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小林あにのブログ一覧

2020年06月16日 イイね!

豊田市栃立町内の古道をさまよう

2020年6月16日火曜日、今日は仕事がお休みだったので、豊田市栃立町へと出かけてきました。

昨晩、何気に戦前の地形図と今の地形図を見比べて、廃道になっていそうな道を探していましたが、たまたま豊田市栃立町を通る愛知県道477号のルートを見比べていたところ、現在の県道はこの町内にある寺院の山側を通っていますが、昔の道は寺院の谷側を通っていることに気が付きました。

地図内の赤丸がその寺院です。

現在の地形図。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

戦前の地形図。

※5万分の1地形図「足助」(明治24年(1891年)測図、昭和3年(1928年)要部修正測図、昭和6年(1931年)発行。)。

しかも、昔の道は現在の地形図には徒歩道表示ですら記載されていません。豊田市内の山間部と言っても旧下山村なので自宅からはそんなには遠くない。小ネタ探しのつもりで出かけてきました。

どのあたりから古道に入れるのか一応予想を立てて、豊田市栃立町と田平沢町の境付近の県道477号の路肩に車を駐車。


車の後方に県道から下へと降りる小道があったので、入り込んでみます。


「なぜこんな所に?」という場所に出入口やスロープ、ガードなどが設けられている場合がありますが、それは里道(道路法の適用を受けない法定外「公共物」である道路。)が接続・交差しているため、利用する者の有無にかかわらず出入りできるようにしてあるわけです(当然、違う理由の場合もありますが。)。かつての街道や里道だった場所は、現在も里道のままになっていることがあるので、そこに期待してみたわけです。

ということで、期待して入ってみたわけですが、道があったのは最初だけで、しばらく歩き回ってみましたが、どうも単なる杉林だったようです。


引き返すのも何なので、けもの道を辿って奥へと進んでみます。これも毎度のことですが、進むうちに古道と交差するだろうと思っているからです。

杉林の中のけもの道を進んでいたところ、斜面の下方にU字型の窪みを発見。

とりあえず古道を見つけました。


自分が期待している県道477号の前身にあたる古道なのかはまだ分かりませんが、どこから登ってきた道なのか突き止めるため、一旦、道を下っていきます。

5分ほど下ると県道337号へ出てきました。


県道477号は山の中腹にある集落を縫っていく道ですが、県道337号は県道477号に並行しつつ巴川沿いを行く道になります。ちなみに県道337号ルートの道は、戦前の地形図にはありません。

場所を確認したところで、あらためて古道へと戻ります。後で戦前の地形図を見直してみたら、古道はこの辺りから山へと取り付いていたようです。しかし、この状態では県道337号側から調べていたら絶対に分かりませんね(笑)。


さて、山の斜面をどんどんと登っていきます。さすがに県道477号まで出られると目的の古道ではなくなってしまうのですが…。




苔むした倒木が折り重なる沢…。古道はこれ以上は登らずに対岸へとつながっているようで、まずは一安心。ですが、この倒木群は渡れませんねぇ…。山側に大きく迂回します。


何とか沢を渡り、引き続き古道を辿っていきます。




U字型の道。古い街道などの特徴ですね(私はそう思っています。)。


二股の分岐が見えてきました。しかも真ん中に大きな石碑が立っています!


「やったぁ、何か立ってる!」と駆け寄って見てみたら道標でした。「從是左高福寺道」とあります。


道標にある「高福寺」は、ここ栃立町にある古寺で創建は1490年。今回の古道探索の目印にした寺院でもあります。この道標がこの古道に向けて立っているということは、この道が戦前の地形図に記載されている、寺院の谷側を通る古道で間違いがないということでしょう。

それにしても、古い時代の旧・廃道を辿っていてテンションが上がる時は、何といっても石造物を見つけた時ですよ(他には何も無いとも言える(笑)。)。石積み擁壁、石積み橋台、石仏・石碑、道標といったものですね。

特に、地域間を結ぶ街道ではなく、今回のような生活道路的な古道ではほとんど見かけることがありませんからね。

気持ちを落ち着けて、引き続き古道を辿っていきます。


が、前方に笹が現れました。道跡もはっきりしません。これは崩落地になっているようですね…。


完全に笹薮に視界を塞がれました…。とりあえずは、古道と同じ高さの場所を進んでみるしかありません。


笹薮を抜けたところで周囲を確認したところ、山側の一段上の平場にピンクテープを見つけました。


ピンクテープは、土地の調査に関連して付けられているようです。枝などにぶら下げて点々と連続するように各所へ付けてある場合は、道跡や鉄道跡、用水路跡を示してることが多いので、こういう時は頼りになります。まあ信用し過ぎても痛い目を見ますが(笑)。

古道へと登り直します。来た方向を見ていますが、これではどこが道だったのか分かりません。


そして、道が復活したのもつかの間…、


さらに規模の大きい崩落地に出ました…。ただの斜面にしか見えません。


最初の小さな沢を渡って振り返ってみました。巨岩の下まではちゃんと道があったのですが…。


とにかく進まないとこの先に古道が残っているのかわからないので、古道が通っていた高さに注意しながら、少しづつ進んでいきます。

何とか渡り切った先に、ピンクテープがありました。


これは、どうやら交差する別の古道に対して付けられているようです。


しばらく周囲を見渡し、特に前方に道跡らしきものがないか確認します。

何となく道跡らしいものを見つけました。ただ、地形が道らしく見えることはよくあるので、間違っていたら素直に引き返すつもりで進みます。


堀割りの道ですね。枯竹が折り重なっているので、ここは迂回します。


一気に登っていますが、跡を辿っていきます。


短く切られた丸太と敷き詰められた枯れ枝で、非常に歩きにくいです。


県道477号へと出てきました。しかし、ここは自分が想定していた合流場所と違います。どうも手前に出てしまったようです。


どうやら、崩落地を渡った後でルートを間違えたようです。

崩落地を渡った後にあったピンクテープの所まで戻ってきました。今度は、ここから下へと向かう古道を進んでみることにします。


道跡は不鮮明ですが、何となく窪みが続いているので、辿ることはできます。


道がX字に交差するところへ出ました。


私が辿ろうとしている古道は、地図上では山の中腹を上下しながら通っているので、ここは左へと曲がります。


曲がってからしばらく進んだところで、左側の路肩にある物に目が行きました。


「石仏だっ!こんな所にあるなんて!」。峠でも集落でも交差点でもない、ただの林の中にあるとは意表を突かれました。


間近で見ると穏やかなにこやかなお顔をしています。光背部に刻まれている「明治」という年号がかろうじて読めます。


この古道は、先ほどの寺院への道標にこの石仏と、日常の生活道路以上の交通も担っていたのかもしれません。

この先は、現道につながるまで古道が残っていることを期待して進んでいきます。


堀割りが残っています。これも古道の証ですよ。


「これは大丈夫そうだなぁ。」と思って堀割りを通り抜けたら、すぐに古道がザックリと抉り取られていました…。


作業道に潰されてしまったようです…。


そして、その作業道もすぐに無くなってしまいました。


ここからは先は、全く道跡がわからなくなってしまいました。




古道とだいたい同じ高さを進んでいったところ、目の前に緑色に染まる大きな斜面が現れました。


戦前の地形図だとあの斜面を下から上へと斜めに横断していたようです。予定では、あの斜面の上に出て終了とするつもりでした。ただ、地形図を見ると、斜面には三本の沢があるようですし、上半分は畑になっているようなので、そのまま通り抜けられるのか分かりません。

まずは何とか緑の斜面へと近づこうとしましたが、手前に深い沢があり、対岸へと渡るのは難しそうでした。


斜面を眺めても、道らしきものがはっきりしなかったので、これ以上進むのは止めて引き返すことにしました。

帰りは、さらに下にあった細道を辿っていきます。




沢でまたしても道がわからなくなってしまったので、斜面を上へとよじ登っていったら廃作業道にでました。


ひとまず、X字交差点まで戻っていきます。






ここから登り返して元来た道を戻っても、崩落地を越えるのが難儀なため、直進して帰ることにします。


一応、道跡は続いています。


巨岩の下まで来たところで、また道跡が行方不明になってしまいました(笑)。


幸い、巨岩の下をチョロチョロと流れる沢の下流にピンクテープを見つけることができたので、ふたたび道跡を追っていきます。






まともな古道らしくなってきました。


と思ったら、県道337号に抉られていました…。




山側に高巻きして何とか先へと進みます。


いよいよ県道337号が近づいてきたので、県道へと降り立ちました。




少し歩いたら茶畑に出ました。正面右側の杉木立が行きに古道へと入り込んだ場所ですね。しかし、さすが狭小県道、狭い!でもインプレッサでもギリギリ走れますよ(笑)。


この後さらに20分程歩いて車に到着しました。最後は登り坂だったので堪えました…。結局、そんなに広い範囲を歩いたわけでもなかったのに、栃立町の山の中を3時間以上さまようことになりました…。

まあ、思ってもみなかった道標や石仏を見つけることができたので、その点は良かったですけどね。

※後日、別件の探しもので下山村誌を読んでいたら、この栃立町を通る古道は、どうやら明治29年(1896年)に東加茂郡が重要里道に認定した「大沼街道」という道の一部のようでした。

東大沼(下山村の中心地。)~梶~平瀬~栃立~立岩~大林~高野~阿蔵(足助と新城を結ぶ重要里道「下山街道」との結節点。)という経路の道で、東大沼~大林が現在の愛知県道477号に概ね相当します。

「大沼街道」は繰り返し改修・補修工事がされていたようで、私が考えていた以上にこの地域にとっては大切な道だったようです。
Posted at 2020/06/16 21:43:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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