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小林あにのブログ一覧

2019年12月01日 イイね!

旧北陸本線山中信号場跡と小刀根隧道

2019年11月30日土曜日、福井県南越前町に残る旧北陸本線山中信号場跡と敦賀市に残る小刀根隧道を見てきました。

当日午前中、春日野隧道の探索を終えて、次は旧北陸本線の廃トンネル群を通り抜けて、小刀根隧道へ向かいます。

国道8号から県道205号を経由して国道365号へ。途中のコンビニで昼御飯を食べつつ小休止。南越前町今庄からは県道207号へ入ります。この県道207号が旧北陸本線山中越えルートを転用した道路です。

初めは、この区間はそのまま通過するつもりでした(何度も来ているので(笑)。)。が、山中信号場跡まで登ってきたところ、かつての信号場内の木々や雑草が刈り払われていて、すっきりした風景になっていました。

「それならば、ちょっと立ち寄るかな。」ということで、急きょ寄り道しました。


駐車した場所から眺める信号場内のロックシェッド(上)と本線のロックシェッド(下)。ここ山中信号場跡は、1919年(大正8年)に開設されたスイッチバック形式の信号場でした。信号場とは、駅間距離が長い単線区間で列車の行き違いを行うための施設で(複線が単線になる場所にも設けられる。)、駅と違って旅客や貨物の取扱いはしません。


いつも山中隧道で引き返していて、ここ最近はこちら側まで来ておらず、「知らないうちにここまで整備されたのか。」と少々驚きでした。


立派な説明板もありました。説明板内の信号場レイアウト図は「?」な感じですが(笑)。もう少し写実的に書いていただけるとワタクシ的には嬉しいんですが。


さっそく敷地内へと歩いていきます。昔来た時は林道みたいな狭い道が木々や雑草の間にあったという記憶しかありません(正しいかどうかはあれですが。)。


あらためて見ると「長い!」。さすが幹線にある信号場の待避線です。特に幹線を行き来する貨物列車は長大ですから、待避線も長くないと本線にはみ出てしまいますからね。


傍らには線路に敷かれていたバラストがそこかしこに残っています。玉砂利なのが現役だった時代を感じさせます。


待避線用のロックシェッドです。枠が2つあるということは、当然、待避線が複線であったということです。複線が必要なほど列車(多くは貨物列車。)が行き来していたということですよ。




ロックシェッド横の擁壁に刻印された完成年月。「1955-10」ですから、1955年(昭和30年)10月。まだまだ国鉄が国内輸送に活躍していた時代です。


同じ時代の地方の国道がどれだけ貧弱であったかは、春日野隧道への旧国道を見ればよくわかります。長距離の貨物・旅客の輸送に鉄道が活躍していたのもうなずけます。

ロックシェッドの構造は、廃レールで組んだ骨格にコンクリート板を載せた簡素なものです。




天井を見ると、谷側が奥まで煤煙で汚れています。長い編成が入る線路が谷側だったのでしょうか?


ロックシェッドの先は杉林になっていますが、かつてはこの先まで信号場の構内が続いていたようです。


築堤の形がはっきりとわかります。


ロックシェッドまで戻ってきました。


信号場跡から敦賀側を眺めています。長さは500mくらいはあるんですかね。


私の車があんなに小さく見える(笑)。


説明板に当時の写真がありましたので参考に。昔と比べると杉の植林が増えています。周りに何もない山奥の信号場で多くの人が勤務していたんでしょうね。




本線(現在は県道207号)のロックシェッドです。






路肩に残っていた基礎と思われるもの。昔は待避線用のロックシェッドと同じタイプのものだったのでしょうか?


このあと、信号場内のレイアウトを確かめるべく、山中隧道横の引込線用トンネルまで歩いて登ります。引込線用トンネルは何度も立ち入っているので写真は無し。やはり長大編成用の施設だけあって移動も大変(笑)。

山中隧道をちょいと覗き込んで、


車まで戻ってきました。望遠で撮っているので強調されていますが、急勾配の峠であったことがよくわかります。


最後に敦賀市内南部の旧北陸本線小刀根隧道へ来ました。


敦賀側の坑口です。ここも何度も来ているので、今さらという所ですが、やはり寄ってみたくなる場所です(笑)。




要石に刻まれた完成年「明治十四年」。1881年になります。


私が住んでいる愛知県安城市は東海道本線が通っていますが、この当時はまだできていません(安城市内の東海道本線ができたのは1887年・明治20年)。

トンネル内の様子。


このトンネルの特徴は、側壁部分でしょうか。ほとんどは石積みとなっていますが、積み方が布積みだったり、乱積みだったり、中には岩盤をむき出しにした部分もあり、それらがまるでパズルのように組み合わされています。












米原側の坑口です。ご覧のとおり山の端に造られていて、トンネルというよりはロックシェッドでしょう。






帰りに退避坑をよく見てみたら、コウモリが1匹冬眠していました。




最後に敦賀側坑口からの眺めです。正面に県道140号の刀根トンネルが見えていますが、かつては旧北陸本線の刀根隧道でした。
Posted at 2019/12/01 18:00:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記
2019年12月01日 イイね!

廃トンネル「春日野隧道」へ行ってきました

2019年11月30日土曜日、福井県の越前市と南越前町の境の峠にある廃トンネル「春日野隧道」へ行ってきました。このトンネルは、現在も国土地理院の地形図に記載されているので、場所は容易に確認できます(簡単に行けるかどうかは別ですが(笑)。)。

北陸道を敦賀ICで下りてから、しばらく国道8号を走り、具谷第一トンネルの先にある林道へ左折してすぐの所に車を停めます。


ここから伸びる林道のような道が国道8号の旧道になります。


1958年(昭和33年)に現在の国道8号武生トンネルが開通するまでは、この道が福井市と敦賀市を結ぶメインルートでした。この旧道の峠に春日野隧道があります。

車を停めた場所は、川を跨ぐ巨大な築堤になっています。まずはこの真下にあるという石造暗渠へ行ってみます。


現代なら谷に背の高い橋梁を架けるだけのところですが、この旧道が建設された明治10年代後半ではそこまでの技術や材料が容易に調達できなかったのでしょう。川を石造暗渠で覆って、その上に大量の土を盛るという力技で克服しています。

高さ20~30mほどの築堤の斜面を下って、暗渠の前に来ました。


吐口部分は土砂崩れで壊れてしまっていますが、内部は石アーチがしっかりと保たれています。


この近くにある石造アーチ橋「桜橋」と同じ雰囲気です。


50mくらい進むと「くの字」に曲がり、後付けのコルゲート管に変わります。


曲折部の水深が深かったので、この先には進めませんでした。

暗渠内に1匹だけで冬眠しているコウモリさん。


さて、築堤の上まで登り直して、峠に向かって旧国道を歩いていきます。




私が暗渠へ行っている間に軽トラ2台でやって来た方達がいまして、「猟にでも来たのかな?」と思ったら、その方達は荷台からモンキー(かな?バイク詳しくないので(笑)。)を降ろして乗り換え、さっそうと追い越していかれました(笑)。

さて、この道、軽トラなら普通に走行できるくらいには維持されていますが、旧道としての面白さは特にありません。国道として利用されていたのならば、ガードレールとか駒止めとか道路標識とか何らかの痕跡が残っていてもいいようなものですが、そのようなものが全然見当たらないのです。なので、峠に向かいただ黙々と歩いていくだけ(笑)。

途中、道路の法面の上部にカモシカがいました。威嚇しているのかやたらと鳴いていました。


尾根を横切る切通しに来ました。ここまでくればもう一息です。


切通しを通り抜けると三差路があります。右が峠へ向かう道。左は日本海沿いの河野地区へと続く林道です(こちらも明治時代に開削された古道に由来する道だそうです)。


通行止めのお知らせ看板。「春日野隧道が崩落しているので通り抜けできませんよ。」と知らせています。


ここから路上に伸びる枝葉や雑草が増えてきます(歩行を妨げる程ではありません。乗用車で通行する強者もいるくらいですから(笑)。)。


ようやく春日野隧道に到着しました。車を停めた所から徒歩45分くらいです。訪れたのは4年半ぶり。


あらためまして「春日野隧道」。開通は1886年(明治19年)です。敦賀側の坑門はご覧のとおり外観はきれいに保たれています。


右側の倒木は以前からありましたが、左側はどうだったかな?朽ちてきているので、つっかえ棒にもなっていないみたいです。


扁額「賛化阜財」。


「明治十九年十二月」「正二位勲二等 源慶永」とあります。元福井藩藩主松平慶永の書によるものです。


それでは中へと入っていきます。


トンネル内はあちらこちらで水が染み出ています。


外から流れ込んでくる水のため、地面はぬかるんでいます。どう見ても軽四クラスの車両が進入していますね(笑)。


石積みが歪んでますね。きれいに四角形に整形してから積む方が簡単な気がしますが(笑)。


トンネルの中央部は乾燥していて、地面も土間のようにカチカチに固まっていて快適です。


天井部の煉瓦も汚れが少なくきれいです。


真ん中の岩塊を境に左右で石積みの段数が違ってますね。整然とした配置で造り上げることには全くこだわっていないようです(笑)。


いよいよ武生側坑口付近の泥沼が現れました…。前回訪問時も通過するのに大苦戦しました。


今回は少し突っ込んでみて、すぐに止めました。はっきり言って労力に見合わない(笑)。引き返して、トンネル真上にある春日野峠の古道を使うことにします。


もう目の前なんですけどね。でも前回は脱出に30分もかかっているので…。


左側の積んだだけの石積みと右側の何とか見目好く積もうと努力はした石積み(のように見えるというだけで、大変な労力を払って建設されたことは重々承知しております。)。


敦賀側坑口に戻ってきました。


坑口付近は大きな亀裂が走っているので、いつか坑門が倒壊する恐れはあるかと思います。




それではトンネルの左側斜面を一気に登り、春日野峠の切通しへと向かいます。


切通しの下の古道跡に出ました。切通しの頂上までも見上げるような急坂です。


春日野峠の切通しです。尾根を大きく切り崩してあり、周囲には峠でよく見かける石仏や石碑は見当たりません。トンネルを開通させる前にも明治時代初期に峠道を改修しているそうなので、その時の峠道かもしれません。


切通しの武生側は薮が広がっていますが、この程度なら問題ありません(笑)。


遠くの山並みまで見えて、良い眺めです。


切通しを抜けると古道跡は左側の斜面に沿っていきます。せっかくなので古道跡を辿ってみようとしましたが、じきに土砂崩れで途切れてしまったため、そこから一気に斜面を下り、トンネルの前へと出てきました。


春日野隧道の武生側坑門です。


隧道名が彫られた扁額。


こちらは通行止めの原因となった坑門の崩壊が生じています。数年来、何とかバランスを保っていますが、雨・雪のダメージにより左半分は常に倒壊の危険にさらされていると言えるでしょう。






ちなみに、この崩壊部分に鹿の頭骨が挟まっているのを見つけました。


どうしてあんな場所にあるのか、まったく見当がつきません。熊があんなところに突っ込むとは全然考えられないですし、物好きな人間の仕業としか思えないですね。

武生側から中を覗きます。


泥沼には多くの訪問者の苦戦の跡が見て取れます(笑)。


これで武生側坑口を後にします。


ふたたび春日野峠を越えて、


敦賀側坑口へと戻ってきました。


帰り道は、紅葉を眺めながらのんびり歩きます。




国道8号が近づいてきたらあとちょっとです。


車へ無事に戻ってきました。帰りもトンネルから45分ほどでした。

Posted at 2019/12/01 12:12:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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