本日もお昼頃からぶらぶらドライブ。
最初にやって来たのは、旧稲武町内である豊田市御所貝津町の旧飯田街道。
芝生敷きとなった道跡を進むと現れる橋。真弓橋です。竣工は1919年(大正8年)。本来の床版は無くなり、現在は歩道橋となっていますが実質は廃橋です。
何となく柔らかい(腐りかけ?(笑))木製の床板を渡って対岸へ来ました。
構造としては鉄筋コンクリート製のアーチに井桁状の橋脚を組んだもの。今日はこのあと、さらに同タイプの橋を3カ所回ります。
旧国道153号に架かる二代目の真弓橋からの眺めです。
続いてやって来たのは、旧稲武町内の豊田市川手町にあるウルシゼ橋。現在は老朽化により通行止めとなっています。
ウルシゼ橋の竣工は、1918年(大正7年)。国道257号の元となる街道に愛知県が架けた橋ですが、街道が何街道と呼ばれていたのかはわかりません(美濃街道らしいですが、三河国側から美濃国へ行く街道はそうなりますからね…。)。
この橋は、橋脚の井桁がややハの字型に広がっているのが特徴です。
橋の遠景。
アーチが扁平なので、井桁の高さはあまりありません。
次も旧稲武町内である豊田市大野瀬町に来ました。私が立っている道が旧飯田街道になります。
街道の傍らに石仏が2つ。
手前側は表面が摩滅していていますが、真っ平なので仏像が彫られていたのではなく菩薩名などが彫られていたと思われます。奥側も文字で、おそらく「馬頭観世音菩薩」と思われます。裏面には「大正八年三月 西尾○」とありました。
ということで、前橋です。竣工は1919年(大正8年)12月。
橋のたもとにある案内板に竣工当時の写真がありました。
相当古い橋なので、2トンの重量制限があります。
親柱には「大正八年十二月架」とあります。本当は「架橋」か「架設」でしょうが、最後の文字は道路に埋まってしまっています。
欄干は低くて華奢な造りです。竣工当時の写真だと元々は木造だったように見えます。
転がされたままの親柱。現存している親柱2本は、両方とも竣工年月が彫られているので、この親柱にはおそらく橋名が彫られているのでしょうが、確認しようもありません…。
欠損した欄干から鉄筋が覗いています。古い時代の鉄筋コンクリート建造物らしく丸筋が使われています。
やや下から見上げた写真です。橋自体も現代から見れば華奢な造りです。
次は橋ではなく、国道153号のプチ廃道。豊田市小田木町内です。
何年か前に刈り払いが行われてから、きれいに保たれています。
往時の国道153号は、こんな感じだったのでしょうね。
さて、今度は伊勢神トンネルの下、豊田市連谷町と小田木町の境に残る郡界橋です。竣工は1917年(大正6年)。かつては、東加茂郡と北設楽郡の境界だったためこの名前が付きました。
旧飯田街道(ウルシゼ橋は違いますが。)に残る大正時代の鉄筋コンクリート造アーチ橋群の中では一番立派ですが、ここも老朽化を理由に通行止めとなっています。
欄干の意匠は、「X」の連続模様。
郡界橋のたもとにある旧飯田街道の暗渠。
側壁は石積みですが、天井板はコンクリート製です。
段戸川の河原から見上げた写真です。
今までに見てきた橋と違い、アーチ部や井桁の部分には補強用の鋼材がはめ込まれています。
河原からの高さも一番で、井桁の数も一番多いです。
この橋が架かる前の旧飯田街道はもっと下流で段戸川を渡っていました。ここは伊勢神峠と水分峠という2つの峠の間なので、標高の高い地点で川を渡れば、その分、峠への上り下りも減るわけです。
各部材の角はきれいに面取りされています。
こう見上げているとけっこう長い橋に見えてしまいますが、橋長は25m程しかありません。
床版が井桁と並行に敷かれているので、今の橋梁から見ると強度の面では頼りない感じがします。
最後にやや高い視点からの写真です。
今回行く予定の橋はすべて回ったので、ちょっと伊世賀美隧道へ寄り道。
以前にトンネルの稲武側の旧道の暗渠をチェックしたので、ついでに足助側の旧道の暗渠をチェックしてみることにします。
ただ、足助側の旧道はトンネルからさらに上にある愛知高原の開発に合わせて改修されているので、あまり期待はしていませんでした。
ところが、トンネルから最初の沢に降りてみると往時の石造暗渠のまま。
反対側の斜面を下っていくとそちら側も健在。道路幅は変更されていないということでしょうね。
内部もしっかりしています。
ただ、この暗渠の横の石積み擁壁は土圧に負けてだいぶ膨らんでいました。
次は三つ目のヘアピンを曲がった先で停車。上の道の斜面を見上げるとそこにも石造暗渠があります。
近づいてみると中腰なら入れるほどの大きさ。
この趣味をやっている人にはわかってもらえると思いますが、入れそうな穴には取りあえず入ってみます(笑)。歪みなく保たれてます。
反対側は土管が直結。上の道路からはわからないわけです。
穴の間口が大きいだけあって、天井の石板もきちんと加工したものが道路と平行になるように並べられています。
そのまま車を停めている道路の下を覗くとそこにも石造暗渠がありました。ここは少し崩れてしまっています。
内部は先ほどの暗渠同様、きれいな状態で保たれていました。
ここから下の沢では、ボックスカルバートやコンクリート橋に改修されてしまっていました。
さて、愛知県が大正年間に稲武地区の各所に架橋した鉄筋コンクリート造アーチ橋群も、今や車が通行できるのは前橋のみ。真弓橋は本来の機能を終えて歩道橋扱い。ウルシゼ橋と郡界橋は老朽化により通行止め。特にウルシゼ橋は危険な状態らしいので、安全のために撤去される可能性もあります。
これが江戸時代や明治時代の石橋なら修復・保存される可能性もありますが、特異な装飾を施されているわけでもない古い鉄筋コンクリートの橋では保存のための理由付けが弱い(立派な装飾がされていた橋ですら、交通障害となるために撤去・架け換えされているのが現状。)。地域交通史の面からは貴重な橋梁群であることは認められてはいますけどね。
何年、何十年後になるかわかりませんが、最後は朽ちるに任せて崩壊していくことになるのかなぁ。