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小林あにのブログ一覧

2019年08月25日 イイね!

柵原ふれあい鉱山公園へ行ってきました

2019年8月24日土曜日、岡山県内へとドライブしてきました。

最初に訪れたのは、久米郡美咲町にある「柵原ふれあい鉱山公園」。「柵原」は「やなはら」と読みます。1991年(平成3年)7月に廃止された同和鉱業片上鉄道の吉ヶ原駅を活用した同鉄道関係の展示と町内にあった柵原鉱山に関する資料館がある公園です。

自宅を4時30分頃出発。国道23号知立バイパス、伊勢湾岸道、新名神、名神、新名神、中国道、岡山美作道路、国道374号、県道26号と経由し、現地に9時20分頃到着しました。


高速道路を走っている間は、曇天で何ともあやしい天気でしたが、現地に着くころには晴れ上がり安心しました。本音で言うと曇り空が良かったですけどね(笑)。

最初に訪れたのは、旧吉ヶ原駅の駅舎。昭和6年開業時の建物で、鉄道営業時の頃の状態をほぼ保っているそうです。国の登録有形文化財に指定されています。






ホームへと出てみました。入場料は不要です。


最初に目に飛び込んできたのは、キハ702。1936年(昭和11年)製造だそうで、現在は「片上鉄道保存会」により月1回走行しているそうです。


先頭部の半円形状が特徴です。


こちらは駅の南端の線路上に留置されていたキハ303。こちらは1934年(昭和9年)製造で、こちらも動態保存されているそうです。


キハ303の後ろに留置されているキハ312。こちらは前述の2両より若くて1953年(昭和28年)製。塗装が傷んできています。


近くの建物脇に置かれていた台車。交換・修理用に保管されているものだそうです。銘板があり、「昭和10年 川崎車輌」とありました。


駅の南端部から駅構内を眺めたもの。


キハ702のところまで戻ってきました。


キハ702の下回りを覗いてみます。剥き出しのエンジン。いかにも時代物だと感じさせます。




排気管。最近のディーゼルカーだと屋根上まで排気管を伸ばして排気するパターンですが、トラックと同じ横出しです。


ラジエターでしょうか。小型のコアがたくさん並んでいます。


台車は骨組みが格子に組まれていてゴツイ印象。


この景色を見ているだけだと現役の田舎の駅といった趣きです。


駅名板。右下に記載されているやなはら(柵原)が終点でした。


同じく駅構内に留置されているDD13型ディーゼル機関車。現在は故障中のようです。この車両もだいぶ塗装が傷んできています。


公園に展示されていた柵原鉱山で使用されていたトロッコ用機関車やトロッコ。




色灯式信号機。実際に使用されていたものかは不明。


駅の北側に立っている「藤原人材竪坑櫓」のレプリカ。実物の高さは24mあったものを12mにして展示してあるそうです。


駅の北側にある踏切。


その踏切から駅構内を眺めたもの。




踏切から先も展示・体験走行用に線路が残されているので、線路沿いに歩いていきます。


終点駅が見えてきました。




走行用の終点・折り返しの駅は「黄福柵原駅」と言います。




ホーム上には本来の終点であった柵原駅の駅名板が設置されています。


黄福柵原駅手前の踏切。展示・体験走行時以外は「使用中止」の看板を掲げているようです。


ここから吉ヶ原駅まで、また線路沿いに歩いて戻ります。


最後は柵原鉱山資料館を見学。こちらは有料でしたが、出かけた先の地元の資料館を見るのは好きなので全然OK。


ここは毎月1回は保存車両を走行させているだけあって、車両も線路設備も整備されていて、単なる展示だけされている場所よりも、より現役時に近い状態が保たれているのがなかなか好印象でした。維持が大変だとは思いますが、続いてくれるといいですよね。

この後は、岡山県備前市方面へと行く予定をしていましたが、岡山県まで来ることはめったにないので、逆方向ですが25kmほど離れた津山市まで足を伸ばすことにしました。
Posted at 2019/08/25 20:19:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年08月21日 イイね!

日本油脂専用線跡へ行ってきました

日曜日にトヨタ自動車上郷工場の専用線跡の件で、ドライバーやすい氏より「それよりも岡崎市内のユニチカの工場内にレールが残っているよ。」なんて話を聞き、何気に愛知県内の専用線について検索していたら、知多郡武豊町にあった日本油脂武豊工場とJR武豊線武豊駅を結ぶ専用線跡がレールや架線柱がよく残っているという記事を発見。

「武豊町なら近いし、これは楽しめそうだな。」と、「日本油脂専用線」でさらに検索したところ、今年の6月にUPされた記事に「路盤を掘り起こして何か埋設工事している。」というものがあり、「これはいかん!」ということで夏休みの今日、急きょお出かけして参りました。

武豊町民会館ゆめたろうプラザの真横を廃線跡が通っているということで、まずはここを目標に現地へと向かいます。

場所はすぐにわかりましたが、用もないのに長時間駐車場へ停めるわけにもいかないとしばらく周辺をウロウロ。日油(日本油脂の現在名。)のディスプレイ材料工場脇の道路の路肩が広かったので、そこへ停めて廃線跡へと歩いていきました。

踏切跡と思われる場所へとやって来ました。東側を遠望するとゆめたろうプラザが見えます。架線柱が並び、いい景色なのですが…。




工事により路盤は掘り返され、レールも枕木も撤去されていました…。


踏切跡から西側を望むと現状がよくわかります。ほんの数年前に探索された方の写真だとこの辺りはレールと枕木が残っていたんですよね…。


この周辺で工事がこれだけ進捗しているとなると、レールの残存は望み薄…。とはいえ、せっかく来たわけですから、廃線跡を追ってみることにします。

踏切跡から西側はすぐに日油のディスプレイ材料工場の敷地内に入ってしまうので接近不能。東側へと跡を追うことにします。廃線跡に沿って道路があるわけではないので、できる限り並走するように道路を縫っていきます。

注意看板がありました。設置社名は旧社名のものです。


「旧軌道敷に埋設配管があるので自動車等の横断通行お断り。」とありますが、軽トラでも横断は難しそうです。

看板のある場所から東側を眺めます。一直線に廃線跡が続いています。


ゆめたろうプラザ脇の道路との交差地点にある虎柵。この工事が新しい送水管の設置工事であることがわかりました。今までの「埋設配管」が老朽化したための工事なのでしょう。


ゆめたろうプラザ横の廃線跡はすでに工事が終わったようで、新たに砂利も敷き詰められています。


ここからは再び迂回して、県道52号との交差地点に来ました。県道からゆめたろうプラザ側を眺めます。ここも工事が進んでいます。


ここから先は工事作業中だったので、写真も控えました。

住宅地の路地を歩きながら、大きなポイントの一つである名鉄河和線との交差地点に来ました。ここも作業中ですが、昼休憩なのか誰もいませんでした。


この交差地点は歴史的にはまず専用線ができて、その後に名鉄河和線ができたそうです。

名鉄河和線の築堤の土留めに楔代わりに使われている古レール。


名鉄河和線の築堤をくぐり抜けてしばらく歩くと、ふたたび廃線跡に出ます。こちらは河和線との交差地点方向を眺めています。


こちらは日油の衣浦工場側を眺めています。


辿ることのできる末端へと来ました。この先は日油の衣浦工場内を通過して、JR武豊線武豊駅の構内へとつながっていました。


ということで、レールは全ての区間で撤去されてしまっていました…。しかし、市街地から近い場所で敷地や架線柱がこれだけ残っているだけでも本当は大したことなんですけどね。

廃線跡の追いかけとしてはこれで終了。ここからは寄り道です。

旧武豊港駅跡に残る転車台。




今度は武豊駅へと歩いていきます。

旧武豊港駅への貨物線の橋台。


武豊駅に着きました。開業は1886年(明治19年)で、愛知県で最も古い駅の一つです。


ここに来るまでずっと晴天でしたが、にわかに黒い雲が湧いてきました。駅でおばあさんに「また土砂降りが降りそうだね。」と声をかけられるほどの急変ぶり。駅から車を停めた場所までは2~3km。足早に車へ戻ることにします。

風が向かい風になり、明らかに黒雲が来る方向へと戻る状況。遠くで雷鳴も響いています。

ゆめたろうプラザ付近から雨が降り始め、雷鳴も近づいてきています。田んぼの真ん中なので雨宿りもできず肝が冷えます…。

最初に訪れた踏切跡を過ぎる頃には空全体が薄暗くなり、雨粒も大きいものに。


土砂降りが始まりだした時に何とか車へと戻ることができました。


この後、5分くらい土砂降りが続き、やがて止んでいきました。帰り道、隣の半田市に入ると雨が降った気配すら全然なくて、とんだゲリラ豪雨でした。
Posted at 2019/08/21 21:14:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年07月21日 イイね!

岐阜県恵那市岩村の街並みを散策してきました

本日は、母と弟を連れて岐阜県恵那市岩村の街並みを散策してきました。

岩村は、山城として知られる岩村城の城下町です。古くからの街並みが残っており、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

我が家族は、岩村城へは何度も行ったことがあるのですが、街並みの方は歩いたことがありませんでした。たまたま土曜日に私が一人でドライブへ行ったことに母が「私も連れていってほしかった。」と言っていたので思案して、思いついた岩村の街並みへ出かけることにしたわけです。

普段だと国道153号で稲武へ出て、そこから国道257号で岩村へと行くルートですが、このルートは少々時間がかかるので、今回は東海環状道でせと品野ICまで行き、国道363号で岩村へと向かいました。思ったよりも早く2時間ほどで現地に到着し、正解のルートでした。

岩村コミュニティセンター駐車場へ車を停めて、ここから徒歩で街並みの中心となる岩村本通りを目指します。

通りの入口まで来たところで、母が「岩村駅を見たい。」と言い出したので、ルートを外れて明知鉄道岩村駅へとやって来ました。





母は駅舎へと行ってしまったので、私は外から駅構内や復元された腕木式信号機を眺めていました。





あらためて仕切り直して、岩村本通りの散策を始めます。蒸し暑さはありますが、予想した以上に人通りが少ないですね。



最初に立ち寄ったのは、旧柴田家。明治時代の家屋だそうです。





巖邑(いわむら)天満宮。



民家の軒先にあった石輪(何て呼べばいいものか?)。元々は石臼のような気がしますが、どうしてこのような形で置いてあるのかわかりません。



道標。方角からして「左なごや」と刻まれていると思います。弟は「右と刻んであるんじゃないの?」と言っています。右と読めないこともないのも事実。



緩い坂道を登り進んでいきます。



「下町枡形」という所まで来ました。城下町や宿場町によくある屈曲路ですね。この辺りから人通りが多くなってきました。





この先で立ち寄ったのが「勝川家」。江戸時代末期に台頭した商家だそうで、建物は江戸時代後期のものだそうです。





いきなりですが、別棟にあった古い流し台。タイルの絵柄が綺麗だったので。



別棟の2階。三方が壁無しでガラス戸のみという珍しい造り。



いくつもの扉が付いた大きな蔵です。



別棟の外観。古い建物だとはわかりますが、何の案内板もないので、いつの時代のものかは不明です。



銅製の雨樋。青銅?と思いましたが、弟が「銅製。緑青が付いたものでしょ。和風建築には今でも使うことがあるよ。」と言っておりました。



海鼠壁。屋根の付け根の部分には市松模様が施されていますが、装飾なのかそれとも何か意味があるのでしょうか?



こちらは、通り沿いの家屋の2階。昔の日本家屋らしく室内が暗いです。



続いては「土佐屋」。染物業を営んでいたそうです。





こちらも奥に別棟があります。



室内には機織り機が展示してあります。



こちらは懐かしかったので1枚。



これは敷地の奥にある染付作業をする建物。染料を入れた壺がずらりと並んでいます。



ふたたび通りへ戻ります。

控えめに装飾されたコンクリート建築物。戦前物でしょうか。



岩村郵便局前の古い形のポスト。



旧十六銀行岩村支店。現在は観光案内所になっています。



見物できる古建築で最後に訪れたのは「木村邸」。こちらは、江戸時代中期から末期に栄えた問屋で、岩村藩の財政を支えてきたそうです。



そんなご縁で「殿様通用門」があったそうです。しかし「殿様通用門」、この説明書きはもう少し良い言い回しがなかったのかな(笑)。



建物に入ってすぐの所にある囲炉裏。



高い屋根を支える、パズルのように組み上げられた柱。



煉瓦積みの竈。



この部屋は襖絵がかかれているので、藩主などが訪れた部屋なのでしょうか。



中庭を通り抜ける用水路。戦国末期、城下町の整備に合わせて造られたそうです。



中庭の様子。栄えた家だけあって、こちらも蔵が大きいです。





岩村本通りと交差する国道363号を渡ってすぐの所にある薬局。



薬を宣伝した古めかしい木製看板。



ここにも古いコンクリート建築物。



岩村醸造へ来ました。テレビで紹介されたりしています。







紹介されている理由の一つは、間違いなく店内を通り抜けるトロッコレールでしょう。







街並みの外れに来ました。通りはこの先で国道257号に合流し、町の南側に控える難所の木ノ実峠へ向かっていきます(今はトンネルであっという間ですが。)。





ということで、ここで引き返します。岩村駅からここまで約1.3kmでした。



帰りの途中でカステラ屋に寄り、アイスクリームとカステラをいただきました。





岩村というと、古い街並みが残る観光地としては「ややマイナーかな。」という感じでしたが(私が行ったことのある馬籠・妻籠や奈良井に比べると。)、江戸時代からの旧家がよく保存されていましたし、街並みの統一感もあってなかなか良かったです。

個人的には装飾のある古いコンクリート建築物が残っているのも良かったですね(笑)。

あと、今回は行きませんでしたが、岩村城も山全体に石垣が残る雄大な城跡なので、一緒に巡ると良いかと思います。

今回のおまけは、帰る途中、豊田市内で立ち寄った、旧名鉄三河線枝下駅跡。レールをそのまま残しているのがポイント高いです。











Posted at 2019/07/21 22:19:20 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年05月12日 イイね!

JR飯田線大嵐駅に立ち寄りました

今日は、弟から「佐久間ダム経由で新野の道の駅までドライブに行かないか?」との誘いがあり、母を連れて3人で出かけてきました。

最初に立ち寄った佐久間ダム。いつもよりも高い場所から眺めています。







ここまでは弟が運転してきましたが、この先は私へと運転交替。古いダム湖沿いの道らしいクネクネ屈曲路の県道1号をノンパワステのレックスで(ほどほどに)かっ飛ばしていきます。

この県道1号、ここ最近は通るたびに愛知県・長野県境で災害通行止めとなっていましたが、旧富山村まで出たところで確認したところ、ようやく通行止めは解除された様子。

ということで、JR飯田線の大嵐駅に立ち寄ってみました。







さすがに本数が少ないです。私たちが訪れたのは12時すぎだったので、電車の発着は無いようです。



大嵐駅は前後をトンネルに挟まれております。

飯田方面の大嵐トンネル(延長:601m)。



豊橋方面の大原トンネル(延長:5,063m)



駅は島式ホーム1面2線の構成。駅の時刻表を見る限りでは、電車の行き違いがあるのは1日1回ですかね。





隣駅は秘境駅でも知られる小和田駅。



レールと車止めが間近で見られたので1枚。



駅から南に向かい、佐久間ダム建設時に廃線となったルートを少し歩いて見ます。

これは昔の大嵐駅のホームのようです。一部だけ残されています。



間もなく現れるのが栃ヶ岳隧道(延長:98m)。素掘りに鉄骨の支保工を入れた部分と支保工なし、コンクリート巻き立ての部分で構成されています。









この廃線跡は現在、静岡県道288号となっています。



こちらは夏焼隧道(延長:1,233m)。



ご覧のとおりトンネル内に照明が付いていますが、昔々(30年くらい前)、飯田線に乗って訪れたことがあり、その時はまだトンネル内に照明は無く、真っ暗闇のトンネルを一人往復した覚えがあります。



今回は寄り道なので、往復はせずにトンネルの坑口で引き返しました。

で、夏焼隧道の脇に、あからさまに不審な穴があったので入ってみました。



中はすぐに閉塞していました。





穴の場所や鉄骨の支保工が設置されているということで、何となく予想は付いていましたが、家に帰ってから検索してみたところ、JR飯田線大原トンネルの建設時の横坑のようでした。

車に戻る前に最後にダム湖畔へと下りてみました。

県道1号と大嵐駅を結ぶ鷹巣橋。



ちなみに、駅前からここまで下りてきたルートには階段があり、水面下へと潜っていっています。





多分、ダムができる前にあった川沿いの集落と大嵐駅を結ぶ階段だったのではないかと思っています。



この辺りを通る時は寄ったりする場所ですが、横坑とかダム湖畔へと下りる階段は初めて気が付きました。何かしら発見があるとまた楽しいものですね。



Posted at 2019/05/12 20:42:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年01月06日 イイね!

旧豊郷小学校と長浜鉄道スクエアへ行ってきました

1月5日土曜日、滋賀県までドライブしてきました。

普段だと名神高速で行くところですが、今回は東海環状道東員ICから国道421号石榑トンネルを抜けて滋賀県へ。石榑トンネルから滋賀県側の永源寺辺りまでは一面雪景色。

八日市を通過し、近江八幡付近からは国道8号を通らずに中山道で彦根方面へ。旧街道沿いに古めかしい家屋が続いています。

最初に立ち寄ったのは、犬上郡豊郷町の中山道沿いにある旧豊郷小学校です。



昭和12年の竣工。地元出身の名士の寄付により建設されたそうです。



正面玄関から入り1階廊下を進みます。

こちら階段に置かれているウサギと亀のブロンズ像。童話を題材に取ったものだそうです。





さらに廊下を進み講堂へ。



全面板張りで傾斜した床がなかなかすごいですね。



手すりの角のつなぎ目が、一本の木から削り出した捻り形状。芸が細かいです。



校舎へと戻り、階段で2階へ。







1階の各室は町の各機関が入っていたりするので、役場に居るような感覚ですが、2階は使われておらず、学校当時の雰囲気があります。





ただし、各教室は施錠されていて、いろんなイベントで使用されたであろう品々の倉庫と化していますけどね。

さらに3階へと上がります。

こちらは唱歌室。



右手の窓際には、持ち込みの人形を撮影中の方がおりました。

こちらは会議室。某アニメでよく知られている部屋ですね。





お茶会?の様子が再現されておりました。



やはり、普通の見学者よりは「聖地巡礼」組が多かったですかね。コスプレした方々もいましたし。



一巡りしてこちらはお暇させていただき、彦根市内のファミレス(笑)で昼御飯を食べてから長浜市へ。

長浜鉄道スクエアへ来ました。建物は明治15年完成の旧長浜駅舎です。







敷地内の庭に置かれている北陸本線の長大トンネルに掲げられていた扁額。

子不知隧道「大享貞」



山中隧道

「徳垂後裔」



「功和干時」



葉原隧道

「與國咸休」



「永世無窮」



柳ヶ瀬隧道

「萬世永頼」



「柳瀬洞道の碑」



前にも書いたことがありますが、廃線時や改修時に剥がしてきたものと思われます。

葉原隧道や柳ヶ瀬隧道は剥がした跡を補修されていますが、山中隧道は剥がされた跡が補修されず凹型に残っています。

中庭に建つ腕木式信号機。



この後は、鉄道文化館で展示物見物と昭和29年製作の特急つばめの映画を鑑賞。弟に蘊蓄を傾けながら見入っておりました(笑)。

続いて隣の北陸本線電化記念館へ。こちらは交流電気機関車のED70と蒸気機関車のD51が展示されています。



















小雨がパラつくあいにくの天気の中でしたが、良い気分転換になりました。



Posted at 2019/01/06 09:33:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記

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「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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