2020年11月28日土曜日、長野県下伊那郡天龍村と飯田市の境にある谷京(やきょう)峠への峠道を歩いてきました。「谷京峠への峠道を歩く(2)」からの続きになります。
さて、馬頭観音をひとしきり観察し終えたところで、ふたたび峠へと向かい出発です。
林間を通る比較的歩きやすい道が続きます。
ボロボロの天幕がありました。近寄ってみると「飯伊森林組合」が設置した森林監視用の天幕のようです。マツタケなどの盗掘防止のためのものでしょうが、今は使われている様には見えません。
天幕の下辺りは浅い堀割り道になっていますが、倒木が折り重なっているので、路外へ迂回します。
両側に谷が迫る細い尾根道を通り抜けます。
この辺りの道は、本来の尾根から版築でかさ上げされているようにも見えます。
歩き進めると道が崩れて無くなっていました。正面左側に大きくU字型に地滑りしているのが見えます。
道の左側にある沢頭の周囲が、道を巻き込む形で崩落してしまったようで、切り立った崖になっています。
道の右側の沢は比較的緩やかな地形なので、そちら側に付いている踏み跡を頼りに対岸へと渡ります。
対岸へ渡ってから、先ほど立ち止まっていた道の先端辺りを振り返ります。道が通っていた細尾根がゴッソリと削り取られていますね。
先へと歩を進めます。
嫌な雰囲気の場所に出てきました。道が通っていたルートはつかめますが、全体が傾斜地に戻ってしまっています。それに一面の豊富な落ち葉…。滑ったら一気に沢に向かって落ちてしまいます…。
途中の足場が確保できる所でひと休み。この区間は踏み跡の幅が片足分くらいしかなく、地面も硬いので「ヨイショ、ヨイショ」と摺り足で落ち葉を払いのけながら少しづつ進んでいきました。
ピークとピークの合間にある広い平場へと出ました。ホッと一息ついて小休止です。
谷京峠への方向は見当がついていますが、峠へと向かう道筋が読み取れません。平場を奥へと進みながら斜面をチェックしていきます。
斜面に日光が斜めに一筋入っている所がありました。落葉した朴葉が密集している辺りです。道かどうかはわかりませんが、少なくとも登りやすくはなっているはずです。
淡い期待を込めつつ、斜面を登っていきます。
「道があったぁ!」。安堵しつつも先を急ぎます。
この時点で時刻は14時。為栗駅を出発したのが12時05分頃なので、間もなく2時間になろうとしています。日暮れになる前に余裕をもって車へと戻ることを考えると、リミットは近いと言えます。
ここも嫌らしい場所ですね。先ほどの所よりもまだ歩きやすかったですが、慎重に進みます。
また細尾根を渡っていきます。
道がピークに向かって登り始めました。
登り切ると鳥居が目に入ってきました。やっと谷京峠に到着です。為栗駅からちょうど2時間かかりました。
さっそく峠の様子を見て回ります。
こちらは石碑です。「嘉永五年三月上澣建」とありましたので、1852年に建てられたものだとわかります。
三面に碑文がビッシリと刻まれていて、一面は賛助者の氏名が刻まれています。ここ谷京峠(焼尾峠)の由緒が刻まれているそうです。
こちらは三十三観音の石仏群。光背を眺めると「○○番」と番号が刻まれています。
石仏群の背後から見た峠の全景です。
石仏群の先へと進むと、峠で唯一遠望が利く場所に出ます。一番奥の山々は南アルプスの南端部。うっすらと積雪しています。
遠山谷側へと下っていく峠道の傍らに立つ道標。真ん中には「秋葉大権現」、右列に「右 和田村道」と刻まれています。日付は「嘉永四年亥霜月十五日」とあり、こちらは1851年の建立ということですね。
右側の下っていく道が和田村(現在の飯田市南信濃和田。)への峠道です。
石仏群と反対側の道(和田村への道のほかにもう一本分岐していく道。)の傍らに立つ石碑。「道」の文字以外ははっきりしませんが、おそらく「道祖神」でしょう。
道祖神の石碑の背後を通る尾根を進んでいきます。
ピークに設置されているのが三等三角点「谷京山」です。標高は848.8m。為栗駅が320mなので、標高差530m弱を登ってきたことになりますね。
道祖神の石碑から鳥居方向の眺めです。
さて、日もだいぶ傾いてきたので帰ることにします。峠での滞在時間は20分弱。帰りもこの鳥居をくぐっていきます。
25分程で馬頭観音まで戻ってきました。
馬頭観音の前から始まる難所の急坂です。登りでも落ち葉で滑っていたわけで、下りはさらに慎重に進まないといけません。
本当にこの松葉が厄介です。私の住む安城市のお隣、岡崎市にある某小学校では裏山に落ち葉を敷き詰めて「落ち葉スキー」をやっているそうですが、こんな場所で滑りたくはありません。
何度もずっこけそうになりながらも無事に坂の下の尾根まで降りてこられました。
行きに道を間違えて、強引に尾根道へ合流した地点まで戻ってきました。帰りはそのまま尾根道を進みます。
落ち込んでいく尾根の上をジグザグ道で下っていきます。
こちら側にも天幕が立っていました。両側で監視していたのですね。
「さて、どこへ出るのかな。」と進んでいったら、水田跡の平場へと出てきました。水田跡よりももっと右側へ出ると予想していましたが見当違いでした。
ということは、この場所からの峠道の正解は、村有林の注意看板の真裏の斜面を登っていくことだったわけです。こんなの絶対にわからんわ…。
15時50分、無事に為栗駅まで戻ってこられました。峠からの帰り道は1時間半程。けっこう「徐行」しましたからね。
最後におまけで、JR飯田線の万古川橋梁を見に行きます。
為栗第6トンネル。「81」とありますから、やはり豊橋駅側からのカウントですね。
地形図にも記載がある徒歩道を歩いていきます。もう少しマシな道だと思っていたのですが…。
為栗第6トンネルの反対側に出ました。
トンネルの向かい側が万古川橋梁です。
万古川の河原へ降りるため、徒歩道をさらに進みます。
砂利で埋め尽くされた万古川の河原と万古川橋梁です。
見えている山のさらに奥にある峠まで往復してきたんですねぇ。
ふたたび為栗駅まで戻ってきました。ホームの街灯には明かりが灯っています。
最後に天竜橋を渡り、車へと戻ってきました。
今回歩いたルートはこんな感じです。きちんと地形図と対照しながら歩いたわけではないので、ルートが不正確なのはご勘弁ください。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
地図でこの峠を見つけて、インターネットで峠の事をチェックしてからもしばらく放置していたのは、歩きやすくなる季節を待つためもありましたが、一番は地図に記載のない道を探して、深い山中で標高差500mを往復する必要があることでした。
廃道・廃線歩きをしていても、山登りをしているわけではないですからね。
それでも11月22日に少し歩くことができて、「行けそうだな。」と判断して再アタック。途中で道迷いもありましたが、峠まで往復できたのは嬉しかったですね。
まあ、それでも峠のさらに奥にある戸倉山まで縦走している方たちのことを思うと「何程の事か。」というものでしょうが(笑)。
この近隣、もう1~2か所、当たってみたい場所があるので(わざわざ万古川橋梁まで行ったのもそれが理由。何もつかめませんでしたが(笑)。)、雪が降る前にはもう一度来たいですね。