2021年8月22日日曜日、JR東海道本線 相見~西岡崎間の煉瓦アーチを巡ってきました。
今回は、自宅から比較的近い場所にある目標物を巡るので、路地でも容易に入り込め、駐車場所を気にする必要がない自転車で出かけることにしました。
自宅を出発したのは14時20分過ぎ。自宅から安城市歴史博物館付近を通過し、愛知県道48号へ合流。岡崎市内方面へと向かいます。
最初にやって来たのは、東海道本線河原橋梁。住宅地の中にあり、水路も通っている低いガードです。この辺りでは一般的な石積み橋台に鉄桁の橋梁です。
近くを流れる鹿乗川の道路橋が工事中のため、少し離れた橋へと迂回して、工事中の橋まで戻ってきました。
私が岡崎市内の職場へ通勤していた2年間、電車の車窓から眺めていた橋の工事現場ですが、未だに道路橋は工事中のまま。見た限り完成しているように見えますが、どういう理由で供用開始しないのでしょうかね。
東海道本線に沿ってさらに東へと進みます。
荒井川橋梁。ここも石積み橋台で、桁はコンクリート製。
もう少しだけ東へと進むと次の橋梁が現れます。
愛宕橋梁(上り線側)。「鉄道線路各種建造物明細録第一編」には「愛宕川橋梁」とあります。
1連8尺の煉瓦アーチと記載されていますが、ご覧のとおりコンクリートで覆工されてしまい、煉瓦アーチだった名残りはどこにもありません…。
取り付けられていた銘板によると昭和39年(1964年)に施工されたようです。
水路自体が暗渠化されてしまい、アーチ部分も塗り込められてしまっているため、もはや確認のしようもありませんが、暗渠化される以前は中を覗き込めば煉瓦アーチが見えていたのかもしれません。
一応、反対側(下り線側)へも回ってみますが、こちらもコンクリートで覆工されてました。
次は宮前橋梁(下り線側)。「鉄道線路各種建造物明細録第一編」によると1連6尺の煉瓦アーチですが、ぱっと見、ここもコンクリート造りになってしまっています。
しかし、ここは先ほどの愛宕橋梁と違い、中を覗き込んでみると煉瓦アーチが現存しているのが確認できます。
望遠で撮影して確認すると、手前側(下り線側)が複線化線増で追加された部分で、奥側(上り線側)が開業時の煉瓦アーチと判断できます。
反対側(上り線側)へと回ってきました。
ここに設置されている銘板も昭和39年(1964年)の年号が鋳込まれています。しゅん功欄の年数が削り取られているのは、昭和「40」年が正しいところ、誤って「39」で作ったためでしょう。
中を覗くと、こちらはコンクリート造のボックスカルバートになっています。一番奥で左側へと屈折して煉瓦アーチと接続されています。
この付近の煉瓦アーチがコンクリート覆工されているのは、昭和40年(1965年)に架け換えられた東海道本線矢作川橋梁の付帯工事によるものと思われます。現在の矢作川橋梁は、旧線の上流側へ架け換えられており、橋梁前後の築堤も上流側が増築され、線路も橋梁の前後でカーブして敷設されています。
県道48号の渡橋で矢作川を渡り、次の煉瓦アーチへとやって来ました。
池田橋梁(下り線側)です。「鉄道線路各種建造物明細録第一編」によると1連3尺の煉瓦アーチとあります。築堤は草ぼうぼうで、一見しただけではどこにあるかわかりません。
築堤へ近づいていくと草に埋もれた煉瓦アーチが見えてきます。初めてここへ来た時は、草の生え方がもっとひどく、本当に全然わかりませんでした。
ここは暗渠のようですが、ご覧のとおり入口に土が盛られて金網で塞がれており、すでに暗渠としての機能はしていません。
ここは矢作川橋梁の架け換え工事の影響はなかったようで、往時の煉瓦アーチのままになっています。
上り線側は旧岡多線建設の際の立体交差線の建設に伴い、コンクリート造で延長されているはずです(会社私有地に接しているため、確認できず。)。
JR岡崎駅を通過し、この先からは進路が南へと変わります。
次の煉瓦アーチへとやって来ました。山田下橋梁(下り線側)です。
ここのアーチ環は白ペンキで塗られています。以前は煉瓦の地肌のままでしたが、落書きがひどかったため、知らぬ間に白ペンキで塗られてしまいました。
ここは人道兼水路暗渠となっています。内高が低いので、身長174cmの私は少し屈まないと歩けません。
開業時の煉瓦アーチと線増時の煉瓦アーチの接合部分です。左側(上り線側)が開業時で、右側(下り線側)が線増時のものです。
右側は煉瓦と煉瓦の目地に塗られているモルタル(かセメント)が盛大にはみ出していて、とても丁寧な施工とは言えません。
上り線側に出てきました。
撮影している間にも、犬の散歩をする人や自転車で通行する人が通り抜けていて、現在も生活道路として機能しているようです。
上り線側のアーチ環には、「山田下(拱)」の名称と、点検年月がペイントされています。
山田下橋梁には2つ特徴があり、一つ目は煉瓦の小口面にアルファベットの刻印が押されているものがあること。
「B」「D」「I」の3種類が確認できます。「D」は蒲郡市内の硯川橋梁や宮川橋梁で、「D」「I」は浜松市内の旧半場川橋梁でも見られます。
2つ目の特徴は、アーチ環に補強のためと思われる煉瓦の竪積みが挿入されていること。これは東海道本線 愛知御津~三河三谷間の一部の煉瓦アーチにも見られました。
山田下橋梁は小さな煉瓦アーチですが、見どころのある場所と言えますね。
山田下橋梁のすぐ脇にある水路に落ちていた煉瓦の塊。アーチ環やアーチ内で特に欠落した場所は無いので、関連があるものかわかりませんが、もしかしたらアーチ同士の接合時に剥ぎ取った一部かもしれません。
今回の予定はこれにて終了。あとは県道78号へ出て、安城市まで一直線に帰るだけですが、帰りの道中で2か所寄り道しました。
土呂八幡宮。狛犬もマスクをつけてます(笑)。
国の重要文化財に指定されている本殿。
福岡町道路元標。
この後、西の空が段々と黒くなり始め、すぐにでも夕立が降りそうな空模様となったので、のんびり帰るつもりだったのが、自宅までの約8kmをハイアベレージで漕ぎ続ける羽目になりました(笑)。
さて、今回の走行距離を地形図で測定してみたら23.1kmとなりました。これだけ走ったのはいつ以来かなぁ。休み休みなので(最後の8kmはけっこう必死でしたが(笑)。)、思うほど疲労感はありませんでした。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
こういうことをするなら、クロスバイクくらい買ってもいいかとも思いますが、めったにはしませんから、当面はママチャリで十分ですかね。