2021年2月28日日曜日、弟からの誘いで母と一緒に奧矢作湖へとドライブしてきました。
最初に立ち寄ったのは、旧名鉄三河線三河広瀬駅。
2004年(平成16年)の廃線当時の駅舎がそのまま残り、現在は地元の方により週末だけ喫茶店として営業しています。
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※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ホーム上では先客の方々が熱心に写真撮影をしていたので、ほどほどで出発しました。
ここからは矢作川沿いを通る県道11号を北上。豊田市小渡町から県道356号へ入り、矢作第一ダムの堰堤は立ち寄ることなく通過。ダム湖である奧矢作湖畔を走っていきます。
そのうち、湖岸に田畑の跡が露出している場所を見つけたので、付近の駐車スペースに駐車して、湖岸へと降りてみます。
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石積みで囲われた段々畑の跡がきれいに残されていました。
次にやって来たのは押川大滝。
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こちらが押川大滝。名前に「大滝」と付いていますが、落差は8mほどだそうです。ただ、滝の規模に対して、広い滝つぼを持っています。
ここまでは弟が運転してきましたが、ここで運転交替。私がハンドルを握ります。車はAT車なので、取りあえず左膝の痛みには影響ありません。
次に来たのは国界橋。国道257号の旧道に架かる橋です。
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※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
橋の下を流れる矢作川が三河国と美濃国の境であるため、この橋名が付いています。
対岸には「岐阜県」と「上矢作町」の標識が立っています。上矢作町は合併により現在は恵那市上矢作町となっています。
国界橋の完成は昭和11年(1936年)。この橋の特徴は「上路方杖コンクリートラーメン構造」であること。
現代では高速道路を走っているとよく見かける構造・形状の橋ですが、当時はまだ珍しいものだったようで、土木学会発行「日本の近代土木遺産 2800選」に記載されています。
国界橋を渡った先の家の軒下に石仏と思しきものを発見。
覗き込んでみると馬頭観世音碑でした。この道は中馬街道の宿場町であった豊田市稲武と城下町であった恵那市岩村をつなぐ街道でしたから、このようなものが置かれていても不思議ではありません。
馬頭観世音碑は、右列に「明治廿一年」(明治21年=1888年)、左列に「夏目重〇」とありました。
これで車へと戻ります。
ここからは岐阜・愛知県道20号を走っていきます。所々、道幅が非常に狭くなっていますが、交通量は少なく、今回は軽四なので気楽に走っていきます。
そして次に寄り道したのは押山ダム。
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まずは吊り橋を渡っていきます。重量制限は0.5トン。
橋に取り付けられていた銘板。
橋の名称は「押山発電所えん堤通路橋」。橋長36.7m、幅員1.6m、設計荷重500kgとあります。製作年月日は昭和38年(1963年)8月25日で、製造者は名古屋造船株式会社とあります。
押山ダムの堰堤です。
こちらは取水路。
ダムからの取水路は、50mほどで水路トンネルとなります。
この先、ダムで取水された水は3kmの水路トンネルを通り(途中に明かり区間がある感じもしますが。)、その後は落差100mの急斜面を水圧鉄管で駆け下り押山発電所へと供給されます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
こちらは取水口。石積みで造られていますが、一部はコンクリート造りのようです。
古い時代のダムらしい(押山発電所の営業運転開始が1922年7月とのこと。)、背の低い堰堤です。
こちらは魚道です。曲がりくねっているし、段差も多く急流なので、魚が登ってくるのは大変そうですね。
堰堤の傍らにあった古レール。建設時に使われていたものでしょうか。
最後に立ち寄ったのは、道の駅「アグリステーションなぐら」。
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ここでお昼ごはん。五平もちを食べたのは久しぶりでした。
この後は、国道257号、国道420号、県道35号、県道337号、国道473号、県道363号、国道301号、県道477号と通り、岡崎市街地へと出て帰宅しました。
Posted at 2021/03/01 00:20:08 | |
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