2020年7月23日木曜日、浜松市天竜区佐久間町浦川川上~浦川吉沢間の古道を辿ってきましたが、今回はおまけとしてスタート地点から1kmも進んでいない地点で入り込んでしまった、縁もゆかりもない徒歩道について書き留めます(笑)。
入り込んだ徒歩道のおおよそのルートを赤線で記してあります。ちなみに、青線が今回のターゲットとしていた古道のルートです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
距離にして片道約1km。平地の1kmならば大したことも無いのですが、この間に小さな峠を2つ越えています。そして、赤線と青線を見比べれば、全く見当違いの方向へ進んでいたこともお分かりいただけると思います(笑)。
それでは、本題に入ります。
ここは、林道と本件の徒歩道との分岐点です。
山城跡から林道へと合流した地点で道路台帳図を見た時に、林道と古道がこの付近でふたたび交差することだけは確認していたので、この場所に来た時は何の疑問も持っていませんでした。なので、交差地点であらためて図面をチェックすることもしていません。それが墓穴を掘る原因になるとも気付かずに…。
徒歩道の入口に中部電力の高圧線鉄塔の巡視路の案内板が立っています。「西渡鳳来線」の巡視路のようです。
徒歩道へと進入していきます。
石積み擁壁があります。
今まで見てきた廃・古道の中では、こういうものは、やはりそれなりの「格」のある道でないと造りませんから、早くも頭の中は「この道が古道の続き。」という考えに染まっています。本当は徐々に方角がずれていっているのに…。
岩場に橋が架かっています。本当は石積み擁壁で道を造ってあったはずですが、崩れてしまったのでしょう。こういう時、道が巡視路に使われていると本当に助かります。
岩壁に沿って右へ曲がると連続して橋が架かっています。奥の橋の下には小さい滝もあります。
もし橋が架かっていなかったら、ここで引き返していたでしょうね。
奥の橋から先は急坂で斜面を登っていっています。
橋のたもとに制限荷重のプレートがあります。150kgとありますから、大人が二人同時に乗るのは危ないかもしれません。
渡ってきた橋を振り返ります。岩壁を削ったり、石積み擁壁を築いて道を通しています。なかなか良い景色です。
谷へと流れ落ちる小さな滝。高さ10mくらいはあるでしょうね。
橋の先の路肩にも石積み擁壁があります。この先は徒歩道らしい急坂です。
道よりも一段高い平場があったので、そこから全景を撮りました。難地形にこれだけの幅の道を通していることもあり、いよいよ古道の続きと確信します(笑)。
ここであんまり時間を掛けるわけにはいかないので、急坂を登っていきます。
切通しを通り抜けます。
切通しを抜けると高圧線鉄塔の巡視路は左へとルートを取ります。私は道の右側の山に沿って進まなければいけないので、右へと曲がっていきます。
けっこう切り立った場所を通り抜けていきます。う~ん、いいですねぇ(笑)。
路上がガレてきました。上部の斜面が崩落しているようです。
ここも道の上部から下の沢まで崩落しています。写真右下にかろうじて石積み擁壁が残っています。
で、写真に写っている倒木を跨ごうと石の上に乗ったら、いきなり谷側へとぐらつきました。とっさに石から降りて、その石を手で押さえましたが、手を放そうとすると谷へと転がり落ちてしまいそうです。
仕方が無いので、慎重に石を持ち上げてみます。どうやら私の非力な腕力でも持ち上げられそうだったので、腰を入れて持ち上げて山側の路肩に置きました。
はあ~、これはちょっと迂闊でした…。もしも持てない程の重い石だったら落石させていたかもしれませんし、それ以前にバランスを崩して自分が谷へと滑落していたかもしれません。
気を入れ直して先へと進みます。
ほどなく開けた場所へと出てきました。
山深さを感じさせる風景です。こんな場所を一人で歩いているわけです。
景色が開けたのは伐採地に出たからでした。
この伐採地、通り抜けるのに少々難儀しました。
道跡は続いていますが、幅は30cm程度。地面は乾いて固まっており、道跡自体が谷側へとやや傾斜している部分も多く、そこに石が転がっている状況。足を滑らせたら、岩や切り株にぶつかりながら滑落することになるので、けっこう緊張を強いられた場面でした。
ひとまず無事に伐採地を通過しました。
なかなかごつい石積み擁壁。
林の中に入ると、徒歩道は沢沿いに進んでいきます。
沢の合流地点まで来たところで獲物を発見(笑)。石積みの橋台です。
これまた徒歩道への(この時点では古道への。)期待をさらに膨らませてくれる遺構です。
沢の中から両側の橋台を撮ります。
ついでにここで顔を洗い、腕にも水を掛けて冷やします。暑い時期の探索には、本当に沢の水は重宝します。手持ちの水分を使うことなく、汗を流したり体を冷やしたりできますからね。
対岸から橋台を眺めます。橋台となる部分以外は盛り土だけでも良さそうなものですが、増水時に流されないように側面を石積みで固めたのでしょう。
合流するもう一つの沢にも石積み橋台がありました。
沢に沿ってさらに奥へと進んでいきます。
沢の中に背の低いコンクリート造の堰堤があります。ここから水を引き込んでいるようです。
先ほどの橋跡でパイプが沢を越えていましたが、ここから引き込まれたものだったのですね。
道が沢に削られた場所もありましたが、気にせず進んでいきます。
もう1か所、沢の合流地点を通り過ぎ、正面に尾根が近づいてきました。
沢の流れも消え、徒歩道は沢を跨いでいきます。
そして、ここで道が消えてしまいました…。「あれだけの橋台を設置して通している道だから、どこかに痕跡があるはずだ。」と周囲の斜面に目を凝らします。
何となく右にカーブしていく道跡らしきものが見えました。これを登っていくことにします。
折り返して、さらに上へと登っていきます。
点々と残る道跡らしきものを辿り、尾根の上へと出ました。
小さな切通しがあります。切通しと言っても単に地面を50cmほど抉っただけのものですが。
ここで初めてこの道に対して疑問を持ちました。
「道が消えるのはいいとして、歩いてきた沢から一番登りやすい尾根にある切通しがこの大きさなのはおかしい。ターゲットの古道は村と村をつなぐ道だったから、それならばもっと尾根を越しやすいように、少なくとも最初に通り抜けたサイズの切通しがあったはずだ。」
尾根を越えた先にも道跡がかろうじて残っていましたが、踏み跡のような何とも細い道…。それでも「この先に何かあるかもしれない。」と進んでいきます。
沢の奥へと続く道が無い…。
ようやくここで「道を間違ったな。」と判断しました。
「そもそも、今回のターゲットである古道は、『尾根近くを縦走する道』。いつまでたっても尾根に戻らずに山の中腹や沢沿いを進むこと自体、おかしいじゃないか…。」と。林道からこの道に入って1時間10分ほどが経っていました。
危ない場所には注意を払いつつ、足早に林道へと戻ります。
引き返し地点から1時間後、林道へと戻ってきました。結局、2時間強の時間を間違った道の探索でロスしたことになりました…。
今回のこの間違いは、この徒歩道の状況が、私が最近よく探索する古道の状況にマッチしていたことで、ターゲットの古道そのものを辿っといるとすっかり錯覚してしまったことが原因ですね。そのために、途中で道路台帳図を確認することもしていませんでした。
まあ、滝付近の道とか、石積み橋台とかを確認できたのが慰めといったところです。
しかし、なぜこれほどの普請をして行き止まりとなる道を造ったのかという疑問はあります。地形図を見直すと、引き返し地点から先へと進んでいったとしても、標高566mの無名の山へと至るだけで、違う谷の村へとつながっているわけでもありません。
高圧線や鉄塔の建設には関係なさそうですし(鉄塔がいつ建設されたのか確認したわけではないので、全く関係ないとは言い切れませんが。)、二つ目の峠から先の道は別として、私が予想できるのは森林管理や木材搬出用に造られた道(木馬道など)なのかなというくらいです。