2021年8月29日日曜日、JR東海道本線 豊橋~愛知御津間の煉瓦アーチや豊川橋梁、豊川河畔に残る旧橋梁の煉瓦橋台を見に行ってきました。
この日は早起きをして、最初に訪れたのは愛知御津駅の東側。この濃密な草むらの中に小さく無名の煉瓦アーチがあるのですが、ご覧のありさまなので、繰り返し草むらへと突入するもあと少しという所で接近できずあきらめました。
次の場所へと向かうため、愛知御津駅の東側を流れる音羽川を渡り、線路沿いを東へと歩いていきます。
朝日に照らされながら貨物列車が追い越していきます。
次にやって来たのは九作橋梁(上り線側)。「鉄道線路各種建造物明細録第一編」によると竣工は明治21年(1888年)5月で、1連6尺の煉瓦アーチ橋です。
九作橋梁もアーチ環に竪積み部分が挿入されています。
大回りをして下り線側へと回ってきました。
以前に来た時もそうでしたが、アーチ内を流れている用水路の水量が多いので、長靴でアーチ内へ入ることは無理。外観を眺めるのみです。
次は豊橋市内の豊川に架かる豊川橋梁へと移動します。
飯田線 船町駅の前に車を停めて、豊川まで歩いてきました。
河川敷に下りて、橋梁を眺めます。左側が東海道本線、中央が飯田線、右側が名鉄名古屋本線の豊川橋梁になります。
飯田線と名鉄名古屋本線の橋梁は、所有がJR東海と名鉄に分かれていますが、運用上は飯田線・名鉄名古屋本線が共用しており、複線として使用しています。
飯田線豊川橋梁の橋脚。豊川橋梁群の中で唯一の石積み・煉瓦積みの橋脚です。
元々は東海道本線の下り線用橋梁として明治41年(1908年)に開通したものですが、東海道本線が昭和49年(1974年)に現在の複線用橋梁へ架け替えられた際に、飯田線・名鉄名古屋本線の下り線用橋梁になりました。
対岸の飯田線下地駅側の川岸です。2つの煉瓦橋台が見えていますが、左側が旧東海道本線上り線用橋台で、右側が旧飯田線(と名鉄名古屋本線)下り線用の橋台です。
飯田線豊川橋梁を名古屋方面へ向かう名鉄2200系が渡っていきます。
飯田線豊川橋梁の橋脚のアップ。橋脚は、煉瓦積みのウェルに乗っているようです。
ウェルは井筒とも呼ばれ、橋脚を設置するための基礎部分と言ったらいいでしょうか。外周を煉瓦で積み上げて、内部はコンクリートが充填されていると思われます。
こちらの写真は、東海道本線 旧浜名第一橋梁の円形ウェルです。
名鉄名古屋本線豊川橋梁。当時の愛知電気鉄道が豊橋駅まで延長された昭和2年(1927年)に架橋されました。こちらはすでに普及が進んでいたコンクリート造りによる橋脚となっています。
飯田線豊川橋梁の橋脚。豊川は東三河第一の大河なので、増水時などに流れに負けないよう煉瓦を石積みでガードする堅牢な造りとなっています。
そろそろ車へと戻ることにします。
飯田線 船町駅へと戻ってきました。船町駅にはかつて豊川水運との結節点として貨物駅が設置されていたそうです。その名残りで、駅前には踏切と貨物駅跡へと分岐していくレールが残されています。
次は、豊川の対岸にある飯田線 下地駅へと移動します。
駅からやや離れた公園の路肩に車を停めて、下地駅へと歩いていきます。
下地駅の真下まで来ました。用があるのは、手前側の小さなガード。
封鎖された小さなガードを覗き込むと、奥に煉瓦アーチが見えます。横須賀橋梁です。「鉄道線路各種建造物明細録第一編」によると、1連6尺の煉瓦アーチで、竣功は明治20年(1887年)12月です。
せっかくなので、下地駅へ行ってみます。
豊橋方面を眺めます。
横須賀橋梁の反対側へと回ってきました。こちらも柵により封鎖されています。
こちら側から中を覗いてみると、3つの煉瓦アーチが接合していることに気が付きました。手前が飯田線(旧豊川鉄道)の煉瓦アーチ、中央が東海道本線開業時の煉瓦アーチ、奥側が複線化時の煉瓦アーチでしょう。
豊川橋梁の下地駅側の橋台へやって来ました。
この階段は昔の下地駅の出入口でしょう。
昭和49年(1974年)に東海道本線の豊川橋梁が架け替えられたことに伴い、飯田線豊川橋梁が旧東海道本線の位置へとずれて、現在の下地駅の出入口と駅舎ができたので、それまでは利用されていたと思われます。
旧飯田線豊川橋梁の橋台。元々は、飯田線の前身である豊川鉄道が明治30年(1897年)に架橋しましたが、前述の東海道本線の豊川橋梁架け替えにより廃止されました。
旧東海道本線上り線用豊川橋梁の橋台。この橋台は豊川橋梁が明治21年(1888年)6月に竣工した当時のものです。
ただ、疑問なのが、橋台の上段と下段で使用されている煉瓦のサイズが違うこと。下段は明治20年~22年に開業した区間で見られる大型の煉瓦ですが、上段は複線化時に使用されたやや小ぶりなタイプ。わざわざ違うサイズを使用する意味は無いと思われ、大型の橋桁への架け替えか堤防のかさ上げに対応するために上段を増築したのかなと勝手に推測しています。
あと、旧東海道本線の橋台を正面から見ると、コンクリートでかさ上げした部分の上端は水平ですが、下段の煉瓦部分の横線の目地は水平よりもやや右側へと傾いています。これは昭和19年(1944年)の東南海地震の影響によるものらしいです。
旧東海道本線下り線用(現飯田線)豊川橋梁の橋台。
いろいろと想像も膨らみ、なかなか満喫できた煉瓦橋台見物でした。
下地駅から車へと戻る前に、もう一度横須賀橋梁を覗き見。中央部の東海道本線開通時の煉瓦アーチは、両端の煉瓦アーチよりも大きな煉瓦を使っているようです。
最後に立ち寄ったのは、飯田線と名鉄名古屋本線が分岐・合流する平井信号場。
JRと私鉄が相互乗り入れをすることはよくあることですが、線路施設そのものを共用しているのは他所にもあるのですかね?何にしても珍しい場所です。
