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小林あにのブログ一覧

2019年10月06日 イイね!

名古屋市 市電・地下鉄保存館へ行ってきました

2019年10月6日日曜日、愛知県日進市にある「名古屋市 市電・地下鉄保存館(レトロでんしゃ館)」へ行ってきました。




弟が大工現場へ行くために付近を通ることがままあり、今まで気になっていたそうです。名古屋市交通局の施設ですが、所在地は日進市。地下鉄の日進工場に併設されているためです。

現在、同館に保管されている車両は、市電の代表的車輌であった1400型、2000型、3000型の3両と地下鉄開業時から走行していた100形2両です。

そのほかに鉄道・車両に関するグッズ類や鉄道模型が展示されています。

まずは、1400型1421号。昭和13年(1938年)製造の車両です。


昭和11年(1936年)から昭和17年(1942年)にかけて75両が製造されて、昭和49年(1974年)の名古屋市電の廃止まで活躍しました。

「ワンマンカー」の行灯。作り直した品なのかとてもきれい。


車両下部の排障器。こんな所に装備されているとは知りませんでした。


運転台。いたってシンプルです。


ワンマン化に伴って追加されたスイッチ類のようです。


ブレーキレバーと窓枠へと通ずる細い配管。


これはワイパーだったのでしょうか?ワイパーブレードが無いので、何とも言えませんが、ブレーキの配管と細い配管がつながっているところから見ると空気圧で駆動していた?見当違いの憶測かもしれませんけど。


乗降用ドアの開閉用継ぎ手。


つり革。


吊り広告。


室内灯。古い車両でよく見かける形状のものです。


客室内です。木張りの床が落ち着きますね。シートにも自由に座れるので、お子さん連れのお父さん・お母さんがけっこう居眠りしていました(笑)。




こちらは、連接車の3000型3003号車。昭和19年(1944年)に輸送力増強のために10両が製造されました。


パンタグラフ昇降用のロープとリール。


ヘッドライト。


車両の連接部分。




シート下のパネルには、暖房放熱用のためか穴が開いています。


戦中の車両なので、当然木張りの床。


運転台は素っ気ない造り。


マスコン(主幹制御器)とブレーキレバー。




客室内。


つり革。


吊り広告。


室内灯。小型の蛍光灯かと思いましたが、管形状の電球らしいです。末端部が細く成形されています。


「信鈴」。車掌が乗務していた頃に使用されていたものでしょう。多分、乗降時の安全確認ができたら鳴らしていたのだと思います。


名鉄だと「チンチン。」という鈴の音、JR東海だと「ブー。」というブザー音が使われています。

車体番号と製造メーカーのプレート。


説明板だと昭和19年製造とありましたが、プレートには昭和18年とありますね。どういう違いなのでしょうか?ちなみに「木南車輌製造」というメーカーはすでに存在していません。

連接部分の円盤。普通の電車と違い、この真下に台車があるわけです。


乗降用ドアとシートのひじ掛け。レストアされているとはいえ、粗製乱造が当たり前の戦時中のものとは思えない丁寧な造りです。


乗降用ドアの開閉用継ぎ手。


運転台窓のワイパー。


行き先表示板の字幕。


定期検査表。


注意喚起文のプレート。




行き先表示のプレートと系統番号のプレートでしょうか。


2000型2017号車。昭和31年(1956年)から昭和33年(1958年)にかけて29両が製造されました。


今までの2車種に比べて、今時っぽいレイアウトの運転台。楕円寸胴形のマスコンは前時代的ですが(笑)。


シートには、落ち着いた色調を用いていた2車種に対して赤色を使用。


地下鉄100形107号車。昭和32年(1957年)の地下鉄開業時から使用されていた車両です。


トンネル内高を抑えるため、パンタグラフによる空中架線からの集電ではなく、通電している第三軌条から集電する方式を採用しています。


第三軌条線を支える碍子。茶色でつやつやしていて茶釜のような形状。NGKのロゴが入っています。


客室内の様子。質素な感じはありますが、レイアウト的には現行の車両と大差はありません。




当然エアコンは無く、天井にあるのはベンチレーターのみ。


製造は日本車輌会社。現在の日本車輌製造です。


運転台。速度メーターの目盛りは最高80km/h。地下鉄のような駅間距離が短い鉄道は、最高速よりも加減速性能が重視されますからね。


自動放送用のカセットデッキでしょうか?カセットテープが巨大です。


車両側面は、下部まで外板が覆っています。これは今まで気が付きませんでした。


かつて使用されていた運行管理用の大型パネル。


最後に路面電車用のレール。形状は本で知っていますが本物は初めて見ます。


道路に埋め込んで使用することと、そのために容易には交換できないことを前提にした特殊形状となっています。サイズも大型です。


事前にホームページでチェックした時は、小規模な施設で車種も少なかったのであまり期待していませんでしたが、結局大いに楽しませてもらいました(笑)。
Posted at 2019/10/07 00:55:16 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年09月01日 イイね!

長滝白山神社・白山長瀧寺、北濃駅、阿弥陀ヶ滝を巡りました

今日は、母と弟を誘って、岐阜県郡上市白鳥までドライブに出かけてきました。

最初にやって来たのは、長滝白山神社・白山長瀧寺。



白山信仰における旧美濃国側の拠点となっていた社寺で、江戸時代までは神仏習合の寺院として「白山中宮長瀧寺」と称していましたが、明治時代の神仏分離令により、現在のように神社と寺院に分かれたそうです。

さっそく、鳥居をくぐり、参道を歩いていきます。









参道の階段を登りきると正面にあるのがこの石灯篭。



鎌倉時代の正安4年(1302年)に寄進されたと銘記されているそうで、国の重要文化財に指定されています。

こちらは拝殿です。ここの社寺の建物群は、明治32年(1899年)の大火により全焼してしまっており、多くは大正年間に再建されたものだそうです。



拝殿の内部です。



拝殿の天井に1か所だけ天井板が外されて、滑車が見えている所があります。



毎年1月6日に行われる「六日祭」の中で行われる「花奪い(はなばい)」の際に、花笠を吊るすためのものですね。毎年、天井から吊るされた花笠の花を奪い合う光景がニュースとして流されています。

こちらは、拝殿の奥にある本社のうちの白山大御前社です。



こちらは白山長瀧寺です。明治の大火の前は、さらに大きな建物であったそうです。



神仏分離令の影響を受けた社寺は、寺院が破却されたり、移転させられたりしていますが、ここの社寺は今も同じ敷地内に神社と寺院に分かれながらも存立しています。



あとは、境内にある「白山瀧宝殿」を見物したかったのですが、入場券売り場で何度も声をかけても誰も出てきてくれず、あきらめて車へと戻りました。

さて、次にやって来たのは、長良川鉄道北濃駅。長良川鉄道の終着駅です。





開業は昭和9年(1934年)。現在は、終端の駅ながら無人駅となっています。



ホームは1面2線ですが、写真左側の線路は使用されていません。



駅名標です。落書きされてしまっているのが残念です。



駅舎と反対側の構内に転車台が残されています。手動で転回させる方式で、国の登録有形文化財に指定されています。





主桁にある銘板です。現地の説明板によると、明治35年(1902年)アメリカ製で、元々、岐阜駅で使われていたものを北濃駅の開業に合わせて移設したものだそうです。



今度は、駅の先にある線路を追っていきます。現在はホームの先に車止めがあり、列車はそれ以上進めませんが、レールは奥へと続いています。



駅構内からの線路が集合する地点からホーム側を振り返ります。



この先は草に埋もれながらもレールが続いています。



やがて行き止まりとなり線路は終わりました。



予定では、この先、石徹白地区を経由して福井県側へと山越えをしていく計画だったそうですが、着手された様子は感じられません。この先の地形は険しく、ある意味当然と言えるかもしれません。

駅周辺を歩き回っているうちに列車がやって来ました。



ナガラ500形502号 観光列車「ながら 川風号」ですね。到着したばかりなので、行き先表示が「北濃」となっています。



折り返しで行き先表示が「美濃太田」に変わりました。



車体側面のエンブレム。



乗客のみなさんも折り返しまでの間、車両や駅構内を見て回っています。



ホームを離れて、美濃太田方のポイントまでやって来ました。保線小屋でしょうか?古い小屋が線路脇に建っています。



建物財産標と思しきものが見えたので、望遠で撮ってみたところ、なんと昭和17年(1942年)3月の登記!少なくとも築77年以上は経っている小屋ということです。



小屋の中には、わずかながら物品が置かれているのが見えますが、戸は開き、ガラス窓もガラスが外れてひしゃげたままなので、もう利用はしていないかもしれません。

駅構内への出入りを振り分けるためのポイントですが、転轍機自体は撤去されてしまって、一方向に固定されてしまっています。



さらに進むと勾配標がありました。「L」は水平を表すので、腕木も水平にしてあるのが普通ですが、垂れ下がったままになっています。



駅直近の踏切。警報機はありますが、遮断機はありません。



線路沿いを歩くのはこれくらいにして、駅へと戻ります。途中にある72キロポスト。北濃駅の位置は、始点である美濃太田駅から72.1kmの地点となります。



ホームまで戻ってきました。ふたたび移動を開始します。



最後にやって来たのは、阿弥陀ヶ滝。北濃地区から石徹白地区へ向かう途中にあります。



滝へと向かう散策路の途中にある阿弥陀堂。



滝が見えてきました。山深いので、お約束の「熊出没注意」。



阿弥陀ヶ滝です。落差が約60mあるそうです。







最近は雨の日が続いたためか、なかなかの水量。近くにいると水しぶきと風圧がけっこう来ます。



いろいろなアングルで写真を撮ってみましたが、当然ながら水しぶきを浴びて水滴だらけの写真ばかりになり、あきらめました。

帰り道の途中で撮った無名の小滝。



このあたりで14時といい時間になったので、翌日は仕事もあることだし帰ることにします。

ただ、小腹も減ったので、近くの道の駅「白山文化の里長滝」へ立ち寄り。



併設されている「白山文化博物館」も見学しました。



帰り道は、白鳥ICから東海北陸道に上がりましたが、美並IC-美濃IC間で事故渋滞ということで、郡上八幡ICから美濃ICまでは国道156号へ迂回。

東海北陸道ができてからは全然通らなくなった国道156号ですが、久しぶりに長良川沿いの快適路をのんびりと走ることができました。
Posted at 2019/09/01 23:49:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年08月27日 イイね!

田原市までドライブしてきました

今日もお休みで(最近、週3日出勤です(笑)。)、ひとり豊橋鉄道渥美線でも乗ってこようかと出かける支度をしていたところ、母に「どこか出かけるなら連れてって。」と言われ、急きょ予定変更。渥美半島にある田原市までドライブすることにしました。

やって来たのは、サンテパルクたはら。



「農業公園」というテーマで造られた施設ですが、わざわざここへとやって来た理由はこれ。



この施設に展示されている豊橋鉄道の電気機関車と電動貨車が目的。

私は展示車両を見て、母には産直コーナーで野菜でも買ってもらえば良かろうという算段です(笑)。

さっそく、展示車両を見物します。

電気機関車「デキ211」。1925年(大正14年)製で、1997年(平成9年)に廃車となったそうです。貨物輸送や車庫での入れ替え作業に従事しました。



いわゆる凸型電気機関車ですね。



「211」の書体が何となく名鉄の車両っぽいです(断言できる知識はないので。)。



車内も見物できるので乗り込んでみます。

運転台は線路に対して横向きに設置されています。これならば、運転士が首を向ける方向を変えるだけで前後どちらにもすぐに走行可能です(笑)。



ボンネット?下の部分には色々な機器やタンクが設置されています。



しかし、片方のボンネット?下はがらんどう…。機器類を撤去した感じは無く、思わず「えっ、なんで?凸型はこういうもんなの?」と口に出てしまいました(笑)。



地方私鉄で扱うような小さな電気機関車なので、運転室の見物はあっけなく終了。最後にとりあえずパンタグラフを撮っておきます。



次は、電動貨車「デワ11」。元々は、1923年(大正12年)製の電車でしたが、貨物輸送増強のために1943年(昭和18年)に電動貨車に改造されたそうです。1997年(平成9年)に廃車となりました。



貨物輸送用には能力不足だったようで、早々に駅や車庫での貨車や電車の入れ替え作業がメインになったそうです。結果的には、それが長生きにつながりました。

側面は、窓があることを除けば貨車ですね。



「豊橋」とあるのは、豊橋鉄道所属という意味でしょうか。



貨車なので、室内はすっきりとしています。



天井も外板が剥き出し。作業灯なのか白熱灯が付いています。



運転台の装備もいたって簡素で主幹制御器とハンドルを回して制動する手ブレーキのみ。座席すらありません。



主幹制御器には「東洋電機製造株式会社」の刻印があります。



運転室の天井部は、板材を曲げ加工してあります。



電動貨車。今となっては珍しい存在です。



最後に、公園に隣接する芦ヶ池を。



私は展示車両を満喫できたし、母もひとまず満足したようで、帰路につきます。

途中、1か所だけ寄り道。豊橋鉄道渥美線の老津駅にやって来ました。



この駅の東の外れに車両基地の予定地として引かれたレールが残っていると、ある方の記事を読みやって来ました。

確かに渥美線の脇に何本か雑草に埋もれたレールが見えています。



しかし、これは草が枯れる冬にでも出直した方がよさそうですね。



老津駅周辺を歩き回っている時にまたも雨が…。傘を持ってきていなかったのでずぶ濡れになりましたが、もはやそんなことは慣れっこなので、気にも留めませんでしたけどね。

結局、その後はずっと雨。最後に母の買い物に付き合ってから帰りました。

Posted at 2019/08/27 22:10:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年08月25日 イイね!

山陽本線三石駅周辺の煉瓦アーチ群

2019年8月24日土曜日、岡山県内へとドライブに行ってきました。

津山市内で、「津山まなびの鉄道館」と「津山城址」を見物。最後に向かったのは、備前市三石地区。山陽本線三石駅周辺の煉瓦アーチ群を見るためです。この周辺は、明治23年(1890年)から明治24年(1891年)にかけて開通しています。

津山市から吉井川沿いに60km。備前市三石地区にやって来ました。

初めに山陽本線三石駅に行きましたが、契約者用以外の駐車場がよくわからず、しばし三石の街の中をグルグルと周回。結局、街からやや外れた旧国道の路肩に駐車。街中へと徒歩で向かいます。

雨がパラパラと降り始めてきましたが、気にせず歩いていきます。

最初にやって来たのは、小屋谷川橋梁。上り線側です。




この橋梁(人道兼水路用トンネル)の内部は坂道になっているため、内部で煉瓦アーチに段差を付けてあるのが特徴です。








ここからが開通当時の煉瓦アーチ。手前は側壁が石積みですが、この先は側壁まで煉瓦積みです。


アーチの一部に焼過煉瓦を用いて、線条模様を付けてあります。


ここから先はまた建設された時代が違うと思われます。


振り返って真上を見たもの。かつての坑門と増設した側の坑門の間の隙間を石板で塞いでいます。


下り線側に出てきました。


薮で周りをすっぽりと覆われています。


土木学会選奨土木遺産のプレートです。


また坂を下り、三石駅の前を通り抜けます。


駅前から舟坂川に沿って歩いていきます。

鯉が2匹泳いでいるのを見つけました。鯉、でかいですね…。


川から離れて山陽本線に向かい住宅地を歩いていきます。

住宅の前に居た野良猫。帰りに通ったら3匹に増えてました。


2か所目の煉瓦アーチ、三石金剛川橋梁に着きました。


4連アーチ橋ですが、こちら側からはうまく収まりませんね。


上り線側は焼過煉瓦を使用。


下り線側が赤煉瓦に焼過煉瓦で線条模様を付けています。


下り線側へ回りました。頭上の橋桁は国道2号です。


土木学会選奨土木遺産のプレート。


手前の橋の上から撮影。


橋脚部分を守るための隅石。


吉永駅側のアーチ。ここは歩行者や軽車両が通行できる幅の通路となっています。


翼壁は石積み。「布積み」で積まれています。


アーチとアーチの間にも焼過煉瓦を挿入して、縞模様を付けてあります。


全景を収めるには手前の橋が邪魔になりますね。


通路部分の隅石。アーチ部分は焼過煉瓦、線条模様はさらに色の濃い焼過煉瓦を使用しています。


アーチの継ぎ目部分。


隅石があることで、右手側のアーチが増設されたものだとわかります。


上り線側の隅石。


上り線側の壁面も、バラツキはありますが色の違う煉瓦を使用して縞模様を付けてあります。


上り線側の全景です。




3か所目は、野道架道橋。住宅地の奥にひっそりとあります。


ここも上り線側が焼過煉瓦で積まれています。


角の部分は、隅石の代わりに丸形の異形煉瓦が使われています。


内部は白華現象で真っ白。


やはり下り線側は赤煉瓦と焼過煉瓦の線条模様という構成です。


反対側はグラウンドでした。


三石金剛川橋梁と同じく、アーチ部が焼過煉瓦。壁面部分も焼過煉瓦で縞模様があります。




土木学会選奨土木遺産のプレート。


4か所目は、三石避溢橋。傾斜した頂部が特徴です。


上り線側は全面焼過煉瓦。


比較的大きなアーチ空間を確保しています。


上部の煉瓦は、本坂隧道で見るような黒い煉瓦を使っています。


坑口の下部は異形煉瓦。


上り線側は赤煉瓦に焼過煉瓦の線条模様。


規模が大きいだけあってか、側壁部分の線条模様の本数が多いです。


アーチ部分も鮮明に線条模様が見て取れます。


下り線側です。薄暗くなってきて、外でもフラッシュを使いました。


装飾の仕方は野道架道橋と同様のパターンです。


土木学会選奨土木遺産のプレート。


5か所目、三石架道橋です。ちょうどこの場所で道路が屈曲していて見通しが悪いです。


通り抜ける道路は旧国道。このようなケースだと「第1▲▲街道架道橋」とかになるものですが、普通に地名が付けられています。


隅石の上にアーチを受け止めるための石が挟まれています。


ここも上り線側が焼過煉瓦、下り線側が赤煉瓦の構成。


不思議だったのは、下り線側の途中に石材が挟まれていること。


途中の石積みは互い違いに積まれているので、将来の増設をあらかじめ予定して造られていた噛み合わせだったのか?反対側に2本目の線路を線増したので、体裁を整えただけなのか?真相はわかりません。

下り線側です。今までと違い、焼過煉瓦による模様はありません。


土木学会選奨土木遺産のプレート。


三石架道橋の上り線側の真横には、光明寺というお寺があります(レンズに雨粒がついてしまった。)。


門前には天保4年(1833年)の銘がある灯篭。




「明治天皇三石行在所」の碑も立っており、古くからの由緒あるお寺と思われます。


このお寺の門前を流れる小川に、最後に訪れた寺前川橋梁があります。


ここも異形煉瓦が使われています。


天井部は焼過煉瓦がくっきりと見えます。


下り線側の線条模様。


この先は水が溜まって水深が深く、中もすっかり暗くなってしまったので、反対側へ抜けるのは止めました。

ここで日没終了。ライトを持ってきていませんでしたし、ここから300kmの道のりを帰らなければいけないので、よしとしました。土木学会の選奨土木遺産「三石の煉瓦拱橋群」としては、まだ数か所この先にあるんですが、またの機会とします。

今回は岡山県東部を4か所巡りました。出かけようと決めたのは数日前のことでしたし、津山市内を訪れることは予定していませんでしたが、満足いくドライブになりました。
Posted at 2019/08/26 00:44:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年08月25日 イイね!

津山まなびの鉄道館と津山城址

2019年8月24日土曜日、岡山県内へとドライブに出かけてきました。

最初に立ち寄ったのは、久米郡美咲町の「柵原ふれあい鉱山公園」。続いて向かったのは、そこから約25km離れた津山市内です。

やって来たのは、JR津山駅の西隣にある「津山まなびの鉄道館」。1936年(昭和11年)に建設された扇形機関車庫を再利用した鉄道館です。


敷地内へ入る前に扇形機関車庫の外周を見てみます。機関車庫内に外光を採り入れるため、大型のガラス窓が連続的に設置されています。


こちらが機関車庫です。


機関車庫の天井は、かつて配備されていたSLの煤煙で真っ黒です。


機関車庫の前に設置されている転車台。


展示車両です。

キハ33。


キハ181。特急やくものネームプレートが掲げられています。


キハ58。この車両だけ車内展示もしていました。




キハ28。


キハ52。勾配線区で活躍したディーゼルカーですね。


D51。2号機です。煙突からドームが伸びていて、「なめくじ」と呼ばれたタイプですね。


開いているスペースを覗くと、レールとレールの間にピットが掘られています。


DF50。電気式ディーゼル機関車です。電気式は、車内にディーゼル発電機を装備して、発電した電気によりモーターを駆動して走行するタイプの機関車です。


DD13。


DD15。除雪用のディーゼル機関車です。見えているのは除雪装置で、機関車本体はその後ろにあります。


DD51。かつてはSLを駆逐したディーゼル機関車として鉄道ファンに疎まれたこともありましが、現役機が減少してきた昨今では再注目されているようです。


10t貨物移動車。「重要機械 米子機械区」というプレートが貼られているところから、鳥取県の米子駅に在籍していたのでしょうか。


DE50。この機関車は、DD51の後継車両開発を目的として製作された量産先行試作車ですが、地方路線の電化推進や大型ディーゼル機関車の需要減により、量産されることはなかったそうです。


DD16。塗装の退色が激しいです。


展示車両は以上でした。

出入口とは反対側になる壁面。丸窓があって、おしゃれなところもありますね。


こちら側も大きなガラス窓が目立ちます。


隣の敷地には車両の留置線があって、多くのディーゼルカーが停まっています。


津山駅を遠望。この付近の拠点となる駅です。


ホームに岡山行きの列車が停車中。岡山行きなので、津山線の列車ですね。


あらためて転車台を撮影。




最後に場内の全景です。


規模は小さいものでしたが、1時間ほど滞在していました。

さて、次の目的地へ移動しようかと思いましたが、「津山なら津山城も見ておくか。」ということで、津山城址へ来ました。


思っていたよりもお城のある山が高いのがちょっと…。でもまあ、お城も好きですからね。こういう機会は大事にしないと。

城内への入口へ来ました。


入園料300円を払って入場します。


予想以上に高くて立派な石垣群です。使われている石も巨大な物ばかり。山陽と山陰を中継する津山へ城を置くことが重要視されていたことが伺えます。




備中櫓。復元再建した櫓だそうです。


息を切らさないよう、のんびりと登っていきます。


市街地の真ん中にある山なので、やはり眺めは抜群です。お城から東側の街並みです。


ちょっとコースから外れて、本丸の東側の小道を進みます。


最上部である本丸へと来ました。


天守台です。かつては4重5階の層塔型天守が立っていましたが、1873年(明治6年)の廃城令により、破却されたそうです。天守が写っている古写真が残っています。


天守台から西側の街並みの眺め。


天守台から城の北東部の眺め。


本当に眺めは抜群でした。明治時代に壊されていなければ、もっと良かったのでしょうけど、お城は旧時代の象徴でしたからね。

帰りものんびりと歩いて下ります。階段に使われている石も大きなもので段差が高く、いちいち「よいしょっ、よいしょっ。」と行かないといけないのが辛い…。安土城の大手口の階段の次にきつかったです。

駐車場まで戻ったらお土産を買って、ついでにソフトクリームも買いました(笑)。とにかく暑かったです…。

ここからは最後の目的地である備前市三石地区へと移動します。
Posted at 2019/08/25 22:31:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記

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「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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