土曜日は、先週キャンセルとなった父とのドライブを兼ねて、新城市鳳来地区を巡ってきました。
刈谷市で父を乗せて、国道23号、オレンジロード、音羽蒲郡ICから東名高速、三遠南信道で鳳来峡IC、国道151号と大回りルートで鳳来地区へ。IC近くのサークルKで腹ごしらえして、国道151号を新城方面へと走っていきます。
長篠交差点で右折して県道32号へ。鳳来寺の表参道入口を通過して玖老勢を経由し、大石の手前で旧道へと右折。集落の中にある橋のたもとに車を停めて、下を覗いてみます。
木連橋(木蓮橋?)
旧伊那街道に残る石アーチ橋です。明治27年頃?の架橋らしく、石アーチ橋は愛知県内では珍しいものだそうです。
このまま旧道を直進。県道に出たところで鋭角に左折して、すぐ鋭角に右折します。ここから旧豊橋鉄道田口線跡を走行します。
トンネルの前で停車。反対側へと歩いていきます。
双瀬隧道
旧田口線跡のアイコンとして、旧大井川橋梁の橋脚と伴に紹介されることが多いトンネルです。
トンネルを抜けて、海老の町で再び県道32号に戻ります。少しだけ走ってすぐ旧道へと直進。海老小学校の下で停まります。
楊橋(やなぎはし)
橋の親柱には昭和7年5月改築とあります。
橋の下からアーチを見ると微妙にずれているようで、コンクリートの型枠の板の跡も若干傾いて付いています。
橋を渡り、集落の中の狭い旧街道を徐行で通り抜けます。県道に出て、またすぐに左折。また旧道の橋で停まります。
瀧上橋
こちらは昭和6年5月改築と読めます。
また県道32号に戻り北上、県道32号と県道389号が分かれる交差点の次の路地へ右折。与良木峠への道を登っていきます。この道は、おそらく旧伊那街道の車道改修時に造られた道だと思われます。
どんどん高度を上げていき、最初の切り通しを抜けて次の切り通しで車を停めます。
ここは切り通しの左側にU字型で昔の道が廃道になってます。
廃道の一番奥まで行くと、山の斜面にたくさんの石仏が並んでいます。
初めてここへ来た時は、廃道に石仏の集団があるとは全く思っていなかったので、「ビクッ!」としてしまいました。
今回、字が読み取れる石仏を見て回ってみると、大正から昭和初期の寄進のもので、西国三十三ヵ所巡りを模しているようです(光背に西國・〇番とある。年号や西國の文言がない石仏もある。)。
地元の方々もしくは街道を利用する方々の寄進によるものでしょうか。道が付け替えられた際に移転されず、もう忘れ去られてしまっているのかもしれません。
さて、もう少し先へ進むと峠に短いトンネルがあります。
与良木トンネル
(與良木隧道)
開通は明治27年。愛知県内に現存する道路トンネルでは最古(しかも現役!)と目されています。
トンネルの真上がかつての街道だそうで、馬頭観音碑が残っています。
ただ、本来の伊那街道与良木峠はさらに東側にあるそうで、時代によって場所が移り変わっているのかな?という感じです。
トンネルをくぐり、峠の曲がりくねった道を下りると隣町の設楽町清崎の集落に出ます。ここにも戦前架橋の橋があります。
大橋
昭和7年10月改築。この辺りの旧伊那街道筋の橋は大体同じ頃にコンクリート橋へ架け替えられていたことがわかります。
それから、橋の親柱(橋上の四隅にある柱)については、立て線模様が入っているなど、ある程度統一されたデザインが使用されていたことも伺えます(愛知県道やその旧廃道に残る昭和戦前架橋の橋で多く見かけます。)。
ここからは国道257号で設楽町田口まで行き、旧田口線跡を通って再び清崎へ。いい時間になったので国道257号で帰途へとつきました。

Posted at 2015/03/08 03:18:57 | |
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