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小林あにのブログ一覧

2020年09月21日 イイね!

長野県大鹿村桶谷の「北条坂」を探索しました(1)

2020年9月20日日曜日、長野県下伊那郡大鹿村桶谷に残る廃道「北条坂」を探索してきました。

このネタを見つけたのは「山さ行がねか」の読者掲示板。サイト主は「そこはすでに探索済みだが、記事化する予定なし。」というようなコメントをしていたので、「それなら自分の足で見に行くか。」と出かけた次第です。

戦前の地形図はこちら。赤色の枠の中が「北条坂」になります。

※5万分の1地形図「大河原」。明治43年(1910年)測図・昭和5年(1930年)修正測図。昭和7年(1932年)発行。

今回の目的は、「北条坂」へはどの地点から取り付けるのか、道の状態はどんな感じなのかを偵察するためなのと、GVBインプレッサで遠出ドライブすることです。弟も同行してきました。

廃道へ行く前に、道中にある小渋ダムへ立ち寄りました。


ダム見学時の姿勢に注意を促す看板。私はこの看板の絵よりももっと腰が引けた状態で見てますね(笑)。


ダム堰堤の高さは105mあります。


ダム湖の様子。梅雨時の大雨から時間が経っているためか、水量はやや減ってますね。


たくさんの踊り場が設けられている管理用通路。絶対歩きたくないですね。


ダム堤体近くの崖に打ち込まれている鉄骨。一部に床板が残っていることから、何らかの通路だったのは間違いないでしょう。


ダム見学はこれくらいにして、ダム湖の上流へと向かいます。

廃道の入口近くへとやって来ました。車を停める場所がなかったらどうしようかと思っていましたが、幸い、ダム関連施設と思われる建屋の前にスペースがあり、助かりました。


弟へ車で留守番しているか尋ねたら、「様子見に行く位だったら行くわ。」ということで、一緒に行くことになりました。

小さな橋を渡った先の正面の山の斜面に「北条坂」があるはずです。


弟が車を停めた場所から道を挟んだ斜面を見て、「上にあるの、古い道じゃないのか?」と言ってきました。

落石防護ネットの向こうに確かに道跡があります。登ってみることにします。


道跡がほんの少しだけ残っていました。


あらためて小さな橋を渡って、まずは沢に沿って入り込んでいきます。

石碑が立っていました。「秋葉山大権現」と「金毘羅大権現」と彫られています。


防火の神様と海運の神様ですね。防火はわかりますけど、この山深い場所で海運の神様を祀るのはなぜですかね?

※追記:金比羅大権現は「海=水に縁がある」ということで、こちらも防火にかかわる神様(あわせて農事の神様としても。)として秋葉山大権現と一緒に祀られているそうで、秋葉街道沿いや伊那谷によく見られるようです。

ちょっとした平場になっている中を進みます。


ここの右側にはたくさんの墓石が並んでいます(写真の右端にチラリと見えています。)。一部を見てみましたが、家名や「南無阿弥陀仏」などではなく、戒名らしきものが彫られていました。かつて、この辺りにあった桶谷集落の方々の墓地でしょうか。

平場が途切れる辺りから斜面へと登り始めます。この時点では、明確な道跡を見て取ることができません。


しばらく周囲を見上げていたら、所々に石垣が見えているので、そこまで登っていきます。


道跡のようです。


右側へと進んでいきます。道跡が消失している所もありましたが、そのまま越えていきます。


ようやく道跡がはっきりしてきました。




ヘアピンカーブです。「北条坂」は地形図にあるとおり、つづら折りの道でこの斜面を尾根まで登っていたので、この先も何か所か現れるはずです。


倒木があったり、埋もれて道幅が狭くなったりしていますが、先ほどまでのことを思えば快調です。




けっこう登ってきています。なかなかの急斜面。


道跡が深く抉れている場所に遭遇しました。多分、土石流があったのでしょう。上へと迂回します。


上の斜面を眺めると、縦に抉れた窪地の両脇に白い土砂や石が筋状に散乱しています。


今まで歩いてきた道跡よりも上段にある道跡まで登って来ました。対岸にも道跡があるので、対岸のどこかにヘアピンカーブがあるはずです。


土石流を被ったようですが、かろうじて石積み擁壁が残っています。


ふたたび道跡を進んでいきます。




この辺りで弟が「上に道跡みたいなもんがあるから、そっちへ行ってみるわ。」と言うので、「俺は道跡どおりに歩くのも大事だで、このまま行くわ。」ということで、一旦別れて、私はそのまま歩いてきた道跡を進んでいきます。

間もなく、道跡がわからなくなってしまいました。


上を歩く弟に「その道は右手に向かって上り坂か?」と大声で尋ねたら、そのような返事が聞こえたので、私も弟が歩いている道跡まで登っていきます。


弟と合流して、道跡を進んでいきます。思った以上に忠実に道跡を辿るのが困難です。




また道跡がやせ細ってきました。


ショートカットしている弟を追いかけます。


やや幅のある道跡と交差する地点に出てきました。


今まで歩いてきた道と違い、幅のあるはっきりとした道跡です。「北条坂」に関係がある道なのか確かめたかったので、弟に話をして一旦この道跡を右側へと下って様子を見に行きます。


先ほど、道跡が消えかかっていた凹地へと戻ってきました。この道は、そのまま凹地を越えて、反対側の斜面へと下っていっています。


「北条坂」とは関係が無い道のようだと判断して、引き返すことにします。

交差地点まで戻ってきました。何気に見ると、左上へと登っていく道跡があります。これが「北条坂」の続きのようです。


左側へと登っていった弟に声を掛けて呼び戻し、左上へと登っていく道跡を辿っていきます。


しかし、この道跡も消失してしまいました。真上を見上げると、凹地を横切る道跡が見えています。


またしても斜面を直登です。


先ほど見上げていた道跡に出ました。


この道を登っていきます。


尾根が近づいてきたのと、樹相が杉林から落葉樹林に変わったためか、明るい雰囲気になってきました。




ヘアピンカーブ。ここが峠までの道跡での最後のヘアピンカーブでした。


小さな堀割りを越えます。


この地点で、歩いている道が尾根とは逆方向へ曲がっていってしまうようだったので、尾根側へ斜面を登るとそこにも道跡がありました。分岐を見落としたようです。


尾根の上、北条坂の峠「北条峠」に到着しました。左側から登ってきました。けっこう時間を掛けてしまったと思っていましたが、麓の石碑から1時間ほどでした。


峠には、石碑や石仏が立っていました。弟が寄りかかっていた枯れ枝を片付けています。ちょっと付き合うだけだったはずの弟も、ここまで登ってきてしまいました(笑)。


ちなみに、弟の背後は絶壁です(笑)。


一番明瞭に読み取れる「道祖神」の石碑。


左側面に年号と施主が彫られていました。年号は、「大正三年(1914年) 一月吉日」とあります。


施主は「北条 猪之吉」さんのようです。


「北条坂」の麓にかつて存在した桶谷集落の住人は、すべて「北条」姓であったそうです。そして、その由来は鎌倉幕府の執権であった北条家からのものという伝承があります。

あらためて、峠の石碑・石仏群の全体像です。


「北条坂」はこの峠から右側の道へと針路を取り、山の中腹を縫って進むことになります。この先は、道跡の状態がもっと酷いそうで、今回はもう少しだけ奥へと進んで様子見をしてみます。


「今のところは問題ないな。」と思いつつ進んでいきます。


見た目よりも危うい場所ですが、落ち着いて踏み跡を辿れば問題はありません。


ちょっとした切通し。どんどん歩いていってしまっても収拾がつかないので、今回はここで打ち切ることにします。


切通しの先を眺めます。全体に傾斜のきつい地形。この先の不穏な状況を予感させます…。


切通しから峠側の道跡を眺めます。谷側は急激に落ち込んでいっています。


落ち込んでいく凹地を見下ろします。うまく撮れていないので、写真を見るだけではU字型の古道が写っているように見えますが、実際はとんでもない奈落です。


峠まで戻ってきました。


峠から先の道跡は、晩秋か初冬の雪が降る前までにでも訪れることができればと考えていますが、おそらく私では、峠からそんなに奥深くまで入り込むことはできないでしょうね。

最後に、途中で交差してきた幅のある道跡ですが、上り方向は結局峠まで続いていました。麓側の起点がわかりませんが、私たちが麓から途中まで辿ってきた「北条坂」を「旧道」とすれば、勾配や道幅を改良して峠まで荷車を通せるようにした「新道」であるのかもしれません。昭和7年発行の地形図では全く形跡がありませんが、その方がしっくりくるかなと。でなければ木馬道の跡なのか。

大鹿村の村誌とか読めれば、多少はわかるのかもしれませんけどね。

今回探索して歩いた推定ルート図です。星マークが駐車場所。赤い線が今回歩いたと思われるルートになります(GPSロガーを持っていないので適当です。あまり当てにしないでください。)。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
Posted at 2020/09/21 10:42:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 大鹿村 北条坂 | 日記

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