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小林あにのブログ一覧

2019年08月25日 イイね!

山陽本線三石駅周辺の煉瓦アーチ群

2019年8月24日土曜日、岡山県内へとドライブに行ってきました。

津山市内で、「津山まなびの鉄道館」と「津山城址」を見物。最後に向かったのは、備前市三石地区。山陽本線三石駅周辺の煉瓦アーチ群を見るためです。この周辺は、明治23年(1890年)から明治24年(1891年)にかけて開通しています。

津山市から吉井川沿いに60km。備前市三石地区にやって来ました。

初めに山陽本線三石駅に行きましたが、契約者用以外の駐車場がよくわからず、しばし三石の街の中をグルグルと周回。結局、街からやや外れた旧国道の路肩に駐車。街中へと徒歩で向かいます。

雨がパラパラと降り始めてきましたが、気にせず歩いていきます。

最初にやって来たのは、小屋谷川橋梁。上り線側です。




この橋梁(人道兼水路用トンネル)の内部は坂道になっているため、内部で煉瓦アーチに段差を付けてあるのが特徴です。








ここからが開通当時の煉瓦アーチ。手前は側壁が石積みですが、この先は側壁まで煉瓦積みです。


アーチの一部に焼過煉瓦を用いて、線条模様を付けてあります。


ここから先はまた建設された時代が違うと思われます。


振り返って真上を見たもの。かつての坑門と増設した側の坑門の間の隙間を石板で塞いでいます。


下り線側に出てきました。


薮で周りをすっぽりと覆われています。


土木学会選奨土木遺産のプレートです。


また坂を下り、三石駅の前を通り抜けます。


駅前から舟坂川に沿って歩いていきます。

鯉が2匹泳いでいるのを見つけました。鯉、でかいですね…。


川から離れて山陽本線に向かい住宅地を歩いていきます。

住宅の前に居た野良猫。帰りに通ったら3匹に増えてました。


2か所目の煉瓦アーチ、三石金剛川橋梁に着きました。


4連アーチ橋ですが、こちら側からはうまく収まりませんね。


上り線側は焼過煉瓦を使用。


下り線側が赤煉瓦に焼過煉瓦で線条模様を付けています。


下り線側へ回りました。頭上の橋桁は国道2号です。


土木学会選奨土木遺産のプレート。


手前の橋の上から撮影。


橋脚部分を守るための隅石。


吉永駅側のアーチ。ここは歩行者や軽車両が通行できる幅の通路となっています。


翼壁は石積み。「布積み」で積まれています。


アーチとアーチの間にも焼過煉瓦を挿入して、縞模様を付けてあります。


全景を収めるには手前の橋が邪魔になりますね。


通路部分の隅石。アーチ部分は焼過煉瓦、線条模様はさらに色の濃い焼過煉瓦を使用しています。


アーチの継ぎ目部分。


隅石があることで、右手側のアーチが増設されたものだとわかります。


上り線側の隅石。


上り線側の壁面も、バラツキはありますが色の違う煉瓦を使用して縞模様を付けてあります。


上り線側の全景です。




3か所目は、野道架道橋。住宅地の奥にひっそりとあります。


ここも上り線側が焼過煉瓦で積まれています。


角の部分は、隅石の代わりに丸形の異形煉瓦が使われています。


内部は白華現象で真っ白。


やはり下り線側は赤煉瓦と焼過煉瓦の線条模様という構成です。


反対側はグラウンドでした。


三石金剛川橋梁と同じく、アーチ部が焼過煉瓦。壁面部分も焼過煉瓦で縞模様があります。




土木学会選奨土木遺産のプレート。


4か所目は、三石避溢橋。傾斜した頂部が特徴です。


上り線側は全面焼過煉瓦。


比較的大きなアーチ空間を確保しています。


上部の煉瓦は、本坂隧道で見るような黒い煉瓦を使っています。


坑口の下部は異形煉瓦。


上り線側は赤煉瓦に焼過煉瓦の線条模様。


規模が大きいだけあってか、側壁部分の線条模様の本数が多いです。


アーチ部分も鮮明に線条模様が見て取れます。


下り線側です。薄暗くなってきて、外でもフラッシュを使いました。


装飾の仕方は野道架道橋と同様のパターンです。


土木学会選奨土木遺産のプレート。


5か所目、三石架道橋です。ちょうどこの場所で道路が屈曲していて見通しが悪いです。


通り抜ける道路は旧国道。このようなケースだと「第1▲▲街道架道橋」とかになるものですが、普通に地名が付けられています。


隅石の上にアーチを受け止めるための石が挟まれています。


ここも上り線側が焼過煉瓦、下り線側が赤煉瓦の構成。


不思議だったのは、下り線側の途中に石材が挟まれていること。


途中の石積みは互い違いに積まれているので、将来の増設をあらかじめ予定して造られていた噛み合わせだったのか?反対側に2本目の線路を線増したので、体裁を整えただけなのか?真相はわかりません。

下り線側です。今までと違い、焼過煉瓦による模様はありません。


土木学会選奨土木遺産のプレート。


三石架道橋の上り線側の真横には、光明寺というお寺があります(レンズに雨粒がついてしまった。)。


門前には天保4年(1833年)の銘がある灯篭。




「明治天皇三石行在所」の碑も立っており、古くからの由緒あるお寺と思われます。


このお寺の門前を流れる小川に、最後に訪れた寺前川橋梁があります。


ここも異形煉瓦が使われています。


天井部は焼過煉瓦がくっきりと見えます。


下り線側の線条模様。


この先は水が溜まって水深が深く、中もすっかり暗くなってしまったので、反対側へ抜けるのは止めました。

ここで日没終了。ライトを持ってきていませんでしたし、ここから300kmの道のりを帰らなければいけないので、よしとしました。土木学会の選奨土木遺産「三石の煉瓦拱橋群」としては、まだ数か所この先にあるんですが、またの機会とします。

今回は岡山県東部を4か所巡りました。出かけようと決めたのは数日前のことでしたし、津山市内を訪れることは予定していませんでしたが、満足いくドライブになりました。
Posted at 2019/08/26 00:44:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年08月25日 イイね!

津山まなびの鉄道館と津山城址

2019年8月24日土曜日、岡山県内へとドライブに出かけてきました。

最初に立ち寄ったのは、久米郡美咲町の「柵原ふれあい鉱山公園」。続いて向かったのは、そこから約25km離れた津山市内です。

やって来たのは、JR津山駅の西隣にある「津山まなびの鉄道館」。1936年(昭和11年)に建設された扇形機関車庫を再利用した鉄道館です。


敷地内へ入る前に扇形機関車庫の外周を見てみます。機関車庫内に外光を採り入れるため、大型のガラス窓が連続的に設置されています。


こちらが機関車庫です。


機関車庫の天井は、かつて配備されていたSLの煤煙で真っ黒です。


機関車庫の前に設置されている転車台。


展示車両です。

キハ33。


キハ181。特急やくものネームプレートが掲げられています。


キハ58。この車両だけ車内展示もしていました。




キハ28。


キハ52。勾配線区で活躍したディーゼルカーですね。


D51。2号機です。煙突からドームが伸びていて、「なめくじ」と呼ばれたタイプですね。


開いているスペースを覗くと、レールとレールの間にピットが掘られています。


DF50。電気式ディーゼル機関車です。電気式は、車内にディーゼル発電機を装備して、発電した電気によりモーターを駆動して走行するタイプの機関車です。


DD13。


DD15。除雪用のディーゼル機関車です。見えているのは除雪装置で、機関車本体はその後ろにあります。


DD51。かつてはSLを駆逐したディーゼル機関車として鉄道ファンに疎まれたこともありましが、現役機が減少してきた昨今では再注目されているようです。


10t貨物移動車。「重要機械 米子機械区」というプレートが貼られているところから、鳥取県の米子駅に在籍していたのでしょうか。


DE50。この機関車は、DD51の後継車両開発を目的として製作された量産先行試作車ですが、地方路線の電化推進や大型ディーゼル機関車の需要減により、量産されることはなかったそうです。


DD16。塗装の退色が激しいです。


展示車両は以上でした。

出入口とは反対側になる壁面。丸窓があって、おしゃれなところもありますね。


こちら側も大きなガラス窓が目立ちます。


隣の敷地には車両の留置線があって、多くのディーゼルカーが停まっています。


津山駅を遠望。この付近の拠点となる駅です。


ホームに岡山行きの列車が停車中。岡山行きなので、津山線の列車ですね。


あらためて転車台を撮影。




最後に場内の全景です。


規模は小さいものでしたが、1時間ほど滞在していました。

さて、次の目的地へ移動しようかと思いましたが、「津山なら津山城も見ておくか。」ということで、津山城址へ来ました。


思っていたよりもお城のある山が高いのがちょっと…。でもまあ、お城も好きですからね。こういう機会は大事にしないと。

城内への入口へ来ました。


入園料300円を払って入場します。


予想以上に高くて立派な石垣群です。使われている石も巨大な物ばかり。山陽と山陰を中継する津山へ城を置くことが重要視されていたことが伺えます。




備中櫓。復元再建した櫓だそうです。


息を切らさないよう、のんびりと登っていきます。


市街地の真ん中にある山なので、やはり眺めは抜群です。お城から東側の街並みです。


ちょっとコースから外れて、本丸の東側の小道を進みます。


最上部である本丸へと来ました。


天守台です。かつては4重5階の層塔型天守が立っていましたが、1873年(明治6年)の廃城令により、破却されたそうです。天守が写っている古写真が残っています。


天守台から西側の街並みの眺め。


天守台から城の北東部の眺め。


本当に眺めは抜群でした。明治時代に壊されていなければ、もっと良かったのでしょうけど、お城は旧時代の象徴でしたからね。

帰りものんびりと歩いて下ります。階段に使われている石も大きなもので段差が高く、いちいち「よいしょっ、よいしょっ。」と行かないといけないのが辛い…。安土城の大手口の階段の次にきつかったです。

駐車場まで戻ったらお土産を買って、ついでにソフトクリームも買いました(笑)。とにかく暑かったです…。

ここからは最後の目的地である備前市三石地区へと移動します。
Posted at 2019/08/25 22:31:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年08月25日 イイね!

柵原ふれあい鉱山公園へ行ってきました

2019年8月24日土曜日、岡山県内へとドライブしてきました。

最初に訪れたのは、久米郡美咲町にある「柵原ふれあい鉱山公園」。「柵原」は「やなはら」と読みます。1991年(平成3年)7月に廃止された同和鉱業片上鉄道の吉ヶ原駅を活用した同鉄道関係の展示と町内にあった柵原鉱山に関する資料館がある公園です。

自宅を4時30分頃出発。国道23号知立バイパス、伊勢湾岸道、新名神、名神、新名神、中国道、岡山美作道路、国道374号、県道26号と経由し、現地に9時20分頃到着しました。


高速道路を走っている間は、曇天で何ともあやしい天気でしたが、現地に着くころには晴れ上がり安心しました。本音で言うと曇り空が良かったですけどね(笑)。

最初に訪れたのは、旧吉ヶ原駅の駅舎。昭和6年開業時の建物で、鉄道営業時の頃の状態をほぼ保っているそうです。国の登録有形文化財に指定されています。






ホームへと出てみました。入場料は不要です。


最初に目に飛び込んできたのは、キハ702。1936年(昭和11年)製造だそうで、現在は「片上鉄道保存会」により月1回走行しているそうです。


先頭部の半円形状が特徴です。


こちらは駅の南端の線路上に留置されていたキハ303。こちらは1934年(昭和9年)製造で、こちらも動態保存されているそうです。


キハ303の後ろに留置されているキハ312。こちらは前述の2両より若くて1953年(昭和28年)製。塗装が傷んできています。


近くの建物脇に置かれていた台車。交換・修理用に保管されているものだそうです。銘板があり、「昭和10年 川崎車輌」とありました。


駅の南端部から駅構内を眺めたもの。


キハ702のところまで戻ってきました。


キハ702の下回りを覗いてみます。剥き出しのエンジン。いかにも時代物だと感じさせます。




排気管。最近のディーゼルカーだと屋根上まで排気管を伸ばして排気するパターンですが、トラックと同じ横出しです。


ラジエターでしょうか。小型のコアがたくさん並んでいます。


台車は骨組みが格子に組まれていてゴツイ印象。


この景色を見ているだけだと現役の田舎の駅といった趣きです。


駅名板。右下に記載されているやなはら(柵原)が終点でした。


同じく駅構内に留置されているDD13型ディーゼル機関車。現在は故障中のようです。この車両もだいぶ塗装が傷んできています。


公園に展示されていた柵原鉱山で使用されていたトロッコ用機関車やトロッコ。




色灯式信号機。実際に使用されていたものかは不明。


駅の北側に立っている「藤原人材竪坑櫓」のレプリカ。実物の高さは24mあったものを12mにして展示してあるそうです。


駅の北側にある踏切。


その踏切から駅構内を眺めたもの。




踏切から先も展示・体験走行用に線路が残されているので、線路沿いに歩いていきます。


終点駅が見えてきました。




走行用の終点・折り返しの駅は「黄福柵原駅」と言います。




ホーム上には本来の終点であった柵原駅の駅名板が設置されています。


黄福柵原駅手前の踏切。展示・体験走行時以外は「使用中止」の看板を掲げているようです。


ここから吉ヶ原駅まで、また線路沿いに歩いて戻ります。


最後は柵原鉱山資料館を見学。こちらは有料でしたが、出かけた先の地元の資料館を見るのは好きなので全然OK。


ここは毎月1回は保存車両を走行させているだけあって、車両も線路設備も整備されていて、単なる展示だけされている場所よりも、より現役時に近い状態が保たれているのがなかなか好印象でした。維持が大変だとは思いますが、続いてくれるといいですよね。

この後は、岡山県備前市方面へと行く予定をしていましたが、岡山県まで来ることはめったにないので、逆方向ですが25kmほど離れた津山市まで足を伸ばすことにしました。
Posted at 2019/08/25 20:19:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年08月21日 イイね!

日本油脂専用線跡へ行ってきました

日曜日にトヨタ自動車上郷工場の専用線跡の件で、ドライバーやすい氏より「それよりも岡崎市内のユニチカの工場内にレールが残っているよ。」なんて話を聞き、何気に愛知県内の専用線について検索していたら、知多郡武豊町にあった日本油脂武豊工場とJR武豊線武豊駅を結ぶ専用線跡がレールや架線柱がよく残っているという記事を発見。

「武豊町なら近いし、これは楽しめそうだな。」と、「日本油脂専用線」でさらに検索したところ、今年の6月にUPされた記事に「路盤を掘り起こして何か埋設工事している。」というものがあり、「これはいかん!」ということで夏休みの今日、急きょお出かけして参りました。

武豊町民会館ゆめたろうプラザの真横を廃線跡が通っているということで、まずはここを目標に現地へと向かいます。

場所はすぐにわかりましたが、用もないのに長時間駐車場へ停めるわけにもいかないとしばらく周辺をウロウロ。日油(日本油脂の現在名。)のディスプレイ材料工場脇の道路の路肩が広かったので、そこへ停めて廃線跡へと歩いていきました。

踏切跡と思われる場所へとやって来ました。東側を遠望するとゆめたろうプラザが見えます。架線柱が並び、いい景色なのですが…。




工事により路盤は掘り返され、レールも枕木も撤去されていました…。


踏切跡から西側を望むと現状がよくわかります。ほんの数年前に探索された方の写真だとこの辺りはレールと枕木が残っていたんですよね…。


この周辺で工事がこれだけ進捗しているとなると、レールの残存は望み薄…。とはいえ、せっかく来たわけですから、廃線跡を追ってみることにします。

踏切跡から西側はすぐに日油のディスプレイ材料工場の敷地内に入ってしまうので接近不能。東側へと跡を追うことにします。廃線跡に沿って道路があるわけではないので、できる限り並走するように道路を縫っていきます。

注意看板がありました。設置社名は旧社名のものです。


「旧軌道敷に埋設配管があるので自動車等の横断通行お断り。」とありますが、軽トラでも横断は難しそうです。

看板のある場所から東側を眺めます。一直線に廃線跡が続いています。


ゆめたろうプラザ脇の道路との交差地点にある虎柵。この工事が新しい送水管の設置工事であることがわかりました。今までの「埋設配管」が老朽化したための工事なのでしょう。


ゆめたろうプラザ横の廃線跡はすでに工事が終わったようで、新たに砂利も敷き詰められています。


ここからは再び迂回して、県道52号との交差地点に来ました。県道からゆめたろうプラザ側を眺めます。ここも工事が進んでいます。


ここから先は工事作業中だったので、写真も控えました。

住宅地の路地を歩きながら、大きなポイントの一つである名鉄河和線との交差地点に来ました。ここも作業中ですが、昼休憩なのか誰もいませんでした。


この交差地点は歴史的にはまず専用線ができて、その後に名鉄河和線ができたそうです。

名鉄河和線の築堤の土留めに楔代わりに使われている古レール。


名鉄河和線の築堤をくぐり抜けてしばらく歩くと、ふたたび廃線跡に出ます。こちらは河和線との交差地点方向を眺めています。


こちらは日油の衣浦工場側を眺めています。


辿ることのできる末端へと来ました。この先は日油の衣浦工場内を通過して、JR武豊線武豊駅の構内へとつながっていました。


ということで、レールは全ての区間で撤去されてしまっていました…。しかし、市街地から近い場所で敷地や架線柱がこれだけ残っているだけでも本当は大したことなんですけどね。

廃線跡の追いかけとしてはこれで終了。ここからは寄り道です。

旧武豊港駅跡に残る転車台。




今度は武豊駅へと歩いていきます。

旧武豊港駅への貨物線の橋台。


武豊駅に着きました。開業は1886年(明治19年)で、愛知県で最も古い駅の一つです。


ここに来るまでずっと晴天でしたが、にわかに黒い雲が湧いてきました。駅でおばあさんに「また土砂降りが降りそうだね。」と声をかけられるほどの急変ぶり。駅から車を停めた場所までは2~3km。足早に車へ戻ることにします。

風が向かい風になり、明らかに黒雲が来る方向へと戻る状況。遠くで雷鳴も響いています。

ゆめたろうプラザ付近から雨が降り始め、雷鳴も近づいてきています。田んぼの真ん中なので雨宿りもできず肝が冷えます…。

最初に訪れた踏切跡を過ぎる頃には空全体が薄暗くなり、雨粒も大きいものに。


土砂降りが始まりだした時に何とか車へと戻ることができました。


この後、5分くらい土砂降りが続き、やがて止んでいきました。帰り道、隣の半田市に入ると雨が降った気配すら全然なくて、とんだゲリラ豪雨でした。
Posted at 2019/08/21 21:14:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年07月21日 イイね!

岐阜県恵那市岩村の街並みを散策してきました

本日は、母と弟を連れて岐阜県恵那市岩村の街並みを散策してきました。

岩村は、山城として知られる岩村城の城下町です。古くからの街並みが残っており、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

我が家族は、岩村城へは何度も行ったことがあるのですが、街並みの方は歩いたことがありませんでした。たまたま土曜日に私が一人でドライブへ行ったことに母が「私も連れていってほしかった。」と言っていたので思案して、思いついた岩村の街並みへ出かけることにしたわけです。

普段だと国道153号で稲武へ出て、そこから国道257号で岩村へと行くルートですが、このルートは少々時間がかかるので、今回は東海環状道でせと品野ICまで行き、国道363号で岩村へと向かいました。思ったよりも早く2時間ほどで現地に到着し、正解のルートでした。

岩村コミュニティセンター駐車場へ車を停めて、ここから徒歩で街並みの中心となる岩村本通りを目指します。

通りの入口まで来たところで、母が「岩村駅を見たい。」と言い出したので、ルートを外れて明知鉄道岩村駅へとやって来ました。





母は駅舎へと行ってしまったので、私は外から駅構内や復元された腕木式信号機を眺めていました。





あらためて仕切り直して、岩村本通りの散策を始めます。蒸し暑さはありますが、予想した以上に人通りが少ないですね。



最初に立ち寄ったのは、旧柴田家。明治時代の家屋だそうです。





巖邑(いわむら)天満宮。



民家の軒先にあった石輪(何て呼べばいいものか?)。元々は石臼のような気がしますが、どうしてこのような形で置いてあるのかわかりません。



道標。方角からして「左なごや」と刻まれていると思います。弟は「右と刻んであるんじゃないの?」と言っています。右と読めないこともないのも事実。



緩い坂道を登り進んでいきます。



「下町枡形」という所まで来ました。城下町や宿場町によくある屈曲路ですね。この辺りから人通りが多くなってきました。





この先で立ち寄ったのが「勝川家」。江戸時代末期に台頭した商家だそうで、建物は江戸時代後期のものだそうです。





いきなりですが、別棟にあった古い流し台。タイルの絵柄が綺麗だったので。



別棟の2階。三方が壁無しでガラス戸のみという珍しい造り。



いくつもの扉が付いた大きな蔵です。



別棟の外観。古い建物だとはわかりますが、何の案内板もないので、いつの時代のものかは不明です。



銅製の雨樋。青銅?と思いましたが、弟が「銅製。緑青が付いたものでしょ。和風建築には今でも使うことがあるよ。」と言っておりました。



海鼠壁。屋根の付け根の部分には市松模様が施されていますが、装飾なのかそれとも何か意味があるのでしょうか?



こちらは、通り沿いの家屋の2階。昔の日本家屋らしく室内が暗いです。



続いては「土佐屋」。染物業を営んでいたそうです。





こちらも奥に別棟があります。



室内には機織り機が展示してあります。



こちらは懐かしかったので1枚。



これは敷地の奥にある染付作業をする建物。染料を入れた壺がずらりと並んでいます。



ふたたび通りへ戻ります。

控えめに装飾されたコンクリート建築物。戦前物でしょうか。



岩村郵便局前の古い形のポスト。



旧十六銀行岩村支店。現在は観光案内所になっています。



見物できる古建築で最後に訪れたのは「木村邸」。こちらは、江戸時代中期から末期に栄えた問屋で、岩村藩の財政を支えてきたそうです。



そんなご縁で「殿様通用門」があったそうです。しかし「殿様通用門」、この説明書きはもう少し良い言い回しがなかったのかな(笑)。



建物に入ってすぐの所にある囲炉裏。



高い屋根を支える、パズルのように組み上げられた柱。



煉瓦積みの竈。



この部屋は襖絵がかかれているので、藩主などが訪れた部屋なのでしょうか。



中庭を通り抜ける用水路。戦国末期、城下町の整備に合わせて造られたそうです。



中庭の様子。栄えた家だけあって、こちらも蔵が大きいです。





岩村本通りと交差する国道363号を渡ってすぐの所にある薬局。



薬を宣伝した古めかしい木製看板。



ここにも古いコンクリート建築物。



岩村醸造へ来ました。テレビで紹介されたりしています。







紹介されている理由の一つは、間違いなく店内を通り抜けるトロッコレールでしょう。







街並みの外れに来ました。通りはこの先で国道257号に合流し、町の南側に控える難所の木ノ実峠へ向かっていきます(今はトンネルであっという間ですが。)。





ということで、ここで引き返します。岩村駅からここまで約1.3kmでした。



帰りの途中でカステラ屋に寄り、アイスクリームとカステラをいただきました。





岩村というと、古い街並みが残る観光地としては「ややマイナーかな。」という感じでしたが(私が行ったことのある馬籠・妻籠や奈良井に比べると。)、江戸時代からの旧家がよく保存されていましたし、街並みの統一感もあってなかなか良かったです。

個人的には装飾のある古いコンクリート建築物が残っているのも良かったですね(笑)。

あと、今回は行きませんでしたが、岩村城も山全体に石垣が残る雄大な城跡なので、一緒に巡ると良いかと思います。

今回のおまけは、帰る途中、豊田市内で立ち寄った、旧名鉄三河線枝下駅跡。レールをそのまま残しているのがポイント高いです。











Posted at 2019/07/21 22:19:20 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記

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「岩村城へ行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48593295/
何シテル?   08/11 11:50
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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