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小林あにのブログ一覧

2019年11月17日 イイね!

道の駅 信州新野千石平までドライブしてきました

11月17日日曜日、弟の誘いで母を含めた3人で我が家の定番ドライブ先である道の駅「信州新野千石平」までドライブしてきました。

最初に寄り道したのは静岡県浜松市天竜区にある佐久間ダム。




特に言うべきことも無いので、写真を貼り付けておきます(笑)。










引き続き、佐久間ダム湖畔を忠実にトレースする県道1号線を走行。

ちょっと休憩ということで、今度はJR飯田線大嵐駅へ立ち寄ります。


ちょうど駅を通過していった特急伊那路号。通過の割にはものすごく徐行していきました。


大原トンネルの坑口。駅構内がトンネルとトンネルに挟まれて狭いので、トンネル内に出発信号機とポイントがあります。


前回訪れた時に行ったダム湖へと沈む階段へまた行きました。おそらく、佐久間ダムができる以前に旧富山村と大嵐駅を結んでいた道の名残りなのでしょう。






前回来た時よりも水位が低かったですね。川岸には大量の泥が堆積していました。






階段と大嵐駅の間の道。




鷹巣橋。




大嵐駅へと戻り、少しのんびりしていたら現れたのが「飯田線秘境駅号」。


15分ほど停車している間に、乗客のみなさん、駅や電車の写真を撮ったり、駆け足で鷹巣橋や夏焼トンネル(道路転用された旧飯田線のトンネル。)へ向かったりしたようでした。


この後は、県道1号、国道418号と走り、道の駅へ。紅葉シーズンということもあり大変混雑していましたが、お昼御飯を食べて帰宅しました。
Posted at 2019/11/18 00:04:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年10月14日 イイね!

出雲大社・旧大社駅・一畑口駅・松江城を巡りました

2019年10月13日日曜日、弟と二人で島根県の出雲大社と松江城を目指してドライブに出かけてきました。

自宅を出発したのは、台風からの吹き返しが残る13日午前1時前。伊勢湾岸道で強風による50km/h規制が出ており、三重県内からは再び雨が降り出していましたが、それ以外の規制はなく、新名神、名神、新名神、中国道というルートで順調に進みます。米子道に入る頃には雨も止み、米子市内まで来ると晴れ間も見えるようになってきました。

最初にやって来たのは、島根県出雲市にあります出雲大社。


何年ぶりですかね、もう憶えていませんね(笑)。

やはり参拝客が多いですね。個人や家族連れ、団体旅行といったいろいろな方たちが来ています。結婚式や七五三参りと思われる方も目立ちますね。

お宮によっては参拝の人が行列を作っている所もあり、なかなか盛況でした。




















けっこうな時間をかけてここまでやって来ましたが、本殿の周りを一周して「もういいかな。」という感じ。


出雲大社宝物殿を見物してから、隣接する場所にある島根県立古代出雲歴史博物館へと行ってみます。




ここで一番目を引いたのは、荒神谷遺跡出土の大量の銅剣群と加茂岩倉遺跡出土のこれまた大量の銅鐸群ですね。




見物を終えて、駐車場へと戻ります。途中にある出雲大社の参道。




さて、当初予定では次に向かうのは松江城でしたが、1か所、ご近所へ寄り道します。

旧大社駅。平成2年(1990年)に廃止されたJR大社線の終着駅です。


廃線後も駅舎と駅構内はそのまま保存されています。

駅舎は、大正13年(1924年)完成のもので、国の重要文化財に指定されています。




駅舎内は広々としていて、多くの乗降客に対応できるような造りになっています。天井も大変高く、格天井からはシャンデリアが吊るされています。


切符売り場だそうです。こちらも大変意匠が凝っています。


後年は観光案内所になっていたのですかね。


「きっぷうりば」。自動発券機が当たり前なので、このスタイルの切符売り場は全然見かけなくなりました。


大社駅出発列車の時刻表。廃止当時のものですかね。


ホームへと出てみます。


駅名板。「駅長事務室」の行灯も残っています。


駅ホームからは出雲大社の大鳥居を眺めることができます。


ホームにある構内通路の階段の蓋には因幡の白兎が描かれています。


当時は、機関車や列車の入れ替えのためにもう少し先まで線路が伸びていたそうです。


駅構内は、ホーム2面3線にもう1線側線が残っています。


ホーム下や線路の間の溝に梃子装置の滑車が残されていました。信号機用か転轍機用か、はたまた両方の連動用かはわかりませんが。




かつての改札口です。風雨への対策と防犯上の理由でしょうが、今は板で目張りされてしまっています。木組みの改札柵が懐かしいです。


こちらは団体客用の改札口でしょう。これだけのスペースを確保する必要があるほど、かつては鉄道で参拝客がやって来ていたわけですね。


出雲市駅側の線路は、横断する道路の部分でブッツリと切られています。


駅構内を眺めます。


構内には1両だけ保存車両が展示されています。かつては出雲大社内に展示されていたD51 774号機です。


もう少しいろいろとチェックしたいところですが、そろそろ次の場所へと移動です。


出雲大社からは、国道431号で宍道湖の北岸を走り、松江城へと向かいます。

しかし、またしても途中でとある駅へと立ち寄ります。私がハンドルを握っているので、寄り道の主導権も私にあります(笑)。

一畑電車北松江線一畑口駅です。




余談ですが、私の住む安城市の隣の岡崎市には「一畑山薬師寺」という寺院がありますが、この駅から北に向かうとある「醫王山一畑寺(一畑薬師)」が本山になります。

話は戻りますが、この駅、平地にありますがなぜかスイッチバック式の駅となっています。


写真左側が松江市方面、写真右側が出雲市駅・出雲大社方面になります。


この路線は、名前のとおり一畑薬師への参詣客を輸送することを主目的に建設されたものです。最初に開通したのが出雲市駅からの路線。その後に松江市と一畑薬師を結ぶ路線が開通。当時は松江市と出雲市駅を直接結ぶことは考慮されていなかったので、両方からの線路が一畑薬師へ向かう形になり、結果的にスイッチバックとなりました。

駅構内の写真です。










この駅から一畑薬師の最寄り駅である一畑駅までの路線は、戦時中の不要不急路線に指定されたため、昭和19年(1944年)に線路が撤去され、昭和35年(1960年)に復活することなく廃止されました。

駅から先へもう少しだけ線路が残っています。


ここまで電車が入ることがないためか、転轍機上部の標識灯が外されています。




線路の終端です。車止めが設置され、その先は道路となっています。


終端側からの駅構内の眺め。ホーム2面3線。ローカル線の拠点駅のお手本のような配線です。




いい加減、弟が車中で退屈して居眠りしているので、松江市内へと移動再開です。

さて、移動に使った国道431号は道中のほとんどが宍道湖畔を走るルートで、なかなか風光明媚なわけですが、結局、宍道湖の写真は1枚も撮りませんでした(笑)。

松江城に近い駐車場へ到着したのは14時半も回った頃。ここから松江城へと700mほど歩いて移動です。

松江城を取り囲む堀。堀や水路を巡る観光船が通過していきます。


間違って隣接する神社に入り込んだりしましたが、何とか城内へと入り込んでいきます。


松江城の本丸に到着しました。


松江城天守です。ここも以前いつ頃来たのか記憶があいまいです(笑)。


松江城天守は慶長16年(1611年)の完成。平成27年(2015年)に国宝へと指定されました。


天守内は見学できるので、当然見学いたします。

最上階の様子。


眺めいいですねぇ。松江市街地と宍道湖が良く見えます。


最後にまた正面と側面の写真を。




ここで時刻はもう16時。すっかり疲れてしまったので、正面側へは降りていかず、登って来た北側へとそのまま下って駐車場へと戻りました。

このあとは、国道9号沿いで晩御飯を何か適当に食べようとお店を探しましたが、結局米子市街地までそのまま走る羽目になり、ファミレスで食べることになりました(笑)。

帰り道は、米子から米子道には乗らず、鳥取市方面へ向けて山陰道へと直進(「どうせ翌日も休みだし、こんな機会がないと山陰地方の道路は走らない。」という、毎度の「悪い病気」が発症(笑)。)。

鳥取市内からは国道9号で兵庫県内へと入り、蒲生峠(蒲生トンネル:1745m)、春来峠(春来トンネル:1696m)、八井谷峠(但馬トンネル:延長1256mとループ橋)の3つの急坂な峠を越え(本当、パジェロミニでは厳しかった!)、養父市八鹿町の八鹿氷ノ山ICから北近畿豊岡道に乗り、やっと一息つけました。

これで安心したのか急に眠気が起きてきて堪え切れず、途中の青垣ICで下りて道の駅へ(PAが無いので。)。ここで弟と運転交替。舞鶴道に出るまでは道案内しないといけないので何とか起きていましたが、舞鶴道に入ったところで眠りにつきました。

このあと、宝塚北SA、鈴鹿PAと休憩を挟みながら走り続けましたが、ついに湾岸長島PAで二人とも力尽き、朝まで眠ることになりました(笑)。

帰宅したのは5時半頃。30分くらいそのままくたばっていましたが、何とか風呂に入ってようやく布団で寝ることができました(笑)。
Posted at 2019/10/14 20:37:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年10月06日 イイね!

名古屋市 市電・地下鉄保存館へ行ってきました

2019年10月6日日曜日、愛知県日進市にある「名古屋市 市電・地下鉄保存館(レトロでんしゃ館)」へ行ってきました。




弟が大工現場へ行くために付近を通ることがままあり、今まで気になっていたそうです。名古屋市交通局の施設ですが、所在地は日進市。地下鉄の日進工場に併設されているためです。

現在、同館に保管されている車両は、市電の代表的車輌であった1400型、2000型、3000型の3両と地下鉄開業時から走行していた100形2両です。

そのほかに鉄道・車両に関するグッズ類や鉄道模型が展示されています。

まずは、1400型1421号。昭和13年(1938年)製造の車両です。


昭和11年(1936年)から昭和17年(1942年)にかけて75両が製造されて、昭和49年(1974年)の名古屋市電の廃止まで活躍しました。

「ワンマンカー」の行灯。作り直した品なのかとてもきれい。


車両下部の排障器。こんな所に装備されているとは知りませんでした。


運転台。いたってシンプルです。


ワンマン化に伴って追加されたスイッチ類のようです。


ブレーキレバーと窓枠へと通ずる細い配管。


これはワイパーだったのでしょうか?ワイパーブレードが無いので、何とも言えませんが、ブレーキの配管と細い配管がつながっているところから見ると空気圧で駆動していた?見当違いの憶測かもしれませんけど。


乗降用ドアの開閉用継ぎ手。


つり革。


吊り広告。


室内灯。古い車両でよく見かける形状のものです。


客室内です。木張りの床が落ち着きますね。シートにも自由に座れるので、お子さん連れのお父さん・お母さんがけっこう居眠りしていました(笑)。




こちらは、連接車の3000型3003号車。昭和19年(1944年)に輸送力増強のために10両が製造されました。


パンタグラフ昇降用のロープとリール。


ヘッドライト。


車両の連接部分。




シート下のパネルには、暖房放熱用のためか穴が開いています。


戦中の車両なので、当然木張りの床。


運転台は素っ気ない造り。


マスコン(主幹制御器)とブレーキレバー。




客室内。


つり革。


吊り広告。


室内灯。小型の蛍光灯かと思いましたが、管形状の電球らしいです。末端部が細く成形されています。


「信鈴」。車掌が乗務していた頃に使用されていたものでしょう。多分、乗降時の安全確認ができたら鳴らしていたのだと思います。


名鉄だと「チンチン。」という鈴の音、JR東海だと「ブー。」というブザー音が使われています。

車体番号と製造メーカーのプレート。


説明板だと昭和19年製造とありましたが、プレートには昭和18年とありますね。どういう違いなのでしょうか?ちなみに「木南車輌製造」というメーカーはすでに存在していません。

連接部分の円盤。普通の電車と違い、この真下に台車があるわけです。


乗降用ドアとシートのひじ掛け。レストアされているとはいえ、粗製乱造が当たり前の戦時中のものとは思えない丁寧な造りです。


乗降用ドアの開閉用継ぎ手。


運転台窓のワイパー。


行き先表示板の字幕。


定期検査表。


注意喚起文のプレート。




行き先表示のプレートと系統番号のプレートでしょうか。


2000型2017号車。昭和31年(1956年)から昭和33年(1958年)にかけて29両が製造されました。


今までの2車種に比べて、今時っぽいレイアウトの運転台。楕円寸胴形のマスコンは前時代的ですが(笑)。


シートには、落ち着いた色調を用いていた2車種に対して赤色を使用。


地下鉄100形107号車。昭和32年(1957年)の地下鉄開業時から使用されていた車両です。


トンネル内高を抑えるため、パンタグラフによる空中架線からの集電ではなく、通電している第三軌条から集電する方式を採用しています。


第三軌条線を支える碍子。茶色でつやつやしていて茶釜のような形状。NGKのロゴが入っています。


客室内の様子。質素な感じはありますが、レイアウト的には現行の車両と大差はありません。




当然エアコンは無く、天井にあるのはベンチレーターのみ。


製造は日本車輌会社。現在の日本車輌製造です。


運転台。速度メーターの目盛りは最高80km/h。地下鉄のような駅間距離が短い鉄道は、最高速よりも加減速性能が重視されますからね。


自動放送用のカセットデッキでしょうか?カセットテープが巨大です。


車両側面は、下部まで外板が覆っています。これは今まで気が付きませんでした。


かつて使用されていた運行管理用の大型パネル。


最後に路面電車用のレール。形状は本で知っていますが本物は初めて見ます。


道路に埋め込んで使用することと、そのために容易には交換できないことを前提にした特殊形状となっています。サイズも大型です。


事前にホームページでチェックした時は、小規模な施設で車種も少なかったのであまり期待していませんでしたが、結局大いに楽しませてもらいました(笑)。
Posted at 2019/10/07 00:55:16 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年09月01日 イイね!

長滝白山神社・白山長瀧寺、北濃駅、阿弥陀ヶ滝を巡りました

今日は、母と弟を誘って、岐阜県郡上市白鳥までドライブに出かけてきました。

最初にやって来たのは、長滝白山神社・白山長瀧寺。



白山信仰における旧美濃国側の拠点となっていた社寺で、江戸時代までは神仏習合の寺院として「白山中宮長瀧寺」と称していましたが、明治時代の神仏分離令により、現在のように神社と寺院に分かれたそうです。

さっそく、鳥居をくぐり、参道を歩いていきます。









参道の階段を登りきると正面にあるのがこの石灯篭。



鎌倉時代の正安4年(1302年)に寄進されたと銘記されているそうで、国の重要文化財に指定されています。

こちらは拝殿です。ここの社寺の建物群は、明治32年(1899年)の大火により全焼してしまっており、多くは大正年間に再建されたものだそうです。



拝殿の内部です。



拝殿の天井に1か所だけ天井板が外されて、滑車が見えている所があります。



毎年1月6日に行われる「六日祭」の中で行われる「花奪い(はなばい)」の際に、花笠を吊るすためのものですね。毎年、天井から吊るされた花笠の花を奪い合う光景がニュースとして流されています。

こちらは、拝殿の奥にある本社のうちの白山大御前社です。



こちらは白山長瀧寺です。明治の大火の前は、さらに大きな建物であったそうです。



神仏分離令の影響を受けた社寺は、寺院が破却されたり、移転させられたりしていますが、ここの社寺は今も同じ敷地内に神社と寺院に分かれながらも存立しています。



あとは、境内にある「白山瀧宝殿」を見物したかったのですが、入場券売り場で何度も声をかけても誰も出てきてくれず、あきらめて車へと戻りました。

さて、次にやって来たのは、長良川鉄道北濃駅。長良川鉄道の終着駅です。





開業は昭和9年(1934年)。現在は、終端の駅ながら無人駅となっています。



ホームは1面2線ですが、写真左側の線路は使用されていません。



駅名標です。落書きされてしまっているのが残念です。



駅舎と反対側の構内に転車台が残されています。手動で転回させる方式で、国の登録有形文化財に指定されています。





主桁にある銘板です。現地の説明板によると、明治35年(1902年)アメリカ製で、元々、岐阜駅で使われていたものを北濃駅の開業に合わせて移設したものだそうです。



今度は、駅の先にある線路を追っていきます。現在はホームの先に車止めがあり、列車はそれ以上進めませんが、レールは奥へと続いています。



駅構内からの線路が集合する地点からホーム側を振り返ります。



この先は草に埋もれながらもレールが続いています。



やがて行き止まりとなり線路は終わりました。



予定では、この先、石徹白地区を経由して福井県側へと山越えをしていく計画だったそうですが、着手された様子は感じられません。この先の地形は険しく、ある意味当然と言えるかもしれません。

駅周辺を歩き回っているうちに列車がやって来ました。



ナガラ500形502号 観光列車「ながら 川風号」ですね。到着したばかりなので、行き先表示が「北濃」となっています。



折り返しで行き先表示が「美濃太田」に変わりました。



車体側面のエンブレム。



乗客のみなさんも折り返しまでの間、車両や駅構内を見て回っています。



ホームを離れて、美濃太田方のポイントまでやって来ました。保線小屋でしょうか?古い小屋が線路脇に建っています。



建物財産標と思しきものが見えたので、望遠で撮ってみたところ、なんと昭和17年(1942年)3月の登記!少なくとも築77年以上は経っている小屋ということです。



小屋の中には、わずかながら物品が置かれているのが見えますが、戸は開き、ガラス窓もガラスが外れてひしゃげたままなので、もう利用はしていないかもしれません。

駅構内への出入りを振り分けるためのポイントですが、転轍機自体は撤去されてしまって、一方向に固定されてしまっています。



さらに進むと勾配標がありました。「L」は水平を表すので、腕木も水平にしてあるのが普通ですが、垂れ下がったままになっています。



駅直近の踏切。警報機はありますが、遮断機はありません。



線路沿いを歩くのはこれくらいにして、駅へと戻ります。途中にある72キロポスト。北濃駅の位置は、始点である美濃太田駅から72.1kmの地点となります。



ホームまで戻ってきました。ふたたび移動を開始します。



最後にやって来たのは、阿弥陀ヶ滝。北濃地区から石徹白地区へ向かう途中にあります。



滝へと向かう散策路の途中にある阿弥陀堂。



滝が見えてきました。山深いので、お約束の「熊出没注意」。



阿弥陀ヶ滝です。落差が約60mあるそうです。







最近は雨の日が続いたためか、なかなかの水量。近くにいると水しぶきと風圧がけっこう来ます。



いろいろなアングルで写真を撮ってみましたが、当然ながら水しぶきを浴びて水滴だらけの写真ばかりになり、あきらめました。

帰り道の途中で撮った無名の小滝。



このあたりで14時といい時間になったので、翌日は仕事もあることだし帰ることにします。

ただ、小腹も減ったので、近くの道の駅「白山文化の里長滝」へ立ち寄り。



併設されている「白山文化博物館」も見学しました。



帰り道は、白鳥ICから東海北陸道に上がりましたが、美並IC-美濃IC間で事故渋滞ということで、郡上八幡ICから美濃ICまでは国道156号へ迂回。

東海北陸道ができてからは全然通らなくなった国道156号ですが、久しぶりに長良川沿いの快適路をのんびりと走ることができました。
Posted at 2019/09/01 23:49:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年08月27日 イイね!

田原市までドライブしてきました

今日もお休みで(最近、週3日出勤です(笑)。)、ひとり豊橋鉄道渥美線でも乗ってこようかと出かける支度をしていたところ、母に「どこか出かけるなら連れてって。」と言われ、急きょ予定変更。渥美半島にある田原市までドライブすることにしました。

やって来たのは、サンテパルクたはら。



「農業公園」というテーマで造られた施設ですが、わざわざここへとやって来た理由はこれ。



この施設に展示されている豊橋鉄道の電気機関車と電動貨車が目的。

私は展示車両を見て、母には産直コーナーで野菜でも買ってもらえば良かろうという算段です(笑)。

さっそく、展示車両を見物します。

電気機関車「デキ211」。1925年(大正14年)製で、1997年(平成9年)に廃車となったそうです。貨物輸送や車庫での入れ替え作業に従事しました。



いわゆる凸型電気機関車ですね。



「211」の書体が何となく名鉄の車両っぽいです(断言できる知識はないので。)。



車内も見物できるので乗り込んでみます。

運転台は線路に対して横向きに設置されています。これならば、運転士が首を向ける方向を変えるだけで前後どちらにもすぐに走行可能です(笑)。



ボンネット?下の部分には色々な機器やタンクが設置されています。



しかし、片方のボンネット?下はがらんどう…。機器類を撤去した感じは無く、思わず「えっ、なんで?凸型はこういうもんなの?」と口に出てしまいました(笑)。



地方私鉄で扱うような小さな電気機関車なので、運転室の見物はあっけなく終了。最後にとりあえずパンタグラフを撮っておきます。



次は、電動貨車「デワ11」。元々は、1923年(大正12年)製の電車でしたが、貨物輸送増強のために1943年(昭和18年)に電動貨車に改造されたそうです。1997年(平成9年)に廃車となりました。



貨物輸送用には能力不足だったようで、早々に駅や車庫での貨車や電車の入れ替え作業がメインになったそうです。結果的には、それが長生きにつながりました。

側面は、窓があることを除けば貨車ですね。



「豊橋」とあるのは、豊橋鉄道所属という意味でしょうか。



貨車なので、室内はすっきりとしています。



天井も外板が剥き出し。作業灯なのか白熱灯が付いています。



運転台の装備もいたって簡素で主幹制御器とハンドルを回して制動する手ブレーキのみ。座席すらありません。



主幹制御器には「東洋電機製造株式会社」の刻印があります。



運転室の天井部は、板材を曲げ加工してあります。



電動貨車。今となっては珍しい存在です。



最後に、公園に隣接する芦ヶ池を。



私は展示車両を満喫できたし、母もひとまず満足したようで、帰路につきます。

途中、1か所だけ寄り道。豊橋鉄道渥美線の老津駅にやって来ました。



この駅の東の外れに車両基地の予定地として引かれたレールが残っていると、ある方の記事を読みやって来ました。

確かに渥美線の脇に何本か雑草に埋もれたレールが見えています。



しかし、これは草が枯れる冬にでも出直した方がよさそうですね。



老津駅周辺を歩き回っている時にまたも雨が…。傘を持ってきていなかったのでずぶ濡れになりましたが、もはやそんなことは慣れっこなので、気にも留めませんでしたけどね。

結局、その後はずっと雨。最後に母の買い物に付き合ってから帰りました。

Posted at 2019/08/27 22:10:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記

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「岩村城へ行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48593295/
何シテル?   08/11 11:50
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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