2021年9月19日日曜日、姉の誘いで母・私の3人で長野県松本市の松本城へ出かけてきました。姉が松本城へ行く気になったきっかけは、「ブラタモリ」で松本城を取り上げていたからだそうです(笑)。
5時20分頃に自宅を出発。当日は晴天の予報でしたが、東海環状道から中央道へ入っても、雨が降りそうな暗い色の雲が立ち込めています。
中津川IC付近からようやく晴れ間が見え始め、恵那山トンネル手前の神坂PAではすっかり快晴に。恵那山もよく見えています。
8時50分、松本城に到着です。天守の後ろには北アルプスの山々がきれいに見えています。
城内へと入場します。
真っ青な晴天に黒い天守がきれいに映えています。
天守へは、各グループや家族単位で警備員さんの指示を受けて、一組づつ間隔を置いての入場でした。
とは言っても、城内を移動するのにそんなに急かされたわけでもなく、割とマイペースに見物することができました。
見どころの一つである月見櫓は工事中で櫓内への立ち入りは禁止。外観も白い幕で覆われてしまっていました。
天守の外へと出てきました。
松本市のマスコットキャラ「アルプちゃん」と松本城天守。
松本城の内堀に沿って天守を眺めながら、車へと戻ります。
北アルプスを眺めると、手前の山脈の隙間から槍ヶ岳がひょっこりと頭をのぞかせていました。
さて、松本城見物が終わり、どこか寄り道をするかという話になりましたが、特に行きたい場所もないとのことで、ひとまず国道158号で高山方面へと向かうことにします。
山に入る前に昼御飯を食べようということになり、たまたま赤信号で停止した交差点の脇にあったレストランへ。
メニューを見るとボリュームのあるものばかり。あんまりお腹が減っていなかったので、メニューの写真を見て「これならいいだろう。」と思って注文したオムライスがこれもなかなかの大盛り(笑)。
小皿1杯分だけ姉に手伝ってもらい、何とか完食いたしました。
新島々駅付近から国道158号は梓川沿いの渓谷へと入っていきます。本当は奈川渡ダムから境峠を越えて木祖村へと出て、そこから国道19号で中津川へ出ていこうかと考えていたら、境峠が通行止めとの表示。
もう一つ県境を越えることができるルートである野麦峠も同じく通行止め。仕方がないので、高山市まで向かうことにします。
「それならば。」とここで1か所、廃道へ立ち寄ることにします。
立ち寄ったのは坂巻温泉。
バス停の先にある新坂巻トンネルの旧道区間が廃道化しているので、母と姉には休憩していてもらい、ひとっ走り様子を見に行くことにします。
バス停のある国道の橋から見下ろすと、古いコンクリート橋が架かっています。旧国道の橋で、下坂巻橋という名称のようですが銘板が残っておらず、はっきりしません。
橋の上にはたくさんのゴムパイプが転がっています。
旧橋から国道の橋を眺めます。
廃道区間へと入り込みます。
50mあまり歩いたところで路肩が崩壊しています。山側を通れば問題は無いので、先へと進んでいきます。
崩落箇所の先から草むらが濃くなってきますが、薄く残っている踏み跡を頼りにザクザクと踏み均しながら歩いていきます。
2つ目の橋が現れました。
こちらは銘板が残っていて「かみさかまきばし」(上坂巻橋)とあります。
「昭和参拾貮年参月竣工」とあります。昭和32年(1957年)ということで、比較的新しい橋です。それ以前はどのような形状の橋が架かっていたのでしょうかね。
橋のすぐ上流側、荒々しい岩肌が姿を見せています。
反対側の橋のたもとには落石してきたのであろう巨岩が横たわっています。この岩が橋の上に落石していたら、上坂巻橋は半壊して渡れなくなっていたでしょう。
また深い草むらになります。ここも路肩がえぐれたように崩落しているので、足元に注意を払いながら進みます。
両側の路肩に標識が残っていました。右側の速度標識は木にもたれかけてあります。
そして廃道はこのすぐ先で完全に崩落していたため、引き返しました。
あらためて標識の写真を撮っておきます。
上坂巻橋へ戻ってきました。
こちら側の親柱の銘版には「犀川」とあります。
「どうして『梓川』ではないんだ?」と思い、帰宅してから調べたら、「『梓川』とは『犀川』上流域を示す別称。河川法上は上高地を水源にする流路は『犀川』と定められている。」ということでした。今まで、松本平で奈良井川と合流するまでが「梓川」で、その先が「犀川」だと思っていたので、勉強になりました。
坂巻温泉まで戻ってきました。
この後は、安房峠道路を通らずに旧国道の安房峠を越えようと思いましたが、こちらも通行止め。代わりに平湯温泉から旧国道を登り、平湯峠へと来ました。
この先は乗鞍スカイライン。現在は通年のマイカー規制のため、自家用車での通行はできなくなってしまっていますが、自転車での通行は可能なため、何台もの自転車が行き交っていました。
この後は、高山市内からせせらぎ街道を通り、郡上八幡へ。ここから東海北陸道に乗り、家路へと就きました。