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小林あにのブログ一覧

2021年11月05日 イイね!

「矢ノ川峠昭和道」を歩きました(3)

2021年10月9日土曜日、三重県尾鷲市と熊野市の境にある矢ノ川峠(標高:807m)を越える国道42号の旧道のうち、通称「矢ノ川峠昭和道」と呼ばれる道を歩いてきました。「矢ノ川峠昭和道」は、国道42号千仭橋から分岐し、矢ノ川隧道(矢ノ川5号トンネル)に至る区間になります。

その2からのつづきとなります。

傳唐大橋を渡り、次のトンネルである矢ノ川4号トンネルへと向かいます。




この路肩にあるガードレール、板の部分の形状は現在のガードレールと違いを感じませんが、支柱の形状が丸形ではなく長方形になっています。


また路面が荒れてきました。地山の岩が剥き出しになっています。おそらく昔は路面に砂利を敷き詰めてあったのでしょうが、長い間に洗われてしまったようです。




傳唐大橋から歩くこと3~4分。矢ノ川4号トンネルが見えてきました。


トンネルの延長は16m。トンネルを掘ったというよりも、「岩盤に穴を穿ちました。」感が強い景色です。


このトンネルも内部に落石などは見られません。




反対側の坑口です。


周囲の山々はそんなに標高が高いわけではありませんが、険しさはどんどん増してきています。


矢ノ川4号トンネルから5分ほど歩くと橋が現れました。親柱も欄干もありません。


そんなに長い橋ではなかったので、元から無かったのかと思って見てみたら、ひしゃげた鉄筋が露出していました。どうやら親柱や欄干は破壊されたようです。


橋から上流を眺めます。川のはるか上部まで岩に埋め尽くされています。欄干などは土石流などで流されたのかもしれません。


対岸の橋のたもとの右側で親柱がひっくり返っていました。


左側の親柱は健在です。


親柱には橋名がありました。「蔭谷一橋」と刻まれていますが、「一」の文字は小振りであり、実際には「蔭谷橋」ではないかと思います。


ひっくり返っていた親柱には「や乃〇〇」とあります。○○の部分はどういう文字かわかりませんが、川の名前である矢ノ川のことだと思われます。


ちなみに、川の「矢ノ川」も「やのこ」と読むものとずっと思っていましたが、親柱に少なくとも4文字は刻まれているのを見て、あらためて何と読むのかちょっと気になりました。

いろいろ検索してみたら、川の名前としてはどうも「やのがわ」と読むようです。国道311号に架かる橋の読み方が「しんやのがわばし(新矢ノ川橋)」というのがあり、一応それが根拠です。

ちなみに、蔭谷橋が架かっている川は、現在は蔭谷川と呼ばれるようです。

蔭谷橋を後にします。


矢ノ川峠昭和道を歩くにあたり、まずは矢ノ川4号トンネルまで向かい、時間に余裕があればさらに目的地である矢ノ川隧道(矢ノ川5号トンネル)まで進む予定をしていました。

ここから矢ノ川隧道まではまだ2km以上ありますが、この時点で時刻は10時10分と想定していたよりも順調に進んできているので、最後まで歩き通すことにします。

ここまでけっこう登ってきていますが、谷の奥側を曲がりくねりながら進んでいるので、一向に視界が開けてきません。


路肩に巨岩が転がっています。苔が付いているので、相当以前に落石したものでしょう。


曲線の築堤で沢を通過していきます。


水はほとんど流れていませんが、これは滑滝ですね。


3km地点通過です。入り口から1時間半になります。


曲線を描く石積み擁壁というのが、自分としては絵になるんですよね。


矢ノ川峠道は道沿いの色々な場所に小さな滝がたくさんあります。


ここは路上に沢の水が流れる「洗い越し」になっています。暗渠が土砂で埋まってあふれ出ただけかもしれませんが。


今まで中腹を歩いてきた山の頂上がようやく見えるようになってきました。


沢を小さな橋で渡っていきます。


荒々しい路面が続きます。


紀勢本線が全通する昭和34年(1959年)まで、終端駅であった尾鷲駅と紀伊木本駅(現熊野市駅)の間をこんな峠道を走ってバスが連絡していました。


この峠道では珍しい苔生していない石垣。「谷積み」された石積み擁壁です。




4km地点です。入り口から1時間50分になります。


沢を暗渠で越えます。


ここのガードレールは、蔭谷橋で見たものよりも錆が少なくてきれいです。


この辺りでは、頻繁にスマホを取り出しては現在位置を確認しながら歩いていました。


ようやく目的地が現れました。


矢ノ川隧道(矢ノ川5号トンネル)です。入り口から2時間ちょっとで到着しました。


トンネル延長はこの峠道の最長である107m。この道路の象徴としてピラスター(壁柱)、笠石、帯石と装飾が施され、アーチ部分もわざわざ石積みとなっています。




扁額です。


扁額に刻まれている揮毫者名は、「三重縣知事 富田愛次郎」。富田知事は、昭和10年(1935年)1月から昭和11年(1936年)12月まで三重県知事を務めています。


「三重縣知事」の右側に四文字刻まれています。上2文字は「丙子」と読み取れます。調べてみるとこれは干支の一つで、昭和11年が丙子(ひのえね)になります。下2文字は明瞭ではありませんが、上2文字が年を表していることと、書体の雰囲気から「初夏」ではないかと思われます。昭和11年初夏に「矢ノ川隧道」という書を認めたということでしょう。

それではトンネル内部へと入っていきます。写真はフラッシュを焚いて撮っているので明るいですが、延長107mあるトンネルなので実際は真っ暗です。


坑門がしっかりとした造りなので、内部も全面コンクリート覆工されているのかと思いきや、一部は素掘り丸出しのままでした。


全長から見れば、コンクリート覆工されている部分の方が長いです。


よく見てみると、このトンネルのコンクリート覆工は相当傷んでいます。コンクリートが剥落して、地山が見えている部分もあります。


反対側へと来ました。側壁部分のコンクリートの傷み方が尋常じゃないです。屋外で直接風雨にさらされる場所でもないのに、どうしたらこんなにボロボロになるのでしょう。


トンネル坑口の先にある擁壁もまるで大きな爪で引っかかれたように無数の傷が付いています。こんなものは見たことがありません。


反対側の坑門です。トンネルの周辺はコンクリートと石積みの擁壁でかなり上部までぐるりと取り囲まれています。トンネルの坑口を設けるために山を抉りぬいたのでしょう。




コンクリート擁壁の損傷部分。何らかの理由で土木機械で破壊しようとしたのか、上からの落石や土砂崩れによるものなのか、それとも長年の風雨による浸食なのか。摩訶不思議です。


扁額です。こちらも「三重縣知事 富田愛次郎」とあります。


トンネルを出てすぐの所に入口から5kmの表示が立っています。


ここで右側から道が合流してきます。合流してくる道の名前は八十谷林道。通称「矢ノ川峠明治道」のルートの一部を踏襲しているらしいです。矢ノ川峠道(旧国道)は左折して矢ノ川峠を目指していきます。


矢ノ川隧道(矢ノ川5号トンネル)まで踏破したことで、今回の目的は達成しました。


しかしながら時刻はまだ11時10分。「せっかくここまで来たし、時間もまだ余裕があるから、『安全索道 小坪駅跡』を見に行こう。」と思い立ち、八十谷林道を歩いて向かうことにしました。

※その4へつづく。
Posted at 2021/11/05 23:32:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 矢ノ川峠 | 日記

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