓦で巻き立てられています。


側壁の下部に段々が設けられているのがわずかな違いでしょうか。


ご覧のとおり、こちらの暗渠は貫通しているので、そのまま外へと出ます。


反対側のスパンドレルです。


暗渠内へと入ってきた下流側へと戻ってきました。


やはり1か所目の暗渠よりも丸みが強いですね。


久しぶりに煉瓦造暗渠へと潜りましたが、やはりLEDライトを持ってきていなかったのは失敗でした。内径が小さいので暗くなりがちなのをすっかり忘れていました。

ようやく車へと戻ってきたのは16時46分。すっかり遅くなってしまいました。


この後は、安曇野ICから長野自動車道に乗り、岡谷JCTで中央自動車道名古屋方面へ。

小黒川PAで晩御飯を食べた後、疲れが出てしまって後部座席で仮眠。起きたら19時半を回っていました。結局、帰宅したのは22時過ぎになってしまいました。
Posted at 2021/07/22 22:20:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2021年06月12日 イイね!

天竜浜名湖鉄道 天竜二俣駅へ行ってきました

2021年6月5日土曜日、浜松市天竜区にある天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅へ行ってきました。

ここへ行くなら、新東名高速道路を使えば浜松浜北ICから4kmほどで着きますが、高速道路は使わず、自宅から下道で向かいました。

途中、寄り道した愛知・静岡県境の本坂峠にある旧国道362号「本坂隧道」。1915年(大正4年)の開通で、延長は204.9mあります。







自宅から3時間かけて天竜二俣駅へとやって来ました。



ここへとやって来たのは、駅よりも併設されている車庫が目的。古い扇形車庫と転車台が残っているのです。有料ですが、土・日・祝日は1日2回、車庫の見学ができます。

ただ、今回は見学ツアーへの申し込みはしていないので(そもそも時間も合わせていないし。)、外側から見える範囲での見物です(笑)。

その前に、駅の西側に展示されている古い車両を見に行きます。

ナハネ20。初代ブルートレインである20系客車の一形式ですね。



キハ20。ローカル線で活躍した古い形式のディーゼルカーですね。



駅名板を模した案内板。車両はボランティアの方々が修復にあたっているようで、塗装などに「手作業なんだなぁ。」という雰囲気がよく出ています。



列車がやって来ました。1両での運行ですが、思ったよりも人の乗り降りがあります。観光客や鉄道ファンの方々がまずまず乗車している様子。



駅ホームを東側から眺めています。駅本屋、ホーム上屋とプラットホームは、国の登録有形文化財に指定されています。



駅からやや東側へと離れた場所に車庫があります。



車輌の奥に扇形車庫の屋根が見えています。



近くで見られる場所がないか探すため、車庫へ向かい歩いていってみます。

車庫の東側にある跨線橋からの眺め。大木が目隠しになってしまっていますね…。



扇形車庫を正面から見られるような場所はありませんでしたが、遠目からですが転車台を見ることができました。



さらに車庫に沿って歩いていくと現れる高架貯水槽。これも国の登録有形文化財に指定されています。かつては、蒸気機関車への給水に活躍したことでしょう。



「音街ウナ」という浜松市出身のバーチャルアイドルのラッピング車両だそうです。いろんなキャラクターがいるので、頭が全然追いつかないですね(笑)。





駅本屋とは反対側まで来ました。



駅ホームと天竜二俣駅の駅名板。



駅の西側に留置されていたレール運搬車。「JR東海」のロゴが入っていましたが、貸出車両なのかな。



駅の西側に残る旧光明電気鉄道の二俣口駅のホーム跡。



光明電気鉄道は昭和戦前期に磐田市の新中泉駅から二俣町駅間19.8kmを結んでいましたが、多大な投資、経営資金の不足、世界恐慌の影響などにより実質5年の営業で終わったそうです。

復刻した駅名板と説明板も設置されています。



駅まで戻ってきました。ディーゼルカーが3両も停車しています。



これで天竜二俣駅周辺を1周したので引き上げます。今度来ることがあれば、ちゃんと時間を合わせて車庫見学したいですね。

さて、帰り道ですが、天竜川沿いを国道152号で北上して、佐久間から新城方面へと通り抜けることにします。

国道152号大輪橋。



何か曰くのある橋という訳ではなく、弟が橋のたもとにトイレを見つけたので立ち寄っただけです(笑)。



この後は、JR飯田線の駅へ2か所立ち寄り。

中部天竜駅。飯田線の山間部の拠点駅であり、そのためか駅員が勤務している駅となっています。



駐車場の車止めに再利用されていたコンクリート枕木。



各地でよく見かける県道の「停車場線」ですね。この路線は中部天竜駅で終点なので、「中部天竜停車場線」となっています。



浦川駅。中部天竜駅から豊橋方面へ向かって3つ目の駅です。ここは無人駅になります。







ホームの先端から豊橋方面を撮影。手前部分はガードになっていて、県道1号がくぐっています。佐久間ダムへのドライブで何度も通っているガードです。



ホームからの浦川地区の集落の眺め。浦川は、周辺での林業が盛んだった大正から昭和戦前期(何かの本で読んだ記憶なので、間違っていたらすみません。)に大変栄えていたそうです。



今は駅前も寂しい山間の一集落です(と言っても、深い山の中を走ってくるとちょっとした街ではありますが。)。

Posted at 2021/06/12 18:49:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記

プロフィール

「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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