本日は、奈良県宇陀市室生の山中に残る明治時代に開削された旧伊勢本街道の新道跡へと行ってきました。本道は、旧国道369号の大内峠から栂坂峠の区間のうち、上田口地区と栂坂峠をショートカットするように造られた山道です。
これは、5万分の1地形図「高見山」(昭和6年部分修正測図)の部分アップですが、この地図の下部を横切る破線道がそうです。そして、この区間にはトンネルが2か所記されています。
事前に他の訪問者の方のホームページなどを確認してみたところ、道中は険しそうな雰囲気ではなかったので、山歩き代わりに母も連れて行きました。
スタート地点となる上田口地区の奈良県道28号(旧国道369号)と旧伊勢本街道新道跡との分岐点です。現在の道は谷に沿って栂坂峠へ向かうために一旦坂を下っていきますが、旧街道はショートカットするコースのため、山へと上っていきます。
路面は洗掘で荒れてはいますが、ジムニークラスなら難なく入っていける道です。
さっそく最初の目標物に遭遇。煉瓦造の暗渠です。
しっかりした造りですが、沢筋でもない場所になぜ暗渠を設置しているのかよくわかりません。
アーチ部は二重巻きです。
中を覗いてみても、奥は土砂に埋もれているだけです。
坑口からすぐの所には円周状に亀裂が入っています。
最後にまた全景です。ぱっと見、路上からではまず存在はわからないでしょう。
また進んでいくと、正面に低い尾根が見える、やや開けた場所に出ます。
道を外れて、真正面となる尾根の下あたりが、この廃道区間の一つ目のトンネルである秋霧隧道があったと思われる場所です。
周囲を見渡すと斜面が崩れた跡や地面が凹んでいる場所があり、トンネルがあったのかと想像させられます。
トンネル跡はこれくらいにして、引き続いて写真右手へと進んでいきます。
間もなく、路肩に2つ目の煉瓦造暗渠が現れます。急斜面に降りないといけないので、写真を撮るのになかなか難儀します。
ここも坑口からすぐの所に亀裂が入っています。そのためなのか、やや「くの字」に屈折しています。
こちらも奥は土砂で埋もれています。
亀裂部分を覗くと、内部のアーチ部も二重巻きですね(当たり前ですが。)。
つづいて、秋霧隧道があった尾根を切り通しで抜けていきます。
道の先に日が当たる場所が見えています。秋霧隧道の反対側の坑口の推定地です。
道から右手に入ると、トンネルがあったと思われる地形が2か所見えます。地表に何も痕跡がないため特定はできません。
道に戻り、先へ進むと三差路になりますので、左へと曲がっていきます。
その先に現れる檻。道の真ん中に置かれています。
檻の後ろの土砂崩れを越えて、奥へと進んでいきます。ここから廃道らしくなってきます。
2つ目の檻登場。
檻の横を通り抜けると暗い林の中へと入っていきます。道に刈り払われた木が置かれていて歩きにくいので、母はここで待つことに。
道の上の枝が積み重なっている所には、小さな沢が流れています。
沢の中には煉瓦が2、3個転がっていました。
沢を越えて廃道を進んでいくと、ようやくトンネルが見えてきました。
深霧隧道です。開通は1883年(明治16年)だそうです。当初は素掘りで、のちに一部煉瓦巻きへと改修されたとのこと。
ご覧のとおり埋没して、トンネル上部の一部しか見えていません。
アーチ部は4重巻き。剥落したのか破壊されたのか断面がボロボロになっています。
煉瓦アーチ自体はしっかりしていますが、素掘りのままだった所から土砂が崩落しています。
本当はトンネル上の尾根を越えて、反対側の坑口の状況を見分しに行くつもりでしたが、母に「暗くなると怖いから早く戻りたい。」と釘を刺されていたので、やむなく引き返すことにしました。
これにてトンネルとお別れです。
トンネル前の廃道。道があったことがよくわかります。
小さい沢に残る石積みの橋台と思われるもの。
日が当たる場所でひとり待っていた母。戻っていったら「一人で待っていると怖い。猪が出るかもしれないから早く帰ろう!」と言われてしまいました。
母の足に合わせてのんびりペースでしたが、トンネル前から20分弱で車まで戻ってきました。
今回一回ですべて片付けるつもりが、積み残し案件を作ってしまいました…。早急に深霧隧道の反対側の状況を確認しに再訪問したいと思います(検索してもやはり反対側の状況がどうなっているのか出てこないので…。)。
おまけで、帰りに近くの旧国道369号栂坂峠へ寄り道。「何かあるかなぁ。」という程度のつもりでしたが、ミニ廃道があったので写真に撮っておきました。