2020年8月22日土曜日、北設楽郡東栄町大字三輪と浜松市天竜区佐久間町浦川川上の静岡・愛知県道9号をつなぐ古道を探索してきました。
現在、静岡・愛知県道9号は、浦川川上の集落で長野・愛知・静岡県道1号から分岐して「相川」という川に沿って通っています。しかし、戦前の地形図を見ると、相川沿いの県道9号ルートは浦川川上からではなく、JR飯田線東栄駅付近の別所街道から分岐して南方向へと向かってから峠を越えて、峠の直下で相川を渡り、以南でようやく県道9号ルートになっています。
県道9号の前身道の一つであるこの古いルートの道を探索してみたわけです。
今回の古道探索の参考にした戦前の地形図はこちら。図中の赤丸内の道を探索しました。

※5万分の1地形図「本郷」。明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入。昭和7年(1932年)発行。
実際に歩いたルートはこちら。赤丸が駐車場所。青丸が静岡・愛知県道9号との合流地点。赤線が行きのルート、青線が帰りのルートです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
さて、JR飯田線東栄駅の駅前にやって来ました。
ここから徒歩で古道が通っていたと思われる場所へ向かいます。
東栄駅のすぐ西側にある寺前踏切。傍らには秋葉山常夜灯があります。
この常夜灯がある場所が墓参者用の駐車場になっていて、ここから沢伝いにある廃道へと入っていきます。
しばらく廃道が続いていましたが、山が迫ってきたところで無くなってしまいました。
いったん沢から上がり、周囲の確認をします。
山側に建っている水道関連と思しき施設の横に、高圧線鉄塔の巡視路の標識があったので、これを辿ってみることにします。
急斜面に電光型に浅い堀割り道が造られています。道をもっと左右に振って造れば、もう少し緩やかな坂になると思うのですが…。
峠の切り通しへ登ってきました。周囲を見渡してみましたが、木々で視界が効かず、この峠が正解なのかはっきりしません。
そこで携帯電話で位置確認をしてみたところ、古道の峠よりも西側にずれていることがわかりました。矢印の地点になります。
古道が通過する峠へ向かうため、切り通しから東側へと向かっている高圧線の48番鉄塔への巡視路を辿っていきます。
途中の小ピークから相川の谷を見下ろします。
48番鉄塔を通過します。
鉄塔を通過した先から一気に下っていきます。巡視路になっているので、簡易な階段が設置されている所もあり助かります。
階段を下りた所に石垣で囲われた平場がありました。ここは巡視路になっている尾根道以外には道が無い場所ですし、尾根の上という立地からして、小さな神社かお堂が建っていたのかもしれません。
さらに下っていくと石垣が積まれた場所がありました。先ほどの平場に関連して普請されたものかもしれません。
尾根筋をどんどんと進んでいきます。
やがて尾根が無くなり、谷に向かって急激に落ち込む地形になりました。
ここで地形図を確認したところ、本来は県境が通る尾根を進んでいくべきところ、違う尾根へと入り込んでしまったようです。星マーク付近になります。
どうやら48番鉄塔の手前で左側へと分かれていく尾根があったようです。
この地点から尾根を戻っていくよりは、このまま斜面を下っていって、古道に合流した方が楽だろうと判断して、そのまま進むことにします(これがなかなかの急斜面で、けっこう手こずりましたが(笑))。
無事に古道へ合流できました。はっきりと道が残っていて助かりました。
ここからは、相川の上流に向かって川沿いに進んでいきます。
路肩に石積み擁壁が残っています。川沿いの崖を切り開いた、良い雰囲気の道跡が先へと続いています。
上から土砂や倒木がなだれ込んでいて道跡を塞いでいますが、けっこう引き締まっていたので、土砂の上を通って問題なく横断できました。
土砂崩れに巻き込まれて、路盤が削り取られてしまうのが一番困るんですよね。この場所のような地形だと、上にも下にも迂回ができないこともありますから。
前方に何か見えてきました。
相川を渡る橋の跡です。大きな石積み橋台がしっかり残っています。
ここ最近は、古道が川を渡っている場所のはずなのに、遺構が全然見当たらないケースばかりだったので、これはテンション上がりますねぇ(笑)。
崩れている部分もあるので、注意しながら橋台へと近づいていきます。
橋台の上に登りました。ワイヤーロープに細い材木が吊るされています。もちろん昔の橋の名残りではなく、作業用に架けた簡易的な橋の残骸でしょう。
対岸の橋台の正面には、薄くコンクリートが塗られているようです。この道がいつまで使われていたのかわかりませんが、大正年間や昭和初期に補修されたのでしょうか。
川べりへと降りて、また橋台を撮ります。
橋跡付近は淵になっていて水深が深く、とても渡れないので、浅瀬を探して川べりの岩を頼りに下流側へと進んでみます。
50mほど川べりを歩いていくと、ようやく渡れそうな浅瀬があったので、深さを確認しながらゆっくりと川を渡渉していきます。
慎重に歩いたつもりでしたが、2回ほどバランスを崩して思い切り足を着水させてしまい、水しぶきで両足の膝周りをびしょびしょに濡らしてしまいました…。
対岸から古道を撮ります。岩を削ったり石積み擁壁を築いたりして道が造られていることがよくわかります。
ここで少し休憩です。手や腕を洗って冷やした後、川原の石に腰かけます。橋台と橋台の間から風が吹き抜けてくるので、なかなか涼しくて心地よいです。
対岸の橋台の上に来ました。この簡易橋、どのようにして使っていたのでしょうかね。細い材木を何本か束ねて、その上を渡っていたのでしょうか。
真ん中に滑車がぶら下がってはいましたが、材木を吊り下げているワイヤー自体が何本か撚り合わせてあるものなので、運搬用の索道だったとはちょっと考えにくいですね。
対岸の橋台から県道9号へと登っていきます。
ヘアピンカーブです。一気に登っていきます。
岩の部分が階段状に整形されています。
2つ目のヘアピンカーブ。
県道9号へと出てきました。この先は現道と同じルートだったようです。
県道9号側から見た分岐です。
合流地点を確認できたので、ふたたび相川の河原まで降りていきます。
帰りは橋台の所からではなく、下流に向かって川の中を歩き、登りやすい所から古道へ取り付くことにします。
古道の石積み擁壁。
古道へ上がってきました。
行きには場所がわからずに通らなかった古道を東栄駅方面へと歩いていきます。この頃から雷鳴が聞こえるようになり、「夕立が降るかも。」と空模様を気にしながら歩ています。
尾根の突端部を回っていきます。
地形図中の矢印の場所になります。
急傾斜の地形ながら道跡はしっかり残っています。ただ、路上に瓦礫が散乱しており、また、削れてしまって道幅が元の3分の1以下しかない場所もあり、歩くのには気を遣います。
尾根が近づくにつれて、徐々に道跡が安定してきました。
ここまでの間で路肩が欠落していた場所も、元々は石積み擁壁があったのかもしれません。
いきなり白看板が現れ、見てみると山林の寄付者の案内板でした。しかし、もはや誰も通らない廃古道に向けて、こんな大きな案内板を設置する意味があるのでしょうか?
そして、この案内板の先が峠の切り通しでした。何の表示もありませんが、静岡県と愛知県の県境になります。
東栄町内へと戻ってきました。
杉林の中を緩やかに下っていきます。
杉林を抜けるとお墓の前に出てきました。古道を通って集落へ出てくると、お墓の前ということがままあります。
お墓の前を通り抜けて、果樹園の前で道がはっきりしなくなりました。
おそらく、果樹園に沿って奥へと向かう細道が古道と思われますが、覗いてみたら先の方で道を戸板で塞がれていたので、通るのは止めました。
ということで、右に曲がって集落内の道路へと出てきました。
ここから集落内の道路を10分ほど歩いて、東栄駅前に停めてある車へと戻ってきました。歩行距離約2.6km、3時間の行程でした。
最近は古道探索中心で、石造構造物といった大物とはあまり縁がない状況でしたが、今回は大きな石積み橋台と、川沿いの岩場を通る古道に石積み擁壁という、なかなか良い収穫がありました。
早くも重箱の隅をつつくような場所選びになってきていますが、それでもまだ見ぬ大物があることを期待して、歩き回りたいと思います。
そして、現在の愛車のGDBインプレッサとのドライブはこれが最後になるでしょう。予定どおりなら、あと3日で引き渡しとなりますからね。