現地に行ってから1年半ほど放置していた探索案件です。この時のメインイベントは「奥羽本線赤岩-板谷間の廃線跡に残る廃トンネル群を踏破する。」ことで、こちらはおまけ案件だったので、載せることもなく今までお蔵入りにしていました。
2018年11月24日土曜日、奥羽本線赤岩-板谷間の廃線跡に残る廃トンネル群を踏破するために福島市へとやって来ましたが、その前に「ある方」の依頼を実行するため、広域農道荒井庭坂線と奥羽本線が交差する地点へと寄り道しました。
「庭坂の大カーブ」と呼ばれる築堤区間です(この写真自体は、本件探索の最後の方で撮ったものですが、全景を見せるのにちょうど良かったので。)。
今回の依頼は、この築堤に4か所ある煉瓦造暗渠の名称を確認することです。
趣味で鉄道の古い煉瓦造や石造の暗渠やアーチ橋を探したりしますが(道路もしますけどね。)、見つけたらその建造物の正式な名称もやはり知りたいというのが人情。しかし、部外者である我々がJRの資産管理台帳のようなものを容易に閲覧できるわけもなく(当然、公開されているわけではないので。)、そうなると現地確認しかないわけです。
明治や大正などの古い時代の建造物の場合、現場に名称や竣工年月を記した銘板を設置する考えはなかったようで、その場合は泣く泣く名称の確定をあきらめるわけですが、中にはコンクリート造で増設や改修をされた際に銘板が設置され、それにより名称が判明することがあるのです。ここもそのパターンで名称が確定できそうな場所でした。
ですが、「ある方」は夏にこの場所を訪れ、激しく生い茂る雑草の前に確認を断念せざるを得ませんでした(これもまたよくある話…。)。そこで、私が確認してみようと思い立ったわけです。
前置きがだいぶ長くなりましたが、本題に入ります。庭坂駅寄りから順に赤岩駅方面へと確認していきました。
馬場川橋梁。この時期ですら手が届きにくい頭上で枯れ枝が複雑に絡み合い、銘板を確認するのに相当苦労しました。
この周辺は、基本、下り線側が旧来からの煉瓦造暗渠で、上り線側にコンクリート造で増設した形になっています。全て上り線側から進入しました。
下り線側の坑口に来ましたが、ご覧のとおりで外に出ることはできません。また、下り線側もコンクリート造で増設されています。
振り返って、上り線側を眺めています。
次にやって来たのは、地神前橋梁。
ここは狭くて中腰がやっとの高さしかありません。無理な姿勢で撮ったので、写真が傾いています。
煉瓦部分に来ました。奥が真っ暗なので、埋まっているか土管などになっているかもしれません(外から見ても反対側は見つけられませんでした。)。
反対側へと通り抜けられないのであれば、この窮屈な姿勢でいるのもバカバカしいので(そもそも入り込んでいること自体がおかしいのですが(笑)。)、ここで引き返しました。
続いて、大堀川橋梁。
ここは、人道兼水路暗渠になっています。4か所の暗渠のうちで人が通行できる唯一の暗渠です。
増設部分のコンクリートが煉瓦アーチにぴったりと接合されています。
人が通れて古臭そうな物件だと、落書きがつきものです。でも、ここは周りに人家のない田園地帯なんですけどね。わざわざ見つけてやって来たと思うと、エネルギーありますよね。
下り線側に来ました。
こちらにも両側に落書きがあります。何となく作品っぽくなってはいますね。
下り線側の坑口の全景。5重巻きの半円アーチです。
最後は、窪田堀橋梁。
縦長形状の水路暗渠です。
下り線側に来ました。こちらはそのままよじ登って出られます。
下り線側の坑口の全景です。多分、「引き」で撮れなかったのだと思いますが(忘れた(笑)。)、写真が上下に分けれています。
この後も、さらに漏れがないか線路沿いに進んで確認していきましたが、煉瓦造・石造とも暗渠はありませんでした。
とにかくこれにて依頼は無事終了。「ある方」の掲示板へ書き込みをしてから、次の目的地へと出発しました。

Posted at 2020/04/19 11:52:03 | |
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